ゼロの掟~公安部第零課特務班~

さつまいも隼人

1_対峙

 電脳体という生き物は、決して生きてなんかいない。外見こそ人間らしいが、その四肢は人間のものとは程遠い金属によって構成されている。呼吸の代わりにこめかみに植え付けられたLEDが明滅し、どこからか駆動音が鳴る。

 人を認識すれば関節が鳴り、肉を裂き、骨を断とうと襲ってくる。

 ならなぜ、人はそれを生き物と呼ぶのか。

 それは――


『兄さん、右!』


 インカムから声が聞こえる。その声は若い。しかし若さのわりに、この世の苦しみを知ったような緊張感のある声だった。

その瞬間に身をよじる。横腹に刃物のような爪がかすめ、わずかに皮膚が避けた感覚がしたが、下したてのシャツに赤が移ることはなかった。

 とっさに後ろを振り返れば、自身の勢いに負けて手をついて無防備な背中を晒すが居た。


 政府がを電脳体と名付けたのは先月のことだ。

 一年前都内某所で目撃された電脳体は、最初はSNS上の噂話や都市伝説に過ぎなかった。どうせCGややらせだろうと思いながら、ユーザー全員がその投稿を楽しんでいる状態。

 しかし事態が一変するのは容易かった。

 惨殺死体。それが見つかったのは最初の投稿があってからわずか一か月後だった。

 その死体が持っていたスマートフォンから、電脳体に襲われる動画が残っていた。最初は「誰だよ」という怒号。しかし死が決定的に迫ってきてからは、それも収まり、電脳体のレポートに終始した。

 木っ端になった死体の腕には、「○〇新聞社」と書かれた腕章があったという。


「……」


 無防備に向けられる背中。

 人間的でない動きによって引き戻される頭部。

 瀬川はそれに向かって、撃鉄を下ろした。固い音が響く。

 そして爆音が轟けば、電脳体は爆ぜた。近くの地面に刺した赤い旗は、後処理班の人間が回収するのに役に立つだろう。

 風に乗って、何よりも赤い色が揺らめく。


「千春」

『次は、ビルの中』

「分かった」


 インカムの声を頼りに、瀬川は目の前のビルに歩を進めた。

 一階はウィンドウショッピングが出来そうなガラス張りになっている。しかしそれ以外に、このビルが生きた形跡がどこにも見つからない。

 ずいぶん前に逃げ出していたのか、中には少しの荷物も残されていなかった。


 この任務を言い渡されたのは今朝のことだ。それを知ってか知らずか、インカムの声はビルの歴史やかつて入ったテナントのことなどを話し始めている。

 解説のつもりだろう。

 あいにくだがこのビルのことは短時間だったが、頭に入っている。

 けれどその声を止めることなく、BGMとして俺はある一室を目指した。


『そこ』


 瀬川がその一室の前に立てば、驚いたような声が耳から聞こえた。

 白地のプレートに黒い明朝体で電気室と書かれたそこは、そこはかとなくノスタルジーを感じさせる。古めかしい扉はところどころ変色していた。


「……行くか」


 そう呟きながら、頭の中に電気室の間取りを描く。

 入ってすぐの突き当りに消火設備があり、左手には分電盤と配電盤。右手は壁。そしてそのまま突き当りを左に曲がれば、最初に見えた分電盤と配電盤を背に、電力量計や変圧器などの計測器の類がある。そしてその向かい側に壁を背にして、母線や予備電源があったはずだ。

 ドアノブに手をかければ、ひやりとした感覚が手のひらから脳に伝う。


 キィッ。


 そこすらも古い。そんなことを思いながらも一歩を踏み出した。

 ――瞬間だった。


「……っ!」


 その牙は、まさしく凶刃だ。

 瀬川にとっての死角。つまりドアの裏側から生えるように伸びてきたそれは、瞬く間に瀬川の右腕を貫いていた。


『兄さん!?』


 パニックになった声がインカム越しに聞こえた。きっと彼女からすればそれは、天地がひっくり返るような衝撃だっただろう。

 だが、瀬川は違う。

 シャツの下に付けられた防刃用のアームカバーは、多少なりとも効果を発揮したらしい。瀬川にとって致命的だったのは、先ほど受けた傷に重なるように新たな傷が増えたことだった。


