Act.2 救難の宇宙・1

「アモン、離埠アンカー・リリースします」

 涼やかなリサの声が艦橋ブリッジに響くと同時だった。

「ごめん、ごめん、遅くなったわ・・・!」

 ネルガレーテが白橡しろつるばみ色のヘアをなびかせて、ユーマの機関動力担当エンジニアユニットの脇を潜るようにして入って来る。途端、艦体がクンと微かに震えた。離埠のためにリサが、姿勢制御推力器バーニアを操作したのだ。

 機艦アモンの姿勢制御推力器バーニアは、核融合で発生させたプラズマを爆縮高速点火させ、その爆発の運動エネルギーを推進力として利用する核融合爆縮パルス噴射機構で、乱暴な言い方をすれば核融合爆弾を連続して爆発させるようなものだ。

「酔っ払って寝てたでしょ」ユーマが尖り声を投げ掛けた。「ちゃんと酔い醒ましデ・ブースを飲んだ? 頭はしゃっきりしてるでしょうね」

「飲んだ、飲んだ、吐くほど飲んだわ」

「薬を? 酒を?」

「両方」キャプテン・ユニットに飛び込みながら、ネルガレーテがヘッドセットを着ける。「──それで、面倒を見なきゃならない襤褸ぼろ船舶ふねは?」

「既に約11キロ先を、0.44ガルで等加速航行中だ」

「光学視認映像を入れます」

 ジィクが即座に答えれば、それにベアトリーチェが応じる。

「──先行する貨物船フレーター・バラタックとの相対位置を確保するため加速」

 操艦担当パイロットユニットのリサが、操艦桿ドライブ・スティックを僅かに操る。機艦アモンは2加速ガルでバラタックを追い掛けるようにして、アールスフェボリット・コスモス社のステーションから静かに離れて行く。

「フェードイン座標を確認。虚時空拡張タキオン・エキスパンドエンジンをホールド」

虚時空航法アイドル・ディメンション・ドライブのプログラムをリンク。時空共役ディメンション・コンジュゲートエンジンに異常を認めません」

 リサの言葉に続いてベアトリーチェが報告する。

「通信回線はバラタックに繋がってる?」

「大丈夫だ。通信状態は良好・・・の筈」

 操艦副担当プロキシーユニットのアディが応じた。

 このユニットの専任は艦載火器の統合管制だが、緊急時には機艦自体の操艦ドライブと通常宙空間航行用推進主機であるアクシオン対粒子転換アナイアレートエンジンの機関制御の予備リザーブを担える。一般通信はエグゼクティブ・オペレーティング・システムであるベアトリーチェが管理しているが、通信管制下や行動計画ミッションの遂行中に繋いでいる専用回線は、操艦副担当プロキシーユニットの管理下に入れる事が可能だ。アモンは既に行動計画ミッションを遂行中であり、庇護輸送対象である貨物船フレーターバラタックとの間に構築してある専用回線は、アディの管理下にある。

「あー、聞こえる? 素敵なお船の船長さんアイバドゥール

 その呼びかけと同時に、前方のディスプレイ・スクリーンにモニターされている旧式の貨物船フレーターの映像に、深い髭面で少々くたびれた顔の、いかにも古参ヴェテランそうなキャプテン帽を被った地球人テランのバストショットが割り込んだ。バラタックの船橋楼ブリッジは船体中央、前部積載区画ペイロードと後部積載区画ペイロードの間にある。

「──こちらバラ・・・ック。麗しい声・・・聞こえます・・・デューク・・・ルガレーテ」

 がらがらと嗄れた声が途切れ途切れに、アモンの艦橋ブリッジのスピーカから降って来た。映り込む画像にも頻繁にノイズが入って、時折りフリーズする。

「何よ、途切れ途切れじゃないの? アディ」

 艦内通話インカムに切り替たネルガレーテが、声を上げた。相手への送話音声は、ネルガレーテのヘッドセットからしか通じていない。

「仕方ないんだよ、向こうの出力が安定しないんだ。主星からの太陽風の影響で、バラタックからの通波が乱されるんだよ」

「ほんと、何もかも襤褸ぼろい船」溜め息を吐くと、ネルガレーテは再び通話チャンネルを切り替えた。「──素敵なお髭の船長さんアイバドゥール、そちらに問題はないわよね?」

