26

  ◆


 3日目の午前中は、流石に昨日の”運動”の疲労が出た為か、あまりにも身体が重く調子が出ないから、午前中からお昼まで寝て過ごした。

 というより、起き上がれなかったと言った方が正確だったかも知れない。


 夕暮れ時。

 いつの間にかに、夕暮れになっていた。

 夕暮れを見つめながら目を閉じた昨日の僕が、夕暮れの西日に目を開いた今日の自分を恨めしく叱責しているようなグルグルとした不快感を、腹の中でうずめかせている。そんな気分にさせられた。


 流石に1日中寝て過ごすのは良くないと思い、重い身体を持ち上げたのだった。ぼーっとしながらも玄関を出たのは、連日なんだかんだと外を歩き回っていたというのに、いきなりこうも寝たきりになるのは身体に良くないだろうという自分に残ったささやかな健康意識からだったのかもしれないと、家の前の道をトボトボと歩いているうちに考えたような気がする。

 「あっ、そういえば携帯・・・」

 最近あんまり確認していなかった。普段は三日も放置していればメッセージが溜まりに溜まって・・・

 「あれ、メッセージ・・・。そういえば!!ヤバッ!・・・え、何が?」

 「何言ってんだろう、俺。あれ。」

 「ニュースくらい見なくってもいいじゃん。こんなド田舎には関係ねぇよ・・・。」

 「母ちゃんは電話だし。・・・そういえば鈴ねぇってアドレスとか持ってんのかなぁ。神様だからなぁ。携帯なんて。でも鈴ねぇは結構楽しめるのかなぁ。感覚が古い人だなんて思わないからなぁ。・・・プフ!インターネットやる神様なんて漫画みたいだ!あはは。」

 「でも、鈴ねぇが神様なんだもんなァ。当たり前、じゃあないよなぁ。でも俺には鈴ねぇの事は当たり前だし。」

 誰もいない道をブツブツ言いながら歩くのは中々楽しい。都会にいるとできない贅沢だ。今の自分の言葉を聞いていたのなんて、せいぜい左右の池に住む蛙か、メダカか鈴虫か、それか今通り過ぎて行った白熱電球の古い街灯くらいだろう。田舎道には街灯が少なすぎる。場所によってはもう少しで足元が真っ暗になってしまう場所だってたくさんある。

 だからこそ、ああいう一本ぽつりと立っている街灯がなんだか不気味に感じる。あまりにも一極集中した光が、その光と夜の境目に作り出される闇の壁をより深く濃くさせるからだ。虫も多いし。

 「・・・ん?」

 10mほど先の道の端に立つ電柱とその街灯の真下に、なにか小さくて丸みのあるシルエットを見た。

 「なんだあれ。置き石・・・ではないか。」

 正直疲れで視界がぼやけているのかもしれない。しかしその小さな影は自分の気配を感じたのか、一瞬震えたように蠢いた後、少し道の真ん中に出てから縦に細長い白っぽい出で立ちに姿を変えた。

 「え、あぁ、キツネかぁ。」


 キツネだった。突然道端でキツネと出くわすなんて、案外珍しい事かもしれない。思えばこの辺にはタヌキとハクビシンは出てもキツネは出ないのだ。

 「珍しい・・・。おーいキツネ~。人間だぞ~。」

 自分は、自分の存在を伝えて適当な方に逃がしてやるつもりで手を振ったのに、生憎そのキツネは自分の姿を見るや否や、スタスタとこちらに駆け寄ってきてしまった。

 近くで見ると、綺麗な毛艶に金色の短い夏毛と白い胸毛を控えめに蓄えた綺麗なキツネだった。誰かに飼われてでもいるのだろうか。人懐っこすぎる。

 「おいおい、どっか行かなくていいのか?」

 キツネは自分の優しい警告は意にも介さないようで、半ズボンから伸びた自分の左脚の脛に顔から首にかけて強めに身体を擦りつけて来た。普通なら少しは汚いとか思うけれど、このキツネのサラサラした毛並みには、寧ろ昨日から風呂にも入れていない自分の方がキツネを汚してしまうんじゃないかという罪悪感すら芽生えてくる。それ程に、電柱の白熱灯に照らされたこのキツネはスラリと美しかった。

 「ハハ。可愛い奴だなぁお前。ちょっと散歩に付き合うかい?」

 立ち止まった足を再びゆっくりと動かして散歩を再開した。キツネも自分の顔を見上げながら速度を合わせてトコトコと着いてきてくれる。歩きながら揺れる太い尻尾が可愛らしい。


