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  ◆


 「なんか翔ちゃん、逞しくなったね。」

 「そうかなぁ・・・。」

 「自分じゃ気付かないか。はい、水流すよ~。」

 姉の勢いに促されるまま風呂椅子に座らされ、いつの間にかに洗髪が始まっていた。ワシャワシャを髪を掻く指先で、時折少し長めに整えられた爪が頭を甘く引っ掻く感覚がとても気持ち良かった。

 「「懐かしいなぁ。」」

 「あっ!ハモった!」

 「はは、考える事同じだな。」

 「でも、あの頃よりウンと身体大きくなったね。」

 「うん・・・。でも、逆に鈴ねぇは変わんないね。寧ろ大きくなったり小さくなったり。はは・・・。ちょっと羨ましいかも。」


 突然、頭を掻く手の動きが止まった。


 「・・・鈴ねぇ?」

 「・・・気付いてたの!?」

 「・・・え!?」

 「いつから!」

 「えっ、・・・そういえば、いつからだろ・・・。」

 「小っちゃい頃から・・・?」

 「いや、小っちゃい頃じゃない。ただ・・・だいぶ最近かなぁ・・・。」

 「・・・もぉ~!結構頑張って上手く誤魔化してたのに~!」

 背後でジタバタしていた今は自分よりも頭1つ分長身なのが、いきなり上半身ごと背中に飛び掛かって来た。

 「うわ・・・」

 押し付けられる感触に思考が吹き飛ぶ。背中に圧し掛かる重さが風呂椅子に腰掛ける自分の上半身を前後に揺さぶって、まとまりの持てない思考が尚いっそうガラガラと撹拌されていく。

 「ね、ねえちゃん・・・頭グワングワンする・・・!」

 「あぁ、ごめんね・・・。」

 今度は打って変わって全く動きが無くなった。どこかしらで滴った水がタイルに打ち付ける音だけが狭い浴室の中に短く響く。

 動きを止めても尚背中に密着した姉の胸との間に溜まっているらしい、髪から流れ落ちた水が、一度はお湯から冷えたにもかかわらず、再び2人の体温で生温く熱を取り戻している感覚が、恐ろしいまでの障壁となって冷静な思考の為の感覚を邪魔し始めた。


 姉が不意に作った言葉が微かに作り出した自然な身体の揺れすら、なにか大きな動物の口の中に放り込まれたみたいな膨大な感覚となって、否応なく身体が緊張で固まる。

 「ねぇ。お姉ちゃんの事、怖くない?嫌いになったりしない?」

 「・・・。」

 「今まで一生懸命人間の事勉強して、翔ちゃんに元気に育ってほしくて頑張ってきたから・・・。」

 「・・・。」

 「嫌われちゃったら・・・嫌だなぁ・・・。」

 「・・・あのさ、鈴ねぇ。」

 「なぁに?翔ちゃん。」


 もう覚悟はできている。それに、ずっと言いたくて言いたくて、我慢していたのだ。今までの散々の誘惑や隙を見つけたって、姉だからと堪えて来たんだ。今更なんだ。言わせておけば好き放題言いやがって。今度はこっちの番だ。

 しがみ付いてくる腕を剥がして振り返る。目の前に来た裸の美女に、かける言葉なんて、

 「あのさ!好きじゃ無かったら、帰って来なかったから!」

 「へぇ!?」

 「母さんが電話掛けて来た時さ!鈴ねぇが代わって来て、鈴ねぇの声聞かなかったら、俺帰って来てないから!」

 「まっ、まぁ・・・!」

 「こんな可愛い人を嫌いになる訳ないだろ!」

 「・・・えへへ。」

 「それに、怖いで言うなら、風呂に乱入して来ようとする人の方が怖い。」

 「・・・あぁ・・・。」

 目の前で裸の巨乳が崩れ落ちるのを見た。やっと自身の行いを少しは反省してくれただろうか。少し面白い画だが、今はまだ伝えるべき事がある。

 「それに、ただでさえ好きだった人が、自分の命の恩人で、しかも神様だなんて、もうどう言葉で表現したらいいのかわかんねぇよ・・・。」


 言ってやった。のか、結局上手く言えたのかは分からないけど、これが、俺がわざわざこの田舎に帰って来てまで言いたかった事の筈だ。だいぶ時間はかかってしまったし苦労もあったけど、そういうものの結末として、きちんと伝える事ができたと思う。


