Act.1 初めてのスティック(操艦桿)・6

「ほう。面白い事を言うわね、うちの看板娘プッシィ・アイドルは」目を細めて冷笑を浮かべるネルガレーテは、それでもどこか嬉しそうだった。「そのうち、その男の向こう見ずさと無鉄砲さに、ほぞを噛む事になるわよ」

「うーむ。それはそれで、リサの男を見る目が腐りつつあるような気がするが」

 案の定、ジィクも挑発的に混ぜ返す。

 ネルガレーテの言葉とジィクの揶揄に、リサは一層嬉しそうな笑みを零した。グリフィンウッドマックのみんなが、自分を受け入れてくれた──リサが自身がそう実感でき、そして本当の意味で傭われ宇宙艦乗りドラグゥン・グリフィンウッドマックの編団レギオの一員になった瞬間だった。

「腐ってるのはリサの目じゃなくて、お前の下半身だろうが、ジィク」

 そしてアディが、よく言うぜ、とばかりに睨み返す。そのアディの背後から、そうだそうだ、と合いの手を入れるリサが、下唇を突き出した顔を覗かせる。

「おいおいおい、腐ってたら、一晩中愛し合うなんて真似は出来ないぞ」

「あんたの愛し合うって、半ば変態行為が交じってるじゃないの。拘束目隠しとか、焦らしプレイに言葉責めとか、スパンキングとか」

 神妙な顔付きで言い切るジィクに、ユーマが呆れたように言葉を被せる。

「あれ? 愛し合って盛り上がったら、そこまで行くだろう?」

「えーッ! ジィクってそんな奇矯ビザールな愛し方するの? まるで変態ナスティ・リビドーじゃない!」

 素っ惚けるジィクに、言い切ってやった──とばかりに、態とらしくも大仰な驚きの声を上げたのは、何とリサだった。その可愛らしくも黄色い声に、今度はジィク、ユーマ、ネルガレーテ、そしてアディが、おっ、と言う目でリサを見る。注目を浴びたリサが、言っちゃった、とばかりに照れ臭そうに、てへっとお茶目に舌を出す。

「だから、さっきから言われてるだろ、ジィクは変態ギーザーだって」

 アディが呆れ顔に口をヘの字に曲げてリサを見ると、リサも口をヘの字にしてそれに応える。

「待て待て待て。愛し合うと言う事柄に、何かとても誤解があるようだ。ここは少し冷静にみんなで恋愛論を、だな・・・」

 ジィクまでが口をヘの字にして、そこまで言い掛けた矢先。

 ラウンジの扉がいきなり開いた。

「これはこれは、大層お待たせしてしまって──」

 態とらしいほど愛想の良い大声と共に姿を見せたのは、若いゴース人だった。

「よくぞ来ていただいた、グリフィンウッドマックの方々」

 その声に、グリフィンウッドマックの面々が一斉に振り向く。

 アールスフェボリット・コスモス・トレモイユ支社、天秤座宙域総括上級役員ヴァリモ・ヌヴゥその人だった。その背後には小振りのブリーフ鞄を手に、詰め襟のボレロ・ジャケット、彫金装飾のバックルが悪趣味っぽいベルト、さらに腰から飾緒モールをぶら下げた、ヌヴゥより若いペロリンガ人の部下と思しき男が従っていた。

「──セニョーラ・シュペールサンク、少しばかり無理を聞いて頂いて感謝しています」

「なんの、役員自らお越しいただけるとは、何と光栄な・・・!」

 何時いつの間にかカウンターの中から出て来ていたネルガレーテが、ヌヴゥの方へ歩み寄る。さすがに、手にしていたグラスはカウンターの上に、だがちゃんと空にして置いてあった。

 ヌヴゥの顔を見た刹那、一瞬苦虫を噛み潰したような顔を見せたネルガレーテだったが、直ぐさま北叟笑ほくそえむような怪しげな笑みを浮かべ直した。ヌヴゥは気付いていないようだが、それは決して、愛想笑いではなかった。ネルガレーテの愛想笑いはもっと露骨で冷淡だ。

 腹に何か一物を持っている──リサを除く傭われ宇宙艦乗りドラグゥン3人が、“また弱みに付け込む気だな”とばかり、こぞって一瞬口をヘの字にして見せた。

 アールスフェボリット・コスモス社は、決して小さな企業ではない。

 その支社長とも言うべき人物が、わざわざ埠頭に下りて来てまで出迎えるとは、普通では有り得ない事なのに、鼻摘み者の傭われ宇宙艦乗りドラグゥン相手では尚更だ。余程にネルガレーテの事を気に入ったのか、それとも何か別の含みがあるのか──とにかくネルガレーテは、そんなヌヴゥの足元を見透かしての、吹っ掛ける隙があると見越したに違いない。

