手榴弾の一輪挿し
@wlm6223
手榴弾の一輪挿し
高度成長期のエンジニアと言えば、産業界の花形でもあり知力・体力共に求められる激務で知られていた。もちろん社会的信用も厚く、その仕事ぶりの猛烈なるところから「猛烈社員」という言葉さえ生まれる遠因となった。
が、時代は昭和三十年代を過ぎ去り、昭和が過ぎ去り、更に平成さえも過ぎ去り、往事の社会はとっくに過ぎ去り世相も大きく変化していった。
が、悪風は一旦居着いてしまうと、なかなか過ぎ去ろうとはしないのである。
時代がこれほど変遷しても、エンジニアの激務は時代を超えて普遍であり、その体力の消耗、知力の消耗は甚だしかった。
往事のエンジニアが扱うデバイスは真空管のみだった。つまり、真空管の使い方さえ究めていれば、もう立派なエンジニアだった。
が、歳経る毎にエンジニアの扱うデバイスは広がっていった。
まずはトランジスタの誕生である。これぐらいの守備範囲の拡大は問題ではなかった。その後、オペアンプが登場し、デジタルICが登場し、コンピュータが登場し、組み込みマイコンが登場し、HDLが登場し、DSPが登場した。
ちょっとした工作にも組み込みマイコンが採用され、ただ一言「エンジニア」と言っても、その時代によって獲得してきた技術の範囲は大きく異なっていた。
昭和三十何代のエンジニアと令和現代のエンジニアとでは、その技量の多さ、守備範囲の広さが全く違うのだ。
だからエンジニアと言っても、往事と現代では学習すべき事柄の分量が大きく異なっていた。
現代のエンジニアがアナログはもちろん、デジタルにも精通しているのが当たり前の事になって数十年経つ。
現代ではデジタル技術は必須課題だ。
もし、デジタル音痴のエンジニアがいたとすれば「ルーなしのカレー」の様なもので、その技量を疑わずにはいられないのが現状だ。
が、現代でも「うちはアナログ回路が得意です」という会社もある。「得意です」と言うだけで「デジタルは苦手です・デジタルはできません」とは言っていない。
が、中には本当にデジタル音痴の会社も存在するのだ。
そういった会社に限って「少数精鋭」を謳っていたり、業界内では著名だったりするからたちが悪い。
そう、道介の入社した会社が正にそうだった。
道介がそのデジタル音痴ぶりに気付いたのは、放送局用のデジタル時計を扱った時だった。
なんと今時SMDを使っていない。I2C通信もできない、ファームウェアのアップデートはパーツの交換修理という有様だった。
こりゃマズいところに就職してしまった、と思いながら月日は過ぎ去り、道介も社会人二年生となった。
この会社で初めてのデジタルエンジニアになるか、最後のアナログエンジニアになるか、その選択時だとも思ったが、道介の胸の裡ではある決心ができていた。
転職しよう。
そう思ったのは何も会社の方針でアナログ機器ばかり製造しているからではない。社内の気風、企業文化に馴染めなかったからだ。
行動はできうる事なら早ければ早いほど良い。しかし仕事が多忙のため、ろくに転職活動するのもままならない。
やばい。このままではずるずるとこの会社に居残ってしまう。
そういう危機感が道介を追い立てた。
道介が業務で他社に当たりをつける機会――それは確かにあった。
それはInterBEEである。
InterBEEは国内のプロ用オーディオ・映像機器メーカが参加する一大展示会だ。そこで道介は他社と縁故をもって就職活動する腹づもりでいた。
チャンスはその時しかない。
道介は覚悟を決めていた。
×
午前八時半、道介は目覚まし時計三台に起こされた。なぜ三台もの目覚まし時計があるかというと、道介は極度に寝起きが悪く、枕頭に一台、足下に二台配置している。というのも一旦起き上がる体勢をとらないとすぐ二度寝してしまうからだ。
このいつもの習慣化した生活に道介はとっくに嫌気が差していた。いつもの満員電車に揺られて通勤し、いつもの先輩社員たちに挨拶をして、仕事に忙殺されて帰宅する――道介はごく平凡なサラリーマンであった。道介にとって平凡だから不服なのではなく、道介が入社以降、新入社員が入ってこない、つまり後輩がいないことが不満だった。
会社の実績はそれほど悪くない筈だし、それは倉庫を見れば一目瞭然だった。倉庫は常に新製品で満たされたかと思うとすぐに捌けてしまう。それを管理・補充するのも道介の仕事だった。倉庫番などいつまでもやってやられるか。そういう意気込みも不満の種であった。
その頃の道介は仕事上の不平・不満は時と場合と言い方を変えれば業務改善の提案になるというポジティブな発想がなかったのだ。嫌なものは嫌だし、やりたい事――開発関連の仕事――がそのために疎かになっているのが癪だった。
仕事に忙殺されるというのは良し悪しの両面を持っている。仕事があるのだから労働者はそれをこなし、労働に対する対価を会社に要求できる。が反面、その仕事が本来入社時に提示された業務と異なる場合は対処のしようがないのである。転職活動しようにも長い労働時間のため平日に面談を、などとはいかないのである。
他国ではどうか知らないが、日本では「転職活動のため今日は午後半休します」とはなかなか言い辛い不文律があるのだ。
加えて明後日はInterBEEの初日である。
明日はその準備に全社員が取りかかる。
そのための準備を道介一人で取りかかっているのだ。
InterBEEというのは音楽関係機材・映像関係機材のメーカが集う展示会である。自動車業界のモーターショー、楽器業界のNAMM Show、それと同じものだと思ってもらって構わない。
会場は幕張メッセ。これだけ言えばどれほどの規模なのかご理解いただけると思う。
道介は段ボール箱に機材を詰め込み、番号を振っていった。十の位が一の機材はこの位置、二の機材はこの位置……たかがガレージメーカの製品展示にしてもそれなりに見せ方というものがある。それをただ並べてみただけではお客さんに訴求できない。ここが腕の見せ所なのだ。
全部の機材の梱包が終わった、段ボール箱の数は八十九まで振った。これを道介一人でやったのだ。満足感はない。道介の志望はエンジニアだ。展示会の準備などは一人で充分、という物分かりの悪い上長の判断で強引に采配が決まったのだ。こんな時間があればもっと設計技術を磨く仕事に割きたいのが本音だ。ジョージ・マッセンバーグがパライコの基礎理論を発表したのが二十五歳の時だ。奇しくも道介も二十五歳だ。何なんだ、この差は! 方やアメリカでは音楽業界に一石を投じる論文を発表し、方や日本では荷物運びの支度に終電間近まで力仕事をしている!
もうこの時点で勝負があった。
会社が道介に何を求めているのか分かった。 もう転職しよう。それが自分のためだ。
しかし転職するにもそれなりに人伝を頼らなければならない。
そう、コネを作るのにInterBEEは最適だった。
同業他社が集まるしカタログ蒐集の積もりでブースに寄りました、という顔をしてさりげなく自分を売り込むのだ。
いつまでもこの袋小路に蟠っている場合ではない。動くなら今だ。
その日、結局道介は終電で帰宅した。
いつもの事だが季節は秋の中旬だった。道介のアパートにもようやくエアコンが不要になる時期だった。
明後日からが本番だ。明後日から自分を売り込んでこの行き止まりの人生を変えてやる。その野心だけが道介にとって唯一の心のよすがだった。
×
翌日、午前八時半過ぎに道介は出社した、当然一番乗りだ。
会社の定時は午前十時だ。しかし運送屋が来るのは午前九時だ。それを見越して最終チェックも兼ねて早めの出社にしたのだ。
軽くチェックを済ませたところで先輩社員たちが集まり始めた。彼らは展示会場での配線係である。だからわざわざ会社に出向かずに直接会場の幕張メッセに直行でも良いのだが、そこは日本のサラリーマン。一応道介に義理立てして一旦は出社してきたのだ。
が、出社してきたところでやることはない。
運送屋が午前九時丁度にやってきた。
「段ボール箱に番号が振ってありますからその番号に応じてこの図の通りに配置していってください」
「分かりました!」
運送屋は全部で五人いた。
運送屋は流石にプロだけあっててきぱきと荷物を四トントラックに積み込んでいった。
一番の難関と思われたアナログコンソール(四百キロオーバー!)も何と二人だけで搬出した。
道介はそこで作業員に訊いてみた。
「何か格闘技でもやってるんですか?」
「いや、何もやってないっす」
四百キロ超といえばグランドピアノと大体同じ重量だ。それを二人だけで持ち運べるとは、ヤマハもカワイも驚くだろう。
「じゃあ、現地でまた作業お願いします」
運送屋のリーダーは道介はそう言った。
「あ、それとですね……」
道介は封筒をリーダーに差し出した。お食事券である。本来なら贔屓の顧客を食事に誘うために支給されたものだが、道介にはこれといった来客の予定はなかった。
「よかったら、これ、使ってください。現地の食費、高いですか」
リーダーは何のことか一瞬理解できずにいた。封筒の中身を見てそういう事かと納得した。
それから機材は運送屋と一緒にトラックで幕張へ、道介と先輩社員たちは電車で移動した。
現地に道介たちが着いてみると、トラックはもう先に着いており、搬出作業中だった。
道介の書いた指示書通り、段ボール箱の番号に従って所定の位置に配置されていた。
例のアナログコンソールも指示した通りの位置にあった。これはお食事券を配っただけの甲斐のある仕事だ。なんせ一度置いたら二度と微調整ができないほどの重量なのだ。
「それじゃあみなさん、ありがとうございました」
道介は一礼して運送屋を見送った。
それからは各機材の開梱と配線の仕事を先輩社員に指示した。道介は口だけの指示をし、全体を見渡し作業工程の進捗を管理し、手空きが生まれないように次々に指示を出した。
秋だと言うのに全員が子汗をかいていた。
その道介の指示が的確だったのか、毎年なら一日仕事だった展示物の飾り付けと配線は午後一時には終わってしまった。
道介はその空いた時間で各ブースを見て回りたかったが、先輩社員の厳しい目があったのでそれはできず終いだった。
道介たちが会社に戻るとまだ夕方にもなっていなかった。
先輩社員たちはPCに向かって仕事をしている振りをした。道介は全国の放送局から送られてきた修理依頼品を到着順に修理していった。
これが道介の会社の日常である。実働しているのは道介のみ、他の先輩社員たちは「新規の技術の修養」という名目でネットを徘徊して遊んでいた。
道介が籍を置く会社はアナログオーディオ技術においては良と判断できた。が、デジタルオーディオは不可の烙印を押さねばならないほど無知だった。これはエンジニア職の社員が高齢であり、新規技術の習得を疎かにしてきたからだった。
加えて「後輩社員は先輩社員より詳しい技術を持っていてはいけない」という謎の不文律があり、世の中が次々にデジタル化して行くのに反してアナログの特注品に拘っていた。
道介はこのままではこの爺さんたちと泥船に乗って沈没するだけだ、と判断していたので、寝る間を削ってデジタルオーディオの技術を研鑽していた。
もしこれが先輩社員に露見したら、パワハラ・モラハラに遭うのは分かっていたので、道介はその学習成果を秘密にしていた。
これもまた道介なりのやり方であり転職を念頭に置いた処世術だった。
オーディオの世界ではどうしてもアナログの知識が必要になる。というのも最初段のマイクと最終段のスピーカがアナログ機器なので、その間がいくらデジタル化されても、どこかでそのデジタルデータはアナログ信号へ変換される。道介のいる会社にはその程度のニッチな市場を相手にした活路しかなかったのだ。せいぜいマイクプリとパワーアンプぐらいしか将来に亘って需要がある製品はなかったのだ。
であるからもちろん将来は暗い、人員削減もそのうち起こるだろう。いや、倒産の危険の方が公算が高いかも知れない。
どちらにしろ、このままの職で定年を迎えられない。それだけは確実に予想できた。
で、転職に向けて動くなら若ければ若い方がいい。
最低でも三年は同じ職場にいないと心証が良くない、という意見もあるが、あと一年も貴重な二十代をこの老人たちがのさばる職場に費やす気はなかった。
道介のいる会社は倦んでいたのだ。
もはや最前線で活躍していたエンジニアではなく、第一線を退いた老兵しかいなかったのだ。
それはそれで悪くはないのだが、そういった老人たちの末期に付き合わされる積もりは道介にはなかった。
それに老人たちは得てしてそうなのだが頑迷固陋だ。道介のように新しい海に向けて旅立つ気概がもうないのだ。
それが悪い事に「もう自分の人生のピークは超してしまったよ」と素直に言ってくれればいいのだが、老人だけあって日本の古い会社の運営方針、年功序列だけはきっちりと守られていた。これは前述の「後輩は先輩より詳しい技術をもっていてはいけない」という歪な形で姿を顕していた。これでは世のデジタル化に取り残されて当然である。それでも是とするのが道介には不合理に思われたが、会社の方針は是のままだった。
かつては巨大なアナログコンソールがもてはやされた時代が確かにあった。ボタン一つ一つ、ボリウム一つ一つを手作業で配線し、手作業で操作していくしか手段がない時代が確かにあった。
しかしその巨獣は衰退し始めるとあっという間に絶滅寸前まで追い込まれた。
今やアナログレコーディングは年寄りたちだけの技となり、新たにレコーディング業界に入ってくる若者たちはPro Toolsでのレコーディングが普通になっていた。
明らかに世代による仕事の有様が変化していたのだ。
道介のいる会社はその年寄りたちをターゲットにした製品ばかりになっていた。
レコーディング業界は静かに速やかに世代交代が行われていた。が、道介の会社は世代交代を拒否した。
その理由は単に先輩社員たちの怠惰と心情的な傲慢さにあった。
今までこれで食ってきたんだ。このやり方で間違いない。
そういった意見がまかり通った。これはマーケティングの観点からすれば大間違いだ。
顧客が何を欲しがっているか、どうすれば効率よく仕事がこなせるようになるか、今後の将来にも役立つスキルを身につく機材を提供できるか、顧客目線で何が魅力的に映るか。そういったものを無視した、自分たちにできる範囲での製品開発しかしていなかったのだ。これでは顧客が離れていくのは当然である。
音楽業界の平均年齢はおそらく二十代から三十代がメインだろう。その世代はデジタル化に何の躊躇もなく対応している。生まれた頃からデジタル機器に触れてきた世代だ。従ってアナログ的な視点をもっていないのだ。
例えばテレコ。この世代はそもそも「録音テープ」というものを知らない。であるからオープンデッキのテレコにテープを巻き付け、不要な部分や前後を改変するためにテープを斜めに切って貼り付けるのを見て、何をしているのかが分からない世代だ。
もう基底となる常識が違うのだ。そういう若い世代が否応なく今後は主流になるのだ。老兵は黙して去るのみ。
いや待て。先輩社員たちは去ってもいいのだが、おれは去りたくない。去るほどの実績も残してない。冗談じゃない。まだこの業界に入って二年目だ。これから学ぶ事は沢山ある筈だ。それを「去るのみ」何て言われたら堪ったものじゃない。
もうこの会社に未来はないのだ。後はどうやって残務処理をして行くか、会社の終活を実践するのみだった。
こんなところでくたばって堪るか。
道介にはその一念しかなかった。
×
InterBEEの初日が開幕した。
幕張メッセの広すぎる敷地内に各メーカのブースがぎゅう詰めになっている。
毎年のことだが、オーディオ関連のメーカだけでこんなにも沢山のメーカあるものだと他人事のように関心した。
道介が籍をおくメーカも、その他有象無象のガレージメーカに過ぎないのだが、似たようなメーカが多い事に呆れた。
プロオーディオの市場はそれほど大きくない。それでも幕張メッセを埋めるほど出展社があり、各メーカが意向を凝らして新製品を開発している。
いや、たかが音の世界とは言え、されど音の世界なのだ。
去年もそうだったが道介は上長に「全部のメーカのカタログを貰ってこい」と命じられた。
なぜそんな事をさせるかと言うと、スタジオのシステム設計に必要な資料となるからだ。
例えばFMラジオ局を設計する仕事が来たとする。
そうなると「あの製品とこの製品を上手く組み合わせればシステムがちゃんと動く」「どこそこの新製品は従来品より堅牢になったので採用しよう」等々、単に「設計」という仕事は機械の中身の設計というだけでなく、スタジオを作る「システム設計」というものもあるのだ。その際に現行でどんな便利な製品があるのかを知っておかなければならない。下手に古い製品情報だけをもっていると、現在の便利な製品でシステムを構築できず、冗長なシステムを作ってしまいかねないのだ。
という訳でカタログ蒐集も結構大事な仕事のうちなのだ。
加えて道介に取っては転職活動のチャンスでもある。この日のため名刺は二百枚ほど準備しておいた。
さあ、これからが道介の仕事の始まりだ。
自社製品を売り込むんじゃない。自分を売り込みに行くのだ。
×
通路にはそれなりの存在意義がある。
普段、当然のように気にせず使っているその通路は、極楽浄土へ繋がっているかも知れないし、地獄へと繋がっているかも知れない。更に言えば日常の延長がひたすら続くだけかも知れない。
そこに通路があるということは、その両脇に何かしらの部屋なり露天なり見世物なりがある筈だ。それらを通過するために通路はその存在を顕わにする。通路それ自体には意味はない。その通路を形成する両脇にある何かに意味があるのだ。だから通路のその最先端にはただの出入り口があるだけの事が多い。極楽浄土や地獄が待っているかも知れないのはどちらかと言えばレアケースだ。通路は人のいるところ全てに存在する。だからその通路の終わりを案じたところで杞憂に終わるのが普通なのだ。要は通路はその両脇にある見世物、具体的に言えばInterBEEにおいては各メーカのブースが主であり通路は従の関係にある。その通路の先は出入り口か喫煙所となっている。その通路の結末はあっさりしたものだ。言い換えれば通路にいる間は非日常の世界であり、通路を抜ければまた退屈な日常に戻るのである。
その非日常を彩るために各メーカはこれでもかと腐心するのである。これではお祭りの屋台と一緒ではないか。いや、一緒なのだ。
祭りの賑わいの中を一人で歩いて行く。これほどの高揚感は滅多にない。しかし、どこにいても一人だ。その一人一人が孤独なのである。その個人個人を結ぶ糸はない。みなが同じ音楽業界の人間、あるいは音楽業界を目指す学生であるのが殆どであるが、彼らは一向に互いに無頓着だ。
これは満員の通勤電車の中と似ている。
通勤電車の中では、互いに人を人と思わないよう心理が作用するのだそうである。そうでなければ、こんなに他人と密着し、プライベート空間を犯されるのを許さないのだそうだ。
イベント会場も実はこれによく似ている。
あるいは映画館、あるいは病院の待合室、あるいはコンサート会場、あるいは会社での座席の割り振り……都会人は上手く他人との距離を取るのに長けているのだ。
距離は短くてもあくまで素知らぬ他人で通り過ぎる。その術をいながらにして心得ているのが都会人なのだ。
この都会人器質は良し悪しの問題ではない。そういう風に他人と接しないとやっていけないのだ。
だから都会人は田舎へ引っ越して晩年を過ごそうとすると失敗するのである。
都会と田舎では他人との距離が全く違うのだ。
それは既に肌感覚に染まりきっており、改修不可能な基礎的な対人処世術となっており、そこをはき違えると悲惨な末路が待っているのだ。
逆も真であり、田舎の人が無理に都会の気風に染まろうとすると無理が出る。無理はストレスとなって心に闇を作る。その闇の抜け道、正月とお盆の帰省ラッシュの時にその闇がある一言となって口に出るのだ。
「やっぱ田舎はのんびりしてていいなあ」
ここで一言田舎の人に言っておこう。
都会人にとってあなたの言う「田舎」は都会そのものなのだ。
例えば東京。東京の人口の四十五パーセントが地方出身者なのだそうである。即ち、約半数の人間が東京を構成しているのだ。その憧れの大東京に上京して、はしゃいで無理に頑張って楽しんじゃってるのは地方出身者なのだ。