「問題ない」


 至近距離というものは、メリットもデメリットもある。今しがたデメリットを浴びた瀬川にとって、残されたのはメリットだけだ。

 すなわち、電脳体の脳天に一発入れるのは赤子の手をひねるよりも簡単だ。


「死ねよ」


 暴発に近い爆音が鳴る。

 それでもスプリングが正しく動作する限り、硝煙は上がる。弾は出る。空薬莢が跳ねる音がすれば、電脳体の死を悟る。

 無残な死体と化した電脳体を蹴りながら、端に寄せた。


「邪魔だ」


 ただ一言。誰に聞かせるでもなく呟けば、瀬川は次のために撃鉄を下ろす。暗いなかで鋭く光った眼光は、まさしく獣のそれだった。

 たった2インチの短い拳銃を強く握る。その拳銃が瀬川用になってから久しい。バレルやグリップにつけた傷もどれもこれも見覚えがある。


 獰猛な獣はどちらだろうか。

 未だ哺乳類として形を保つ瀬川と、機械生命体である電脳体ではふさわしいのはどちらだろうか。その答えを知らぬまま、二体目の電脳体の頭部が柘榴のように弾けた。


 それは分電盤から何かを吸い取るように、分電盤に引っ付いていた。さながらタコのように。電脳体は機械生命体だ。それゆえに、電気を欲する。だからここにいると踏んだのは正解のようだったが、ここまで増殖しているとは思わなかった。

 瀬川の眼前には、タコのようになった電脳体が四体。それも関節部を結合しした電気を共有することで、捨てられたビルにかろうじて供給される電気を効率よく利用しているらしい。


 呆れる間も、逡巡する間もなかった。

 どこを狙ってもらっても構いません。と言わんばかりに無防備に晒された全身。ひとまず、つなぎ目を引きはがせるかどうか、瀬川はそこに狙いを定めた。


 カチンッ。


 金属製のものに弾丸を放っているのだ。返ってきたその音は至極当然のものだろう。

 だが、電脳体に限っては違う。

 関節部は柔らかく、そこを狙えば人間のような体液が漏れ出る。その他の部位も関節部のようにはいかないが、拳銃であれば十分な威力を持つはずだ。

 ならなぜ……?

 いくら考えようとも現実は変わらない。むしろこういう時、現実は悪い方、悪い方へと転がっていくものだ。


「気持ち悪りぃ」


 電脳体のこめかみに植え付けられたLEDが明滅する。それは普段見ている青色や緑色ではない。赤色。自然界において警戒色であるその色は、瀬川の肌を粟立たせるには十分だった。

 魚のように突き出た目が、ぐりぐりと動く。

 位置によりこちらを視認することが不可能な個体ほど、その動きは激しかった。こちらを見てやろうとする執着と本能を感じ取り、ますます肌は粟立つ。


「<警告>本個体を傷つけることは禁じられています。<警告><警告><警告>」


 ゾワリ、とみぞおちの辺りがひっくり返ったかのような冷たさを覚える。それは動物的な恐怖が告げるのか。それとも人間らしい理性が告げるのだろうか。

 しかし美しくもない四重奏カルテットを聞いている暇はない。


「馬鹿言うなよ。俺だって好きでやってるわけじゃねえんだ」


 だがだからと言って、明確な対抗策があるわけではなかった。ただ体を動かし、拳銃に執着し、頭を使う経験のない自分に賢明な打開策が考えられると思わなかった。

 自分のみぞおちを殴る。そうすれば冷たくなった下腹部が熱を取り戻していく。

 目じりにしわを作るように、両眼を固く閉ざす。そうすればその化け物がはっきりと見えた。

 ――『絶望』の二文字は自分の中にはなかった。


 だからだろう。彼のもとに神の使いが現れたのは。


「伏せてッ!」


 女の声だった。

 鋭いが冷たさはない。むしろ初めて聞いた瀬川の耳にも、温かみのようなものが伝わってくるようなそんな声だった。

 誰だろうか、振り返る間もなく体は勝手に下に動いていた。それは警察学校や現場で培われた経験のおかげだ。そういう声には従ったほうがいいことを、瀬川はこの数年間で知っていた。


