56
◆
「ハァ・・・、なんじゃこりゃァ。」
「あなたは、噛まれた警官さん・・・。」
「そうです。あの時は有難う御座いました。」
「お元気そうで良かったわ。翔ちゃんを助けてくれてありがとう。」
「いいえ、私はなにも・・・。」
正直、こんな有り体な世間話を落ち着いてできるような心持ちではない。目の前で血を吐いている、鯨のように巨大な白蛇に圧倒されている。
「(こんなものに襲われていたのか・・・。鈴さんがやったのか・・・?)」
見るからに瀕死で、最早息継ぎすらままならない様子の大蛇に歩み寄る。
ふと手に握っている拳銃を見てから、ホルスターに仕舞った。こんなに大きな身体に通せるような弾丸ではないし、そもそもコイツにこんな所で暴れられたら何をしたって終わりだ。
「(話せるか・・・?)」
「おい、大蛇。聞こえてるか。」
「(・・・なんだ、人間。)」
返答はテレパシーとして、頭の前のほうに直接響いてきた。なら、こちらも声に出す必要はないか。
「(あんたは、なんであの少年や女性を襲ったんだ。)」
「(ふふ。答える義務などない。)」
・・・まるで前の職場で職務質問をしてた時みたいだ。
「(お前はこのまま死ぬのか。)」
「(私に死という概念は存在しない。私は死にたくても死ねない。)」
「(・・・一先ずそう言う事にしてやる。じゃあ、また回復したらあの人たちを襲うのか。)」
「(奴ら、いや、あの少年が人としての寿命を迎える頃には、まだこの傷は癒えないだろう。)」
「(そうか。なら、一安心かな。)」
「(抜かしおる。)」
一瞬の間に空いた時間は、どこか心地よく、まるで近しい者同士の理解が生む憩いの場が生まれたようにも感じられた。不思議な感じだ。
「(・・・私はもう、土に還る事になるだろう。)」
「(それは、どういう事だ?)」
「(私が私であるというルールはそのままに、私は取り立てた役目を負う力もなく、意思を捨て、この世の理そのものに溶け込むだけなのだ。)」
「(それは、死ではないのか?)」
「(私に死は存在しない。もし私が消え去るとするならば、それは私よりも強大な者による天変地異でも起きた時か、ヒトやケモノのような価値のある者たちが、この場所から完全に去った時だけだ。そんなものは早々来ないだろう。)」
「(・・・お前は一体何者なんだ。)」
「(・・・時代に追われ、目の前の焦りに駆られた哀れなケモノよ。お前に真を告げた所で、その価値は無価値な程にすぐ失せる。・・・ハハ。聞かぬが”ホトケ”よ。)」
「・・・ふ~む。」
結局なにかわかったようで、何も分からなかった。
◆
「佐藤さん。」
背後から自分を呼んだ声は、重苦しい蛇の声でも、青木さんの声でもなかった。鈴という名前の、この場で最も得体の知れない女性が、自分の名前を呼んだのだ。
一しきり翔太君と再開の抱擁を済ませたらしい彼女が、自分の方にトコトコと歩み寄ってくる。
「あ、どうも・・・。えぇと。子込駐在所の佐藤です~。」
何度か会った事もあったし、配属した頃から既に村一番の美人という事で有名だった目の前の女性に、今更こんな挨拶をする事も無いだろうに。と、自分でも分かっている。しかし、こんなおかしな状況で、さっきまで刀を握ってこの大蛇を切っていたらしい巫女服姿に、警官として少しの警戒心と距離感は取っても悪い事はないだろう。
「えぇ~。まぁ、今回の所は、逮捕はしないでおきましょう。」
「あらっ!まぁ・・・。」
パッチリと目を見開いてわざとらしく驚いた顔をして見せた彼女は、白い袖の端を口元に当ててクスクスと笑った。目尻に朱色の化粧を引いているのが、笑う為に閉じた瞼をよく映えさせた。
「・・・これについては、その、後々お聞かせいただく事は可能でしょうか?」
「ふふ。それは神様へのお願いって事かしら?なら・・・お賽銭を頂いても?」
「あぁ!そうかァ・・・。生憎財布を置いてきてしまって。」
「ふふ。」
鈴を名乗るその女性は、もう自分の事は見ていなかった。自分を挟んで背後に寝ている巨大な死にかけの蛇を、獲物を狩るような冷たい目で見つめている。
スタスタと大股気味に蛇に詰め寄る彼女は、その途中で畳に突き刺していた、彼女の足先から腰ほどの長さはあろうかという長い刀を引き抜いて、蛇の鼻先に真っ直ぐ立ち凄んだ。
2人が、囁くように始めた最期の会話が、偶々この距離までは耳に届いてしまった。
「そろそろお仕舞にしたいのだけれど。」
「勝手にしろ。お前次第だ。」
「あなたはこの後どうするのかしらね。」
「どうなるか?戯言を。私にお前ほどの選択肢はない。ただ、この山と一緒に死ぬしかない。」
「お祭りくらいしてもよろしくてよ。」
「お前に祀られるのは癪だ。ただ、綺麗に使ってくれ。」
「・・・張り合いが無いわね。」
「・・・ずっと聞きたかった事がある。」
「なに?」
「なぜ、この地に来たんだ。」
「・・・ただの気まぐれよ。」
「・・・ふん、歌舞伎者が。」
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