17
◆
結局、この帰省に特別な目的なんて無く、勝手に期待した降りかかる試練の如き田舎の風習的な何某かも、自分の想像の空回りに終わり、今日も馬鹿みたいに暑い日射しから隠れるように午後の怠惰をのんびりと貪っていた。
場所はバス停。3時間に1本のダイヤは20分前に出たらしかった。道路に面した長辺の側面が1枚だけ外された直方体のあばら家の中、設置された錆びかけのベンチに座っている女性は、持て余した手先を膝の上で組んだり外したりしている。俯いた顔が何とも言えない物寂しい表情を浮かべているのが、まるで自分の所為のように感じてしまった。
「鈴ねぇ。」
「お!」
声に反応し反射的な速度で揚げられた顔は、たちまちキラキラと、まるで草むらの影に獲物を見つけた野生動物のような視線を飛ばしてきた。
「お茶と、ジュース。どっちか好きな方どうぞ。」
「う~ん、どうしよっかなぁ・・・。どっちの味も気になるけど・・・。」
「あはは。」
「じゃあ、そっち。」
「はいよ。」
結露の水衣を纏った缶を渡すと、やっと冷たさで痛くなっていた指先が解放された。缶の水滴でビシャビシャになっていた手の平を軽く振って乾かして、自分もお茶のペットボトルキャップを捻る。
「・・・鈴ねぇ、開けたげよっか?」
「え!?あぁ、ありがとう、じゃあお願い。」
「はいよっ、と。」
ジュースの缶は偶にプルタブが本体にピッタリくっ付いてしまって引っかからない事があるけれど、これはそういう訳ではなさそうだ。
「はい、どうぞ。」
「ありがとう。」
2人が黙ったバス停は途端にセミの鳴き声に包まれた。セミの鳴き声の不思議な所は、自分が黙ってればこんなにうるさく感じるのに、一度何かを話し出してしまうと、完全にこの喧噪が意識の外に追いやられて、全く気にならなくなってしまうこと。だからこそ、いまのこの喧噪は、まるで自分達が死んだように黙ってしまった事の証明にも感じられてしまう。
「ジュース美味しい?」
「うん。凄く冷たい。美味しい。でも凄く甘い。」
「あぁ、まぁ確かに。」
「そっちのお茶は?どう?」
「お茶は、まぁ、お茶だよ。」
「そっちの味も気になるかも。」
「え?ただのウーロン茶だよ。」
「気になる!」
並んで座っていた鈴ねぇが、グイと寄せた顔をいきなり肩に乗っけて来た。
「うわ、グイグイ来るなぁ。」
「だって翔ちゃんが美味しそうに飲むんだもん。」
すぐ耳元で聞こえる声と肩に乗る顎の動きや喉の鳴りが全て直接身体に伝わってくる。折角冷たいお茶で冷やした身体がまた元の熱さに戻ってしまった。
「えぇ・・・。じゃあ、飲んでみる?」
「うん。」
「どうぞ。」
「うん。」
「あ、じゃあジュースの缶持っとくよ。」
「あ、ありがと。」
やっとペットボトルを両手で掴めた彼女は、飲み口の辺りをキラキラした目でひとしきり見つめてから、飲み口全体を咥えて仰け反るようにペットボトルを傾けた。
「あ!結構いった!」
「・・・ぷはぁ!美味しい!」
「そう?なら良かった。」
「・・・ねぇ翔ちゃん、私のジュースと交換しない?」
「え、じゃあ、いいよ。俺もこのジュース嫌いじゃないし。」
「やった!ありがとう翔ちゃん!」
「そんなまた大袈裟な・・・。別にいいのに。・・・ただ。」
「・・・ん?ただ・・・?」
今度は自分が缶の飲み口を見つめている。別に、気にしなければいい事なのかもしれないし、小さい頃から回し飲みもしてたけれど・・・。どうもここに帰省してからの鈴ねぇの所作のせいで、
「私、今、翔ちゃんが考えてる事、わかっちゃった。」
「ちょっ、人の心を読まないでよ!ひょっとしてそれも神様の力?」
「ふふ。そんなの使ってない。翔ちゃんの顔見てたらバレバレだよ。」
「マズったなァ・・・。」
「あはは。」
「・・・んっ!」
「おっ!良い飲みっぷり!」
「・・・ぷは!」