 ヌヴゥとネルガレーテが、小さなフロア・テーブルを向かい合った。ネルガレーテの座るソファ真後ろには傭われ宇宙艦乗りドラグゥン4人が立ち並び、ヌヴゥの側には若い部下が立った。

 さあ、どうぞ、とヌヴゥがネルガレーテに仕草すると、ネルガレーテが後ろを振り返り、同時にアディがリサの背を押す。リサが一瞬どぎまぎして、え、あたし? と見回すのに、アディが、そうだ、と無言で頷きソファへ促した。

「とんだ失礼をしました、セニョーラ・テスタロッサ」紳士のマナーと言わんばかりの、卒の無い物腰でヌヴゥが会釈した。「アールスフェボリット・コスモス、トレモイユ支社のヴァリモ・ヌヴゥです、どうぞお見知り置きを」

 ヌヴゥが気持ち悪いほどの笑顔を見せると、ネルガレーテが無言で小さく頷き、ソファにすとんと腰を落としたので、リサもそれに倣い挨拶せずに黙って着座した。

 ただアディだけは一瞬、へそを曲げた表情を浮かべた。

 と言うのは、目の前の初見の筈の雇い主クライアントが、リサの名前を知っていたからだ。

 傭われ宇宙艦乗りドラグゥンが仕事を受注アンダーテイクする場合、編団成員レギオ・コンフィギュアを通告するのが商慣習なので不思議ではないのだが、グリフィンウッドマックがこの仕事を受けると決めたのは、首星ホフランにあるエドガール宇宙港でリサが合流して来る以前だ。と言う事は、リサが編団レギオに伍する事は、ずっと前から分かっていた、決まっていた事に他ならない。

“全く、やってくれるぜ、此奴こいつら・・・”

 左に立つユーマとジィクを、アディが横目で垣間見る。

 蚊帳かやの外に置かれ、完全にからかわれた──ユーマやジィクが知ったのが何時いつなのかは定かでないが、意表を突いたリサの登場は、どの道アディに異存は無い筈、と読み切られた上での、自分を驚かせるためだけに仕組まれた嵌め込み演出だったのだ。

“成程ね。だから無難そうなこの輸送を受けたのか、リサの初仕事のために”

 独りちるアディが、得心行ったように小さく笑んだ。

「──こちらが、貨物船ゴーダムから発信された、救難事態宣言メーデー信号の記録です」

 アディが気を取り直すと、ヌヴゥの若い部下が身を乗り出すようにして腕を伸ばし、クリップ留めした数枚のレポートを、ネルガレーテに手渡しているところだった。

「通信は当社の社用規定通信カンパニー・ラジオ帯域で、自動付帯された座標は、ピシュスのある太陽系セザンヌです」

 ヌヴゥの部下のペロリンガ人は、にこりともせず言葉を継いだ。一刀彫の人形のような顔容は、ヌヴゥとはまた違うハンサムさで、どちらかと言えば中性の美少年に近い。

貴方あなたは?」

 レポートを受け取りながら、ネルガレーテが言った。

「クリフ・カノです。今回の補給計画について、グリフィンウッドマックの方々との直接窓口と捉えていただいて結構です」

 あ、そう、と受け流すネルガレーテが、尖った耳を一瞬ぴくかせ、ぱらぱらと捲ってレポートに目を通す。その後ろでジィクが、脇のユーマを肘で突っつきながら、ヌヴゥの部下のカノに向かって顎を小さくしゃくる。横目で見やるユーマが、それに口をヘの字に曲げて小さく頷いた。奴のような優男タイプは、矢っ張りネルガレーテの趣味じゃないんだな、とのジィクからの無言の揶揄に対し、ユーマがこれまた無言で首肯したのだ。

「受信したのは、貴女あなたがたがこちらにお越しになる、つい7時間前です」

 ところがカノの方は、一瞬リサに向かって思わせ振りな笑みを浮かべたように見えた。そのリサは、ネルガレーテが手にしているレポートを、横から首を突っ込むように見ていたので、カノの視線には気付いていない。逆に気が付いたのがネルガレーテだった。

「消息不明になった、2隻目の貨物船ね?」

 露骨に嫌悪の表情を浮かべたネルガレーテが、顎の産毛を撫でながら突っ慳貪に言った。

「ええ。1隻目はガキーン、そして最近に送り出した3隻目がダイアポロです」

 それでもカノは、言葉だけはネルガレーテに向けられていたが、視線は完全にリサを向いていた。

「このゴーダムの、現地到着予定日は?」

 ネルガレーテの険のある口調とともに、レポートを後ろにいるユーマへぶっきらぼうに手渡した。ユーマが受け取ったレポートに、ジィクとアディがその両側から覗き込む。ユーマ両脇の2人は、ジィクがアディより1センチ高いだけの上背だが、中央に立つユーマは図抜けて高い。