考えても見てくれ。東京出身者は東京スカイツリーを登らないのだ。京都出身者はお寺巡りをしないのだ。
であるから東京の約半分は地方出身者の「東京はこうであるべきだ」「東京はこういうものなのだ」という勘違いでできている。蕎麦を六割ほどつゆにつけて食べるのは落語の世界だけの話なのだ。そこに気が付かないのが、所謂馬鹿にされる「田舎者」である。その点に気付く者はこれといって揶揄されることはないのだ。
それと同様に「どうせ田舎の音楽専門学校出だから」と卑下するのも田舎者の悪い癖である。
音も電気も、世界中のどこへ行っても同じ法則で動いているものであり、それをどこで学んだかというのは一切関係ないのだ(都市によって独特のサウンドがあるのは認めるが)。
高校を卒業する歳になっても、いつまでも自分の出自で何かを見下したり卑屈になるのは忌避されるべき「田舎者」の特徴である。
特にそういった者には東京人は一切の妥協を許さない。
とっとと田舎へ帰れ。馬鹿野郎。
この一言で全てを済ませてしまう。その言葉が発せられた因果関係が理解できない、あるいは反発するのは本物の「田舎者」なのである。
ことInterBEEともなると、稀ではあるが海外からの視察に来る連中もいる。その連中は大体「田舎者」ではない。わざわざ日本にまで来て音楽業界のトレンドを探ろうとしているのだ。
生憎そういった連中は日本語を解さない場合が殆どだが、そこは音と電気の世界。そのサウンドと設計に関しては世界共通である。
そのため、とにかく音を聴かせれば大抵は色良い反応を示す。自社製品が輸出される事も時折ある。そういった経験が「田舎者」にはないのだ。それが普通の事だと田舎者には理解できないのだ。
会場を歩いて行くと、道介は片っ端からブースに立ち寄ってみた。道介なりの会社訪問だ。
その会社の良し悪しがそのブースを支配する気色から発せられる。やはり空気の悪いところ、空気に馴染めないところはさっさとカタログだけを貰って退散する事にした。
時刻も昼過ぎとなると、通路の人も疎らになってきた。まだ初日というであるので、これは前回の経験からも予想できた。
人も疎らということは、絶好の就職活動時間という事でもある。
ここぞとばかり道介は空気の肌感覚の合うブースを探した。
あっちも駄目。こっちも駄目。そっちも駄目。
道介が思う音楽業界の空気を持ったブースは殆どなく、どちらかと言えば工業系、もしくは電子産業系の空気を持った会社が殆どだった。
まあ、それはもっともな話なのだが。
散々歩き廻ってみて道介はようやく体感した。
自分の籍のある会社の異常さを。
道介は大学を卒業してすぐに今の会社に入った。それがそもそもの間違いだった。
会社にも色々と種類がある。スタートアップ、老舗商社、中小企業、大手企業……。道介の入った会社は新人を育成する機関を持っていなかったのだ。だからすぐにでも使い物になると分かれば仕事を押しつけられ、できないとは言えない状況に陥られさせられたのだ。
道介はこの間違いに気付くまで数ヶ月かかった。だがその数ヶ月が命取りだった。
なぜならその数ヶ月で早々と退職するか転職活動を始めるのが順当だったからだ。
新人を募集して所謂OJTするというのは、要するに新人教育の時間もスキルもない会社の言い訳を横文字に言い換えただけのことなのだ。
だったら新人を採用するなよ。できない事はできないというのが社会人の判断だろ。
しかし機は逸した。道介ももう今の会社に入って二年目だ。今ではInterBEEに来訪する客ではなく、出店する側に廻ってしまったのだ。
道介は学生時代、InterBEEに来た事がなかった。それどころかInterBEEそのものを知らなかった。
業界研究不足。その一言に集約された。
道介は疎らな人波が行き交う通路をあちこちで足を止め、名刺交換し、カタログを貰って顔を売り込んでいった。
道介は自分でもどこの会社の何という人と名刺交換したのか分からなくなるほどの人数と顔を合わせた。
下手な鉄砲も数打ちゃ当たる。
これは時として真であり場合によっては偽である。
真の場合は疎遠になっても連絡だけは欠かさない仲になった時である。
偽の場合は再会してもまた名刺交換してしまう時である。
しかしその時の道介は顔を全く覚えられなかった。偽の塊を造り上げていったのである。
その不備の対策は道介もある程度は考えており、今日はこのブロック、明日はあっちのブロック、最終日はそっちのブロックとその日によってブースを重複して訪問しないようにある程度の区切りを自分で設けていた。
今日のブロックは自社に一番近いブース群に決めた。
というのも理由があった。取り敢えず最終日は混み合うのが予想されるので、手短に仕事をしているポーズを見せるために近場から攻めることにしたのだ。それにたった三日間とはいえ近隣のブースに挨拶にあがるのも悪い手ではないと踏んだのだ。
道介には未知の世界が開けたように感じられた。
そこは大海のただ中にある無数の小島であり、その周囲には豊かな海産資源があるように見えた。
見た事のないリミッター、見た事のないカフ、見た事のない緊急放送システム……それらはなぜが既視感があったが、どれもその詳細を見ていくと、それが何であれ、どうしてそのように造られたのか、その設計思想まで辿り着こうと道介は努力した。
「すいません、このグライコなんですけど」
「いらっしゃいませ。こちらですか」
「これ、スタジオ用ではないですよね」
「ええ。PA用です」
「ということはパワーアンプも兼ねているんですか」
「いえ、この規模、四十八チャンネルぐらいになるとパワーアンプは外付けが普通ですね」
「卓だけでどれぐらいの電力を消費するんですか?」
「それはチャンネル数にもよりますが、なるべく低消費電力になるようにしています。なんせPA用ですから、現場で何ワットまで供給できるか分かりませんし、ちょっとした電源トラブルでも対応できるようにしてあります。そこがレコスタ用の卓との違いですね」
なるほど、同じ「現場」という言葉を使えども、PAとレコスタではその意味合いが違う。
レコスタやFM局の場合、電源にまつわる諸問題はほぼない。合ったとしてもセンシングに不備があったとか、その程度のものだ。
が、移動がメインとなるPAではそうも言ってられないのだろう。
PAの現場が日本国内に限定されているならともかく、海外の場合はその供給電力の微増・微減も考慮して電源周りの設計もしなければならないのだろう。
正直、あんまり電源程度の事で悩みたくない。
理想の電源というのはごく簡単なものだ。
どんなに負荷がかかっても(まあ電流のリミッターは設計に応じて必要になるが)定電圧でいくらでも電流を供給してくれるもののことだ。
たったそれだけの事にコストを掛けたくはないのだ。
そういえば道介にとって、レコスタ用機材の殆どが出来合いのスイッチング電源で、例外的にマイクプリの高級モデルのみ三端子レギュレータを使っている。
実際、電源の技術は使う側からしたら、もう充分に枯れているのだ。
その電源ですらまともに駆動できないケースを想定しなければならない設計技術って……。道介にはあんまり嬉しくない問題だった。「電源にもノウハウがあるって事ですか?」
「ノウハウってほどじゃないんですが、ちょっとしたコツみたいなものはありますね」
「それは瞬断に耐えうるだけのコンデンサを抱かせるとか……」
「いやいや、それ以上のことはよしましょうよ。お互いにあまり言いたくないテクニックもあるじゃないですか」
実のところ、道介には自社製品の中で使われている技術で秘密になっているのはディスクリートオペアンプの回路図ぐらいのものだった。
それ以外は一九七〇年代同様、両面ガラエポの基板を使った質素な技術でしか造られていなかった。
なんとFM局用デジタル時計にもDIP素子のみが使われており、M3ドライバ一つで中身を開けられ、コピーしようと思えばいくらでもコピーし放題の設計になっていたからだ。もちろんSMDなんて一個も使われていない。トランジスタはTO92パッケージで抵抗は昔ながらの1/4Wカーボン皮膜抵抗だ。オペアンプも当然DIPの8ピンだ。
時代錯誤も甚だし過ぎる。
でき得ればこれがもう時代遅れの骨董品と同じ材料で造られており、もうすぐそのパーツもディスコンの憂き目に遭う寸前なのを誰か先輩社員たちに知らせて欲しい。
とにかく、日本人が設計し、日本製のパーツを使い、日本で日本人が組配し、日本で売っているのだから販売価格が高くて仕方ない。
経理の試算によると、道介の会社では「中身の入っていない空の段ボール箱」を製品にしても、価格二十万円するそうである。
高級品志向のお客さんには良いが、世間の絶対的風潮である「デジタルものはすぐ安くなる」が実現できないじゃないか。いや、それ以前にデジタル時代に早く追いつくのを先にしてくれ。
もうアナログの時代は終わったんだよ。お爺ちゃん。
しかし、お爺ちゃんたちは今日も何か一生懸命にPCに向かっている。
その様子をよく見てみるとPICマイコンの試用だった。
今さらPIC! ワンチップマイコンはもう素人でも遊んでいる全くの普通の技術なのに、そんなことを業務時間内にやるなんて! しかも一日でワンチップマイコンの使い方が習得できず、二日目、三日目、ついには一週間が経ってしまった。
道介は不思議に思った。
たかがPICマイコンに何故そんなに日数がかけられるのか? PICマイコンの本でも書いているのか?
その実は、本当にデジタル技術の習得に時間がかかっており、その進捗が芳しくないためだった。
そんなんじゃ駄目でしょ。今時は。
展示されていたPA用の卓はデジタルコンソール、所謂デジコンだった。
PAのような過酷な条件で使う機材でも、もうとっくにデジタル化は済んでいるのだ。そう、開発途上ではなく開発は済んでいるのだ。
が、レコーディング卓はどうだろうか?
実際、もうレコーディング卓の新製品というのはS社のOxfordを最後に聴いた事がない。そう、レコ卓はもうPCへと以降していたのだ。
それまでのアナログコンソール96チャンネルを使いこなすのは、もう老エンジニアだけだった。若手・中堅はノートPC一つで録りからミキシング、TDまでやってのけた。
もうレコーディング業界には重厚長大主義は消え去っていた。
スタジオにしても「うちはフルオケのレコーディングにも対応してますよ」と謳い文句にしているところもあるが、世の中にはもうフルオーケストラの音の需要がなくなっていたのだ。それの代替品としてソフトウェアシンセがある。これもまたノートPC一つで事足りてしまう。
良し悪しは別にして、もうレコーディング業界はデジタル化していたのだ。前述したがデジタル化していないのはマイクとスピーカだけだ。これらだっていつどういう新製品が出てデジタルするか分かったものじゃない。
道介はその各ブースを見回っていくにつれ、そのデジタル化の波に呑まれていくを察した。 基本的に音声はアナログ信号である。
だからアナログ回路で処理していくのが適当、と思われる向きもあろう。
が、アナログ回路ではどうしてもその回路が複雑になるにつれてノイズも発生し、音痩せも起きてしまう。これははアナログ回路がその素子一つ一つを通過する度にどこかしら原音に含まれている要素を、ほんの少しずつ褪色させているのが原因だ。これはアナログ回路の宿命である。
しかもそれが重厚長大なレコスタともなると、その影響は大きかった。どだい、マイクレベルの信号を百数十メートルのケーブル配線を経て卓に送り込む、という仕組み自体がそもそも問題なのだ。それは四線のバランスケーブルを使えば解決する問題ではない。大元の設計仕様そのものに起因する不具合なのだ。
ところがデジタルオーディオとなると、最初にA/Dコンバータを通った以降、原則的にはオーディオ信号の劣化がない。そうは言っても実際のレコーディングでは様々なエフェクトを使う関係上、全くノイズの悩みから無縁となる訳ではないが、基本的にはそのノイズはアナログほどではない。
加えて機材トラブルが原理的に発生しにくい。
アナログオーディオで四個のエフェクタを使って音作りしたとしよう。そうするとまず四個の機材トラブルが発生するリスクが発生する。加えてそれらを繋ぐケーブルの断線や接触不良が発生することも予期しなければならない。
デジタルオーディオにはそういったトラブルが原理的に発生しない。これはレコーディングの現場では大きなアドバンテージだ。
ただし、デジタルオーディオにもデジタルだからこその問題点もある。
まず、まともな製品であれば問題ないのだがジッタの問題がある。これはスタジオに高精度マスタークロックジェネレータを導入すればある程度改善される。
次にレイテンシがどうしも発生してしまう問題だが、現状では数msec単位にまで抑えられているから実用上は問題ないだろう。DSP、D/Aコンバータ、A/Dコンバータの進化も早いのだ。年々このレイテンシは少なくなるだろう。
アナログオーディオが再度復権するとすれば、いつかは分からない遠い未来に、アナログの音が再評価されるのを待つしかない。CDが蔓延り、ついでストリーミングへと以降したが、その反動でレコードの需要が微増した事がある。それと同じように「アナログ音源」である事が売りになる時代がいつか来るかも知れない。その日までアナログオーディオは深い眠りにつくしかないのだ。しかも、本当にその日が来るかどうか分からないままに、だ。
アナログオーディオが沈没するのはもうすぐだった。だから普通はその助け船となるデジタルオーディオへ鞍替えするのだ。それが会社の経営上も正しい判断だ。しかし道介の会社はそうはしなかった。これは現場も経営側も判断を誤ったという事だ。
そういった誤りを認識せず(できず)、一日一日を過ごしていくのが歯痒かった。
技術の進歩は早いのだ。新しい半導体は毎月のように発表されるし、より小型化・低消費電力化し、性能がアップし、価格も抑えられた製品が登場するのだ。
デジタル技術の発展はそれだけにまだどこまで突き進むか未知数であった。
製造業という立場からすると、そんないつディスコンになるか分からないデバイスを製品に使うのは選定ミスだ、ということになるのだが、その製品も壊れたら使い捨て、新商品を買った方が安くつく。それにより高性能だという風潮が起こってしまった以上、そういった昔ながらの「良いものをメンテして長く使う」という方策が現代ではもう通じなくなっているという事も顧客側にも了承してもらわなければならない。
かつてグッチやイブ・サンローラン、シャネルの製品は修理しやすいように作られていたそうである。その製品を親から子へ、代々引き継ぐためだそうである。そこには本当に良いものは直しながら何代にも亘って使い続けられる、という作り手の自信・自負があったからだ。
しかし、もう世間はそういう時代を通り越してしまった。大量生産・大量消費の時代はとっくに来ており、ものづくりもその様相を大きく舵を切らざるをえなくなった。
プロ用オーディオ機材の価格は千差万別だが、おそらくもっとも安いのはケーブルだろう。そのケーブルにしても「安物だから二年に一回は更新してください」ではスタジオの運営に支障が出るのだ。
ここのプロ用機材に求められている性能と、世間一般の消費行動の乖離が生まれ、メーカ側の人間としては大きな矛盾を突きつけられてしまうのである。
世間は大量消費。安かろう悪かろうでオーケー。壊れたら安価に買い換えれれば充分。
プロオーディオの世界では二十四時間三百六十五日稼働が当たり前。メンテできないなどもってのほか。償却するまでの間の十数年間はこの機材を直しながら使ってゆく。
そういう機材に対して求められている仕様がそもそも大幅に違うのだ。
これは要らないお世話なのだが、小物のデジタル製品に使われているワンチップマイコンがディスコンになった時、それを使っているメーカはどう対応するのだろう。
半導体メーカが下位互換性のある製品を出してくれる保証はどこにもないのだし、それでもメーカはPL法によりその製品の保守が義務づけられている。
困った事になるのは消費者(スタジオ側の人間)ではなくメーカがその最大の被害を被るような気がするのだが。
「製品が壊れた。直せ」
と言われるのはもっともなのだが
「パーツがもう手に入りません。新製品を買ってください」
とはなかなか言い難いのだ。
プロ用機材と銘打って販売している以上、保守もできるし代替機も用意してある、というのが業界の慣例だ。民政品の格安オーディオとの違いはこの点にある。しかも故障の際には(道介のような)メンテナンスエンジニアが駆けつける代金も含まれているのだ。
しかしプロ用機器のデジタル化で、もしかしたら民生品のように「壊れたら買い換えてください」が通用する日がいつか来るのかも知れない。その日まで果たして道介の会社が持つか、それともそんな日は来ずに、いつまでもプロ用機材は二十四時間三百六十五日稼働を求められ、修理を繰り返しながらスタジオを稼働して行くのか……。
あるデジタルコンソールを扱うブースへ道介は立ち寄って見た。
「これデジコンですよね」
「ええそうです」
ここで名刺交換した。営業マンだった。
「うちはまだアナログの卓しか作ってないんですけど、だから保守もやりやすいんですが、デジコンになるとその辺、どうなんですか?」
「うちのコンソールは絶対壊れません」
え⁉ と思ったがその営業マンは胸を張ってそう言い仰せた。
「うちのコンソールは十二層基板を使ってます。密閉性も頑丈です。ですから壊れません」
物はいつか必ず壊れる、不具合を出す、というのが道介の信条だった。この営業マンはあっさりとその信条をひっくり返してきた。「でもスタジオなんかじゃ卓の上にコーヒーこぼしちゃったり色々あるじゃないですか。そういう時はどういう対応を取られるんですか?」
「そういうときはモジュールごと新品交換になりますね」
なるほど、やはり「壊れたら新品交換」の法則はプロオーディオの世界にもやって来ていたか。
「じゃあやっぱり保守パーツも自社である程度確保していると?」
またもや営業マンはきっぱりと言ってのけた。
「保守用パーツは必要最低限しか持っていません。なんせデジタル製品ですから製品のサイクルが早いんです。下位互換のある製品も多数ありますので、そのときは新たに保守パーツを購入すればいいんです」
なんと。保守パーツの心配をしてないのだ。
「そうですか。弊社ではアナログの卓しか作っていませんので分からなかったんですが、デジタルパーツもそれなりに保守パーツを長年に亘って購入可能、ということなんですね」
営業マンの態度は身じろぎ一つしなかった。
「保守パーツが入手できなくなる頃にはそのスタジオの更新時期でもあるんです。ですから事実上、保守パーツのストックを用意しておく必要がないんです。あくまでも保守パーツは臨時の事故対策。そういう方針でやってます」
ここでまたアナログとデジタルの違いに直面した。
基本的にアナログパーツは経年劣化をする。特にコンデンサはその周囲温度によってその性能が保証される使用時間が倍も違う。半永久的に使える、と思われているトランジスタにしてもhfeの低下という形で経年劣化をする。オペアンプだって壊れて異常発振する。
そういった個々のパーツの不具合がデジタルでは原理的に発生しないのだ。
デジタル回路の場合、注意すべき点はそのパッケージがBGAでもない限りピンが錆びるという事もあり得る。あとはアナログでも同様だが、古い基板はその配線のスズ結晶が伸びて隣の配線とショートしてしまう程度か。
基板屋の話によればプリント基板の寿命は約十二年との事である。流石にデジタル製品を十二年以上使うのは事実上あり得ない。つまり、この営業マンの言っている通り、道介がデジタルに杞憂を抱く点は現実には起こらない、ということだ。
「凄いですね。実質メンテナンスフリーになっている訳ですもんね。これなら保守に掛けるコストも削減できるわけですか」
「まあ、そういう事になります」
「それが販売価格にも反映されていると?」
「ええ。そうなります」
参った。完全に参った。そういう判断の元で製品開発をすべきなのだと道介は思い知らされた。
保守やメンテナンスという仕事はどちらかと言えばエンジニアにとって楽しい仕事ではない。できればそんな仕事がなくなるのが理想だ。しかしそんなことが現実にできるのか?
