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  ◆


 食事の後、自分は部屋には戻らずずっと居間にいた。祖母の提案から居間の襖は閉じられ、母も出入りの必要最低限しか開かない。父は猟銃を持って周りを見張ってくれるといい、部屋から出て行った。自分は母の持って来てくれた布団を敷き、タオルで汗を拭いて服を着替えることにした。

 考えてみれば、昨日から極度の疲労で風呂に入らず、服も一昨日に蛇が扮した鈴ねぇとの情事の後から着替えてなかったのだ。そう思った瞬間には、もういま着ているTシャツがベトベトに感じて、急いで脱ぎ捨てた。


 「・・・ん?うわぁ!!」


 服に隠れた身体中に蛇が這って締め上げたような痣と跡がグルグルと残っていた。しかし、その痣の先端にあるのは蛇の頭のシルエットではなく、生後間もない赤ん坊のソレほどの大きさの、人の手の影のような形。悲鳴を聞いて駆けつけた家族もまた同じく声にならない悲鳴を上げたり絶句の表情を浮かべたりしていた。父親の猟銃を握る拳にグッと力が入るのを見た。

 

 ここまで来て痣をいつまでも気にしている訳にはいかない。さっさと服を着替えて、やっと訪れた休息のひと時に甘んじる事にした。しかし、あまりにも多くの事が押し寄せてきてどうしても茫然としていると、祖母が古びた木箱を抱えて持って来てくれた。どうやら納戸の奥深くにずっとしまってあったらしい。

 「ばあちゃん、これ何?」

 「村に昔っから伝わっとったお守りさぁ。私が小さい頃はお祭りや行事なんかの度に飾ってたけんど、最近はすっかり納戸の肥やしになっとった。無いよりはマシじゃ。きっと翔ちゃんを守ってくれる。」

 そう言って開かれた木箱の中には、藁で編まれた15㎝程のしめ縄の先に鈴が1つ付けられた形のお守りが数個入っていた。

 「居間の四隅の柱に飾るんだよ。そうすると結界が張られるからね。」

 「結界って・・・こんなのあるの知らなかった。」

 「まぁ、古い村だからねぇ。」

 「ありがとうおばあちゃん。」

 「頑張ろうねぇ、翔ちゃん。」


 お守りを柱にかけながら、このお守りの事を聞いた。このお守りは、山頂の祠に奉納された巫女の編んだ鈴を真似て作った物だという。祖母が小さい頃には縁日の時などに飾ったりしていたものの、村の活気が減ったり近代化をしていく中であまり重要視されなくなり、ここ20年程は出していなかったという話だった。途中で金槌と釘を出してくれた父親も偉く懐かしがっていたから、本当の話なのだろう。

 自分は、この土地について何でも知った気になって都会に意気揚々と出て行ったけれど、結局なにもわかっていなかったという事に、こんなに簡単に気付かされるなんて、正直帰省するまでは考えてもみなかった。

 柱にかけようと手に取ったお守りを眺める。

 「鈴・・・。」

 「あの子はきっと今も見守ってくれてるよ。」

 「・・・うん。」


 夕食の余韻もそろそろ過ぎ去り、普段は団欒の場として中央に置かれている机も隅に追いやられて、敷かれた自分用の布団と毛布のある長方形の空間は、仰々しいお守りの存在感もあってか明らかに異質な雰囲気に包まれていた。閉じられた襖の向こうからは微かに親たちの緊張が伝わってきて、これから始まる夜への恐怖とも、また、やっとこうした悪い夢のような状態から脱する事ができる期待とも感じられる仄かな風の冷たさを肌に感じる。季節違いの鳥肌を立たせていた。

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