「28日前です。基地からのゴーダム未着の通信が入ったのが、3日前です」

 カノが喋る裏で、ユーマが小声で、額を突き合わせているアディとジィクに、あの優男、リサに秋波送ってるわよ、と呆れたように呟いた。

「超対称性光子通信よね? 送達遅延タイムラグは25日?」

「はい」ネルガレーテの問いに、カノが頷く。「セザンヌ太陽系から一番近い恒星間通信トランスポンダは、580光年の距離にあるミルヴァートン太陽系にある虚時空閘門タキオン・インクライン・ゲートで、超対称性光子通信で570時間余り要します。そこから、このトレモイユ太陽系までは虚時空位相宙路タキオン・インクラインが通っています」


 超対称性光子通信は、恒星間超光速航行と同様の超対称性場システムを使って、超光速通信を可能にするシステムだ。超対称性場航法と同じく巨大引力圏を背景にした空間か、超対称性場推進航行中の船舶からでないと使えない。通信波は質量をもった光子なのだが、質量が小さいため時速1.0光年の送出速度しか出せない。このため質量のより大きな宇宙船舶による超対称性場推進方が速い、と言う逆転現象が生じる。

 その欠点を補うのが、恒星間通信トランスポンダによる虚時空タキオン通信への変換だ。

 虚時空タキオン通信は、アモンが艤装する虚時空航法と同じ原理なので、いかなる距離だろうとほぼ送達遅延タイムラグ無しに送受信が可能になる。

 ただしこの恒星間通信トランスポンダは、どこにでも設置されている訳ではなく、大抵は虚時空閘門タキオン・インクライン・ゲートの付属機能として備わっている。虚時空閘門タキオン・インクライン・ゲートは、虚時空ドライブ同様にノルニルからの全面的技術供与による工学的な社会環境基盤インフラストラクチャだ。虚時空を通ることで超光速航行を可能にする位相宙路インクラインへの出入り口で、言わば虚時空ドライブ機構をトンネル状に設置した、宇宙のショートカット・ハイウェイのような設備だ。

 通信波はその虚時空を利用して、通信ヘッダーで指定されたルート・アドレスに従い、位相宙路インクラインを通って、宛先の出口ゲートへと自動送達される。全行程を超対称性光子通信で送達するより確かに速い。

 今回の救難事態宣言メーデー通信は、ゴーダムが遭難したと思しきセザンヌ太陽系から超対称性光子通信で送出された。その超対称性光子通信を受信したのが、最寄りのミルヴァートン太陽系にある恒星間通信トランスポンダで、通信自体は虚時空通信に自動変換されて、アールスフェボリット社があるトレモイユ太陽系にあるトランスポンダまで中継送達された。受信したトレモイユ太陽系内のトランスポンダは、通信を再び超対称性光子通信に変換し、その超対称性光子通信をアールスフェボリット社自体が受信したのだ。恒星間通信で生じる送達遅延タイムラグは、殆どが超対称性光子通信に起因する。


「座標から考えて、ゴーダムはセザンヌ太陽系内を航行中だった、て事よね」ネルガレーテは目の前の優男を一睥にらみしてから、その上司の顔を見る。「それで、この救難事態宣言メーデー発信はまだ続いてるの?」

「はい。1時間置きに。おそらく機械的な、自動発信だと思われます」

 難しい顔をして目をつぶり、否定も肯定もしないヌヴゥに代わって、背後の若いペロリンガ人部下が声を上げた。

「はーん」まるで他人事のような、ネルガレーテの口調だった。「遭難場所の見当は付いたとしても、止まるのは時間の問題ね」

「それに超対称性光子通信の送達遅延タイムラグを考えたら、このゴーダムが遭難したのは、実際には25日前だ」

 ジィクがレポートをネルガレーテに返しながら、ぼそりと声を上げる。

 遭難時には生存者がいたとして、今からすぐに救難に向かっても、存命している乗組員クルーがいる可能性は、極めて低い──ジィクは言外にそう言った。

「それでも、生存者の可能性がある、と・・・?」

 ネルガレーテは探るような目付きに、微かに笑みを乗せた。


 救難事態宣言メーデーは、通信担当による恣意的発信と、航行システムからの機械的自動発信がある。両者とも通信ヘッダーに、慣習となっているオンオフ変調の救難事態宣言専用コードを付帯、救難事態発生を意味する音声単語である“メーデー”を3回繰り返し、船舶名と船会社名か船籍を3回繰り返す。それを白鳥座域標準語シグナス・ガラクト狼座域標準語ルパス・ガラクトで交互に発信するのが一般的なプロトコルだ。

