22

  ◆


 帰省してから驚く事ばかりな気がする。駐在所に新人警官が配属し、田中のおじさんは昇進し、鈴ねぇに異様に引っ付かれて、かと思えば今度は親父たちから「鈴ねぇは神様なんだ」なんて言われて、物凄いケモノ道の中を案内されて。それで今は、なんだかちっこくなった鈴ねぇが胸の中で号泣している。

 「な、なんで泣いてるの~!?」

 「ぶヴぇええええん!!!んじゃああああああ!!」


 なんだか涙が抜けた分、さっきよりも気持ち更に小さくなった気がする。

 「ほ、本当になんで泣いてるの?」

 「・・・わかんない。」

 一先ず嵐は過ぎ去ったようで、目の前でぐずぐずと鼻を啜りながら時折上下に震える肩が萎んだみたいにみるみる丸くなっていく。


 「・・・す、鈴ねぇ。元気出せって。ほら。」

 ここが勇気の出し所だと自分に葉っぱをかけて、姉を抱いてみた。恥ずかしいけれど、思い出せば鈴ねぇからはしょっちゅうされていたんだから構わないだろう。実際、抱いた鈴ねぇの身体はまたも抵抗なく自分の身体に沈み込んで来た。ただ、まだ表情までは覗かせてくれない。

 「落ち着いた?」

 「・・・もう風も吹きゃしない。」

 「どういうこと?」

 「・・・関係ない。」

 「そっか。いいよ別に。僕にはわからない事だらけさ。」

 姉の分も一緒に座ったまま軽く身体を揺らしてみている。


 知らないうちに空には鼠色の雲がかかっていた。薄っすらと雨の予感が漂ってはいるけれど、その雲が浮かんでいる一部を除けば、相変わらずの真っ青な空が、広場から見える夏の空を一向に支配したままだった。



 「さっきは泣いてごめんね。」

 姉をあやすつもりで揺れていた身体に、自分の方が我先にと誘われていた眠気の奥から、良く知る声が謝っている。

 「気にしてないよ。・・・いや、目の前で泣かれて理由の1つも興味ないなんて事はないけどさ。寧ろ、俺がなんかしちゃったんじゃないかってずっと心配してます。」

 「・・・別に、翔太は悪くないよ。」

 「・・・。」

 「翔ちゃん・・・?」

 「・・・あっ、思い出した。」

 「何を?」

 「俺が向こうでできた彼女を泣かした時の事。」


 口が滑った。折角泣き止んだ姉が再びギョッとした様子で赤い顔を横目に見つめてきている。俺は馬鹿だ。

 「翔ちゃん。翔太が悪い事したの?」

 「いいや。別にどっちが悪い事もなかったと思うけど、なんかその時のコミュニケーションの不和っていうか。気付いたら向こうが耐えられなくなってたみたいで。」

 「コミュニケーション・・・の、不和ね。」

 「まぁ、よくあるっちゃぁよくある事なのかもしんないけど。」

 「翔ちゃん、人を泣かせておいてそれは良くないんじゃないの?」

 「あぁ、ごめんごめん。」

 「・・・で、喧嘩して、彼女泣かして、ちゃんと仲直りした?」

 「うん。その時はちゃんとね。」

 「その時は・・・。」

 いくら姉相手だからって全てを言う必要はないだろう。人が生きてればそれくらいあるんだ。神様だからって叱られる筋合いはない筈だ。・・・神様には、怒られても仕方ないか?


 「ねぇ、翔太。」

 「なに?」

 「人って、仲直りをする時はどうするの?」

 「・・・謝る。」

 「謝るのは皆するでしょ!神様だってする時はするわよ!」

 「えぇ?だって仲直りは、謝って、それで仲直り、でしょ。」

 「も~う!これだから人は難しいのよ!」

 「どういうことだよ姉ちゃん!」

 「仲違いに対する謝罪は儀式でしょ!崩れた繋がりをただ元の形に直す為の礼儀じゃないの!だから、ただまつりごとを行ったって仲違いをする前の心を繋ぎ直す訳じゃないじゃない。」

 「・・・あぁ、なるほど?面白いなぁ。」

 「ねぇ、お姉ちゃんも人里の事はずっと見聞きしてきたり、ほんの少しではあるけど、翔ちゃんとも一緒に過ごしてるけど、やっぱり人や、寿命のある生き物たちの複雑さは難しいの。だから、翔ちゃんみたいなひと同士が無意識にできてしまってる、仲直りの方法があるんじゃないかって、ずっと思ってたの。」