どうもできそうなのである。デジタル化すれば。
もし本当にそうなると、道介の仕事の殆どがなくなる。そうすれば設計の仕事に注力できる。
それはそれで有り難いのだが、このアナログからデジタルへのパラダイムシフトは単に技術的なものだけではなく、その製品に対する、製造業としてのポリシーを変革させなければならない。その事を会社の老人たちが首肯するか、道介にはそれが懸念だった。
しかし世の中は何でもかんでもデジタル化している最中だ。プロオーディオ業界でもその余波は着実に迫ってきている。
それに乗り遅れれば確実に会社の死。解散か倒産の憂き目に遭う。
そこで道介は今の会社でデジタル化を推進して行こう、という行動を起こさず、このIntereBEEを切っ掛けに転職しようとしていた。
頑迷な老人たちを一々説得して行くより、既に出来合いの技術を持っており、とっくに製品のデジタル化に成功している会社に転職した方が手っ取り早く確実な方策だったからだ。
愛社精神? そんなものは微塵もないよ。
道介にとって会社は自己実現するための活動の場ではなく、ただ出張メンテのために振り回される指示塔であり、今で言うパワハラ・モラハラの言動が飛び交うメンタルを削られる場でしかなかった。だから会社がどん詰まりになっても「だからどうした。おれはお前らの指示通りに動いてきたんだ。その結果が悪いのは指示を出した側にある。責任をとれ」と言う積もりでいた。これがまだ若い使われる側の本心だった。
InterBEEの会場の通路は規則正しく、そして広大無辺に思われるほど長く、いくつもの道筋を示していた。道介の会社のブースはその一角の、ほんの僅かなスペースを占めているに過ぎない。
その小さな世界の中に身を埋める積もりは道介にはなかった。だから道介は(もっとも言われたからやっているというのもあったが)他社のブースでカタログを集める一方、自分の売り込みにも余念がなかった。
しかし道介が売り込めるのは社会人生活のたった二年分である。製品開発はしたことがない。メンテナンスエンジニアとして全国を駆け回る実績しかなかった。
それでも半田ごて一本とドライバ数本、僅かな測定器で不具合を直してきた実績はある。
道介の持っている武器はそれしかなかったとも言える。だが戦える。道介はそれだけでも充分エンジニアとしての実績を積んできたという自負を持つようにした。少しでも自信が揺らぐような事があれば、相手にされないのは今までの社会人経験で分かっていた。
自分を売り込むために嘘を吐く必要はない。最大限の功績を喧伝すれば良いのだ。
幕張メッセの会場内の通路は理路整然と繋がっていた。道介はその間を逍遥した。もちろん前述の通り、初日に廻ろうとした範囲は守った。同じブースに立ち寄って二回も名刺交換する間抜けな事態を避けるためだ。
人波に漂うのは心地よかった。それも混み合うのではなく、かといってすかすかの通路ではなく、適当な混雑具合が良かった。
この人並みにいれば自分がどこにいるのか誤魔化せるし、ただの通行人の一人としてそこに浮かんでいられる。邪魔も入らなければ油断できないほどの空間の空きがある訳でもない。その人心地の良さは都会人ならではのものだった。
その快楽は緑の多い公園の遊歩道を歩いているかのようだった。
人のいる環境は、ある程度の雑音がある方が好ましいのだ。
自然界では本当の無音というものはない。
風も吹くし川も流れ生き物たちもひっそりとその泣き声を発する。
音に限った頃ではない。動物である以上、孤独を避けたがるように出来上がっているのだ。これは本能であろう。
同じ種に生まれたもの同士、互いにコミュニケーションを取り合って種の保存を図っていくのが動物として自然だ。
この幕張メッセに来場している人言たちも、ある種、そう言った同一種と言ってもよいだろう。
その彼らの共通点は音楽制作だ。
全ては音楽から始まっていた。
音楽は基本的には聴く者と演奏する者が必要だ。つまり少なくとも音楽には二人の人間が必要だ。
原始の音楽はおそらく声(歌)と何らかの打楽器で演奏されていたと予想される。その二つは現代でも音楽の中で重要な要素を占めている。
そして音楽は物理の発展によりそれが何であるかが解明され、音階(周波数)はHzに、音量はdBによって再定義された。こうして旧来の五線譜は物理によってその現象の詳細が判明されたのだ。
ここで数学の世界から思わぬ光明が差す。十八世紀のフランスの数学者、ジャン・パティス・ジョセフ・フーリエ男爵による発見だ。
この発見は簡単に言うと、すべての関数は三角関数の無限の重ね合わせで表せる、というものだ。
もっと音楽に即して言おう。
全ての音(波形)は、様々な種類のサイン波を足したもので表せる、という意味だ。
サイン波というのは別名「純音」とも言い、自然界には存在しない音とされている。具体的にはNHK FMの時報の音がサイン波である。色の場合は赤青黄色の三原色の混ぜ具合で全ての色が表現できる。光の場合は赤緑青の三つだ。時報の音の音程を低くしたり、高くしたり、音量を上げ下げして、位相をずらしたりした音を合成すれば、理論上はあらゆる音を合成できる、ということが発見されたのだ。
そのフーリエ男爵の成果が発揮されるのは二十世紀末の事だった。
まず上げられるのがシンセサイザのFM音源。ヤマハのDX-7を代表とした一連のシリーズだ。これは「モジュレータ」「キャリア」とサイン波発振器を区別させ、音同士の足し算のみならず「掛け算」(FM変調)させることで様々な音を合成する方式である。これは従来のVCO,VCF,VCAにEGを掛けるアナログシンセサイザとは一線を画する方式だった。ヤマハのDXシリーズはシンセサイザの大きなパラダイムシフトだった。特にDX-7のファクトチーパッチ11番「E.PIANO」は同時代の人なら必ず聴いた事があるだろう。
続いてネット時代に突入するとmp3(MPEG-1 Audio Layer-3)が脚光を浴びた。
そもそも圧縮方式の各種MPEG方式は、映画等の動画ファイルのデータを圧縮するために開発された。その音声部分のみを抽出したのがmp3である。
このmp3は基本的には入力された音楽信号をFFT(Fast Fourier Transfroms)したものを出力し、データを圧縮する(注:実際にはもっと複雑な処理をしているが、大筋の説明のため、その他の処理については説明を省く)。 当初、ネット内のmp3はその全てが非合法のものであり、それでいながらmp3プレーヤも発売されるという、歪な時代があった。
それらの非合法な音楽ファイルの氾濫を合法にしたのが米Apple社だ。
Apple社はユーザがCDを自分のパソコンでリッピングさせ、自社製品の「iPod」で音楽視聴させる、という方式を一般化させたのだ。もちろん、ユーザにリッピングさせるだけでなく「Apple Store」なるところから、既にmp3に圧縮済みの音楽データを購入するようにもした。これが二十一世紀初頭の頃と覚えている。そして時代が進むともはやCDの需要は大幅に減り、前述のApple Storeでの楽曲購入ではなく、月額で聴き放題の「サブスク」方式が主流となって現代に至る。
フーリエ男爵の発見はこうして二百年後、音楽業界を大きく変貌させる事となったのである。
こうとも言い換えられる。音楽関係のデジタル化までの猶予は約二百年ほどあったのであり、それに乗り遅れれば当然のように自然淘汰される、と。
道介の会社はその二百年の歴史のある数学・物理のトレンドを無視してきた訳だ。
それなら自然、消えてゆくのみなのが必定だ。
が、しかしやっと就職氷河期を乗り越えたばかりの道介にとって、このまま会社に潰れてもらっては困るのだ。道介はまだ駆け出しのエンジニアだ。修行途中で「はいサヨナラ」では困るのだ。
道介は他社のブースを見る度に、それを作った人間が社歴何年の人物なのかが気にかかった。
これぐらいなら今のおれでも作れる。
そういう展示物もあった。逆にどうしても造れなさそうなものも当然あった。
InterBEEは新商品の展示会でもあり、会社の売り込みの場所でもあり、自社技術の自慢大会でもあったのだ。
簡単に行くかも知れない、と楽観的に考えていた道介の「転職活動」も、実際にブースに立ち寄ってみると、全くそんな影はなく、道介は上長から言われた通り、製品の説明を受けてカタログを貰って退散するのみとなった。
道介のぶらぶら歩きは続いた。人混みをかき分けるほどの人もおらず、各ブースの説明員(十中八九その会社の社員)が時間を持て余してブースの傍に立ち尽くしていた。
ここに展示されている機械はみな手作り品だ。
どうも誤解されがちなのだが、工業製品というのは基本的に手作業によって製造される。一部その作業をロボットが担っている場合もあるが、ことプロオーディオ業界では今でも手作業がメインだった。
というのも、ロボット化するほどの需要がなく、ロボット化した方がコストが嵩むからである。規矩正しく整列されたコンソールのモジュールも、整然と並ぶラックエフェクターも、そうなるように手作業でそう作られているのだ。実にこれが面倒くさい。
道介がやった仕事の中で、もっとも非効率な仕事が放送局用のデジタル時計の製造に関わった時だ。
その秒を示すLED六十個が半田付けされて関連会社から納品されるのだが、ほんの僅か、真円に並んで欲しいのがずれているのである。それを目視で確認し、基板の裏から半田ごてをあててLEDの向きを微調整して行くのである。あっちが直ればこっちがおかしくなる。という事はそっちもやり直し。つまり、秒を示す六十個のLEDのほぼ全てを半田付けし直したのである。
仕事だから仕方ないとは言え、こういう非生産的な手作業に従事すると、道介は得も言われぬ虚無感に襲われながら、驚異的な集中力をもって作業にあたるのである。
いや、設計の仕事したいんですけど。
道介の心のうちにはその思いがあった。が、口にはしなかった。口にするだけ虚しくなるからである。
そういった細々しい作業の積み重ねで各ブースの製品は出来上がっているのだ。
そう思うと道介はもし転職に成功したとしても、そういった「家内制手工業」からは抜け出せないのではないかと気にかかった。
それを言うなら、そもそも道介の気質としてエンジニアは不適なのではないか? との疑義が道介の裡に起こった。
道介は設計もしたいし、製造もしたい。調整も苦ではない。
そう、それまでの業務、メンテナンスの仕事に倦いていたのだ。
以前、上長に「修理はエンジニアの基礎」と言われた事があったが、もう二年近くその基礎ばかりやっている。いい加減飽きたのだ。
道介が入社後、先輩社員が修理の仕事をしている姿を道介は見た事がなかった。加えて、出張メンテナンスはほぼ全て道介が行っていた。
道介はその職能に合わせるために服装も選んだ。安全靴を履き、ワークパンツを穿き、怪我をしないように厚手のシャツを着るようになった。要するにエンジニアというより建築関係の工事人とほぼ同じ服装になったのだ。 が、先輩社員はそんな服装はしていない。その理由はもちろん、現場には来ないからだ。
現場に来もしないで、何故現場に必要な機材の設計ができるのか? その疑問は常々あった。
もし現場に来ないのを良しとして、その空いた時間に先輩社員たちは一体何をやっているのだろうか? 願うならばデジタルオーディオの勉強をしていた欲しかったが、その気配はない。PCに向かって何やらやっているが、その入力に対する出力がないのだ。
そうしている間にも世はどんどんアナログ製品がデジタル製品へと代替わりして行っている。
もういい加減、デジタル音痴は止めてくれ。会社、潰すぞ。
道介はそう大声で言ってやりたかったが、パワハラ・モラハラ上長にそういったところで何にもならないのは自明だったので、そこぐっと堪えるしかなかった。何度も言うが前述の「後輩は先輩より詳しい技術をもっていてはいけない」という歪な大原則はここでも発揮されるのだ。
やはり転職するのが一番の得策に思えてきた。
しかし、自分の気配や下心が災いしたのか、他社のブースでの遣り取りはなかなか上手くいかない。展示会なのだから商品説明に徹するのが基本だが、名刺交換して同業者と互いに認識している以上、今後のこの業界のトレンドや現状の市場の動きの情報交換をしてもよさそうなものなのだが、どうも道介の態度がよろしくないのか、相手が緊張してそういったちょっとした立ち話的な話題にはなかなかならなかった。
初日と言う事もあり、人通りも少ないため、道介は予定を変更してカタログ蒐集の範囲を広めた。
それにしても幕張メッセの会場は広い。
その広い中に細かいブースに分かれて各社が展示物を陳列しているのである。
この業界、ほんとうに市場規模、小さいのかなあ?
そんな素朴な疑問が道介の裡に現れた。
しかしだ。他社のブースを見ていくと、音声関係の機材ばかりでなく、映像関連の製品を扱うブースもちらほらと目に付いた。
まあ、それもそうだわな。
例えばテレビ局のスタジオの更新の仕事の場合、映像と音声の機材の仕事が一遍に来るのが普通だ。やはりメインといえるのは映像の方であって、音声は二の次の扱いになってしまう。で、そこで業者がこう言うのである。
「あ、音声の方もついでにやっておきますから」
音声はついでなのである。まあ、技術的には音声回路の場合、枯れているといえば枯れているから、映像信号を扱える会社にしてみればそれほど難しい技術ではないだろう。
しかし、音声回路とは言えども、それなりに良い音で鳴らすにはそれなりのノウハウがあるのだが……。特にテレビ局の場合、普通のレコスタより予算的に潤沢である場合が多いので、音声の方にも注力してもらいたいのが本音だ。仕事が欲しいからという本音もあるが、映像屋の「ついでにやった」仕事で全国ネットのキー局のサウンドが決まってしまうのが、あまりにも寂しい。
人間にとって五感で受け止めら得れる情報の約七割が視覚情報だそうである。だからテレビ局の人間がその映像、色味、色調に拘るのは理解できる。が、音声に拘るテレビ関係者というのはあまりお見かけした事はない。とは言えテレビ局にも「音声さん」と言われる音響専門スタッフがいる。そういった人々は確かに音声への拘りを持っているのは知っているが、やはり映像と比べるとその扱いは下である。
これはこれで仕方のない事なのだが、音響関係者としては寂しい限りである。
カタログ集めも今日の分は終わった。
道介は残った時間を自社のブースで過ごした。時折来場者(音楽関係者は普段スーツを着ないからすぐそれと分かる)が来て軽く商品説明をして終わり。
道介が今日見た範囲では、どこかのブースが黒山の人だかり、ということはなかった。
やはり音楽業界はソフトウェアもハードウェアも斜陽産業になってしまったのかなあ。
道介はそうも思ったが、それでも食えるところは食えるのである。
世間では「CDの売上が大幅に落ちている」と言われているが、それはCDの市場が小さくなっているだけで音楽の需要が大幅に減ったのではない。ユーザはCDというメディアからサブスクへと移行しただけである。さらに言えば、それほど小遣いを持っていない中高生は海賊版へと流れていっただけなのだ。
そういったユーザの音楽視聴方法の変化はまだレコーディング業界へ影響を及ぼしていなかった。
近い将来、スタジオでレコーディングしTDした生データそのもを配信するようになれば話は別だが、今のところそういった動きはないし、そうするための何かしらの動向がある、という話は聞いた事がない。
しかし、近い将来に何か起こってもおかしくはなかった。そうなればデジタル機器の開発に乗り遅れた云々の前に音楽業界の大変革となるだろう。道介は自分がそういった脆い業界にいる事だけは認知していた。
ユーザ(顧客)は安くて便利な方に流れる。今までの習慣などさっさと捨て去り、より新しいサービスへと移ってしまう。それに乗り遅れたのが現在の日本の音楽業界なのだ。そこに付け入ったのが海外勢のAppleやSpotifyなのである。付け入られて当然だ。需要があるのに供給してこなかった音楽業界全体にこの責はある。
同じ音声を売り物にしているラジオ業界ではradikoというアプリで業界一丸となってデジタル化に成功した(一部NHK FM等、自社独自でのデジタル配信等の身勝手な行動はあったが)。
翻って音楽業界で一丸となって施策している事と言えばレコ倫(レコード制作基準倫理委員会)ぐらいのものだ。
これは売上に貢献するものではなく、どちらかと言えば制作者側・販売側に自主規制を強いるものである(「自主」規制を「強いる」とは奇妙な言い方だが、事実そうなのだ)。
これはレコ倫発足当時、レコード等が与える社会的影響が大きかった時代の名残である。今現在ではその影響力は極端に落ちている。
その証左に、かつてその販売が問題になったフォークソング全盛期の作品を再発するにあたって、当然のようにレコ倫で問題として取り沙汰されたが、実際に販売してみると、何の問題も起きなかった。それどころかあまりにも売上が低すぎるため、それ自体が社内で問題になったほどだった。
日本の音楽業界の横の繋がりは緩く強い。
さっさと日本版Spotifyを各社共同で立ち上げれば良かったものを、と道介は思ってはいたが一応別業界にいる身で、それを進言する相手がいなかったのが悔やまれた。
「だったら自分でやって見ろ」その言葉は正解だ。しかし道介には金と人脈と、何より行動力がなかったためできなかったのだ。
こうして幕張メッセを埋め尽くす各社のブースを眺め見ると、道介は何か空寒い思いがした。同業他社はいくつもある。が、音楽業界の将来まで見据えて企業活動をしている会社が、一体何社あるのだろうか。
午後五時半になった。初日の閉幕の時間だ。
会場のあちこちでブースの後片付けが始まった。後片付けと行っても大きな白い布を展示物に掛けるだけのところもあれば、電源を落とすだけのところもあった。正直、殆ど防犯対策がとられていなかった。
このときになって道介は普段着慣れないスーツを着ていたのを改めて知り、慣れない立ち仕事をしていたため両足に痛みを感じた。普段は安全靴なのだが、今日はスーツに合わせて革靴だ。そのせいもあってか。足の痛みは一層強く感じられた。
一旦社員全員が集まって解散となった。
幕張メッセの会場は海浜幕張駅から至近だ。至近と行っても幕張メッセ自体が巨大なため、展示ブースから駅の改札まで十五分ほどかかった。それが最後に道介が感じたInterBEE初日の感想だった。曰く、結構遠い。
道介が感じた初日のInterBEEの感想は、以外と出展社が多い事、来場客が少ない事、やはり音響一筋より映像の方が集客が多いように感じた。そんなところだった。
道介は社の先輩たちと駅まで同行し、電車で別れた。
明日、明後日もまたInteBEEは開催される。 あと二日。あと二日でこの非日常は終わるのである。それが過ぎるとまた忙しいが退屈な仕事が待っているのである。
あとたった二日か。
そう思うと道介はなんだか焦り始めた。
去年の経験からいって、最終日は来場客が大幅に増え、カタログ蒐集どころではなくなる。つまり、最終日に転職活動はできない。つまり明日一日だけで何とか次の就職先の当たりを付けなければならないのだ。
少ない時間の中で、本当にそんな事ができるのだろうか? 道介はそれを心配していたのだ。もっとも道介を憂欝にさせていたのが、どの会社とも当たりが付かず、ただカタログ蒐集にのみ時間をとられ、無為にこのInterBEEの時間を過ごしてしまう事だ。
それだけはあってなるものか。この袋小路の会社から抜け出してやる。
その一念だけがこのInterBEEへの参加の意欲になっていた。
自社製品が売れようが売れなかろうが、道介にはどうでもよかった。
会社がどうなろうと、そこで働いている人が潰れなければどうでもよいのだ。道介の社会人としての姿勢はそういうものだった。
この会社にいれば道介は確実に潰される。道介はそう思っていたのだ。もはや不要となったアナログ技術とともに潰れてなるものか。
もうどこのFM局もレコスタも、デジタル化し始めているじゃないか。デジコンすら造れないようじゃこれから先、どうやって食い繋いでいくんだ? いや、もうコンソールの時代じゃなくなって行くんだ。全てはPCに集約されるんだ。その技術を習得する時間は先輩社員たちにはいくらでもあっただろ? さあ、その成果を見せてくれよ。おれより優れ技術を見せてくれよ。なんでもいいからHDLで書いて、DSPを使って、PCのアプリを見せてくれよ。
道介はそう言ってやりたかったが、そう言うまでもなく、その返事全てがノーだったのを知っていたのでその言葉を飲み込みだけにしておいた。
勝負は明日だ。
道介はその思いだけで明日への準備として早めの就寝をした。
いつもなら夜中の午前中の就寝なのだがその日は午後十時に床に就いた。
それは不思議な感慨を道介に齎したが、道介はそれを当然の事として受け止めた。
×
その翌日は曇りだった。
晩秋の曇天は気分を盛り上げるものではなかったが、道介はその今日一日に全てを賭けるしかなかった。
今日しか自由に動き回れる日がない。InterBEEに出店している同業他社に顔を売るのは今日しかない。それは期待でもあり焦燥でもあった。
幕張メッセへ向かう道中もその事ばかり気にかかっていた。
車窓から見える風景は目には映ったが頭には入ってこなかった。
風景は東京郊外によくある灰色のビルが建ち並ぶ殺風景なものだった。だが、その殺風景な景色は道介にとって幼い頃からの馴染みの風景だった。道介の原風景と言ってもよい。
コンクリートに塗り固められた建築群、駐車場、公園、植木。それらに申し訳程度に草木が植えられている。大抵、背の低いのは躑躅で高いのは銀杏だった。
その根元の僅かばかりの土に一匹の蟻が歩いていた。蟻は当て所なく歩いているようにも見えた。こんな申し訳程度の土しかないところにも生物がちゃんといて、生命活動をしているのが幼い道介には不思議だった。
この蟻は一体どこから来たんだろう。蟻の巣はどこなんだろう?