  ◆


 また少し歩いて前方に十字路が見えて来た。直角に交わる十字路は、真ん中に立ってどの方向を見ても殆ど風景が変わらない。ただただ田んぼと田んぼを分かつだけの十字架の角にオレンジ色のカーブミラーが2本突き刺さっている。もうだいぶ暗くなってきて、遠くの景色なんてよく分からないから、その風景の不変性はより一層強くなる。

 「さて、どちらに行こうかな、っと。」

 自動車の気配などない交差点の真ん中でグルグルと首を回してみた。

 「・・・おっ!お前はそっちに行くのかい?」

 足元で一緒に止まってチョコンと座っていたキツネが、初めて自分より先に行先を決めた。選んだ道路に入ってすぐに立ち止まって振り返り、ジッと見つめてくるキツネは、相変わらず野生味の無い可愛げを届けてくれている。

 「・・・よし。俺もそっち行こうかな。」

 ピョコピョコと揺れる黄金の尻尾に誘われてつま先の舵を切った。


 「この道は、駐在所に続く道か・・・。」

 さっき頭を回して鈍った方向感覚とそもそも久し振りの帰省な事もあって案外道に不安がある。


 「・・・そういえば、佐藤さんってあの後元気になったのかなぁ。」

 正直なんで今まで忘れていたのかと思うけれど、先日の山で首を傷めたらしい佐藤さんは親父に送迎を預けて以降連絡も報せも聞いていない。聞いていないと言うより、別に伝えてくれる義務もない。

 寧ろ、折角付き合ってくれた彼の安否を聞きに行くべきなのは自分の方じゃないか。

 「失念してたなぁ・・・今から行って駐在所にいるかなぁ。別に田中のおじさんでも良い訳だし。」

 偶然にも、キツネのおかげで行き先が決まった。

 「おい、キツネ。」

 自分の言葉にハッとしたように振り向いたキツネの丸い目に言葉を投げる。

 「お前のおかげで用事を思い出せたよ。ありがとう。」

 キツネは何の事か分からないという風にジッと自分の顔を暫く見つめてから、再び前方に伸びる道路の遠くに視線を合わせてトコトコと歩き始めた。自分も合わせて歩みを進める。


  ◆


 この道に存在する光源は街灯の他にもう1つある。それは自動販売機だ。もうそろそろ紺色になりかけているまだ仄かに赤紫色の地平線の下で、煌々と青白い光を放っている自販機が少しずつ近付いてくる。

 

 一度足を止めてしゃがむと、やはり人懐っこい黄色いモフモフが膝の前まで来て同じようにお尻を地面に置いて顔を見上げてくる。

 「お前は本当に可愛いなぁ。」

 撫でようと伸ばした手に自分から頬を押し当ててくれる愛らしさは、まるで既に生活を共にして連れ添ったペットのようにすら感じられる。

 「なぁ、喉乾かないか?暑いだろ。自販機で水買うからさ。」

 別に言わなくても良い事かもしれない。それに、都会の猫と違ってこんな所には喉を癒せる場所も食べ物も幾らでもある筈だ。今のは、ただ自分がこのキツネと少し交流してみたかっただけ。自分でも分かってる。

 「さぁて、何を買おうかなっと。」

 ペットボトルのディスプレイを背後から照らす真っ白なLEDに蛾が群れている。一際大きな蛾が止まっているのが一番明かりの強い所で、そこにあるのが、透明な水のペットボトルだった。

 「財布、財布~。」

 ポケットに手を突っ込んでガサゴソと探っているけれど、そもそも忘れている可能性だって全然あるのに。

 「ん?これ、か・・・?」

 手が掴んで取り出したのは、鈴ねぇの鏡だった。

 「あっ、鏡、ずっと持ってたんだ。そういえば。」

 結局財布も携帯も持たないまま外に出ていたという事になった。キツネには謝らないと。

 「ごめんよキツネ。俺財布持って来てなかったわ。ごめんごめん。・・・あれ、お~い?」

 自販機の明かりが作る影の濃さに隠されていた訳ではなかった。動物の気まぐれが自分の悠長さに耐えられなかったのだろう。まるでそこに気配だけ残していたみたいだった。自分はいつからか、あの美しいキツネの残像と歩いていたのかもしれない。そう思ってしまうくらいには美しく、自分の妄想を幻視してるみたいに人懐っこかった。


 「まぁいいか。それより、あんまり遅くなる前に佐藤さんの様子を見に行かなくちゃ。」

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