「ええ、機関・・・荷とも異常は・・・せん」

「結構。フェードインまで、約40秒ってところ」

「少し・・・キドキしますな・・・しろ虚時空航行・・・初め・・・経験ですから」

 船長の声がただでさえ嗄れて聞き取り辛いのに、こうノイズが混じっては、まともに耳を傾ける気にならない。

「何にでも初めては付き物よ。私に任せれば、三擦みこすり半でイッちゃえるわよ」

「ネルガレーテ・・・!」

 如何いかがわしい言い草の、しかも露骨に投げ遣り口調のネルガレーテに、思わずユーマがたしなめる。

「──三擦みこすり半でイッちゃう、って何?」

 聞いていたリサが、横のアディを向いて真顔で訊ねた。それにアディがぶっと吹き出して、ジィクとユーマがくくくと笑いを噛み殺す。リサだけが意味が解らず、きょとんとしていた。

「ステーションからの安全距離と想定した50キロを超えます。周囲テンソル空間における真空期待値の規定閾値しきいち以下を確認しました」

力場維持翼フィールド・スタビライザーを展開。時空共役ディメンション・コンジュゲートエンジン、負荷率上昇」

 ベアトリーチェの報告に続いてユーマが応じる。

「バラタックと軌道会合ランデブー。相対距離1000メートルを確保」

「それじゃあ、フェードインへのシークエンスを開始して」

 リサからの報告に頷いたネルガレーテがベアトリーチェに指示をしてから、貨物船フレーター三度みたびに呼び出す。

「バラタック、今から虚時空ドライブへ移行するからね。フェードアウトしたら慣性航行してるけど、下手に針路変更しないで。座標確認とベクトル再計算はこっちでするから、それに従って。イッたからって、勝手に抜いちゃ駄目よ」

「ネルガレーテ・・・!」

 いい加減にしなさい、と言わんばかりに、再びユーマが呵責》かしゃく》の声を上げる。ネルガレーテは、誰も見ていないと思ったのか、小さくぺろっと舌を出して首をすくめた。

「リサ、虚時空拡張タキオン・エキスパンドエンジンの起動までのカウントダウンを開始します」ベアトリーチェの声が無造作に響く。「・・・3・・・2・・・1、ゼロ・アワー」

「フェードイン・・・!」

 リサがパワー・ノブを押し込むと同時に、虚時空突入に伴う何処かへ吸い込まれるような雰囲気に包まれる。と思ったら出し抜けに、通常空間に戻る際の耳鳴りがした。

「フェードアウトしました」

 ベアトリーチェの声が、虚時空ドライブ・シークエンスを終えたことを知らせる。傭われ宇宙艦乗りドラグゥン・グリフィンウッドマックの機艦アモンと貨物船フレーター・バラタックは揃って、天秤座宙域辺境セザンヌ太陽系内外縁に、何事もなくフェードアウトした。



 主機虚時空拡張タキオン・エキスパンドエンジンによる虚時空航法アイドル・ディメンション・ドライブは、厳密に言えば“推進”システムではない。

 生じるタキオン現象は、当該システムの周囲にタキオン場空間を作り出す事で、当該システムを含めた空間ごと虚時空で移動させる。タキオン現象の影響を受ける空間内にある形而下物質物体は、タキオン現象に引き摺られ時空転移が生じる。この効果を利用すれば、虚時空ドライブを搭載している宇宙艦が1隻あれば、複数艦船を同時に同空間へフェードアウトさせる事が可能になる。アモンは貨物船フレーター・バラタックを伴って、1100光年を同時に虚時空移動した。

 タキオン場の被覆空間の大きさは、補機である時空共役ディメンション・コンジュゲートエンジンの誘導能力インダクト・キャパシティに比例し、被覆空間内の真空期待値にも影響される。アモンが艤装しているシステムだと、最大出力で半径10キロがほぼ被覆対象空間で、半径5キロ圏内に大型宇宙船を配置すれば、3隻程度までなら同時に虚時空移動させられる。

 ただ問題になるのが、補機である時空共役ディメンション・コンジュゲートエンジンの周囲に広がる宙空間の真空期待値だ。要求される範囲は十数万キロの範囲で、気体、液体、固体を問わず、真空期待値の大きすぎる空間が偏在すると、量子学的透過効果クォンタム・トンネリングを応用する誘導能力インダクト・キャパシティが阻害される。宇宙ステーション程度なら問題ないが、惑星規模の物質が存在すると発生タキオン場を正常に維持できない。

 アールスフェポリット社のステーションは、首星ホフラン公転軌道に対して150万キロ外側をホフラン公転軌道面と直交する独自の公転軌道を描いているため、周辺でフェードインを行っても要求される真空期待値に問題はないのだが、発生するタキオン場にステーションを巻き込んでしまう可能性があるので、距離をとったのだ。