 「・・・んん。ちょっと今思い出してみてる。」

 「ありがとう。」

 姉のこんな表情を見るのは初めてだ。どうにか力になってあげたい。でも、なんだか最近疲労が溜まってるからか、それとももうだいぶ月日が立っているからか、なんだか彼女との思い出を思い出そうとしても、頭にモヤがかかっているようで中々思い出す事ができない。

 「ちょっと待っててね、うぅん・・・。なんか思い出せそうで・・・。」

 「翔ちゃん?」

 「ちょっと・・・待って・・・。んん・・・。んん?なんか、忘れっちゃったかも・・・。」

 「・・・むすびがつよすぎる。」

 「え?なんて?」

 「翔ちゃん、ちょっと目、閉じてて。」

 「・・・うん。」

 「・・・びっくりしないでね。」

 「え?うん。」

 目を閉じて2秒くらいだった。首に一瞬鋭い痛みが走ったのは。

 「痛っ!」

 「目を開けないで!」

 「・・・。はい。」

 「ちょっと待ってね。」

 待った。首にはもう痛みは無いけれども、不意に身体を物にぶつけてしまった時のような重い痺れとむず痒さが残っていて、声が上手く出せるか不安がよぎる。まるで喉風邪を抉らせた日の寝起きみたいだ。

 何をされたんだろう。

 そういえば、佐藤さんが首の痛みを訴えた時も、こんな感じだったのかなぁ。でもあれはもっと痛そうだったなぁ。

 「目、開けていいよ。」

 恐る恐る瞼を持ち上げた。

 「どう・・・?」

 至近距離で顔を覗き込んでくる姉は、いつの間にかに自分の腕の中でこちらに向き直っていたようだった。

 不安そうにも、さっきから投げかけられていた疑問への解答を今にでも聞き出したいような、そんな一見子供じみたようにも見える眼差しだ。

 「・・・あぁ。そうだ、そうだった。喧嘩してちょっと経って、お互い気持ちが少し落ち着いたら謝って、その後は・・・」

 「その後は・・・?」

 「・・・ちょっと言いたくない。」

 「なんで?教えてよ。」

 「・・・誰にも言わない?」

 「言わない!」

 「分かった。・・・じゃあ、ちょっと耳貸して。」

 「ここの周りには別に誰もいないよ?」

 「いいから。なんかそういう風な感じなの。」

 「・・・わかった。・・・はい。」

 差し出された小さめの耳にそっと丸めた手を添える。

 「ん。謝ったらその後は・・・」


 耳打ちをする時に近づいた鼻が嗅いでしまった姉の髪からは、花や雨上がりの森みたいないい匂いがした。

 一瞬の口伝に2度も言葉をつかえてしまったせいで、ほんの数秒のことに何分もかけてしまったような焦りが、お腹に冷たく広がり落ちていくのを感じた。引き伸ばされた時間の中で、セミの鳴き声が仏堂に響く念仏のように重く、意味深に、鼓膜を叩きまくっていた。


 離れたいく耳の先でこちらに向いた唇が、閉じる事ができないとでも言いたげに微かに震えていた。

 「・・・なんで?」

 「えぇ?なんでって言われても・・・。そういう感じになったとしか。」

 「だって、気持ちいいからするものでしょう?」

 「いや、まぁ、そうではあるよ?でも、それもあるんだろうけど。」

 「だって、喧嘩した嫌いな人とよ?」

 「いや、それが違うんだよ。」

 「違うの?」

 「なんか、そういう喧嘩した後にするのって、いつもより感覚が深くなるっていうか、気持ちが入る、気がする。それで、そういう感じだから、なんかさっきまで喧嘩してた癖に、それが余計に感覚を刺激するんだよ。・・・何言ってんだろ俺。」

 「・・・そっか。そうだったんだ。そう言う事だったんだ・・・。」

 口から耳を離した小さな頭が目を見開いて口をぽかんとさせている。

 「納得がいった、って、顔してる?」

 「昔ね、今よりもこの村に人がいっぱいいた頃よ。よく村の若い子達がね、怒った子が一人で走ってきて、それを追いかけて来たもう一人が追いついて、そしたらちょっと話し合ってね、その後わざわざ林や崖の深い所まで来てね?それで、」

 「あっ、もういいよそこまでで。わかるから。」

 「そういうことだったんだ・・・。」

 「まぁ、必ずしも喧嘩の後とは限らないと思うけど・・・。」

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