 次に瀬川の耳に届いたのは轟音。それは瀬川のたった2インチの拳銃から放たれるものよりもずっと大きく、激しい音だった。

 ああ、そうか。

 合点がいった瀬川の脳裏をかすめたのは、先々月に告知された新たな武器の話。それは電脳体内部に供給された電気を利用し、増幅させ火薬の代わりとなって弾を放つという代物だった。無論日本警察が使うような2インチの拳銃にそれだけの威力が耐えられるはずもなく、ショットガンかライフルの2種類があったはずだ。


 そのどちらかを彼女は使っているのではないか。

 そんな推測が、耳鳴りに苦しめられている間でも脳内を占拠した。


 どれほどの時間が経っただろうか。それは一瞬だったかもしれない。だが、瀬川にとっては数時間にも感じるような時間が流れ、やがて目の前の白がじわじわと視界から後退していけば、声がかかる。


「今日付けで公安部第零課特務班に配属になりました! 東山響とうやまひびきです! よろしくお願いします!」

 

 にこりと笑う彼女の周りには、これがマンガならフワフワとした枠のようなものがついていたことだろう。しかし現実はそうはいかない。


「瀬川さんですよね。瀬川春十さん」

「そうだ。が、なぜわかる」


 我ながら特徴のない顔だと思う。だから特務班に配属される以前は、尾行だのなんだので役に立った。それを初対面で見抜かれるのは少し心外だ。


「だって……――元・人間を殺せる人なんてそうそういないですから!」


 その笑顔は先ほどのものと変わらなかった。綻びなんてない完璧な笑み。

 

「そうか」

「そうです」


 元・人間。それが何をさすのかこの世界でなら明白だろう。

 それとイコールで繋がれるのは、電脳体だけだ。電脳体と渡り合えば、電脳体となるか死体となるか。それがこの世界の不文律で、知らない者はいない事実だ。

 そしてその心理的負担故に、特務班に配属される刑事は少ない。


「それに、いまだにそれ使ってる人なんていないですから!」


 それ。とは、2インチの拳銃のことだ。先々月に告知されて以後、その有用性からショットガンやライフルを持つ刑事は増えた。

 実際東山と名乗ったその女も、ショットガンを背にしている。


「ロマンだ」

「でも今、危なかったですよね」

「ロマンだ」


 瀬川の背後では、いまだ生の希望に縋っている電脳体が呻き声をあげている。しかしそれが聞こえなくなるのも時間の問題だろう。

 瀬川の持つ拳銃ではこうはいかなかった。


「6発しか撃てない。リロードも必要。威力も今では不十分。おまけに自動式ですらない。それなのになんでそれに拘るんですか?」

「……綺麗に殺せるだろ」

「そうですか」


 新たな銃はその威力ゆえに、文字通り電脳体の部位を木っ端にする。だが、瀬川のもつ拳銃は違った。正確に脳天を狙えば、死体を保ったまま殺すことができる。


「意外と真面目なんですね。……相性いいかも」

「あ?」

「とにかく今日から私たちバディです! お願いします。先輩」

「は?」


 聞いてない。

 いや、自分にバディがいなくて困っているのは事実だ。班長に相談したこともある。

 だが、こんな小娘が新しいバディだと。


「警察学校、卒業したばっかりなので。色々教えてください」


 なぜ自分が不利になる情報をポンポンと吐き出すのか。


「嫌だ」

「でももう決まっちゃいましたよ。……それに先輩の元バディって!」

「言うな」


 とことん逆鱗に触れる女だ。

 瀬川は苛立ちに身を任せ、東山の前に立つ。もう電脳体の声は聞こえなかった。


「そんな事情で、誰も先輩のバディになろうとしないんですよ。そこに私という救世主が来たんです。これはもう……組むしかないですよね」

「却下だ」

「でも先輩一人だと大変なことになっちゃいますよ」

「一人じゃない」


 インカムをたたく。そこから声が聞こえる限り、瀬川は一人ではなかった。


「ああ、千春ちゃん」

「なんであいつの名前も……」


 呆然としている間に、マイクを奪い取られる。

 女らしい香水の匂いが鼻腔をくすぐった。


「千春ちゃんも、私とバディ組んで欲しいよね」


 何を言い出すのかと思えば。そんな馬鹿なことに千春が首を縦に振るはずが……


『うん!』


 元気にお返事ができるのはいいことで。


「じゃあそういうことで、よろしくお願いしますね! 先輩!」


 にこやかな笑顔が、灰色の世界に色を付けていく瞬間だった。

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