主星ネーム・スターセザンヌを光学視認。スクリーン・ビジョンに入れます」

 ベアトリーチェの乾いた声がヘッドセットの艦内通話インカムに入り、艦橋ブリッジ前方のスクリーンに燦然と輝く恒星が映り込む。

「バラタック、聞こえる?」ネルガレーテが声を掛けた。「そっちに異常はない?」

「もう飛び終わったんですか?」

 画面の中で一瞬呆けたような顔をしていた髭の船長が、慌てて周囲を見回した。

「ええ、セザンヌ太陽系外縁。すぐに位置情報とベクトル情報を送るから、姿勢制御シークエンスを組み立てて転針してちょうだい」

 ネルガレーテが突き放すように言った。ネルガレーテを始め、グリフィンウッドマックの面々は、既に次のシークエンスの方へ意識が行っている。すなわち輸送船ゴーダムの救難だ。

「主星セザンヌに対するフェードアウト座標算出、運動ベクトル計算中」

最終目的地ラスト・ネーション、第7惑星ピュシス・プルシャを捕捉しました」

 ジィクが制御卓コンソールに目を走らせれば、ベアトリーチェが声を上げる。

「アディ、ジィクから最終目的地ラスト・ネーションまでのナビゲート・データが出たら、現在座標と合わせてバラタックへ送って頂戴。先にあの襤褸ぼろ船を進路転針させて」

合点承知の助オゥキー・ドゥキー

 アディが事務的な口調で答えた。

「ネルガレーテ」ベアトリーチェの抑揚のない声が艦内通話機インカムに届く。「救難事態宣言メーデーを受信しました」

「捕まえた? ゴーダムね?」

「発信船名をゴーダムと確認しましたが、途切れました。一定間隔による自動発信と推測します」

「座標は付帯してた? 飛航ベクトルを検算できる?」

「算出していた予測数値と差がありますが、予定航路シフトの修正に問題ありません」

 ベアトリーチェの返事があって、艦橋ブリッジ前方の立体グラフィック投影にセザンヌ太陽系の惑星公転軌道を入れた模式図とアモンの位置、それにゴーダムの航跡とその予測針路、さらには相伴してきたバラタックの位置情報が浮かび上がる。

 救難対象のゴーダムの移動ベクトルは、アールスフェボリット社側で受信した救難事態宣言メーデーに付帯されていた座標情報からあらかじめ算出してあったが、数値は飽くまでも25日前の過去のデータだ。そこから更にゴーダムの慣性モーメントを再計算して、アモンがフェードアウトする時点でのゴーダムの座標を予測した。バラタックを伴ったアモンは、このゴーダムが飛航する先の、待ち受けるような位置取りでフェードアウトした。

「対象との距離は約90宇宙カイリ、速度は約28宇宙ノット、ってところだな」

 ゴーダムへの軌道会合ランデブー・シークエンスを演算しているジィクが、呟くように言った。

「想定したベクトルとちょっと違うわね。速度も上がってる?」

「セザンヌ太陽系のデータが完全ではないため憶測の域を出ませんが、第11惑星の近くをスイングバイした際にベクトルが変わった可能性があります」

 ネルガレーテの問い掛けに、ベアトリーチェが答えた。

「意外と距離が詰まり過ぎているみたいね」溜め息を一つ吐き出すと、ネルガレーテは少しばかり早口で言った。「──急ぎましょ、リサ、アモン転針よ」

了解テンフォー

 短く応答したリサが姿勢制御桿アティテュード・スティックを押し込み、アモンの姿勢制御に掛かる。

 1宇宙カイリは12万キロ、1宇宙ノットとは1宇宙カイリを1時間で行く慣性速度の事で、光速の0.0001パーセントほどだ。90宇宙カイリで1080万キロ、28宇宙ノットは超対称性場推進航法後の内洋航行としては標準範囲内の巡航速度だ。

 予定ではゴーダムの予測針路上に、120宇宙カイリの距離的余裕リード・ディスタンスを見込んでいた。その上で、アモンは加速して速度を上げ、後ろから迫って来るゴーダムにベクトルを同調しながら軌道会合ランデブーする。120宇宙カイリは、言ってみれば走競争のリレーによるバトンの受け渡しのリレーゾーンであり、ゴーダムの背後から追い付くより遥かに効率的だ。

 事前の計算では、ゴーダムの慣性移動速度を22宇宙ノットと算出していた上に、想定飛航コースとはズレているため、結果的に距離的余裕リードが取れず、時間的余裕アローアンス・タイムも失っている。