 システムによる機械的な発信は船長など船舶管理者が指示し、実際の発信は船舶搭載の通信機器が自船のプロトコルに基づいて自動発信する。一般的には最初の1時間は3分間隔、その後の10時間は15分間隔、後は1時間から数時間間隔で、専用バッテリーの容量にるが、大体300時間から500時間程度は発信し続けられる。

 ただ残念ながら、この救難事態宣言メーデー、自国太陽系内ならいざ知らず、外洋宇宙や商業航路の通っていない未開拓宙域などでは、発信しても無事に救助される確率は極めて低い。

 何故なら、救難事態宣言メーデー呼出に対応しうる緊急即応国際機関が存在しない上に、他船が受信しても超対称性場推進による外洋航行中なら、救難に向かうための応変な航路変更が事実上不可能だからだ。そもそも今回のように、何百光年と離れている宙域からの救難事態宣言メーデーを受信した時点で、既に数百時間と経ってしまっていては、遭難現場に救助に向かっても救けられる人命は極めて少ない。


「万が一にも生存者が居たなら、人道的にも救命をお願いしたい」

 ネルガレーテの問いに、ヌヴゥが意外なほどに真剣な表情をして見せた。

「良いでしょう」

 ネルガレーテは小さく頷いて即答した。

「やはり引き受けてくれると思っていましたよ、セニョーラ」

「ですが、何時いつまでも、と言う訳にはいかないでしょう? どのくらいの時間を割きます?」

「逆にお聞きしたい。船内捜索にどの程度必要ですか?」

「ジィク、ゴーレムは慣性航行中と見て良いわよね?」

 ネルガレーテの問い掛けに、ジィクが軽く頷く。

「位置からして、超対称性場推進によるコンダクタンス減速終了の、直後くらいに発信された救難事態宣言メーデーだろうな。そうだとしたら今も等速運動している筈だが、20から30宇宙ノットくらいじゃないか?」

 その返答に今度はネルガレーテが頷くと、若いゴース人役員を見遣った。

「30宇宙ノットで漂流していると仮定して、ゴーダムを確認して軌道会合ランデブーするまでに約5時間、1000メートル級までの一般的な貨物船なら、船橋ブリッジを含めた居住区画、それに機関室だけで10時間から20時間、今回の場合貨物庫カーゴ・ルームを捜索している余裕はないと思います。ただし、船体がまともに残っていたら、と言う前提ですが」

 ネルガレーテに改めて、しかもさらりと言われた分、ヌヴゥは少なからず驚いた。

「まあ、救難事態宣言メーデーが出ていますから、少なくとも船橋楼は残っていると思います」

「そう願います」

 他人事のようなネルガレーテの口調に、ヌヴゥが苦しそうな声を上げる。

「では30時間を限度に、救難活動を実施します」念押しするように、ネルガレーテが声を改めた。「それで要救護者サバイバーが居たら?」

「勿論、保護をお願いします。搬送先は現地ステーションで結構です」

 そう言ってヌヴゥは背後のカノをちらりと見やると、カノが小さく頷く。

「──ただし、救難活動自体は、別途契約事項となりますが、宜しい?」

「どのような条件を?」

「まずこの案件に関しては、ヌヴゥ役員の専決事項にして頂きたい。保護対象は生存者のみで、さらにこちらがそれに値すると認めた者のみです。死亡者の遺体や残存生体部位などは、収容回収の対象にしません。保護した者が傷病している場合、可能な限り善きサマリア人を演じますが、生命および身体状態の保証はしかねます」

 立板に水、ネルガレーテが淀みなく条件をさらさらと述べ立てる。

「救助対象は、そちらが選別すると言う意味ですか?」

「まあ、危険人物や私たちの行動に害を及ぼす人物、以後の行動計画ミッションに対して負担になるような人物は乗艦させたくない、と言う意味です」左下に白母斑ほくろのあるぷっくらした紅唇で、ネルガレーテがにっこりと微笑む。「──それと、この新規契約遂行に対する対価は、別途に要求させて貰いますわ」

「具体的には?」

 驚きもしないヌヴゥは、想定していたかのようにさらりと聞き返した。



★Act.1 初めての操艦桿スティック・6/次Act.1 初めての操艦桿スティック・7


 written by サザン 初人ういど plot featuring アキ・ミッドフォレスト

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