幼い道介はその一匹の蟻を行方を追っていった。
蟻は花壇を超えてコンクリートの植えを行き、駐車場を超えて車道を横切り、また別の花壇へと攀じ登っていった。
蟻は尽きる事なく歩みを進めていった。
蟻の目的地は知る由もない。蟻は勝手に好きな方向へ進んでいるかのように見えた。
ふと、蟻が躑躅の花壇の中へ入っていった。幼い道介は蟻の行方を見失ってしまった。
蟻が巣へ帰ったのか、それとも元いたところに巣があるのか、それは結局分からず終いになってしまった。
それが道介の原風景であり、大自然の全てだった。
海浜幕張駅の近辺は道介の原風景とよく似ていた。だから道介も変に気負う事もなく、かといってだらけるでもなく、ごく自然体でいられた。
幕張メッセまでの道のりは全て舗装済みのコンクリートでできた灰色の道だった。途中、車道を挟むためスクランブル交差点替わりの歩道橋を渡った。歩道橋は屋根付きのエスカレータだった。
歩道橋から見る景色もまた灰色だった。それが道介にいやに安心感を与えた。
幕張メッセの会場に着き、道介は自社のブースへと向かった。
一番乗りだった。
道介は機材類の電源を入れ、軽く動作チェックした。問題ない。CDをかければVUメータが動き、フェーダの位置に合わせてその上下が動いた。
道介は取り敢えずの動作チェックを済ますと、受付のカタログ類の整理を始めた。
その頃になって先輩社員たちが一斉にブースへ来た。どうも同じ電車に乗り合わせていたらしい。
全員で出店準備、となったがあらかた道介が準備を済ませていたので、受付周り以外、準備する事がなかった。
なんとなしに開場してぞろぞろと来場客が入場してきた。
それほどの人気のある催し物ではないので、一番客を狙って大勢が会場内をダッシュする、ということはなかった。これも前日同様である。
道介は午前中の来客が少ないのを見越して、またカタログ蒐集に出掛けた。
昨日廻ったところはまだ準備中のブースもあった。それもそうだろう。InterBEEの力の入れ所、こういった展示会の力の入れ所は最終日にある。それ以外は客らしい客はあまり来ず、大体が身内なり同業他社だったりするものなのだ。
その同業他社に道介もいた。
一応InterBEEはプロオーディオのみを扱っているのが前向きな姿勢なのだが、どうみても民政向きの、所謂オカルトオーディオを扱ったブースもあった。
道介はそのブースを冷やかしてみた。
そのブースでは(敢えて企業名はあげない)「音を良くする石」のデモンストレーションを行っていた。
音を良くする石? 道介にはなんの事かさっぱり分からない。
「この石を機材の隙間に置いておくと、電流から発する電磁波が整流されて音質が向上するんですよ」
ブースの男は笑顔で真面目にそう言った。 そんな分けねーだろと道介は内心で思ったが「試聴させていただけませんか?」と申し入れた。
「ええ。結構ですよ」
男はヘッドフォンを道介に渡した。
その1uのヘッドフォンアンプは天板が取り払われており、その筐体の中に何処にでもありそうな普通の石が置いてあった。ヘッドフォンからは道介の知らない弦楽四重奏が流れていた。
その間、男はにやにやしていた。
しばらくすると、男はさっと石を取り上げた。
道介はそれに気が付いたが、気付かないふりをした。
しばらくの後、道介は男に「ありがとうございました」と言ってヘッドフォン外して男に渡した。
「いかがでしたか?」
男は得意満面の笑顔だった。
「いやあ、……私にはちょっと……」
「結構音、変わったでしょ?」
男はそれ見た事かと言わんばかりの笑顔だ。
「ちょっと私には……」
音なんか全然変わってねえよ、という本音を飲み込んだ。道介は男がどこまで本気なのか、それとも嘘を吹聴しているのかを計りかねた。
「この石はですね……」
男はその石の発見と製品化の由来を語り始めた。詳細は覚えていない。というのもあまりにも突拍子もない話だったので道介の頭には入ってこなかったのだ。
詐欺師は決して怒らない。その代わり自説を滞りなく滔々と淀みなく笑顔で延々と述べるのである。その事は道介は知識としては知っていたが、実物を見るのは初めてだった。
こういう人間もいるものなのか、と道介は圧倒された。それほど男の熱弁は続いたのだ。これではオーディオに無知な人間は騙されかねない。そうも思った。
InterBEEの開催側は、こういった悪徳業者を閉め出せないものかとも思ったが、開催規模を考えると、一々出店企業を審査する手間などないことなど容易に想像できた。にしてもだ、こういった連中が出店できるほど、InterBEEは門戸が広いとも言えた。
しかし詐欺は詐欺。嘘は嘘である。
また別のブースではこういった出店をしていた。
「基板に半田付けすると音質が劣化する」と称してオペアンプの端子を捻り曲げて圧着端子で接続していた。
あのなあ、メンテする時どうすんだよこれ。それに一々面倒くせえ。オペアンプはプリント基板に実装するようにできてるんだよ。それをわざわざ圧着なんて。馬鹿じゃねえか。
これが道介の本音だ。実際、これではオペアンプが飛んだ時には新品交換できない。いや、非常に手間がかかる。それにオペアンプ一個か二個程度の回路規模ならまだ良いが、現実の回路になるとそんな僅かな規模の回路はほぼない。だからこの方法は現実的ではない。
道介はあまりのばかばかしさに呆れて、そのブースの説明を聞いてみたが、やっぱりなんのこっちゃ理解できない理論にもならない理論でプリント基板と半田についての批判(?)をしているのだけは分かった。
もういいもいい。そういう屁理屈はもういい。まともに聞いてやるだけ時間の無駄だ。そう思いそのブースを後にした。
が、驚いた事にその二つのブースには結構来場者が多いのだ。
誰もが分かってて冷やかしに来ているのであれば良いのだが、本当に真に受けて詐欺師の話を謹聴されてはこの業界も、もう末だ。
あ、そういば、この業界、もう末だった。
そう思い直すと、どうしてその二つのブースがもてはやされているのかも自明だった。
そうだようなあ。この業界、もうすぐ終わりなんだよなあ。
純粋に音の良し悪しを競う時代はとっくに終わっていたのだ。
となると、あとは奇抜なアイデアで他の企業を出し抜くか、オカルトオーディオに頼るか、どちらかになるだろう。
と言う訳で、ついにというか、案の定というか、InterBEEにまでオカルトオーディオの波が打ち寄せてきたのだ。
それも時勢というものだろう。そのオカルトオーディオと同列に出品しているのかと思うと道介にはそこはかとない嫌な感じは受けたが、そういったものと同列に自社の製品が扱われていると思うと、情けないやら惨めやら、何とも言えない気分になった。
所詮、オーディオはオカルトの入り込む余地のある未熟な市場なのだ、ということを現前にしたのである。
これでは真面目に音響工学と電子工学を学んだ道介にとっては侮辱的だった。
が、しかし、その動機はさておいて、そのオカルトオーディオのブースの人気はそこそこあったのも事実だ。
人気だけがあって、売上に結びつかなければまだこの業界に救いの手があるのだが、どうも真に受けている人もごく少数いるように見えた。
道介はまた「オペアンプ圧着端子」のブースに戻ってみた。
午前中だというのに、ブースは盛況である。
こんなことがあって良いものか、許されて良いものか、とも思ったが、その人気に惹かれてまた道介は舞い戻ったのである。
そこで行われていたのは、洗脳の儀式――いや、今までのオーディオの常識を覆す数々の新理論の展開だった。
半田は不純物を含んだ定融温の金属だから音が劣化する。理想は半田を用いない接合である。プリント基板のパターンはあまりにも薄すぎる。よって導体としての性能に劣る。その欠点を補うには各ピンの接続は圧着の方が好ましい……その理屈が通るなら、世界中のあらゆる機材がそれなりの損傷なり不具合を抱えている筈なのだが、現実にはそうではない。であるのに、何故そう半田とプリントパターンを悪者扱いするのかが疑問である。
が、横にいたスーツの男(おそらく出展社の従業員)は頷きながら聞いていた。
いや、頷いていたからと言って、その男の言い分を丸ごと肯定しているかどうかは別の話だ。相手の言い分を吐き出させるために黙って頷くのは社会人では良くある対人術だ。
しかしまあ、男の良く喋ることと言ったら……。
嘘も百回繰り返せば本当になるの諺通り、男は自分の吐く言葉に酔いしれている節があった。自己暗示である。これはたちが悪い。
自分で自分の嘘を嘘と知りながらまるで事実かのように振る舞うのである。
全く! この無知蒙昧に啓蒙の光あれ!
が、しかしその無知蒙昧が産んだ新たな奇跡はその男の言葉として明らかに現前したのである。即ち、「圧着した方が音が良い」と言い出す他の者が現れるのである。
またこうしてオーディオは暗黒の時代を迎えるのである。
聞いているこっちもその毒気に冒されて危うくその男の嘘を信じてしまいそうな、もしかしたら百に一つの真実なのではないか? とすら思い付きそうになるのである。
その男が言うにはケーブルにも向きがあるのだそうである。
ケーブルの製造工程上、単線であれ撚り線
であれ、母材の金属を引き延ばしているであるから、その分子レベルでの抑える側・引き延ばす側には自ずと向きが発生する、という主張である。
あのねえ、そんなことで自由電子の動きに違いがある訳ないでしょ、と道介はその時はそう思った。が、男の真に迫った話術の前には、その正しい推論を呈する勇気をなくし、その男の言うがままにさせたのである。
沈黙は消極的賛同である。そのときの道介は誤った反応をしてしまったのだ。
オカルトオーディオの世界は「信じる」「信じない」の世界であって「事実である」「事実ではない」の世界ではないのである。
だからよりカリスマ性の高い人物――良く喋り、相手を喋らせず、取り巻きの人物を置いて笑顔で人を惹きつける術を持った人物――がそのオカルトオーディオの世界では跋扈できるのだ。
加えて、オーディオの知識不足・電子回路の知識不足な人が多いという事実が、より一層そのカリスマを助長させる遠因にもなっている。
すべからくオーディオにまつわる仕事に携わる人は、一度、電子工学を学んだ方が良い。そうすれば何が正しくて何が間違っているのかを見抜く力が身につくのだ。そうすればカリスマ性と言ったいい加減なものに惑わされる事なく、本当はどうなのか、「信じる」ではなく「真実」を見定める事ができるのだ。
次のブースでは一メートル十万円の高級オーディオケーブルが展示されていた。
そのケーブルは大きく余白をとった何かの布を巻き付けてあり、如何にも高級そうには見えたが、もはやケーブルの外観ではなかった。
この布のひらひらは何か音に関係するのだろうか? 答え:しない。
どう考えてもケーブル一メートルに十万円もの価値があるのか、判断できない。
もし何らかのケーブルを開発するとして、どんなにコストをかけてもメートル当たり数百円・千数百円しかかからい、というのが道介の持論だった。が、この目の前にあるケーブルはその道介の常識を二桁も上回っている。
という事は、ブランド料なりデザイン料なりでコストを嵩上げしているのでは? と道介は予想した。
が、どう見てもたかがケーブルである。見た目のデザイン料などかける場所がないし、ブランド料としてもあまりにも破格だ。その価格がどうして設定されたのかを道介は知りたかったが、そういう輩が素直にコストの内訳を開陳するとは思われないし、普通の業者でも製品のコストなど開示しない。
しかし、だ。たかがケーブルにそこまでの価値を見いだす側にも問題があるのでは、と道介はおもった。
需要があるから供給されるのである。これが自由資本主義社会の原則の一つだ。
その需要をどうやって掘り起こしたのかは未知だが、こうしてわざわざInterBEEに出店するぐらいなのだから、たかがガレージメーカとは言え侮るのは危険だ。
こうしてちゃんとブースを割り当ててもらって展示している以上、道介の会社を含めた他社と同列に並んでいるのである。立場は平等だ。
道介の胸の裡の感情論としてはこんな連中と一緒にされたら堪ったもんじゃないが、頭で考えた理屈としては、そう言ったオカルトオーディオと戦えるだけの論陣を張れないのであれば、それはただの感情論、僻み、妬みにしか過ぎない。
道介の経験論ではケーブルで音が変わるのは事実だった。だが、そこにかけるコストとしては数十円か百数十円が妥当であろう。
オーディオマニアがレコスタの内部を見てはいけない、と先輩社員に言われた事がある。実際のプロオーディオの機材はコストカットとメンテナンスのし易さ、二十四時間三百六十五日稼働を念頭に置いており、音の良し悪し(何を持って良し悪しとするかは人に依るが)を最優先したものではないのだ。
それでもレコーディング用機材、そのトップに君臨するコンソール(通称:卓)は億を下らない価格になってしまうのだ。そのオペアンプの一つ一つ、RC類の一つ一つを吟味はすれどもコストとの兼ね合いを天秤に掛けて、その子細の採用を決めていくのだ。
そのコスト管理に比べると、ケーブル一本で十万円はいくら何でも高すぎる。実際、卓内配線に使われているケーブルはメートル当たり十円もしない。これでプロの使用に耐えうる音質を提供しなければいけないのだ。いや、これでプロユースの音が造れるのだ。
一体どういう金銭感覚でメートル当たり十万円のケーブルを造ろう、という企画が通ったのか、誰か止める人間はいなかったのか、プロオーディオの実際を知る者がいなかったのか、その辺の事を詳しく聞き取りたいとも道介は思った。
しかしオカルトオーディオにはそれなりの魅力があるのも事実だ。
大金を積んだからこそ得られる至高の音。
そう言った抗い切れない欲望の捌け口がオカルトオーディオにはあるのだ。
それが本当に真実に「音が良くなる」(この言葉も定義が曖昧で好ましい言い方ではないが)であれば、と言う心理が働くのも、ある特定の人々に当てはまるのは事実だ。
実際のところ、あるパーツ一つを交換しただけではほぼ音に変化はない。もし変化があるようなら、それはあまりにも劣悪なパーツを使っていた証だ。
抵抗ならブランド毎に全て交換して初めてそのブランドの音が聴こえてくるのである。これはコンデンサもオペアンプも同様である。
前述の通り、僅かなパーツ交換で音に変化があるなら、そもそも劣悪なパーツを使っていただけの事だ。そんなパーツは棄ててしまえ。
もっとも、ごく単純すぎる回路の場合、その素子の音が色強く反映されるが、それはどちらかと言えば例外的な場合である。
高価すぎるケーブルはその例外に含まれない。明らかに品質に対して価格が高すぎる(しかも桁違いに)と予想される。
その違いは聴くまでもない。
そう言ったオカルトオーディオに限って、その製品のバックグラウンドの物語がカタログに滔々と語られていたりするのだ。
いいから音を聴かせろ。本当にそこまでの価値があるなら出音で勝負しろ。
道介のその信念は揺るがなかった。
ところがだ、悪には誘惑があるように、オカルトオーディオにもその誘惑の囁きがあるのだ。
ここで一つご注意いただきたいのは悪は誘惑するが善は誘惑などしないのである。
というのも、善はそもそも誘惑など小癪なまねをせずとも「これは良い」と多くの人が判断してくれるからである。
そこで悪は言葉を弄して無垢の素人に付け入るのである。
それを自由資本主義社会では「宣伝文句」等という。
あまりに言葉が多く話が尽きない相手は要注意だ。そこには本来の性能を誤魔化すための数々の言い訳が、耳障り良く変化させた言葉が含まれるからだ。
しかし、その言葉をそのまま信頼の証と判断してしまうお人好しも多いのも事実だ。
そういうお人好しを食い物にする連中を面罵してやりたい気持ちも道介はまた持っていた。
ちなみに国内有名大手ケーブルメーカM社のブースでは、オカルトオーディオに纏わるケーブルの実態を論破する論文を冊子にして配布していた。
道介には善の正直さと悪の誘惑に負ける心とが両立していた。
これは詐欺師が十の真実の中に一の嘘を矛盾なく混ぜて語る心情と似ている。
道介も悪の誘惑は愛していた。その香りの甘く蠱惑的な魅力に惹かれもした。しかし、その魅力は朧気で実態のないものである事も承知していた。夜の繁華街が夜にしか魅惑を醸し出さないのと同じ事だ。
その一時の誘惑に負けると、こうなるのかと道介は男の言葉と身振り素振りを見て思った。
ああはなりたくないな。
そう思うに留めておいた。
それにしても、音が良くなる石も、圧着端子だらけの組配も、ケーブルの向きも、最高級ケーブルも、よくもまあ思い付いたものだ。
それはみな製品の形をとっていた。無論、商品としてである。
道介にすれば、それらは馬鹿馬鹿しいインチキ商品なのだが、そうとは判断せず有り難く大枚はたいて買っていく客がいるのに、多少の驚きが隠せなかった。
世の中の物の値段には相場という物がある。その相場から著しく逸脱した物は、高価すぎる物であれ、廉価すぎる物であれ、それなりの理由があってそうなっている筈だ。
廉価過ぎるものの場合、品管がなっていなかったり、そもそも半田付けすらまともできていなかったり、商品説明と実際の商品に違いがあったり(SSD,SDカードの容量偽装が多いようである)といった事がある。これはもう確信犯である。人を陥れようとしているのが丸分かりだ。これらは吊し上げて糾弾されるべきだ。
逆に高価すぎるものの場合、どうもその購入者が納得ずくで買っていっている場合が多いようなのである。要するに騙されたという自覚がないまま、詐欺師に騙されているのだ。
こういった場合が一番たちが悪い。被害者が被害者である認識がないのみならず、被害者が加害者を庇うからだ。
自分の耳には音が激変したように聴こえる。どうしてその違いが分からないんだ? この澄み切った高音、豊かな中音、鮮明な低音、定位感もはっきりと今までのケーブルとは異次元の違いだ。
これのどこがインチキ商品なんだ? と。
本人が良ければそれで良いのではあるが、それは思い過ごし、大金を支払っただけで得られた満足感でしかないのに気付いていないだけなのだ。
ここでまた自由資本主義社会の原則が顔を出す。
物にはそれ相応の対価がある。その対価を認めるのは消費者自身なのだ。
つまり、詐欺商品で高価な物であろうと、消費者がそれだけの価値を見い出せれば、それで需要と供給が満たされたことになってしまうのだ。
これにはいくら自由資本主義社会とは言え政府による監督が目を光らせている。消費者庁消費者センターである。
だが現実にはその先の省庁は自ら「これはおかしい」という商品を探し求める事なく、一般消費者の苦情によってその活動を始めるのである。
つまり、オカルトオーディオのように被害者が被害に遭っていないと判断した場合、該当省庁には何の連絡も行かないのだ。
つまり、消費者を騙しきればオカルトオーディオの世界は限りなく膨らんでいけるのだ。
その手腕は購入前の前口上に全てがかかっている。
信じて試聴して買ったのだ。その高性能を裏付けるメーカ(道介はこういった連中をメーカとは呼びたくなかったが)の人間がその効能をちゃんと説明してくれている。
自分の耳で判断して買ったのだ。後悔はない。
こういう単純な心理でオカルトオーディオは成り立っているのである。
誰でも楽して稼げるものならそうしたい。
それができないと思い知っているから日々の労働に精を出して働いているのだ。
が、どこの世界にも特異点・例外という物がある。それがオーディオの世界ではオカルトオーディオの世界なのだ。
この世界は大変興味深い。前述の通り、唯の石(としか見えない)が筐体内の電磁波が整流したり(理系の専門用語を用いているがその用法に間違いがあるため、何を言いたいのか不明)、ケーブルには向きのある世界なのだ。
いや、飽くなき探究心であればそれは賞賛に値する。日本のモノ造り産業はそういった消費者の細々したリクエストを逐一拾い上げて発展してきたのも事実だ。ここはクレーマーと紙一重なのだが、そう言った苦情をただの苦情と受け取らず、新製品での開発課題としてきたからこそ、日本のモノ造りは進歩してきたのだ。これは過去の事実である。
が、何の科学的根拠もなく、それらしい用語を並べ立てて「画期的な商品」とするのは詐欺である。そう道介は断罪した。
道介はまた「音の良くなる石」のブースへ行ってみた。小さなブースなのだが五六人が屯していた。説明員のメーカの人間(社長と思われる)は頻りに笑顔でその石の効能を説いていた。
ブースは極端にシンプルである。
全面が白で統一され、その展示台の上に蓋を開けたヘッドフォンアンプがあった。背後の壁にはメーカロゴがこぢんまりと書いてあった。あまりにも殺風景だと思ったのか、奥に一輪挿しの花瓶があった。透明な先細りの円錐形のガラス瓶にワレモコウが活けてあった。ワレモコウの花穗はその枝一つにつき一つ実り、その温和しい紫の穂を立たせていた。
道介にはその生け花が何の植物だか知らなかったが、その一つ一つの蕾が手榴弾になってこんなインチキブースなど吹き飛ばしてしまえ、そう思った。
ワレモコウの花穗の色はまた、道介が育ったコンクリートの街にあった躑躅を連想させた。
ならばこそ、いよいよもって爆風と共にこんなところは吹き飛んでしまえ。そう思った。