若干炭酸が入っていて、緊張した喉に泡の刺激が余計に刺さった。化学的な甘味の刺激物のような側面が、そこに余計に悪さをして、甘ったるくなった舌に乗る後味の反面、喉には清涼感とはまるで無縁の怠い熱さが残る。たしかにお茶の方がこの時期には合っているかもしれない。
「うん、凄い甘い・・・。」
「やっぱり?」
「うん。」
「ふふ・・・。あっ!唇ジュースの色になってる!」
「えっ!?嘘!?このジュースそういう感じなの!?」
「・・・嘘。」
「嘘なんかい。」
「ジタバタしてるのが面白かったから。」
「鈴ねぇ、そういう事するんだ。わかった、じゃあもう飲み物買ってやんない。」
「エ~~!!」
「嘘。」
「嘘か・・・。意地悪なの。なんかヤなの。」
「仕返しのつもりだったんだけど。」
「じゃあもうしない。」
「じゃあ俺もしない。」
◆
「ねぇ、俺、まだ鈴ねぇの神様っぽい所あんまり見てないかも。」
「神様っぽい所って、例えばなに?」
「そうだなぁ・・・。なんかビーム撃ったりとか。」
「ビ、ビームって何!?」
「えぇ!?ビームって言ったら、そりゃあ・・・、いざ説明しようとするとできないかも・・・。」
「じゃあ、撃てないかも。」
「それじゃあ、空飛んだり。」
「あぁ、それ私はできないかなぁ。」
「できない神様だったかぁ。」
「うん。」
「じゃあ、何ができるの?」
思った以上に考えている時間が長くて、流石に姉とは言え神前に無礼が過ぎたかと不安になった。セミの声が気になりだす位には彼女はいつもの愉快な口をぴったりと閉じ、どこか定まりなく足元の地面を見つめている。案外見た事のない表情かもしれない。しかし存外に、鈴ねぇのこういう大人っぽい表情も、いややっぱり、凄く綺麗だと思う。
「私は、気付いたら神様になってて、なったというより、神様としてこの世に湧き上がって来たような感じだったから。」
「・・・から?」
「あんまり、旅芸人みたいな突飛な事はしたことない。昔は今なんかよりうんと力があったから、それこそ、姿を現すだけでも皆驚いたし。それだけで村は祭を開いたりしてたなぁ。」
「あぁ、なるほど。確かにそれなら納得かも。」
「ふふ。物分かりが良くてお姉ちゃん嬉しい。」
「でもさ、俺の記憶が確かなら、鈴ねぇって俺が小さい頃から、今くらいの見た目してたよね?」
「神様はね、『老い』の感覚を知らないの。」
「知らないってどういうこと?」
「私たちは、”ある”限り”ある”し、いなくなった瞬間に”無”になる。あなた達人間や野山の動物と違って、死んでも子供たちやお友達たちが惜しんだり、思い出を語ったりはしない。伝承や伝説は残っても、それは単なる表層の記録でしかないわ。」
「・・・違いがよく分からないかも。」
「・・・”血”がないからよ。神様には血が流れていないから。どれだけ私が荒ぶる神でも、豊穣を司る神でも、消えてしまえば誰の先祖でも無い、ただの出来事。時間と共に何の遺恨も無く風化してしまうわ。」
「そんなことない!」
「どうして?」
「鈴ねぇは俺の姉さんで、俺たちの家族だろ!」
「・・・。ありがとう、翔ちゃん。」
「・・・俺、きっと鈴ねぇの事を何も分かってないんだろうなぁ。」
「翔ちゃんは、翔ちゃんの好きなように私と接してくれればいいのよ。・・・だって、私の弟、なんだし。」
「・・・そっか。わかった。じゃあそうするよ。」
「うん。ありがと。」
◆
「なんかしばらく待ってたけど全然雨降らないなぁ!」
「ふふ、そうだね。」
「川釣り、明日行こうって言ってたけどさ、折角だしこのまま行ってみる?」
「うん!私もそうしようと思ってた。」
「よし!じゃあ決まり!一旦納戸に寄って釣り竿取ってから行こう。」
「あっ、いいねそれ。よーし!お姉ちゃんも頑張っちゃうぞ~!」
「・・・ひょっとして、雨雲、消した?」
「ふふ。はてさて、どうでしょう~?」
「・・・ハァ、敵わないなぁ。」
「ふふ。」
背後に遠のくバス停の裏の林では、セミが残り僅かな命を振り絞っていた。
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