32

  ◆


 物凄い音だった。

 間違いなく、自分が今まで聞いた中で一番大きな音だった。

 耳元でトラックがコンクリートの壁に衝突でもしたような迫力と恐怖を一瞬のうちに浴びせ切るような暴力的な炸裂音に、鼓膜がしばらく馬鹿げた音量の甲高い耳鳴りを鳴らし続けた。

 恐らくは襖の向こうから鳴った音。

 蛇の攻撃に伏せ、この爆音に咄嗟に耳を塞いでいた身体を恐る恐る起こし、視線を上げた先に広がっていたのは、


 明かりの点いていない家の仏間。そしてそんな部屋の中でただ一人、ポツンと箸を持って狼狽えている自分がいるだけだった。


 欄間から電球の明かりが漏れてくる居間側の襖が勢いよく開け放たれ、いきなり暗闇の中に雪崩れ込んだ光に眩んだ視界の真ん中で、物凄い形相を浮かべた父親がギンと部屋の中を睨みつけて来た。そして自分を見るや否や、一瞬緩んだ驚いたような顔を再び鬼の形相に引き締めて、ズカズカと部屋の中に踏み込んでくる。

 片方の腕には一艇の猟銃が、銃身の真ん中あたりでガッチリと握られながらそのまま親父の腕の動きに従ってブンブン風を切っている。そんな鬼神さながらの男が自分にドスドスと迫って来た。


 「翔太か!!」

 「は・・・はい!父さん!」

 「よし!翔太!鏡出せ!」

 「え、あ!はい!」

 急いでポッケの奥にしまっていたひび割れの丸鏡を父親に差し出した。

 「これかぁ!!」

 それを見るや否や、親父は空いた方の手で鏡をぶん取った。一瞬挟まれた指がその強烈な握力で血行を止めたような気さえする。


 「うおおおおおおお!!!」


 受け取るや否や、空かさず畳に置いた鏡に向かって、両手でガッシリと掴んだ猟銃の銃身をまるで逆手持ちの槍のように握り締め直し、そのまま重々しい焦茶色の木製銃床で鏡の真ん中に叩き落した。


 清々しいくらい、最早美しいとまで思えるような金属の砕ける音は、まるで鏡と一緒に、今まで自分をすっぽりと包み隠していた殻のような世界そのものすらも、一緒に粉々に砕け散ってしまう、そんな爽快感と開放感を以て仏間全体を鳴らし包んだ。そんな感じがした。

 理由もなく、ただただ、何か自分にとって重要なものが結末を得てしまったような一瞬の虚無感と無力感が肩を浮かしたようで、そのまま地面に倒れ込みそうになる。


 「おい翔太!起きろ!飯食うぞ!」

 「でも父さん、俺何が何だか・・・」

 「食いながら話そう!母ちゃんも待ってる。」

 「母さんが?」

 「ドロドロじゃねぇか。間に合って良かった・・・。」

 父親のゴツゴツした丸太のような肩を借りて、煌々と降り注ぐ照明の光の下、自分が本来食べたかった夕ご飯の並ぶ、本当の団欒にやっと迎えられる事ができた。


  ◆


 自分の良く知る食卓。美味しそうな生姜の香りがする黄金色の唐揚げや、真っ白でツヤツヤのご飯。それとご飯とは別に用意されたおばあちゃん仕込みのお稲荷さん。文句なしに自分の良く知る食卓をやっと見る事が出来て、一気に正気に戻れたような安心感が押し寄せて来た。

 「お腹空いてるでしょう。食べながら話しましょうね。」

 なんだか凄く久し振りに聞いた気がする母親の言葉に、気付くと勝手に目から熱いものが溢れそうになっている。少し恥ずかしいような気もして、そんな色々な感情を飲み込んでしまう為にも、家族の促しに応えてすぐに食事を始めた。

 何もかもが自分が今まで食べて来たものよりも一番美味しく感じた。口に入れる度に驚くほどの旨味が広がる唐揚げは、すっかり枯れかけていた味覚を刺激して、再び心の豊かさを補充してくれたような感じがする。そんなあったかい料理の数々に暫くの間は夢中になり、やはり目からは、一筋二筋と涙が零れてしまった。


 「さっきの凄い音は?」

 自分の背後にある仏間と続く襖を閉じて、ノシノシと定位置に戻って膝を降ろした父親は、ガチャリと小気味良い音を立てて猟銃を壁に立て掛けた。

 「実は、熊除け用の空砲撃っちまった。びっくりしただろう。すまなかったな。」

 「俺は良いんだけど、そんな事したら近所の人たちすっ飛んでくるんじゃないの?」

 「大丈夫だ。もうこの辺の人には今日鳴らす事は伝えている。」

 「・・・父さん、助けて頂き、本当にありがとうございました。」

 「畏まるな。お前はよく耐えた。」

 「うん。ありがとう。そしたら、今、俺が巻き込まれている事について、色々、教えてほしい。」

 「おう、わかった。1つずつ、解いていこう。」

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