オカルトオーディオのブースは人もひっきりなしだった。
みな怖い物見たさ・珍奇なものの誘惑・いい加減なオーディオ理論を聞いてみたい。そんな風に見えた。
そう。人気だけはあった。が、それが実売にどれだけ結びつくかは疑問だった。
というのも、道介の経験上、そう言ったオカルトオーディオを信望する人はいなかったからだ。
それもそうだ。道介の相手とするのはプロオーディオの現場なのだ。真偽不明のトンデモ理論をぶら下げて高額商品を売りつける輩の入る隙などなかったのだ。
このオカルトオーディオの放つ臭気、感触、言葉はどこか他のブースとは違う、ある共通した匂いを放っていた。即ち、それはまともな教育を受けず、検証もせず、ただ口車だけで世渡りしてやろう、という文系の中でも腐った連中の腐臭だった。
道介はその腐臭にやられてしまった。要するにその腐臭に当てられ、道介も自らその腐臭を発する一要因になってしまっていたのだ。つまり、オカルトオーディオに負けたのだ。
確かにビジネスになるのであればオカルトだろうが王道だろうが稼いだ方が勝ちとなる。
だからと言って、人を欺いてまでビジネスするのはいかがなものかと今さっき思っていたが、もうそんな真っ当な考えは過ぎ去り、「いい音がするんですよ」という曖昧模糊な売り文句に惹かれているを感じた。
人によっては「何かを変えれば必ず音は変わる」という人もいる。その「変える」の範疇はどこなのか、音質を決定づけるキーパーツは何なのか、そう言った話になるとやはりそういう人は言葉を濁すのである。
オーディオの世界は完全に枯れきった技術でできた世界である。
これが一九五〇年代だったら話は別であるが、もう二一世紀になって二十年以上経つ。それでもオカルトオーディオは根絶やしにならず、現代までもその系譜を脈々と引き継いでいるのである。
ということは、やはり、そこには需要があると言わざるをえない。
近年ではもうとっくにデジタル技術がオーディオ界隈を席巻している。
アナログの時代であれば素人でもそれらしい言い草を付けて怪しげな商品を販売するのは容易だったのではないかと思われるだろうが、デジタルになってもその兆候は変わらないのである。
ジッタノイズを低減する、マスタークロックを安定化させる。商用電源に含まれる歪み成分を除去する、医療グレードの製品のため音が鮮烈になる等々……。よくもまあ考えたものだと言わざるを得ない謳い文句が次々と姿を顕すのだ。
そりゃまあ原発のクロックが規定通りじゃなかったら「気分は悪い」わな。それは理解できる。が、現代の技術力でそんないい加減なものを作る方が至難の業だ。加えてもし原発に何らかの不具合・改善点があったとして、その改善手腕が「この高級ケーブルを使う」「機器内にこの石を置く」ではなんの電子工学的説得力を持たない。基本的にオーディオは電子工学に属する分野である。だから電子工学の範疇を超えた何らかの解決策は眉唾物と言っていい。
しかし、その眉唾物のいかがわしい理論が聞いていて面白いのも事実だ。
そう言った連中はどういう訳か、デモンストレーションするとき、測定器を用いない。
音が変わるというなら、何かしらの違いが観測されて然るべきである。それが提示できないということは証拠なしにおれの話だけを信じろ、とい言っているのと同義である。これは正に詐欺師のやり方だ。
では当のオカルトオーディオを敷衍しているご本人が本当は嘘であると知っていていい加減な商品にいい加減な理屈を付けているのかと言えば、どうもそうでもないらしい。
事の発端は不明だが、前述した通りオカルトオーディオの指導者は自己暗示にかかっているようでもあるし、その根本は嘘なのである。その嘘を真に受けている要因は正しい電子工学を知らないがためである。
即ち、正しい教育を受けないで業界に入ってしまい、その道の普通の教育を受けた者であれば「それは違うよ」と言うものを、あたかも真実であるかのように信じ切ってしまった哀れで無知な人間なのである。
しかし人間はその正鵠を得たアドバイスを受け入れがたいとする心情が発露する生き物なのである。要するに学習能力とものの言い方の問題なのである。
人間は何歳になっても世の全て知識や経験をものにする事はできない。歳を経る毎にその他人の経験談や実践録から学んでいくのが常になってくる。若い時分は自分の時間と体を使って経験を積み重ね、何が正しいか、何が間違っているか、そう言った経験則を身につけていくのである。その自分たちが経験した事実を年寄り同士で共有しあって知見を広め、あたかも自分の経験談のように振る舞うのが老人なのだ。
オカルトオーディオの主催者の多弁さはその老人の他人の実践録に似ている。
彼らは雄弁だが、その実、経験則がない。どの話も他人の言葉を借用したもので、その信用性に疑問符が付く。これは取材のみで書かれた小説と、実践して書かれたルポライターの本との差がある。どちらが本当に説得力があるかと言えば当然後者だ。それを何とか見透かされないように、その知識の浅薄さを見抜かれないように注意深くその多弁な言葉に多くの事実と僅かな嘘を潜めて解説するのがオカルトオーディオの実態なのだ。
道介はそこまで考えると、逆にどうしてそのような経緯に至ったのか、そのオカルトオーディオへ走った最初の動機・切っ掛けに興味を惹かれた。
それを探るのはInterBEEのような公の公式な場ではないかもしれない。その背後にある日常業務の中に潜んでいると道介は見た。
そこで悩んだのが道介はそのオカルトオーディオのブースで名刺交換するかどうか、という問題だった。
一応道介の会社はプロオーディオ業界では知れた名前の企業だった。従業員数こそ少ないが、その製品は真っ当に設計され、真っ当に製造され、真っ当に動作するものばかりであった。
が、その真っ当な会社がこのようないかがわしい企業と関連を持って良いものかどうか、そこに躊躇いが発生したのだ。
日本の社会では名刺は非常に重要なアイテムだ。
日本社会で名刺は、何であれば他人の名刺を使って他人になりすます事もできるほどの社会的信用のある物なのだ。
それをこんなペテン師めいた製品を臆面もなくInterBEEに出店するような連中と関わってよいものなのか、その思いが道介を引き留めたのだ。
道介のその判断は早かった。
名刺交換はせず、ただその男の製品説明を聞くに留めておいた。
その言は流石に言い慣れているようで、流暢かつ淀みなく滔々としていた。
きっとおそらく、どこへ行っても同じような事を喋っているのだろう事は予想できた。
その場数をこなしてきた口上はどちらかと言えば、エンジニアの質疑応答と言うより祭りの露天商の口ぶりに似ていた。
そうと分かっていながら詐欺師の手の中に落ちて行く。電子工学をアカデミックに学んだ者としては、その甘い誘惑は涜神の香りに満ちた生暖かい魅力に溢れていた。
もし本当に革新的な発明でありもっとも簡潔な音質改善の道であるなら、そこには何かしらの電子工学的根拠が潜在している筈だ。
が、石も、圧着端子も、布巻ケーブルも、電子工学の範疇を超えたものによって「音質改善」を謳っていた。が、その説明は電子工学で使われる用語が多数あった。
これを似非科学と一刀両断するのは簡単だが、道介にはそこに至った経緯に興味を惹かれた。その本音は先程公の場では明らかにならない、と踏んだが、頭での判断より胸の裡の気持ちでの興味が勝ってしまい、その男に声を掛けてしまった。
「この石で音質が改善されるんですか」
「ええ。電子機器内には色んな電磁波が渦巻いていますからね。それを綺麗に流す事で音像がはっきりするんです。それの副作用なんですかねえ、音の輪郭もはっきりしますし、聞き取り辛かった音も鮮明に聴こえるようになるんです」
「この石は何でできているんですか」
「ははは。それは企業秘密ですよ。ただ、そこらの石ではない、とだけ言っておきましょう。私もこの石の選定には苦労したんですよ。それに実験してみて分かったんですが、石によってもその音質の変化があるんですよ」
「電磁波って仰いましたけど、具体的に何V/mぐらいの強度なんですか?」
「それは機材にも依りますが、信号レベルの低いものほど効果が現れやすいんですよ。ラインレベルでも効果はありますが、マイクレベルになるとより効果が顕著になります。ですからボーカル録りなんかにお薦めしてますね。どちらにしろ、機材が本来もっているポテンシャルを百パーセント出し切るのには有効な手段ですよ。ボーカルなんか『声が冴えるようになった』なんて仰るお客様もいますから」
既に騙された客がいるのか? それともこの話はこの男の創作か?
「そこまで違うなら今後の業界のスタンダードになるんですかねえ……」
「それはどうでしょう。やはりちょっと奇抜なソリューションですが効果は抜群です。絶対の自信を持ってお薦めできるんですが、懐疑的な方もいらっしゃるのも承知してます。ですが音で聴き比べしてみてください。たったこれだけのことですが、効果は抜群ですよ」
道介はヘッドフォンを渡された。
その場の勢いで道介はヘッドフォンをした。
Esperanza Spaldingの「You know, I know」が流れていた。
男はヘッドフォンアンプの石を取り除いて見せた。
それからしばらくして男はヘッドフォンアンプの中に石を置いてみせた。男は満面の笑みだった。
何にも変わらない。道介の耳はあまり良くないと自認していたが、それにしても変化がない。さっきまでと何らの変化がない。それでも男はとびきりの笑顔で道介を見た。
こんなとき、どういう顔で男に接すればよいか、道介は迷った。
「いかがですか? 結構違ったでしょう?」
返事に困る。
「いやあ……正直私の耳には違いが分かりませんでした……」
「そうそう。そう仰る方もいますね。まあ、こういった展示会の会場ですから、違いに気付き辛いというのもありますし、普段聞き慣れた音源であれば、すぐにその違いが分かりますよ。レコーディングエンジニアだったら、すぐその違いに気付くんですけどね」
「スペアナなんかでも違いが出てくるんですか?」
「それが不思議な事に測定器では測定できない範囲での音の変化なんですよ。もし仮に測定器で違いが出るようなら、何らかの音の加工をしてるって事ですよね。この石はそう言った音を加工するものではなくて原音そのものを活性化させる作用があるんですよ。ですからあまり音に敏感ではない方はすぐには気付き辛いかも知れません。ですが効果は抜群なんです。できればスタジオで検聴してもらえれば、その違いは一目瞭然ですよ」
等するに「おれを信じろ」という事だった。
一般社会では証拠のあるものを信用するのであって、証拠のないものは信用しない(できない)のである。その程度の常識がない連中と対等に渡り合わなくてはならないのかと思うと、道介はあまりの情けなさに膝をつきそうになった。
そういえば道介の一言質問に対して男は多弁を弄してきた。簡潔に「イエス」「ノー」と言わない(言えない)のはそれなりの事情があるからであって、もし本当に実のある回答ができる状態であれば、間違いなく「イエス」「ノー」を先に答えるものなのだ。
やはり、ワレモコウでできた一輪挿しの手榴弾には早く爆発してもらわなければなるまい。
道介はこういう手合いを御する術を知らない。もし相手を論破するだけの話術と技術があったとしても、道介はそうはしなかっただろう。馬鹿は相手にしたくないのだ。
「……どうもありがとうございました」
道介は男にそう言って一礼すると、そのブースから立ち去った。
男はと言えば、まだにこやかに笑っている。そうでもしなければ衆人環視の中、自社製品のインチキを見破られたとしてもそうするのが最善の策であるからだ。
技術はないが処世術はあるのだ。
それがオカルトオーディオの醍醐味でもあるのだ。
技術の世界で技術で勝負せず、話術のみで勝負しようとするから無理が出るのだ。
モノ造りはエンジニアの仕事だ。そのエンジニア不在でモノ造りしようとするから馬脚が露わになるのだ。そういった似非商品は素人目にもその違いが分かってもよいと道介は思うのだが、その非エンジニアの口車に乗ってしまう小金持ちがいるのが道介には歯痒かった。
そう思うと、道介は普段の自分の仕事がひょっとしたらこういった詐欺師の数倍の労力を使って、数十分の一のサラリーしかもらえていないのでは? とも予想した。
その発想がいけないのだ。悪の誘惑はそこかしこにある。その誘惑を断ち切れなければ道介もまた似非エンジニアに堕するしかなくなってしまうのだ。
その誘惑に唆されないうちはまだ良い。
が、その誘惑が技術の向上と勘違いするようになったら、もうエンジニア人生の終わりだと判断するのが正しい。もしその判断を誤るようであれば、そもそも社会人としての資質に欠いた事になるので、その際はすっぱり後輩に遠慮なく背中から叩き斬られるのもいいし、隠遁生活に入るのもいい。
どちらにしろ、正しい判断力が保てる間だけ、世間に自前の製品を送り出す事ができるのだ。それ以降は温和しく引退生活に入るのも正しい。もしその判断すらできなくなった時は、もう人生も終わりである。それこそオカルト生活の始まりである。
産まれてきた時は、何が何だか分からな今ま産まれてきたのだから、死ぬ時も訳の分からな今まで死ぬもの良いのではないかと思われるかも知れないが、ご本人はそれで良いかも知れないが、その訳の分からなくなっている人間の相手をしなくてはならない親族・看護師の身にもなって欲しい。それはとんでもなく厄介で面倒くさいものなのだ。
よって、社会人生活も人生の終焉も、理想はピンピンコロリなのだ。オカルト生活の終焉はおそらく惨めなものになるだろう。というのも、オカルトは所詮オカルトである。真偽不明(本当は偽なのだが)、出所不詳、虚実相半ばする得体の知れない人間にいつまでも付き合う人間などいないのだ。これは感情論の結論であり、理性の結論でもあるのだ。
オカルトの魅力は人生の闇に常に付き纏う。それほどオカルトというものは魅力的なのだ。人によっては「そんな気持ち悪いもの」と忌避するが、それもそこそこにしておいた方が良い。世の中にはザイオンス効果というものがあり、毛嫌いし、そのオカルトに触れれば触れるほど、その魅力に逆に感付いてしまうものななのだ。
道介にはそのザイオンス効果の兆候が見て取れた。しかし本人はその事に全く感付いていない。
道介は「石」のブースを離れ、「高級ケーブル」のブースへまた戻った。
何故? また何故あんなものを見に?
道介は自分でも不思議だったが、何故かそうするのが自然であるかのように感じたのだった。それほど「高級ケーブル」の魅力に取り付かれていたのだ。
さて、実際のそのケーブルを前にしてみると、「両端にTSプラグが付いた何か高級そうな布が巻かれたケーブル」でしかなかった。
ケーブルなど自社生産できる会社は限られているから、そのケーブルはどこかのOEMか、はたまたどこぞで仕入れてきたケーブルに自社で細工をしたものかのどちらかだ。
どっちにしろ、新規のケーブルではないのは確実だろう。
「こちらはどういった用途のケーブルなんですか?」
道介はスーツを着た男に話しかけてみた。
男は接客に忙しい振りをするのが上手かった。
「こちらに展示してあるのはエレクトリックベース用のケーブルです」
「何メートルですか?」
「一メートルです」
道介の経験上、レコーディングでも一メートルなんて短すぎるケーブルは使った事がない。おそらくDTM用であろうと察した。
「これだけ短いと用途も限られませんか?」
男は笑顔で答えた。どうもオカルトオーディオの世界の住人は笑顔での接客が得意らしい。
「ええ。殆どがレコーディングで使われているお客様が殆どですね。シールドケーブルは長いほど静電容量も増しますし、ケーブルの持つ音色もそれに従って付きますので、みなさん、できるだけ短く、しかし実用の範囲で、となると一メートルが一番使いやすいようですね」
道介は学生の頃、ギターを弾いていたが、そんな事を言ったりやったりするベーシストは見聞きした事がない。
「じゃあ、ベース用もあるならギター用もあるんですか?」
「ええ。こちらです」
そう男が指し示したのは外皮替わりの布の模様が異なったケーブルだった。
「こちらも一メートルになります。ギターの方はエフェクタを使う事が多いので、やはりレコーディング用に一メートルのものが多く出ますね」
そういえば道介はレコーディングをした事がない。とは言え一メートルの短さは楽器をやっていたから充分に分かる。一メートルと言えば、椅子に座ってエフェクタボードを前にして、すぐ横のスタンドに掛けられる最短の長さだ。はっきり言って取り回しが悪い長さだ。
それをもって「多く出ます」だと? 道介の経験則で言えばレコーディング専用だとしても、そんな短いシールドケーブルを使っているミュージシャンを見た事がない。せいぜい三メートルが限界だ。
「うちの製品はあくまでプロユースですので、一般の方とはちょっと違うラインアップになってるんですよ。例えばスピーカケーブルのスピコンも特注品なんです。普通はこんなところにまで拘りませんよね。うちの場合はそういう細かいところまで拘った作りになってるんです。ですからお使いいただいてはじめてうちの製品の良さを実感される方も多いんですよ」
要するに買えって事か。製品に自信があるのは良い事だが、そのオカルト的ラインアップにどれだけの人が追従してくるのか。まあ、会社として存在していられる訳だから、それなりには売上は立っているのだろう。
しかし、オカルトオーディオの宣伝広告にはもっともらしい嘘が散りばめられているのも道介には分かった。
この会社も嘘吐きだ。
この会社のやり方は、OEMなり何なりを隠しているところが肝心なのだ。要するに、既に市場に同じシールドケーブルがあり、より廉価で販売されているとみていい。それを承知の上で大枚叩いてこの会社の製品をどうしても買いたいというなら、お好きにどうぞ、としか言い様がない。
プロユースを謳うなら、その堅牢生も保証してくれなくては仕事には使えない。
「何年保証ですか?」
「一年保証です」
たった一年! それではちょっと長い目でみれば消耗品と同等だ。その金額で一年の消耗品はありえんのだが……。
「やっぱり断線の事故が一番多いですか?」
「いえ、そんな簡単に断線なんてしませんよ」
「じゃ、ケーブルの端から錆びていって、ハイ落ちしだすとか」
「お詳しいですね。ですがその症状はケーブルなら不可避の問題です。短く見積もっても六年くらいは大丈夫な筈です。うちのケーブルは耐腐食処理もしてありますから、保証期間外であっても充分に性能を発揮できてます」
「実際のデータってあります?」
「……ないですねえ。しかし初期不良も工場の方で弾いてますし、お客様から何かしらの不具合報告はあがっていません。ですからシールドケーブルとしては高い投資かも知れませんが、ライフタイムを考えれば、結局お安くつく筈です」
二十年前、三十年前のケーブルなど使いたくない。前述の通り、ケーブル類はその開口部から徐々に錆びていくのだ。それをケーブル屋が知らないとは言わせない。それに一年保証という期間の短さも気にかかる。
このメーカは一体何を目標にして製品開発をしているんだ?
どんな顧客を対象としてマーケティングしているんだ?
道介が思うには「金満家のオカルトオーディオマニア」しか思い浮かばなかった。
その市場はもの凄く狭いと思うんだがなー。
これが道介の素直な感想である。
もしこのケーブルを使うとなれば、やはりマイク直のところか、楽器直のところしか使い所がない。あまりにもコストが高すぎてその他の用途には使えないのは自明だ。
ここで道介は我に返った。
しまった、このケーブルを否定するのではなくて、使い所を考えてしまった!
これだけでもう道介もオカルトオーディオの沼の縁に立ったのを自覚した。
道介の職業はプロオーディオ機材の設計・製作等である。
そのプロがオカルトオーディオに冒されていてはいけないのだ。
その世界に行ってはいけないし、もし行ったとしても、あらゆる虚言妄語を打破しなければいけないのだ。
道介はプロオーディオの実際を知っている。
その知識と経験を持ってすれば、オカルトオーディオの闇など打ち消せるのだ。
が、今のほんの束の間ではあるがそのオカルトオーディオの産物の使い道を想像してしまった……。これは道介自身の中で、大きな変革の兆しだった。
見渡せばどこもかしこもブースだらけだった。そしてそのブースには人がたかり、何か機械をいじっては話し合っていた。
道介は人の渦中にいた。
いつからそうなっていたのか、今となってはわからないが、それほど時間は経っていない筈だ。
道介は疎らな人波を掻き分けて通路を進んでいった。
どこへ行っても人の渦ができている。
その渦は道介を飲み込んでは排出して道介をあらぬ方向へと弾き飛ばした。
道介の視界は色を失っていった。
渦の中にいる時は気が付かなかったが、ここは幕張メッセの催事会場なのだが、どうも人波に酔ったらしく、道介はふらふらの態になっていた。
時計を見ると午後三時二三分だった。
おかしい、先程「高級ケーブル」のブースを訪れたのは昼食休憩のすぐ後だったと覚えている。それにしてはいやに時間が経っている。
いや、これも何かの気のせいか?
