11
◆
自分達より先に帰っていた父親は、既に車庫に軽トラを止めて早めの風呂に浸かっているようだった。
「ただいま~。かあさ~ん?」
やはりこの家はちょっと広すぎる。きっと母親も夕ご飯の準備に忙しい時間だろう。構わずにサッサと靴を脱ぐ。
「うわぁ、結構汚れたなぁ・・・。まぁそうか。」
白い運動靴を履いていたのも悪かったけれど、日陰の湿った登山道が付けた土汚れは半日の間に所々乾いて、そこそこの汚れ具合に仕上がっている。一度思いっきり水洗いでもしてやりたい。
・・・やっぱり、あの道をサンダルは無いよなぁ・・・。
鈴ねぇは玄関に入る手前で何か用事でも思い出したのか、いきなり庭の方に回って行ってしまった。縁側から入ってクロに挨拶でもするつもりなのだろうか。まぁ、いつも通りの鈴ねぇらしいといえばらしいのかもしれない。相変わらず”読めない人”だ。
「はぁ・・・散歩のつもりだったのに偉く疲れたなァ。・・・佐藤さんは大丈夫かな・・・。」
取り敢えずは2階の部屋でのんびり休もう。
そう思った時だった。
「おかえり翔太。」
母の声が階段を登りかけの自分を呼び止めた。
「ただいま母さん。夕ご飯いつ頃?」
「・・・あと1時間くらいね。」
「そっか、分かった。それまで2階にいるから」
「翔太。」
「え?なに?」
「ご飯の後で話したい事があるから寝ないで待っててね。」
「え、あ、はい。分かりました。」
そう言って母はまた台所の方に歩いて行った。何だかいつもより素っ気ない気がするけれど、自分が山に行って帰りが遅くなったのを心配してくれていたのだろうか。
後でちょっと謝っとかないとな・・・。
「・・・何だろう、話って。」
そういえば俺がなんで帰省するようになったのかの理由もあんまりちゃんと聞いてないな。まぁ別に久し振りに帰りたいと思ってたしいいんだけど。
「・・・もしかして縁談!?」
降って湧いた考えではなかった。元々この恐ろしく田舎で恐ろしく若者の少ない町に、現代の都会らしい恋愛結婚的な価値観が備わっていない事はなんとなく分かっていた。祖父母はおろか、自分の両親もお見合い婚。それに結婚したのも、丁度今の自分くらいの年齢の時の筈だった。
「だとしたら、相手って誰なんだ。」
想像もつかない。なにしろ両親とも普段はずっとこの町の中で生活しているのだろうし、町を出たとしても偶に日用品を最寄りのスーパーに買いに出るくらいの筈だ。という事は、ひょっとして相手はこの町の中の人間?ただ正直、心当たりがない。そんな子がいようものなら、きっと自分の中高生時代はもっとマシな華のある日々になっていただろうし・・・。
「もしかして、鈴ねぇ?」
間抜けな独り言は、それ相応に腑抜けた余韻を人気のない2階廊下に響かせる。
「まさか・・・。疲れてるんだ。」
物悲しい自虐で幾分は心を癒し、その後は埃っぽい自室の布団に飛び込んで、僕の長い昼が終わった。
◆
食事を済ませ、風呂に入り、昨日と同じように縁側に扇風機を持ってきて、言われた通り夜風に当たりながら待っていた。最初は縁談だなんだと勝手に盛り上がっていたけれど、食事中にもそういうことを予感させるような浮ついた話は1つもなかった。何てことない普段通りだろう、淡々とした食事だった。
「翔太、じゃあ居間に来てくれるかしら。」
仏間から繋がる襖を開けて、1日の終わりらしい少し疲れた顔をした母親が歩いて来た。
「うん、わかった。」
母について居間に入ると、そこにはいつもの席に座る父親もいた。
「あれ、父さんも?」
「あぁ、うん。」
いつも早寝な生活をしているから、やはりこの時間に起きているのは眠気が勝つのだろう。母と同じく若干眠そうな表情になぜか少し申し訳ない気持ちが出て来た。
自分ひとりに両親が揃って、しかも祖母や鈴ねぇを抜きに話したい内容。きっとそれ相応の話なのは簡単に察しがつく。自分もできる礼儀は通さなければ。畏まって座る姿勢を正座に直した。
「・・・で、その、お話というのは、一体・・・?」
「あぁ、そうだな。お前にはもうそろそろ、話しておかないといけないと思っていたんだ。」
「えぇ。もうそろそろ、自分でも気が付いてしまうかもしれないと思って。」
「・・・一体、何のことですか?」
「・・・うーん。」
「どう話せばいいかしらねぇ・・・。」
「・・・それってさ、」
言ってしまっていいのだろうか。
「ひょっとして・・・」
この降って湧いた予感の答え合わせが、今、できるのだろうか。
「鈴ねぇの話・・・?」
「・・・。」
沈黙は、この時間が答え合わせであった事を、よく自分に教えてくれた。
「・・・ま、そうだよな。何もない、なんて事ないよな。」
「・・・。」
「翔太。よく、聞いて頂戴ね。」
「・・・うん。」
「あんたに言ってなかったけどね、実は鈴お姉ちゃんね、人じゃないのよ。」
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