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  ◆


 ふと、クロが何かに気付いたように振り返って襖の方をジッと見た。それは普段クロと鈴ねぇが昼寝に使っている庭に続く部屋。今回の結界の中で、唯一、人がいない部屋の襖だった。

 「クロ?」

 名前を呼んだ瞬間にハッと我に返ったようなクロは、そそくさと自分の方に駆け寄って身体を押し付けて来た。まだ視線は襖の方に意識を向けていて、やはりこれは、普段あまり見せる事のないクロの仕草だ。


 「スミマセン。中にだれかおりませぬかな。」


 襖の向こうから声がした。

 若々しい、いやに張りのある男性のような、高めの声。

 少なくとも、自分がこの辺で聞いた事のある人の中に、こんな奇妙な声の持ち主はいない。

 一度グッと押し黙り様子を相手の様子を伺う。


 「はて、お留守かな。それでは仕方ない。」


 帰るのか・・・。


 「ココはひとつ、中にオ邪魔して帰りヲ待たせて頂こう。」


 「開けるな!!」


  ◆


 襖の奥の気配は一瞬押し黙った。それが意図する事の真相は、襖が隠して分からない。

「おやおや、居留守は良くない。失礼でハないか。」

「居留守なんかじゃない。今が何時だと思ってる!」

「うん?果てはて、私は客人として迷惑にならないように、ちゃんと時間は選んできた筈であったが。」

「はぁ?」


気が付いた。四方の欄間から射す日の光を。朝になったのか。いや違う。この日の感触は、昼の日射しじゃないか。居間の時計は間違いなく午前3時を指している。


 「さては、昼寝のし過ぎで勘違いしたのではないか?おかしな奴だ。」

 「クロ、こっちへおいで。」

 襖の向こうに聞こえないように囁いた言葉と共に膝の上で小さく広げた掌にすぐに、撫で慣れた短い毛並みがチクチクと触れて丸く姿勢を寄せて来た。この空間の全容が掴めない。クロと一緒にいたい。


 「それにしても、今日は一体どうしたのだ。部屋の襖を閉め切って。これでは君が見えないではないか。」

 「お引き取り下さい。」

 「はぁ?何を言っている。私は君に用があって来たというのに。」

 「お引き取り下さい。」

 「客人に失礼だとは思わんのかね。」

 「帰ってくれ。」

 一瞬襖の向こうの存在が黙ったかと思うと、まるで可笑しな事を堪え切れていないような不気味な笑い声を出して言葉が続いた。

 「ふふ。私が帰る?帰してどうする。私はいつまでもお前を追い、お前をいつまでも縛り続けるぞ。それに、帰るというなら、逃げるのはお前の方だと言うのに。可笑しな奴だ。」

 「俺に嘘は通じないぞ。」

 「アハハハハ!嘘!嘘!?本当にお前は可笑しな奴だ!!愉快愉快。」

 「帰れ。」

 「黙れ。今日だけは強情なお前に教えてやろう。私はこの土地そのものである。この土地に流れ渡るこの土地の生命そのものであるぞ。お前たちのようなこの土地で生まれ、生かされて来た命を、私がどうして何が悪い。お前が私にさっきから間抜けの小鳥のように鳴いている『帰れ』の言葉、そっくりそのままお前に返そう。帰るのはお前だぞ、人間。大人しく、生かされたものらしく、生かした私の腹に満たされよ。」

 「とうとう正体を現したな。蛇の化け物。」

 「・・・。うんざりだ。何もかも忘れおって。あまつさえお前は私の寵愛を以てしても尚抗おうとするか。」

 「黙れ・・・。」

 「それもこれも、あの女が悪い。」

 「あの女?鈴ねぇはどこに行った!」

 「・・・お前、あれに随分執心しているようだったな。まったく愚かな。」

 「鈴ねぇはどこに行った!言え!」

 「黙れェ!!・・・ふふ、ハハハハハハ!!お前の言うあの女なら、もう当に儂の腹の中で溶けておるわ!!全く喉が潰れるように不味かったぞ!!」

 「そんな・・・、鈴ねぇが・・・。」

 「お前はこの土地に数年ぶりに帰って来たが、随分楽しそうであったな。そろそろ大人になったと思っていた矢先に都に出て行ってどんな事をするのかと思っていたが、大した事もせず、生きていくので精一杯。結局はこの里山に育てられた人間よ。大人しくこの土地を耕し、山に還るのが相応だと言うのに。」

 「うるさい!お前みたいな古臭い化け物が分かったような口を聞きやがって!鈴ねぇはどこだ!」

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