道介の目の前にあるのはブースという岩礁と人の流れという波だった。
波は何度も岩礁を叩き付け、その度に引き戻り、そしてまた岩礁に勢いよくぶつかっていった。
道介も一所にいるのが難しく、波に身をさらわれて、そこの一カ所に留まれなかった。
道介は波のまにまににその全身を浮かべていたが、水の波とは違って、いくら波にさらわれても呼吸はできた。しかしその空気は生き物臭く、到底ここには長居できないな、と道介は思った。
なおも道介は人波に溺れ、どこかのブースにしがみついて自分の現在地を確かめようとしたが、上手くいかず、その人波のつきるところ、出入り口まで押し流されていた。
ここは浜辺といってよかった。
人の出入りも静かに少数だけ行われ、InterBEEの非日常の世界と日常の世界の間の緩衝材としての役割をちゃんと果たしていた。
すぐ横をみると、喫煙所になっていた。
喫煙所といっても、赤いバケツが一つ置いてあるだけだった。休憩中と思われるスーツの男がすぱすぱと急いで煙草をふかしていた。
道介は酔い覚ましに深呼吸をした。まだちょっと足下がふらつく。立っているだけでもちょっと辛い。道介もスーツを着ているから、そこら辺にべたりと座り込む訳にはいかない。
道介は男が煙草を吸い終わって会場内に戻るのを見た。それに従って歩みを進めていけば、人波に流されることはないだろうと、道介は男の後をつけた。
男は会場内の通路を真っ直ぐ行った。が、道介にはその真っ直ぐができなかった。
いくつもの波の渦巻きにさらわれ、男を見失うまではそれほど時間はかからなかった。
目標を失うと、道介はとにかくどこでもいいからブースに駆け込んだ。
そこはある大手映像モニタのブースだった。
九インチほどのモニタを並べてミツバチが受粉している姿の映像を流していた。
プロユースのモニタは結構小さいんだな、と道介は思った。
そういえば局の編集室ってモニタだらけだったな。確かにあの様子がじゃ、大型モニタは却って仕事に邪魔になる、そう道介は推察した。
道介は映像に関しては素人だった。その素人の道介が見ても、モニタの映像は美しく、高精細で発色が良く、緻密な描写ができていた。
道介の自宅のテレビの映像とは比較にならないほど美しかった。
これが本来の映像なのか、と道介は驚いた。
このモニタは素材の編集に使われるものであろう。と言う事は、もっとも素材に近い生の映像であると予想できた。
それから実際の編集に入り、ダビングを重ねて完パケて、電波に変調されてやっと自宅のテレビにその映像が届くのである。その間に映像が劣化するのは当然だ。
そのとき道介ははじめてプロユースの映像を見た。それはトリニトロン管よりも、映画の画面よりも美しかった。
まあ、これだけの技術があれば、音声の編集室の仕事も「ついでにやっておきます」ぐらいの事は言えそうだ、と道介は思った。
映像は数十MHz帯の信号を扱う。オーディオはせいぜい数十kHz程度、人によっては「1MHzまではオーディオ帯域だ」と言うが、その技術力の差は歴然としていた。
音の良し悪しという点において、その「良い音」の定義が「音を変化させない・入力された音になるべく忠実に」「所謂『色味』を追加しない、性能の良い音」を追求すれば、映像機器のエンジニアにとっては、それは造作のない事であろう。なんせ扱う信号の帯域が違いすぎる。
負けた。完全に負けた。
通りで音楽専門のメーカが衰退する訳だ。だって、映像屋が造った「ついでのスタジオ」で充分な性能が発揮できるのだから。
道介は自分の将来に暗澹たる不安を覚えた。世はデジタル全盛期を迎えようとしている。その僅かに残ったアナログオーディオの範疇は映像屋の片手間の仕事で片付けられてしまう。ではアナログオーディオ専門の業者は? そう、淘汰されるのだ。
道介は認めたくなかったが、事実は事実である。道介はその泥船に乗っているのだ。
その泥船に乗っているという認識は以前から持っていた。そこから逃げ出すために、このInterBEEの会場で自分を売り込みに来たんじゃないか。その初心を忘れるところだった。 道介は漂着したそのブースで説明員を捕まえて質問してみた。
「あの、映像の事は素人なんですけど、これぐらいの大きさのモニタも需要があるんですか」と九インチぐらいのモニタを示して訊いた。
「ええ。編集室はそれほど大きくありませんし、中継車ともなると場所の制約が大きいですから。コンパクトサイズのモニタの需要はかなりあるんですよ」
「そうなると音声用のスピーカもすぐ隣にきませんか? そうなるとみんな防磁してあるんですか?」
「ええ。みんなシールドしてあります。なんせ現場では場所の制限が非常に厳しいときもありますから、モニタのすぐ隣にスピーカを置くこともあるんです。ですから防磁シールドは必須なんです」
モニタはまだ蜂が花々の間を飛び回る映像が流れていた。
道介は自分をその蜂になぞらえてみた。
蜂は花から蜜を吸い取る代わりに雄蕊から花粉をその手足につけて、次の花の雌蕊に受粉させる。
道介は各社のブースからカタログを集めて、その膨大な資料を作り、いつか来るシステム設計の資料としてその全てを頭の中に叩き込まねばならない――いや、蜂の行動の方がより生産的に思えてきた。
蜂の行動には一切の無駄がない。加えて生命活動の一端を担っている。これが大自然が設計した生命の営みの正体である。
が、道介伸している事は、単にカタログの蒐集だ。その一枚一枚には各社の技術と知恵が詰め込まれた製品たちの紹介状、と言っても良かった。だが、その全てがシステム設計の際に採用される訳ではない。どちらかと言えば不採用になる機材のほうが多いのだ。
道介の場合、その多くが徒労に終わるのだが、蜂はどうもそうではないらしかった。
蜂は自由闊達に野原を飛び回り、その栄養の供給源たる花から栄養分を取りながら、その花の受粉を担っている。が、道介が担っているのは当たるか外れるか分かったものではない紙資料の蒐集だ。
こんな非効率な仕事に精を出しても将来の自分の身にならないのは自明だった。
蜂は生命の営みに欠かせない存在だが、道介はいてもいなくても大して変わらない。
その無駄な営為が道介を不安にさせ、より一層疲れを感じさせた。
無駄な作業ほど人を苦しめるものはない。
例えば、古代の奴隷の拷問方法に次のようなものがある。
奴隷の右側にレンガが積まれている。それを左側に積み直させる。
それが終わると左側のレンガをまた右側にレンガを積み直させる。
これを繰り返すと奴隷は気が狂うのだそうである。
道介は自分のカタログ蒐集が蜂の営為と言うより奴隷への拷問のように感じだした。
とは言えこれもまた仕事の一環なのだから、やれと言われればやるまでだ。
道介は蜂に憧憬を持った。
蜂は確実にその行動に意味を持ち合わせていたが、今の道介の行動にはその意味を見出せなかった。
どうせIntereBEEが終われば、そのカタログをファイリングして先輩社員に差し出し、先輩社員が一瞥して終わるだけだ。昨年の経験からしても、そうなる事はほぼ確実だった。
それならせめてもの抵抗として、映像関連機器のブースからより多くカタログをもらってくるなり、オカルトオーディオのカタログばかりを蒐集するなりしてやろうかとも思った。
しかしそこは道介も大人である。子供じみたまねをするのは憚られた。
モニタに映る蜂の映像を眺めると、その羽音まで聞こえてきそうなほど臨場感があった。自宅のテレビで見る映像とは異次元の精細さと密度があった。
道介は知らなかったが、この映像の「原音」はここまで美しく、木目細かで、精密なものだとは知らなかったのだ。
IntereBEEの趣旨に沿えば「映像と音の総合展示会」なのだから音しか見ないのは片手落ちに等しい。
道介にとって映像の世界は全く未知だった。そのため、後学のためにも映像関連のブースも見て回る事にした。これは本来上長からいわれた「カタログを集めてこい」という指示には反するのだが、そんなことは知った事か。オーディオ関連のブースはもう既にあらかた廻った。これ移行は自分のために時間を使わせてもらう事にした。
映像の世界は音の世界と違って、ダイレクトに突き刺さる展示が多かった。それもそうである。聴覚より視覚の方が情報量が多いのだ。加えて音の展示の場合、会場の喧噪の中での倹聴となるため、公正にその機材の良し悪しの判断がし辛いのだ。
だが映像は見た目そのままが評価対象となる。これは残酷でもあるが馬鹿正直な評価を下せる。一切の誤魔化しが効かないシビアな世界なのだ。音の世界であれば有名人の誰々が高く評価した、誰々が使っている等、その音の評価を他人に任せて、その評価をまるで自分が下しように吹聴する人もかなり多いのだが、映像の世界ではそれはほぼないように道介には見受けられた。
正に蜂の一刺しでその製品の評価・メーカの評価が決まってしまうのだ。
道介は「良い音を売る」というのが如何に難しい事かと呻吟した。
映像と同様、その展示会場の展示ブースでその音を聴けるのだが、そこはスタジオの静謐な空間での倹聴とは違い、お祭り騒ぎの中での評価となる。そんな中での評価など当てにならない。評価などできやしないのだ。
そのために「デモ機」といってお試し使用専門の貸し出し用の在庫もあるのだが、そのデモ機の貸し出しに至るまでの道のりは案外遠い。通常、デモ機は故障品の修理期間の代替機として使われるのが現実だ。購入を検討するために純粋にその機材の使用感と音の評価をする場合は殆どない。
だから道介の会社のような音専門の会社の展示の場合、既存の顧客に「元気にやってますよ」という姿勢を見せるに留まることが多い。満を持しての新製品の展示というのはほぼない。少なくとも道介の会社の場合はそうだった。
これは各社新製品開発競争が起きていないという事でもある。これは音に特化した製品はほぼ飽和状態であるのが原因ともいえ、あとは奇を衒ったオカルトオーディオのいかがわしい「新開発の新製品」ぐらいしかないのだ。
映像製品の場合、このオカルトオーディオに相当する会社は不思議な事に全くなかった。前述の通り、映像技術はオーディオより技術的な困難もあり(オーディオが手軽過ぎるというのもある)そうそう素人の付け入る隙がないから、というのもその一因だろう。
映像関連の会社のブースは理路整然としていた。
良いものは良いし、映像産業の欲する製品が充実していた。その証拠にニッチな需要を満たす小物まで揃っていた。
InterBEEでは音響製品と映像製品を一緒くたにしているが、実はその二つの業界の様相は全く違っていた。
方や無形の「音」というものを取り扱い、方やこれも無形ではあるが、確実に目に見える「映像」を取り扱っている。
映像はその良し悪しや製品の使い勝手・合理性が目で見えて確認できるが、音はそうはいかない。無形で耳でしか確認できないのである。聴覚に頼った物事の良し悪しをはっきりと断言できるだけの人があまりいないのだ。これは人間の五感のが感ずる情報の多くが視覚に頼っているのに起因していると予想される。要するに本当に音に目敏い人は少ないのだ。
ここにオカルトオーディオの付け入る隙ができる。
それは市場の活性化を促すものではなく、音の業界がインチキ臭いものであるとする業界の汚点でしかないのだ。
そういった会社はとっとと潰れて欲しいものだが、音の業界そのものがシュリンクしている現状、そんな事には構ってられない、自社を守るので精一杯なのだ。
ひょっとすると、将来はそういったオカルトオーディオを扱うガレージメーカしか生き残れないのでは? そんな懸念も道介にはあった。
映像の世界はまだ健全である。きっとこれからもそうであるだろう。というのもその技術力が生半可なものでは映像に纏わる製品を作れないからだ。
転職するならやっぱり映像機器の設計をやってる会社かなあ。
道介は不意にそう思った。
そのとき、本日の展示を終了する旨の場内アナウンスが流れた。
え? もうこんな時間?
道介は訝しんだが時計を見ると午後五時半を少し廻っていた。
道介は今時分が会場内のどこにいるのかを見失っているのに気付いた。
自社のブースはどこだ?
道介は出入り口に向かう人々の流れに逆らって会場内を右往左往した。
会場内の雰囲気が一変したブロックがあった。ここからが音を主に扱うブースの群れだった。その雰囲気の違いは工業製品を真面目に扱う雰囲気と、多少の猥雑さを持った魑魅魍魎の気配を醸し出す雰囲気との違いだった。 道介は何とか自社のブースに戻った。
先輩社員たちは道介の遅刻に苛立っていた。しかし、道介が小脇に抱えたカタログの束を目にして道介に何か小言を言う者はいなかった。
道介はまだ夢の中にいるような気分が抜け出せないでいた。地に足が付かない、不思議な浮遊感と高揚感があった。その原因は分からないが、とにかく普段の自分とは違う自分になったように思われた。
その後、すぐ解散となった。
明日は最終日である。ほぼ間違いなく来場者が増えるであろう。
だが道介にはそんな事はどうでも良かった。
この高揚感は一体何なんだ?
道介は自問したが答えは見付からなかった。
×
道介は朝が来たので目覚める事にした。
と言う事は夕べはちゃんと眠れていたらしい。
この二日間、IntereBEEの慣れない立ち仕事で、体も頭も妙に冴え渡っていた。
かといって仕事の効率が上がった訳でもなかった。
この全能感はほんの一時の錯覚、あるいは妄想。そう考えるのが妥当だった。
きょうでInterBEEも三日目の最終日。この非日常ともおさらばする日だ。
その最終日は金曜日だった。だから土日を挟んで休暇を取り(もちろん緊急メンテの仕事が入らなければの話だが)、通常業務へとクールダウンするには丁度良かった。
道介が海浜幕張駅に着くと、昨日までのコンクリートの景色はその灰色の姿のまま広葉樹の連なりに変貌していた。
昨日まではそれらしい景色ではなかったのだが、流石最終日何があってもおかしくはなかった。
道介は自社ブースに既に先輩社員がいるのを見付けた。経理の上浦さんだ。今日は最終日と言う事もあり、臨時で手伝いに来てくれていたのだ。先輩社員と言っても年齢は道介より三つ下で、何かと話しやすい相手だった。
「上浦さん、おはようございます」
「あ、おはようございます」
「今日は最終日ですから、来場者も一気に増えますよ」
「ええ。だから私も駆り出されたんです」
「多分、学生さんが来ますから、カタログ配布の対応、お願いします」
「分かってますって! そのための応援でうから。道介さんこそ、商品説明、ちゃんとしてくださいよ」
「もうこの二日間で慣れたよ」
「それもそうでしたか」
上浦さんは華奢な体で総合カタログの束を受付のテーブルの中の段にぎっしり詰め込んでいった。
その後、社員たちが集まって開場の時刻となった。
去年と同じように、朝から学生がわらわらと入場してきた。
どうして学生がInterBEEに来場するのかというと、音響関連の専門学校の授業の一環としてInterBEEの来場が決められているからだ。ブースを出している側としては「未来のお客さん」なのである。だから学生だからといって軽んじたり相手にしない、という事はない。こういった第一印象が後のビジネスへの糸口になったりするのだ。
学生たちは当然のように若くて貧相だった。それなりにお洒落はしているようだが、どうもちぐはぐな服装をしている者が多い。
まあ、音楽業界を志すぐらいだから、服装なんてのは素っ裸でない限りは誰も咎めはしないのだから何も問題ない。
要はどうやって学生たちに自社を教え込みインパクトを与えられるかが今日の仕事だ。
昨日までにカタログ蒐集はほぼ終わらせた。今日一日は自社ブースで説明員に徹することになる。
何故かその学生を除いたとしても、最終日は混み合うのだ。
手始めに来たのは緑色のティーシャツに髪をメッシュに染めた若い男と、その連れの若い女だった。
まあ、いかにも専門学校生といった出で立ちの二人連れだ。
その二人は所在なげに道介のいるブースの前を行ったり来たりし、どうして良いか分からない風だった。
「音、聴いてみます?」
道介の方から声を掛けてみた。
「あ、え、いいんですか」
男はどうも遠慮していたらしい。
「もちろんですよ。分かり易いところでエフェクタいじってみますか」
そう道介に促されて二人はラックマウントのエフェクタの展示台の前へ移動した。
道介がアシダボックスのヘッドフォンを男に渡した。男はすんなりとヘッドホンを掛けた。
音源はCDなのだが何が入っているのか道介は知らなかった。この二日間でほぼ自社ブースにいなかった道介は、どこに何があるのかは分かっていたが、CDプレーヤに何が入っているかまでは把握していなかった。
男の様子とヘッドフォンから漏れ聞こえる音から察するにボーカルもののポップスの要だった。
男はコンプのツマミをあれこれゆっくり動かし、その係具合を確認しているようだった。
このときになって初めて道介は失敗したと思った。
完パケ全体に掛けるエフェクタなんて、まずない。ここはどこかのスタジオに協力してもらて、ボーカルものならボーカルチャンネルのみの、ピアノだったらピアノのみの音源を用意すべきだったのだ。
後悔したがもう遅い。こちらの不手際で実際の現場ではあり得ない使い方を提示してしまったのだ。これでは納得のいく試聴ができる筈がない。
男は無表情に小首を傾げた。
それもそうだ。CD音源にエフェクタを掛けているのだ。そんなエフェクタの使い方は、現場も授業でもやる訳がない。
男はその隣でずっと付き添っていた女にヘッドフォンを渡した。今度は女が試聴する番だ。
男のセッティングが気に入ったのか、女はあまりエディットしなかった。その代わり、見る見る顔色が青ざめていった。どうも気に食わないらしいことはすぐ分かった。
女はすぐにヘッドフォンを外して道介に返した。
二人揃って「ありがとうございました」といってブースを離れていった。
ちょっと待てよ、そんなに音が悪かったか?
道介は男の残したセッティングのままで音を聴いてみた。
ヘッドフォンを被ると、それはもうどうにもならないほどに潰れた音がした。ハイ落ちしてそもそも音域が狭いしコンプの潰れ方も極端過ぎて聴けたもんじゃなかった。
こりゃ駄目だ。
道介はエフェクタのエディットをし始めた。EQも抑えめにして、コンプはほんのかかってるかかかってないか程度、他のエフェクタも同様にごく控えめなセッティングにした。
結果、何もエフェクタを掛けていない状態が一番音が良かった。
それはそうだ。そうなるようにちゃんとTDしたCD音源なのだ。これ以上何らかのエフェクタをかける必要のない、ちゃんとした音源だったのだ。
しまった。失敗した。
これでは自社製品のアピールにはならない。しかし、もうInterBEEも三日目の最終日だ。
取り返そうにも取り返しが付かない。
不思議なのは先輩社員たちも全員その動作チェックをしているはずだったのだが、誰一人として疑義をもうしたてなかったのだ。
みなこれで良いと判断したのか?