 「後は・・・後は・・・そうだなぁ・・・」

 「も、もう分かったからっ!大丈夫!トリートメントするからまた鏡の方向いて。」

 「あ!うん、ごめん・・・。」


 ・・・言い過ぎた。

 シャンプーの時に比べて明らかに手の動きがぎこちない。偶に意味もなく止まったり手が離れたりする。

 「ホントに怖くないの?」

 「怖くないって。」

 「いきなりおばあちゃんになっても?」

 「それは怖いかどうかってより、びっくりするし、なんか悲しい。」

 「確かに・・・。」

 「じゃあ、いきなり動物になったら?」

 「えー。ものによるかも。」

 「例えば?」

 「犬猫とかは寧ろ可愛いかも。あとは、熊や猪はちょっと怖いしなぁ。・・・あ、鳥とか。」

 「鳥は私もちょっと嫌。」

 「そうなんだ。」

 一度止まった手がまた調子を戻して来た。しかも今度は少し激しいくらいだ。

 「はい、シャワーかけるよー。」

 「あ、うん。」


 頭を流れ落ちたトリートメント混じりのお湯が鼻の穴を偶に塞いだり、そのまま唇の間を伝って微かに酸っぱい味が口先に乗っかる。こんな所にも実家の味があった事に気付いて少しおかしな感じがする。シャワーのお湯を当てながら髪を梳く指に、自分で洗う時とは違う繊細さを感じる。きっと視界も嗅覚も味覚も、果ては聴覚までシャワーの音と耳に溜まる水で奪われてしまっている今は、鈴ねぇの手の感覚だけが唯一の知り得る情報になってしまっている。

 「鈴ねぇ、なんか俺の髪で遊んでる?」

 「・・・バレちゃった。」

 「もう、変な事しないでよ。」

 「ふふ、もう戻した。ごめんね。」

 「じゃあ、いいや。」

 シャワーが止まって、再び、突然訪れた静寂が白い湯気と一緒に浴室に満たされた。

 「もう目開けて良い?」

 「もうちょっと待って。」

 「うん?わかった。」

 「・・・いいよ。鏡見て。」

 「わかった。」


 目を開く。まつ毛に引っかかっている水を指で拭って、鏡を見た。正直、この浴室の鏡は殆ど使ったことが無い。長い時間をかけてほぼ全面を覆った水垢が浴室の湿気で簡単に曇らせてしまうし、それに引っかかって落ちなくなった水滴まみれの鏡面は、一度シャワーで洗い流したってまたすぐにアメーバみたいなくもりが復活してしまうから、最早見えるのは、物凄くぼやけた、人のシルエットのような裸体の影程度。


 実際今だって見えているのは2人分の人影だけだ。

 1人は、覗いて正面に胸から上辺りを写して真っ直ぐ座っている男性の影、つまり自分と、

 もう一人は、なんだか金色がかった、茶色くて長い物体を背後にゆらゆらと揺らし、頭に長い、耳か角のようなものを生やした、黒髪の女性の影だった。


 「え・・・。」

 「振り返っちゃ、ダメだよ。」

 「・・・。」

 「もう一度聞くよ。」

 「・・・。」

 「ホントに怖くない?」

 「怖くない。」

 「・・・ホントに!?」

 「なんなら振り返ったっていい。」

 「いやぁ・・・、やめとこうよ~。」

 「3つ数えて、振り向くから。」

 「え!?」

 「イヤなら戻っておいて。」

 「あ!そういう感じ!?」

 「い~ち。」

 「う~ん・・・。」

 「に~。」

 「見ていいよ。」

 「・・・いい?」

 「いいよ。」


 なんだかクルクル回っていて馬鹿みたいだ。

 自分の肩に手を置いて軽く張っていた腕が、肩を回し始めたのに合わせて引かれていく。なんのつかえもなくなった身体を、一度大きく深呼吸してから、恐る恐る振り返る・・・。

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