21

  ◆


 ゴールだと思っていた山頂デッキに鈴ねぇは見向きもしなかった。自分が勘違いしてベンチに腰を下ろした事に気付きもしなかった鈴ねぇは、そのままスタスタとその奥のケモノ道、さっき通った道に比べれば最早ジョギングコースではあるけれど、奥に進んでいってしまった。たしかに、彼女からしてみれば、この散歩のゴールがどちらなのか、この山の頂がどちらなのかは、決まり切っているのようなものだったろう。

 「ふぅ。やっと追いついた。」

 「ん?私、置いて行ってた?」

 「あぁ別に気にしないで。」

 「うん。」

 相変わらず小綺麗にしてある広場の真ん中に、いつも通りの小さな祠がトンと居座っている。

 「たしかに言われてみれば、こっちの方が標高も高いのか。」

 「当たり前・・・。この山の一番眺めの良い場所まで人間にほいほい譲る気は無い・・・。」

 「たしかになぁ。」


 祠から4,5m離れた所でポツンと後ろ手に立っている背中に、2筋の三つ編みが揺れている。肩から吊るされている肩紐が、開けた背中に浮かぶ肩甲骨の陰影が、祠を見つめる彼女の止めた息を、きっとこの森の深くに留めているのだ。


 「なんでそんなに寂しそうなの。」

 「・・・バレてた?」

 「なんとなく。家族だし。」

 「・・・そっか。・・・敵わないなぁ。」


 突然背後から詰め寄るのは良くないかもしれないと薄々感じた懸念に、目の前の小さな肩は、俯いた顔は、振り返らなかった。

 「・・・。」

 「・・・神様の悩みなんて、俺みたいなちっぽけな人間には身に余るかもしれないけど・・・まぁ、聞くくらいならできる。」

 実際わからない。目の前のどうやら神様らしい少女が、いったいこの美しい野山の中でどんな事を思い悩むというのか。それに、この2日ほどの鈴ねぇのこういう様子に気付く事ができてしまったのは、そもそも自分の記憶の中の鈴ねぇが、少なくとも自分の前ではこんな風に振舞った事などなかったからだ。

 こんな素振りをされたら、自分がずっと慕って来た、自分の大好きな人に、こんな風に静かに背中の体重を預けられたりなんかしたら、何もしないでぼぅっと黙っていられるような弟には、俺は育たなかった。

 「鈴ねぇ。」

 結局、抱き寄せる腕にすら抵抗はないのだから。

 「今日はのんびりしよう。」

 「ありがとう。」

 「俺にはわかんないけど、俺は、いいからさ。」

 「うん。」


  ◆


 祠の正面に背を預けて座り込み、ぼぅっと空を眺めているのもそこそこに気持ちが良い時間だった。甘い周期性を孕んだ森の囁く風の音は、自分達の中に流れる時間をゆっくりと自然に溶かし込むように、夏の汗ばむ身体を冷ましてくれた。

 「俺もこの場所好きだよ。」

 「・・・。」

 「小さい時もここでこんな感じで休憩してたの覚えてる?」

 「・・・。」

 顎の下に見える綺麗な丸い頭蓋骨と、それに貼り付いた頭皮から伸びる黒髪の艶。呼吸の肩の揺れも無く、死んだように押し黙っている姿に感じるのは、淡く滲んだ慣れの感覚を通して伝わってくる神秘性なのだろうか。

 「あの頃は、鈴ねぇが俺の事こうやって抱えてくれてたよね。」

 「・・・。」

 「考えてみたら俺、今、神様抱いて神社に寄りかかってるんだ。凄いなぁ・・・。」

 「祟ってやろうか。」

 「怖いから嫌かも。」

 「・・・。」

 「・・・あれ?鈴ねぇってこんなに小さかったっけ?」

 「・・・。」

 「『鈴ねぇが神様だ』って聞いてからさ、自分の記憶と鈴ねぇとの思い出を色々照らし合わせてたんだけどさ、やっぱり鈴ねぇって見た目の年齢変えられるよね。」

 「知らない。」

 「だって前は俺より背高かった気がするんだよ。」

 「うるさい。」

 「今なんかは、むしろ妹みたいな感じ。」

 「うるさい。ちょっと黙ってて!」

 「なんでそんなに不機嫌なのか教えてよ。さっきはあんなに楽しそうだったのに。」


 「・・・うっ!」

 「え?」

 「うぐ!うヴぇ!」

 「え!?ちょっと!?姉ちゃん!?」

 「ひっぐ!・・・うヴぇえええええ~~~ん!!」

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