これで良い訳がないじゃないか。
道介は自分の犯した失敗に気付いてその対応策を練ろうとしたが策が思い付かない。
そこで気が付いた。
展示用のCDプレーヤは珍しい事に連装式のCDプレーヤだ。実際に道介が仕事で倹聴用に使っているものだ。
確かその中にエリック・サティのピアノ全集から一枚だけ放り込んでおいた記憶がある。
道介はCDプレーヤに装填されたCDを検めた。 あった。確かにピアノソロのCDが一枚だけあった。
道介はCDの順番を入れ替えて、ピアノソロ以外のCDを引き抜いた。
これで大恥をかかなくて済む。
しかしピアノソロだけあってリバーブがかかっているのが気になった。しかし、他のCDはポップスであったり、バンドものであったりと、エフェクタ単体での倹聴には向かないと思われるものばかりだった。
止むなし。これで行こう。
そうこうしているうちに、次々と来客する。
先輩社員が慌ててアテンドする。
昨日一昨日とは違い、まだ午前中だというのに大勢の人がInterBEEに訪れていた。
加えて学生。彼らもまた授業の一環として来場しているだけあって、それなりの数がいた。
群衆の匂いは灰色の匂いがした。
話し声よりもその雑踏の音が上回った。
道介はこれが東京の一側面を現しているとさえ思った。
実際の幕張メッセはその名前の通り千葉県幕張にある。が、この催事場は東京そのものの香りがした。
行き交う人々はみな他人で、無言こそ正義と言っていい秩序を作っていた。その風景は道介に安堵の感を与えた。というのも、それは道介にとっての原風景に非常に近かったからだ。
木々もない。それどころか緑が極端に少ない。その景色はその色や匂いを伴って道介の周囲に広がっていた。
その道介の環境は道介を無言にさせてた。
そう。喋る必要がないのでる。
来場者が道介のいる会社のブースに来ても、押しつけがましく「いかがですか?」なんて教育のなってない接客係のような真似はしない。訊かれたら答える。そのスタンスでいた。下手に話しかけられ本来の客に引かれてしまっては元の木阿弥だ。
会場内は昨日までとは打って変わってスーツ以外の服装の来場者が増えた。これは件の学生たちが授業の一環として来ているのは一目瞭然だった。それほど学生の数は多かった。
学生たちは大体手ぶらで来る。カタログを手にする者はほぼいない。その点からすると、真摯に機材と向き合っていると言うより、授業の単位のために渋々やって来た。そんな風だ。
しかし来場してしまっている以上、出展社側からすれば客は客だ。
若いから・授業で無理に来ているからと言って無下にはできない。
いずれ彼らも就職し、現場に務め、その多くはこの業界の悪風に嫌気が差して転職するのだろうが、そのうちの何割か、数パーセントは生き残っていくのだ。その生き残りの学生のために今、売り込んでいるのだ。
道介は自分の話術や説得術に自信がなかった。
大学ではひたすら勉強したのだが、それはトランジスタの使い方であり、アーリー電圧がどうとか、コレクタ損失がどうとか言った類いのものばかりであった。
即ち、対人処世術が全く身についていないのだ。
そんな道介だから商品説明は正しく行えたが、それが売り込むような、購買意欲をそそるような喋りにはなっていなかった。
道介は学生の時から開発職を志望していた。それが良いの悪いのか、対人関係の簡単な説得術すら知らないまま過ごしてきたのだ。
つまり、つぶしが効かず、他の職種、例えば営業職には全く不似合いな人間になっていたのだ。
それでも道介は道介なりに商品の説明を続けた。
道介にとってその時間は薄黄色だった。
明るくは振る舞うけれども、本心から明るくなっている訳ではない(そもそも道介は明るい人間ではない)。その無理を感じながら接客していると、視界の隅に何かの幾何学模様が見えてきた。
道介はそんなことにはお構いなく次々と接客していった。さながら実演販売の包丁売りである。
そんな状況は道介には不似合いだったが、InterBEEの最終日は去年も同様、人でごった返していた。
どうも開催日の最終日を金曜日に持ってきているのは、土日のでは会場費が嵩むし、金曜日であれば何かと学生も社会人も都合をつけて休みを取りやすいらしいからだった。
道介のたった二年だが、社会人生活の中では曜日の概念はほぼなかった。納期に向けてあと何日、あと何日でどこぞのスタジオのメンテ、そのための準備にあと何日かかる、と言ったものであって、唯一曜日を意識させる仕事は、コミュニティFMのメンテナンスが月曜日午前二時から午前五時まで、というもののみだった。
だから道介は普段とは違う疲れを感じていた。
人と会い、良く喋り、名刺交換し、商品説明をして、音を聴かせて、挨拶してまた次の来場者のアテンドである。
そもそもスーツを着ての立ち仕事だ。そんなことはエンジニアには要求されない仕事だ。だからその仕事による刺激は道介の五感を麻痺させ、あらぬ頭の興奮を与えた。
体の疲れは入浴してちゃんと睡眠を取れば解消される。しかし、頭の興奮となると、どうすれば良いものやら。昨年はどうしたんだっけ……。記憶は朧気にも立ち上らず、一切の無だった。そんな事を思い出す以前に、次の接客をしなければならない。来場者は次々に攻め込んでくる。流石に列を作るほどではなかったが、昨日一昨日と比べると、その通路にも沢山の人で溢れていた。通路はどこまでも続き、人垣もどこまでも続いていた。
展示してある機材の中には、展示してもその効能を試せないものもあった。代表的なものにマイクプリがあった。
このマイクプリは出力インピーダンスを下げ、一度ラインレベルまで上げて伝送するよう設計されているのだが、こんな狭いブースではその効果は全く実演できないのだ。レコスタの場合、マイクケーブルは数十メートルから百数十メートルの長さを持つが、そこまでのデモをできる筈がない。まあ、この展示は、すでにマイクプリを買ってもらったお客さんに「まだ現行品ですよ」とアピールするためのものに過ぎなかった。しかし、そういうアピールも時としてはメーカには重要なのである。客は自分が購入した製品が廃番になっていない、現行品である事に安心感を覚えるのだ。この安心感の提供はメーカとしての義務とも言える。いわばこれもまたお客さんへの配慮とも言えるのだ。
だから、よっぽどの定番商品でもない限り、できうるだけの商品を、この狭いブースの中に展示しなければならないのだ。それを見せつけるのも、展示品一切を取り仕切る道介の手腕にかかっていた。
この展示ブースの設計も、道介によるものだった。これはその設計規模から、もう立派なシステム設計といって良かった。
全ての機材に音を通し、その音をすぐさま試聴させるように設計するのは、なかなかに困難である。その困難を普段の仕事の合間にこなして展示開始の本番までに仕上げなければならないのだ。緊張感はなかったが、これはこれで頭を使うし面倒な仕事だった。
もしこれが全部直列に繋いで「はい音が出ました」で済めば話は楽なのだが、機材の機能の説明をパラレルに行うという展示会の性質上、そういう訳にはいかなかった。
展示ラックの裏に分配器があり、適宜その音声を振り分けていたのだ。とは言え、分配器にもそのチャネル制限がある。その制限の中でなんとかやりくりして展示ブースの完成となるのだ。
使い方が簡単で思い通りに動かすためには、その裏で綿密で精緻な設計があった上で可能になるのだ。
その設計の実際をしているのは道介一人だったが、エンジニアやスタジオ勤務の経験のある人間であれば、その配置や挙動ですぐに何がどう繋がっているのか、繋がっていないのか、すぐに分かるようになっていた。この展示ブースの設計で一番の難点と言えば、CDプレーヤに繰り返し再生機能がないためにCD全曲の再生が終わったら、また再度、再生ボタンを押さなければならない。それだけだった。
来客は続く。商品説明も続く。名刺交換も続く。とにかく喋りっぱなしだった。
それは道介に得も言われぬ興奮を与えた。
どうにかしてこの興奮を抑えなければ。
道介はそうも思ったが、その術を知らなかった。況んや、むしろその興奮状態のままInterBEE最終日を乗り越えてしまった方が楽なんじゃないかとすら思った。
きのうまでは直線を描いていた通路も、その姿が見えないほど雑踏に揉み踏まれて、その態を示していなかった。
ああ、もう終わりだな。
道介はそうも思った。
道介のいるブースから見える角のブースに人だかりが一層盛り上がっていた。
何をやっているのだろうと気掛かりになったが、こっちには目の前に客がいる。その客をすっぽかしてまで持ち場を離れる訳にはいかない。道介は商品説明をまるでその行為が喜びであるかのように振る舞った。
そういえば道介は誰に言われるでもなく、にこやかに、邪魔にならない程度の説明で、さりげなくヘッドフォンを客に渡す術を身につけていた。驚く事に、この午前中だけで自然とその技量をマスターしていたのだ。
これは営業職ではごく簡単で当たり前の仕事なのだが、技術職の道介には新たな命題であり、未知の技量だった。習うより慣れろ。正にそれを実感した時だった。
道介の会社のブースの展示はエフェクタ等のレコスタ用機材のみならす、コミュニティFM用の機材も展示していた。ブースが狭いため(なんせ一コマ分しか取ってくれなかった)、その二つがごっちゃになった展示になっていた。十六チャンネルのデモ用アナログレコ卓の上に「ON AIR」ランプが点いていたり、展示用のラックにはレコスタ用のエフェクタやマイクプリを詰め込んだかと思うと、その上にはカフが置いてあったりする。
道介の会社のブースは何もかもごちゃごちゃだったのだ。しかもそれを設計したのは道介だ。道介は我ながら酷いもんだと思ったが、これはこれで会社の態を示すのにはかなり正直な展示だった。つまり、道介の会社の製品ラインアップもかなりごちゃごちゃだったのだ。
本来であれば「FM局用」「レコスタ用」にブースを分割して、それなりの応接スペースを設けてちょっとした接客でもしたいところだが、予算をけちってブースは最小単位の一コマだけだし、それに比較して展示したいものは山ほどある。となると自然、ごちゃごちゃに詰め込む事になる。
この展示に先輩社員からも上長からもクレームは来なかった。きっと誰が設計しても、こうなったであろう事が簡単に予測できたからだ。
道介の会社の製品は国産のパーツを使い、国内で日本人が設計し、国内で製造している(しかも設計者自らが調整している!)。
そのため価格は他業者より高くなっている。業界内での評価は「高音質・高価格」だそうである。道介はその「高音質」という褒め言葉のみを受け入れた。
今時の製造業で、手作業で日本人が製造している製品がどれほどあるのだろうか? こと電子製品ともなればそれなりの工場で流れ作業で安い時給の作業員がちまちまと毎日同じ流れ作業を繰り返しているイメージがあるだろう。
が、道介の会社は違った。
製品のアセンブリ自体は国内の協力会社に委託していたが、その最終調整・動作チェックは設計者自らが行っていたのだ。その光景は作業場に十数台の製品を並べて数時間のエージングの後、調整して最終チェックをしてようやく出荷用の段ボール箱に積み込まれるのだ。
これで価格が三十万円をちょっと切る程度。製造業をやった人が見れば分かるだろうが、激安である。
そういった今となっては貴重な純国産電子機器があまりに無造作にびっしりと陳列されているのである。
純国産のありがたみも何もあったもんじゃない。ここにあるのは何でもかんでも詰め込んでしまえ。そして動け! という乱暴な設計思想で立ち現れた展示ブースだった。
だから見た目の良し悪しは二の次三の次で、とにかくここにはこれがありますよ、あれはそっちですよ、と、一見しただけではそうとは分かり辛い見た目になっていた。
しかし、それはそれ、「文句があるならあんたが設計してみろ!」と言えるだけの、できるだけの簡略化と合理性をもったものだったのだ。だからどんなに見た目が煩雑でも先輩社員も上長も文句を言って来なかったのだ。
残念ながら、今の道介に割り振られた仕事の中で、もっともその技量が試されるのがこのIntereBEEでの展示物の配置設計なのである。道介は情けないやら悔しいやら、憤懣やるかたなかった。
しかし、それもまた仕事のうちだ。仕事はきっちりこなす。実績を積まないと次の仕事にありつけない。それはフリーランスだろうが会社員だろうが同じだ。フリーランスと会社員の大きな違いは二つある。時間の自由とボーナスが出るかどうかだ。あとはごく一般的な社会人として同等である。しかし、もし会社の業績が悪くなって真っ先に切られるのはフリーランスだ。これはその技術力や処世術の問題ではない。組織がどのように機能してどのような結果を求めるかの話である。
その一点においては道介は優遇されていると見て良かった。
その優遇の結論がこの何でもありのがちゃがちゃした展示ブースなのである。
こんなものでオーケーが出るのだから、うちの会社もいい加減なもんだな、と道介は自嘲した。しかし、そのいい加減なものに精魂つぎ込んだのも事実だ。道介はそのブースに批判の誹りがあれば真っ向対決するだけの自身はあった。
この予算とこの物量で(不細工だが)ここまでまとめ上げたのは、確かに立派だ。
しかし、昨日までの他のブースを見る限りでは、ここまで物を詰め込んだブースは道介の会社のみだった。
他のブースは少なくともブース内に足を踏み入れられたし、中には商談用の小さなソファを置いたところもあった。
他のブースは少なくとも「商談の機会獲得」を目指した展示をしていたが、道介の会社は「何でもありまっせ」と言っている展示だった。あまりにも雑多すぎたのだ。
本来であれば毎年このInterBEEの時期に合わせて新製品を開発し、それをメインの展示にしてその関連機材をちょこっと紹介するのがシンプルでスマートな方法である。
が、道介の会社の場合、展示会に合わせた製品開発などしていない。
というのも、道介の会社の得意とするところはアナログオーディオの一点ものの特注品だったためだ。そういう注文は展示会に合わせて入ってくるものではない。中には一度写真に撮られて実物は注文先にある物のみ、なんて言うものが多かった。
そもそも会社の方針上、これといった目玉商品もほぼなく、その場その場の作り物で糊口を凌いでいた。そうも言い換えられた。
しかし受注元のリクエストを満たすためには市販の製品の組み合わせのみでクリアできる場合は殆どなかった。だから自分たちがシステム設計のために使いやすい機材を用意し、レギュラー商品としてラインアップしていたのだ。
だから、一見の学生さんが来ても「これは何をする機械ですか」と問われる事もしばしばあった。
そんなとき、道介はまず「システム設計」という仕事もあるんです、と説明した。
大抵は何のことか分からない、という顔をされるか、おれには関係ねーや、という顔をされる。
要するに実際のエンジニアの触るものではないと分かるとそっぽを向かれるのだ。
まあ、そりゃそうだろうな。でも、そこもまた音声パスなんだ。実際の出音に関わるところなんだけどなあ。
道介はそう思うのみに留め、学生には学生の興味を惹きそうな機材を薦めてみたりもした。
大抵の学生は授業の一環で仕方なく来ているだけなので、積極的に機材の良し悪し、音の良し悪しにはそれほど敏感ではなかった。
この学生たちの中で、今後実際に自分のスタジオを持つ事になるのはほんの一人か二人いれば良い方だろう。大抵の学生はそのスタジオに常設の機材で音作りするのだから、スタジオ内配線に関わる機材や、システム設計に関する事は無頓着だった。
良い音がするのは当たり前。そこでどう音を料理するかが自分たちの仕事。
そう割り切っているようだった。
そういう学生の中にも積極的に食いついてくる人物もいた。
道介はそういう学生来場者にはすぐ音を聴かせた。学生は喜んでツマミをまわし、ボタンを押して音の変化を楽しんだ。
「こうやって音を作っていたんですね」
「ええ。そうですよ」
「アナログにはアナログなりの操作感があって楽しいですね」
「そうですか」
「正にここに音が立ち上がっている、っていう感覚がダイレクトに伝わってきて、いいもんですね」
「昔はみなそうだったんですよ」
「そうだったそうですね。カタログいただけますか」
「はい、受付でどうぞ」
要するにその学生は未だにアナログの機材を作っている道介の会社に興味を持ったに過ぎなかったのだ。
もはやアナログの時代は過ぎていた。
未だにアナログの機材が活躍するのは、「本物の当時の音」を求める老練のエンジニアだけだった。
今は大抵の機材のプラグインが発売されている。今時はそのプラグインを使う方が利便であり現実的なのだ。今はデジタルオーディオで一環してPC上で音楽が製作されている。そこにわざわざアナログの機材を通したい、という需要はないのだ。
となると、アナログの機材の需要はそういった古いタイプのエンジニアか、敢えてレトロ趣味を暴露する若者たちという事になる。
それで本当に食っていけるのだろうか?
その答えは道介はすぐに結論が出た。
しかし、恐ろしくてその答えを頭の中に思い描くのは憚られた。
いっそ、プラグインを書く勉強でもした方がいいかなあ。
そうも道介は思った。いや、それが現実的なのだが、普段の道介の職務や就労時間をお考えると、休息は入浴と仮眠を取るだけで精一杯だった。そんな自分の将来のための投資の勉強をしている時間はなかった。
しかし、そういう言い訳をしていると、今に痛い目に遭うんじゃなかろうか、という危惧は常に持っていた。
仕事は忙しい。休みもろくに取れないほど忙しい。が、自己投資する時間もないようでは自分のエンジニアとしての価値も上がらない。
そのジレンマを誰に相談すれば良いのか、道介は知らなかった。
それは少なくとも社外の人間でなければいけなかった。
そのためにこのInterBEEで他社に顔を売っておく積もりだったのだが、実際に自分自身を売り込むためのプレゼンは結局、上手くいかなかった。ここでまた道介の理系の悪いところが露呈したのだ。
後悔したところでもう既に遅い。時間は待ってはくれないのだ。
今日一日は恐らく道介は自社のブースに貼り付きっぱなしになり、他社のブースを見て回る機会はないだろう。
しまった。今年の転職のチャンスを逃してしまった。
しかし「最低でも三年は同じ職場」という世間の風潮は確かにあった。だがしかし、これからの一年間で道介は転職のチャンスを見付けられるかどうか、自信が持てなかった。
というのもせっかくのInterBEEの二日間でどこからも手応えがなかったなからだ。
道介は焦燥感の次、諦念感に襲われた。しかし、その心の動揺は来場者の対応に追われる、という形で紛らわされてしまった。
仕事で忙殺されるというのは、実は悪い事なのである。
どんな職種であれ、仕事に割り当てられる時間は八時間が鉄則だ。
その八時間の全てを仕事の作業に割り当てるのではなく、そのうちの一割二割の時間は仕事のための自分のスキルの研鑽に割り当てるのが理想である。
そうでなければ唯の「マニュアル通りにやりました」の工場の流れ作業員となんら変わりないからである。
道介の場合はその流れ作業にもできず、かといってマニュアルにはない適切な判断行動とが求められる職種だった。
給与は良い方である。が、その給与の殆どが時間外勤務・残業代で占められいるのが事実だった。
下手に金が良いだけあって、ややもすると転職の意欲が削がれそうになるのだが、社内の様子や製品のラインアップを鑑みるに、そうそう長く、少なくとも道介が定年するまで会社が存続するとは思われなかった。
だったらやはり早々に転職しないと、いつまでこのアナログ回路でできた泥船が沈み始めるかも知れない……その危惧は棄てきれなかった。
そういえば先輩社員たちの姿が見当たらない。
何事かと思ったが、客も減っていた。
時計は午後十二時十六分だった。
なんだ昼食時か。
道介は律儀に受付カウンターにいる上浦さんに声を掛けた。
「もうみんなお昼でしょ。上浦さんも今のうちに食べてくれば」
「大丈夫です。一食ぐらい抜いたってたいしたことありませんし」
そういう殊勝な事を言っているとつけ込まれるぞ、と道介は内心で思った。
「そういう訳にはいかないでしょ。受付業務は僕がやっておくから、今のうちにぱっと食べておいでよ」
「道介さんはどうするんですか」
「上浦さんと入れ替わりで昼食摂るよ」
「そうですか。じゃあ、遠慮なく行かせてもらいます」
「行ってらっしゃい」
そう言って道介は上浦さんを送り出した。
これで人払いはできた。
道介は今のうちにと、展示物の配置転換をした。
と言うのも、実際にデモしてみて、ちょっとした改善点を見付けたからである。
こういった咄嗟の行動に出られるのも面倒くさい事を言ってくる先輩社員がいないお陰である。
どうも道介のいる会社の年功序列制度は他社の年功序列値は違い、かなり歪なのだ。
先輩社員より詳しい技術を持っていてはいけない、先輩のミスは後輩である道介が負わなくてはならない、先輩の不得意とする技術は指摘してはならず、黙してそれを完遂しなければならない等々、とにかく制約があり過ぎるのだ。
その時分の道介は知らなかったが、それらは他社ではあり得ない事だった。そのあり得ない事が平然とまかり通る会社だったのだ。
これでは新人の育成なんてできる筈がない。
むしろ新人を採用してはいけない会社なのだ。
まあ、こういった様であるから、先輩社員たちは道介などほっぽり出して昼食に出向き、もしブースに誰もいなくなったら、なんて心配は鼻からしていないのだ。
もし何らかの不手際があれば、社歴最年少の道介に責がある。そういう風潮が蔓延る社風なのだ。
これがサラリーマンの辛いところか、と道介は悪い方に勘違いしていたのも事実だ。
その相乗効果で先輩社員たちは余計に図に乗り、道介は日頃から卑屈な態度で先輩社員たちに接するように強制されたのだ。
事業内容的にも、企業風土的にも、この会社に未来はなかったのだ。
こんな昼食時のシフトすらまともに組めないのだから、その実は全て出鱈目で出来上がっているのだ。
道介は疎らになった通路を見た。それは昨日までと同じ景色を見せていた。
通路は基本的に直線を描き、まともなオーディオメーカとも続き、オカルトオーディオのブースとも繋がっていた。更にその先には映像主体の「オーディオはついでにやっておきますから」というメーカとも繋がっていた。
どのブースも同じ通路で繋がってはいたが、その客層のターゲットはまるで違っていた。
その一角で道介はただ黙然と展示機材の配置換えをしていた。
その作業はものの十数分で終わった。
後は上浦さんが戻ってきて店番を交代するのを待つのみだ。
