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  ◆


 山道を佐藤巡査とひたすら駆け上がって行く。なぜか不思議と身体が上へ上へと背中を押されているようで、上がる息に反して身体はどこまでも前へと進ませられた。背後に気配をやると、やはり息を切らしながらも共に坂を駆け上がる巡査の姿がある。

 「佐藤さん、大丈夫そうですか!」

 「それはこっちのセリフです!まだ日も登ってない。本当は山なんか入っちゃいけない時間なんだ!懐中電灯の灯りを信じすぎないで行きましょう!」

 「わかりました!」

 ただ、自分も小さい頃からこの山は何度も登って来た。祠までの道なら身体が覚えている。


 「・・・あれ?この木って。」

 「どうかしました?」

 「いや・・・急ぎましょう。」


 身体が覚えている・・・筈・・・。


  ◆


 「・・・え、あれ。」


 「青木さん。確かに。」

 「え?」

 「あの木、さっきも、下の方で似たようなのが生えてた。」

 「あの木、って・・・。」

 佐藤巡査が指さした先にあった細い松の木は、回りの大樹の陰から日光を求めてグニャグニャと曲がりながら幹を伸ばしていて、確かに一度意識すればよく記憶に残る形をしていた。


 「本当はあまりゴミを残したくないが、こうも暗いと・・・。ケミカルライトをここに付けます。」

 「お願いします。」

 「・・・よし。上に進みましょう。」

 「はい。」


―――。


 「・・・マジかよ。」

 「おいおい。」


 登山を再開してからほんの数分、頭上の森の景色の中でぼんやりと見覚えのある蛍光色の光が見えて来た。

 案の定、さっき佐藤巡査が仕掛けたケミカルライトに他ならなかった。


 「たしかに星の位置を見ながら真っ直ぐ上に進んだんだ・・・こんな事があるのか。」

 「クソ、今俺たちはどこにいるんだ。」

 「やっぱりさっきの松も見える。」

 「すいません。自分が分かった気になって猪突猛進してしまったせいで。」

 「いや、今はそんな事言っても仕方ない!実際、ライトの灯りの外の森は暗くて視認できなかったですから。」

 「すいません・・・。」

 「幸い、時計の時間までは巻き戻ってる雰囲気はない。朝が近いですし目的地も山頂だ。本来そこまで標高が高い山でもない。普段の登山ならあまり褒められた選択ではないけど、少しずつ周囲を確認して登りましょう。」

 「はい。分かりました。」

 「ループしても諦めないで。」


  ◆


 上に進んでいる筈だった。

 しかし、何度もケミカルライトを通り過ぎ、それでも方位磁針と睨めっこしながら山頂を見失わないように登り続けた。

 それでもやはり、ケミカルライトが、まるで自分達を揶揄うように出迎えてくる。


 「青木さん。すみません。一旦呼吸を整えたい。」

 「わかりました。」

 ケミカルライトの前で一度止まってしゃがみ込んだ。


 「さっきからこの状況が何なのかってずっと考えてたんです。」

 「はい。」

 「遭難事故で起こる似たような現象に『リングワンダリング現象』というものがあります。」

 「リング・・・グルグル回ってくるって事ですか。」

 「えぇ、そうです。雪原や砂漠で視界不良になった時に起きやすい。人間には利き足があって、なんの目印もない暗闇なんかで真っ直ぐ歩こうとすると、利き足の方が微妙に多く進んで、気付いたら本来の直線からカーブして外れてしまうことがある。」

 「それがずっと続いて、円を1周して同じ場所に。」

 「そうです。」

 「僕達は今そうなっているって事ですか。」

 「そうなら・・・良かったんですが・・・。実は登山用GPSを持って来ていて、さっきから遂次確認しながら登っているんです。どこかで、馬鹿げた話ですが・・・、ワープしてるんじゃないかって。」

 「それで、どうでした。」

 「・・・気付いたら戻っている。本当にこんな事初めてだ。色んな数字が、気付いたら戻ってるんです。」

 「うーん・・・。」


 「多分、こんなこと言いたくないけど。僕たちは今、怪奇現象の只中にいる。」

 「えぇ。」


 「青木さん、あなたのお姉さんは、いやこの里山は、一体どうなっているんですか。」

 「それは、実は僕もわからない。すいません。でも、多分僕だけじゃない。この村に関わっている人間全員が、誰も彼も分からない、大きくて暗いものの中を、力を合わせて生きてきた。きっとそういう場所なんだと思うんです。」

 「はぁ・・・。ハハハ、この田舎に転勤してきた時は、まさかこんな事になるなんて思ってもみませんでしたよ。」

 「ハハ、僕も。今回帰省するまで、この村の歴史も、鈴ねぇの事も、何にも疑問に思わず、知らずのまま生きてきました。」

 「えぇ、本当に。」

 暗い森の斜面で、2人は束の間の談笑と、この馬鹿げた状況に対する共感の笑みを溢した。


 「・・・ねぇ。青木さんは、あの、鈴さんという女性を迎えに行こうとしている。」

 「はい。」

 「鈴さんは、恐らく、この土地の神様なんですよね。それで、きっと青木さんの味方だ。」

 「はい。」

 「ずっとあなたを見守って来た。」

 「きっと、そうだったんだと思います。」

 「・・・今、鈴さんを呼んでみませんか。」

 「え?」

 「正しく、神頼み。あなたが本気で助けを呼べば、あなたをずっと見守っていたという守護天使の鈴が鳴るかもしれない、ってね。」


 「・・・あっ!鈴。」

 「へ・・・?」

 ポケットから例の赤い縄に結ばれた鈴を取り出してみた。沈みかけの月明かりを反射した鈴の鏡面が、まるで涙のようにきらりと輝いた。

 「アー!!やっぱりそういうのあるじゃーん!!」

 「すいません!つい視野が狭くなってて。」

 「よし!集中して。心の奥で、呼んでみて。」

 「はい。」


 目を閉じる。

 瞼の裏の暗闇に、網膜に焼き付いた鈴の丸い輝き。黄色い像を作り、その周りを黄緑色の鱗粉のようなモヤが覆っている。

 (鈴ねぇ。)

 次第に像は、水に浮かんだ油膜のようにゆっくりと輪郭を、歪で不規則に歪ませ、引き伸ばされて行く。

 (どこですか。)

 不規則な模様は曇天に炸裂する雷の閃光のようであり、時に揺れる意識の先で、虫や鳥、はたまた風に揺れる野の花のスケッチのよう。意味ありげに、誘い込まれるように、像に遠近を想像させていく。

 (教えてください。)

 止めた息を肺の奥でくゆらせる。肺胞に触れる空気の全てが自己への反芻であり、また届かぬ声を届ける為の祈りにも他ならないと思える。


 (鈴を鳴らして――)

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