「アディ、バラタックに繋いで」

了解チェック当該船舶リレヴェントには今、ナビゲート・データを送ったぞ」

アディの言葉に頷くと、ネルガレーテはスクリーンに映る船長を見やった。

「──バラタック、聞こえる? 今そっちに航路指示を送ったわ」

「え・・・届きま・・・た」髭面の船長が、届いたデータを手元のモニターで確認しながら言った。「ゴー・・・ムで・・・か・・・救難事態宣言メーデー・・・?」

相変わらずの雑音交じりの通信に、ネルガレーテが一瞬顔をしかめる。

「良い子だから、余所見しないで、ちゃんと言い付け通りに先に行くのよ。迷子になって発見が遅れたら、カスカスのミイラになっちゃうからね」

「皆さん・・・ゴーダ・・・へ?」

 むさ苦しい髭面が、再び起き上がる。同じ現役宇宙艦乗りジャック・アフロートとしては、難破船は他人事では済まないだけに、気になるところだろう。

「聞いているでしょ? 今から当艦は最大で30時間、救難シークエンスに入るから」

 編団頭領ドラグゥン・デュークはふんわりした白橡しろつるばみ色の髪を、頚根うなじを見せつけるように、肩辺りで軽く跳ね上げた。投げキスなど論外の、浮薄で通俗的な真似を絶対しないネルガレーテ特有の、これでもお愛想仕草だ。

「──明日の昼ご飯には、間に合うように追い付くわ」

 それだけ言うとネルガレーテは、手元のモニターにも割り込んで映っていた船長の小さな画像を、さっさと指で軽く弾き出した。と同時に、艦橋ブリッジ前方のスクリーンに映っていた暑苦しい髭面も消えた。

「アクシオン対粒子転換アナイアレートエンジンのパワー・キャップを開放、機関最大出力」

 ユーマの声と同時に、リサがじわりとブースト・ペダルを踏み込む。ぐん、と一瞬シートにし付けられる感覚があったが、すぐさま戻った。

「修正したゴーダムの予定航路シフトにオンレーン。アモンを10ガルで等加速します」

再びし付けられる感じがして、主機が唸りを上げたアモンが猛然と加速を始めた。

 アクシオン対粒子転換アナイアレートエンジンは、重力環境下を含めた通常宙空間飛航用のアモンの推進主機だ。

 アクシオン正反粒子を対消滅反応させ、発生したプラズマを電磁気的加速噴射することで推進力を捻出する。対粒子による反応自体は完全な対消滅ではなく、わざと不完全な反応にしてプラズマを作り出しており、正反のアクシオン粒子自体は時空共役ディメンション・コンジュゲートエンジンで抽出される。

「リサ、加速度を14ガルまで上げるんだ。このままだとベクトルが合致する前に、ゴーダムに追い抜かれる」

「加速14ガル、了解チェック

 ジィクの修正指示にリサが小気味よく答えると、アモンの主機が三度みたび吼え上がる。

 相対距離を詰めながら相対速度を上げるために、対象であるゴーダムの慣性ベクトルに対して大きく蛇行する航跡を取るのだ。アモンが艤装するアクシオン対粒子転換アナイアレート推進システムは比推力が大きいので、アモンの加速度は35ガルを超えられる。

 勿論、そこまでの加速が可能なのは、アモンに主機の噴射エネルギーに対する重力質量増加緩衝システムが組み込まれているからだ。ただ緩衝相殺が可能なのは20ガル程度なので、それ以上の加速には乗艦員クルーに超過ガルが伸し掛かる事になる。

「ゴーダムの船影を捕捉、光学視認しました。最大望遠で映像を入れます」

 ベアトリーチェの声と同時に、ゴーダムを捉えた画像に切り替わる。

 実際はアモンの遥か後方を慣性飛航しており、恒星セザンヌの陽を受けて浮かび上がるゴーダムの長細いシルエットの上を、時折りキラリとかがやきが走る。どうやら正常な姿勢では飛航していないように見える。

「この光学画像だけじゃ、よく解らないわね」ネルガレーテが唸るように言った。「船体の損傷度合いを確認できる?」

「まだ距離がある上、複雑な3軸方向の傾転慣性運動起こしていると推測されるため、現在の光学画像情報からでは、解析できません」

「あらま、意外と厄介な」ネルガレーテが嘆息混じりに声を上げる。「望み薄そうだけど、一応社用規定通信カンパニー・ラジオで、呼び出してみて頂戴」

 ネルガレーテの指示に呼応したアディが、アールスフェポリット社から渡されていた指定通信帯域でゴーダムを呼び出す。間を置いて3度試みたが、反応は無かった。



★Act.2 救難の宇宙・1/次Act.2 救難の宇宙・2


 written by サザン 初人ういど plot featuring アキ・ミッドフォレスト

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