道介は軽く動作チェックをした。
ヘッドフォンから流れてくるピアノは、いつもの音とは違っていた。
ヘッドフォンをしているとは言え、その環境雑音の違いと、心理的な違いで聞き慣れている筈の音も、普段とは違って聞こえた。
はっきり言って、音が悪い。
しかしそうなってしまったのも単純にその理由は推測できたし、他のブースも大して違わないのも推論できた。
しかし、音を売りにする会社が集まってきているのに、その環境の悪さに苦言を呈さないのはなんたる事か、と道介は訝しんだ。
実はみな、音の良し悪しなど気にせず、ブランド名や価格でその価値を決めているのではないか、ともすら予想した。
確かにそういった側面もなきにしもあらずだ。
どこのメーカとは言わないが、アメリカの音楽業界有名人Gのメーカなど、その造りの悪さは道介のいままでのメンテナンスエンジニア人生の中でも最悪に属する出来映えだ。
だがそのメーカは未だに健在で著名ブランドとして名を馳せている。
道介にはそれが不思議でならなかった。
一度でもその内部構造をみてみるがいい。
もし回路技術に詳しくないなら、一枚の基板に十以上の欠点を上げてやる事も道介にはできたのだ。
逆も真なりで、知名度の低いメーカはいつまで経ってもガレージメーカの域を出ないまま燻り続けるのである。
その打開策は幾つかある。
・とにかく他のメーカでは真似できないほど安くする事。
・業界で一番乗りの技術を採用する事。例えばアシスタントエンジニアにとって便利に作る事。
・業界最大手の機材に追従する事。デジタルオーディオで言えば定番のプラグインを開発する事。
等々……。
現状、これができているメーカは、実はあまりない。かといって大手数社の寡占状態でもなく、ちゃんと自由資本主義社会の標榜する市場の競争原理も働いている。オーディオ業界は意外と健全な業界なのだ。
しかし、淘汰される企業は淘汰される。
それが道介のいる会社のように、時代に取り残された道でなんとか食い扶持を繋ごうとしてる会社だ。そういったメーカは青息吐息
である。まだ社員に退職金を出せる段階で会社を畳むのが最善の策である。しかし、これは世間一般にいえることなのだが、そういった判断をせずにいつまでも操業して取り返しのつかない債務を負うところまで事業を継続する場合が多いのだ。
たちが悪い事に、そういった企業は何だかんだで数年間は持ち堪えてしまうのである。
これが数ヶ月単位の話であれば雇用側も雇用される側も覚悟の上で身の振りようを考える時間が得られるのだが、年単位ともなると、その経営不振を従業員に対して隠蔽したり、あるいは何事もなかったように振る舞ったりするのだ。
そうやって本来機能するべき会社の力、従業員たちの力が他所へ流れ出てしまうのだ。 このInterBEEに出店しているメーカも、その幾つかはそういった企業の筈だ。取り敢えず、道介の会社はそういった危険信号を発しているメーカだった。
外見上は何て事のない、至って普通のプロオーディイオメーカなのだが、その内実はもう腐っていて酷い腐臭を放ち始めているのだ。こういった展示会ではその匂いを誤魔化すために顧客にアピールできるので、悪い意味で都合が良いといえば都合がいい。
そうこうしている間に上浦さんが戻ってきた。
「あれ? 随分早いじゃない」
道介は上浦さんについ言ってしまった。
「あんまり人任せにしない主義なんです」
上浦さんは道介の仕事ぶりを信用していないからそういう方便を使うのか? それとも本音がつい出たのか? まあどちらでもいい。本来なら先輩社員たちが先に帰ってくるのが順番なのだ。上浦さんに余計な気を遣わせてしまう先輩社員たちが腹立たしかった。が、そんな苛々はしょっちゅうなので、すぐに腹の虫は癒えた。
そろそろ来場客が増え始めたころ、先輩社員たちがぞろぞろと戻ってきた。
その頃には道介は商品説明であちこちの来場者たちに笑顔を振りまいていた。
そこから来場者のアテンドを先輩社員たちにも任せ、ようやく一段落となった。が、来場者そのものは午前中よりも多くなったらしく、通路は人でごった返していた。
上浦さんから「道介さん、お昼は?」とメモを見せられた。「夕方ぐらいに行ってきます」と道介はメモで返事をした。
まあ、何となし、今日の昼食は無理かなあ、と昨年の事を思い出した。
通路を行く人を見て道介は勘付いたのだが、明らかに学生よりも社会人――と言っても音楽業界なので私服姿が多かった――が増えていた。
来るなら来い、いつでも誰でも相手してやるよ。
道介はそんな気構えでいた。
何人かのスタジオ関係者と思われる人物たちの相手をして、彼らの共通して言うことは「手元に音が来ているという実感がアナログオーディオの優位点」という言だった。
なるほど、言われてみれば確かにデジタルオーディオでは当然、PCでの作業となる。が、アナログオーディオではそのボリウム、そのフェーダーに直接音声信号を通している。
彼らの言う「手元に音が来ている」というのも、まんざらものの例えとはいえない。恐らく彼らは直感的にその言葉を用いたのであろうが、エンジニア目線で言うと、全くその通りだ。
良し悪しは別にして、アナログコンソール内部の音声パスは、結構長い。その長さが長ければ長いほど通過素子数も多いという事になる。つまり、音質劣化の原因ともなり得る訳だ。しかし、現実的にはアナログコンソールしかなかった時代、その音質については問題にならなかったという過去の実績がある。
結果論であるが、プロオーディオの世界ではアナログ時代でも音質に問題がなかった、という訳である。
そうなってくると、デジタルに移行するメリットがないかのように思われるが、それには幾つかのメリットがある。
第一に音質の保証がある。
CDの場合だと、最終的に44.2kHz16bitにコンバートされるのだが、実際の録音ではそれ以上のスペックで録音が可能である。来るべきハイレゾ音源にも対応できるのだ。
第二にコストの面である。
ご存じの通り、デジタルものは、その年その月毎に高性能化・低価格化・小型化が進む。旧来のアナログコンソールを中心としたスタジオがノートPC一台で再現可能になる可能性を秘めている(既に実現できている)のだ。
第三にクリエイター側に時間の猶予ができる。
レコスタは基本的に時間当たりいくらの使用料でコストが決まる。
昔であれば(それこそアナログシンセ全盛期の一九八〇年代では)まず音決めをするのに時間がかかった。即ち、音決めの試行錯誤の時間がかかると、それだけ音源の制作費もかかった訳だ。そのコストは一時間当たり数万円が相場だった。それでは結局制作費が嵩んでしまう。「スタジオで新規の音作りをするな」といわれてもう十数年経つが、それはつまりコストの面からの問題である。
これがデジタル化された場合、DTMであればいくらでも音決めに時間を割ける訳だ(もっとも、締め切りという時間のコストは依然として残るが)。結果的には締め切りさえ守れれば、時間的な問題は解消するのである。
第四に全製作コストの削減の問題だ。
DTM中心に音源を制作するのであれば打ち込み中心となるのでミュージシャンを雇う必要がない。加えてDTMではリテイクが存在しないため、いくらでも譜面段階からのやり直しがきく。結局、PCに譜面を打ち込んでいった方がコスト面では優位なのだ(それでも手弾きの魅力はあるのだが)。
総括すると、デジタル化してDTM中心の作業にすれば、時間的・金銭的コストの削減ができ、クリエイター側にも時間の猶予が齎されるのだ。
これはディレクターサイド、つまりレコード会社というサラリーマン的視点に立てば良い事ずくめなのだ。
結局は商業音楽をやる以上、他業種と同様、コスト管理・コスト感覚は必須なのだ。
そういった懐事情もあって、デジタル化は音楽業界を一変させてしまったのだ。
例えばコマーシャル音楽のTDの場合、空いているスタジオにノートPCを持ち込んで、結局アナログコンソールもスタジオ常設のエフェクタも使わずに作業終了、なんてこともある。
だからもう既にアナログの時代は終わっており、後は細々と衰退して行くのを見守るばかりの状況なのだ。
不思議な事に本来の音そのものはアナログ量でありながら、結局コストの面でデジタル化が進んでしまったのだ。これはエンジニアとしては至極当然と言わねばならないが、一個人の音楽好きとしては奇妙な状況だった。しかもその本来であるべきアナログオーディオが死滅しかかっているのだ。
もう本当に音の世界でアナログなのはマイクとスピーカだけになってしまうのだ。そういう危機感、いや現実を目の当たりにしてメーカとして何ができるか、もう決まったも同然なのだ。前述の三つの行動のどれか、あるいは複数を選ぶしかない。もしそれができないのであれば、その会社は早めに解散した方が良い、いや、いずれ近いうちに結果、解散となるのだ。
翻って道介の会社の場合、どうも前述の三択を選ぶ風はなかった。だが解散の気配もなかった。事業を縮小しようにもこれ以上の種縮小はできないほどの員数だったし(全員で七名!)これからどうやって食い繋ごうと戦略を立てているのかが道介には知らされていなかった。
道介は接客をこなしつつ客層を眺めていった。
道介の会社のブースに寄るのは、明らかにベテランと言っていい年齢の客が多かった。
時折若い学生も寄り付きはしたが、それはどちらかと言うと、アナログオーディオの物珍しさ、かつての遺物を眺め納めるためのようだった。
学生がエフェクタを触るのを眺めると、明らかにその操作する指が不慣れなのが見て取れた。彼らはマウスとキーボードで音楽を作る世代なのだ。そうなっても仕方あるまい。
逆にベテランの客は既にその操作とどこまでが実用範囲の設定なのかを知っているので、学生のような無茶なセッティングはしなかった。
そんな些細な所作でも、もう既にジェネレーションギャップが産まれていたのだ。
午後三時を廻った。客足も一段落ついた。
「ちょっと昼飯行ってからカタログ集めしてきます」
道介は先輩社員たちにそう言って自社ブースを離れた。
幕張メッセの食事処は、駅前のレストランビルしかなかった。
道介は選ぶでもなくとんかつ屋で遅い昼食を摂った。
それにしてもたかが昼食に千六百円近くもするのは仕方ないとは言え、幕張メッセの会場側も、出展者割引を用意しておいてくれればとは思った。
昼食時をとっくに過ぎているのに席は埋まっていた。
こういう展示会ならでは、昼食を食べそびれた人々も多かったのだろう。
道介はさっさと食事を済ませてまた展示会の会場に戻った。
その帰りしな、まだカタログをもらっていないブースを廻る事にした。
昨日まのでの二日間でめぼしいところのカタログは大体もらっていたので、あとは道介の会社と同様のガレージメーカ数軒をまわるだけだった。
最初のブースもやはり出店区画一つだけのガレージメーカだった。
展示内容は展示台二つにそれぞれラックマウントの機材二つがあるのみだった。道介の会社の展示とは正反対の、すっきりした展示だった。
展示してあったのはリミッターと変調機だった。
道介は説明員に訊いてみた。
「これ、FM局用の機材ですか」
「ええ。そうです。FM局の最終段用のものになります」
「ですよね。これ自社開発品ですか」
「いえ、アメリカ製です。弊社は輸入代理店なんです」
「ということは日本の電波法にあわせて改造してあると?」
「いえ、特に改造していません。ですが日本の現行法に適合するようにユーザが設定してもらう必要があります。まあ、実際は我々が設定して納品するんですけどね」
「うちの会社もFM局の立ち上げからやってるんです。殆どはコミュニティFMですけど」
「いやあ、実際、県域の局は事実上、新たに開局しませんもんねえ。うちも機材の更新時期を狙っての営業活動になるんですよ」
「お恥ずかしながら、私も局の開設は一度しか経験がないんです。殆どがコミュニティFMのメンテの仕事です。ですが先方の予算的な事もありまして、機材の更新は殆どないですねえ」
「そうなんですよ。FMラジオ業界はもう技術的には枯れてますから、新規の技術というものがないんですよ。あと商品に付加価値をつけるとすれば、耐用性ぐらいしかないんですよね」
「そうなんです。そうなんです。ですからうちの会社も変調機なんかの最終段に近いところの機材は自社開発しないで他の業者さんから買ってきて済ませてるんですよ。それが一番コスト的にも有利ですし、お恥ずかしい限りですが、そこまでのノウハウが自社にないんです」
「そうですか。うちの場合はその逆ですよ。ファイナル段に近いほどノウハウはありますが、それ以前となるとどうにも緻密過ぎて……」
道介はその説明員と名刺交換した。貰った名刺には「エンジニア」の肩書きがあった。案の定、営業マンではなくエンジニアだったか、と思った。
「カタログいただけませんか? 是非御社の機材も採用候補の一つにしたいんで」
「ありがとうございます。ちょっとお待ちくださいね」
説明員は受付カウンターに行き、薄いカタログを持ってきた。
「こちらになります」
「ありがとうございます。もし御社と連絡を取る時はお名刺の電話番号でよいですか」
「ええ。それで大丈夫です。ただ私ではなく営業が出ると思います」
「それじゃあ、また何かありましたらこちらからご連絡します」
「それじゃあ失礼します」
「失礼します」
道介の会社にとって大事な機材を扱うメーカのカタログを貰い損ねていたのだ。
小さいブース・小さい会社とは言えそれなりの能力と実績を持った会社はいくらでもある。それはブースの外観だけでは判断できないのだ。
道介はまた別のブースを見て回った。
そのブースは三駒ほどを占めていた。
簡潔な展示に清潔感があり、NEUMANNに似たマイク、AKGに似たマイク等がぽつりぽつりと展示されていた。
ああ、どこかのパクリメーカか、と道介は内心呆れてしまった。
こうも堂々と、しかもIntereBEEの会場で偽物を展示するとはどういった了見だとも思った。IntereBEE主催側にはやはりそれなりに出展社のチェックをした方が良いと、また思った。
不思議な事に、これだけ立派なブースなのに客は一人も寄り付いていなかった。
なんかあるな。
近づいたところで、たかが展示会の一観覧客でしかない。道介はそのブースで説明員を捕まえて商品の概略を教えて貰った。
有名メーカの看板商品によく似た製品を作るのは何故なのか?
「お客様に安心して選んでいただけるようにしただけです」
それはあまり良い設計方針ではありませんね。
「ですが性能は折り紙付きです。価格もその有名メーカ品より格段に安くなってます」
安かろう悪かろうという言葉がある。このメーカもその一例だろう。
道介は取り敢えず名刺交換してカタログを貰った。こういう毒にまみれた商売もあるものだと知っておくのもまた社会勉強だ。
「ここまで価格が抑えてあると、日本製ではないですよね」
「ええ。海外製です」
「ちなみにどこ製ですか?」
「朝鮮民主主義人民共和国製です」
「え? 朝鮮と言っても韓国製ではないと?」
「はい。北朝鮮製です」
道介はドン引きした。北朝鮮のメーカに自分の名刺を渡した事を後悔した。が、今さら返せ、とも言い辛い。
「ど、どうもありがとうございました」
道介はそそくさとその場を離れた。
そんなメーカもあるものかと道介は疑ったが、事実あるのだから否定しようにも否定できない。やはり出店前の事前調査を開催側にはお願いしたくなった。
道介は通路の人の流れに沿って自社ブースへと向かった。今年のInterBEEももうすぐお終いだ。
今年のInterBEEでの道介の目標は他社への転職の機会を作るための自分の売り出しだった。が、結局失敗してしまった。InterBEEの規模はあまりに多く、その全てのブースに挨拶するのは事実上不可能だったのに、それを無理矢理やろうとしたのが敗因だった。
畜生、転職はまた来年まで持ち越しか。
道介の裡に忸怩たる思いがこみ上げてきたが、それもまた自分がやった事の結果である。大人は自己責任。そういうものなのだ。
通路を自社ブースへ戻っていく途中、道介は人だかりができているのを発見した。
何事かと思って覗き込んでみようとするが人が多すぎてその隙間から何があったのか、見る事すらできない。
そのブースは例の「音が良くなる石」を展示してたブースだった。
そのブースの一角だけが何やら騒然としていた。。決して良い感じのしない、きな臭い陰険で不穏な空気があった。
そのブースを取り巻く人に道介は訊いてみた。
「何かあったんですか?」
「爆発があったみたいですよ」
「爆発? 爆発ですか……」
「よく分かりませんが、他の人がそう言ってました」
会話はそれきりになった。
道介も事の真実を見極めようとそのブースに近づこうとしたが、圧倒的に人が多すぎて前方が見えない。無理に割り入るにはちょっと大人げなさ過ぎた。
しばらくはその人垣の雑踏の中にいた。
そのすぐ後である。
ストレッチャーを引っ張って救命隊員が駆けつけた。
「道を空けてください! 道を空けてください!」
隊員たちの大声に従って人垣が二つに割れた。その間隙をぬってストレッチャーがブースに近づいた。
その一瞬、ブースが見えた。
恐らく血が飛び散ったと思われる赤い飛沫がブースを仕切るパーティションにへばり付いていた。床には人間が少なくとも二人が倒れて仰向けになっていた。
これ、本当に事件じゃないか。
道介はそう思うと一気に緊迫した。
ストレッチャーは合計三台来た。
一台がブースに突っ込み、被害者を運び出すとまた別の一台がブースに突っ込んだ。
ストレッチャーに横たわっていたのは確かに人間だが、その姿を隠すように白いシーツが掛けられていた。その一部一部に血と思われる赤い染みができていた。
被害者は重傷のようである。
三人分のストレッチャーが運び出されると、人垣はその人数を減らしていった。
道介はその間隙をぬって、ブースの様子を見に前へ進んだ。
ブース内は血の海だった。展示物の「音の良くなる石」も、試聴用のヘッドフォンアンプも吹き飛んで、あるべき場所にはなかった。その代わりに誰のものとも分からない血と肉片が飛び散り、あるものは滴り、あるものは血の池を作っていた。
これはよほどの事件だと道介は直感した。
道介はそのブースのワレモコウでできた一輪挿しを思い出した。その一輪挿しがあった場所を中心に、煤も血も飛び散っていた。
あの一輪挿しが本当に爆発したのか?
道介は不思議な感慨に襲われた。
悪徳商法で利益を得るのは気に食わなかったが、実際にこうして事件化すると、その被害者の安否が気にかかった。
まさかとは思うが、道介は自身の悪意ある願望がそのまま実行されたのでは? とすら思った。
普通に考えれば自分が思った通りに物事が進む筈がない。物事は言った通り・行った通りに進むのだ。
しかし、道介はこのオカルトオーディオを一時ではあるが強烈に批判し、忌避したのもまた事実だ。そんな思いも掛けない願望が本当に成就するものだろうか?
しかし事実に目を向けなければならない。
その会社は、真っ当なアナログオーディオを生業にしてきた道介の会社にとって、目の上のたんこぶであり、目障りであり、有害なものだった。
あんな連中と一緒くたにされて堪るか。
それが本音だった。
それが、その悲願が達成されたのだ。
ただ邪魔者がいなくなったのは喜ばしい事の筈だが、そのいなくなった経緯を考えると、素直には喜べなかった。むしろ、誰が何のためにそんな事件を起こしたのかが気にかかった。
道介は空想した。確かにこんなオカルトオーディオは吹き飛んでなくなってしまえ、と思った。思ったのは事実だがまさか現実に「吹き飛んで」しまうと、そのブースにいた人たちを心配をしてしまう。
おれじゃない。おれじゃない。おれじゃない。
道介はそう念じた。その通りである。だが道介が犯行に及んだのではない。
では誰がこんな酷い事を?
その答えはすぐ出てこなかったが、海千山千のオカルトオーディオの世界の事だ。きっと他人に恨みを買う事も沢山してきたのだろう。そのうちの誰か、数年前、十数前の、加害者が忘れた頃に被害者が報復に出たのだろうか?
道介にとって、本物の犯罪を目にするのはこれが初めてだった。その初めての犯罪が白昼堂々、まさか幕張メッセで衆人環視の中で行われるとは思いも寄らなかった。
しかし、道介は一瞬であれ、そうなるのを望んだ。
驚きが半分、残りの半分は悔悟と、してやったりという蔑む気持ちだった。
してやったり? 道介はその自分の思いの発生に我ながら驚きを隠さなかった。
怪我をしたのは気の毒だと思う。しかし、あんたらのやって来た事といったら……。
犯罪まがいである、と続けたかったが、それがなぜか恐ろしくてそうとは思わない事にした。
まもなく警察が現れた。
「ちょっとすいません。失礼しますよ」
青い制服に制帽を被った一団がそのブースへ突っ込んできた。道介は弾き飛ばされた。
すぐさま黄色いテープで非常線が張られた。
ブースの中が見えないよう青いビニールシートで覆われた。
その一連の動作はあっという間だった。
そのオカルトオーディオのあった一区画だけ、いやに緊張感が高く、きな臭い雰囲気を醸していたが、その隣のブースはまだInterBEEの最終日の疲れと名残惜しさでのんびりとしていた。
搬送された三人の安否は道介は知らない。
それはともかく、オカルトオーディオの一隅が潰されたのは道介にとって爽快だった。
爽快? あれだけの被害者を出しながら?
道介は自分の心の裡にあるものがどうしてそのような動きになるのか分からなかったが、確かに道介はその犯行を肯定する思いがあった。
もし、何らかの事情や手段があったならば、自分も同じ事をしたのではないか?
道介は自問自答した。答えはイエスだ。
そういう自分の心理を誰かに見透かされ、他者が道介の代わりに犯行に及んだとすれば……。その可能性はないに等しいが、こうも上手く物事が進むのが道介には不思議だった。
もし念じれば実現するのであれば、それはあまりにも奇想天外だし現実味に欠けていた。
恐らくオカルトオーディオに手を出すぐらいの連中なのだから、過去に他の詐欺的な商売をしており、その恨みによる犯行とみるのが自然だろう。
捜査員たちはてきぱきと動き回り、そこにあったオカルトオーディオの痕跡を青いビニールシートで隠し去った。近隣のブースは何事もなかったかのように平然としていた。
もうすぐ今年のInterBEEも終わりを迎える。道介の個人的な目標は達成できなかったが、道介の思う嫌悪感を催すブースは一つ消え去った。
それを今年の収穫としていいかどうか、道介は逡巡したが道介なりに正しい答えは見付からなかった。
手榴弾の一輪挿し @wlm6223
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