10
◆
茜さす田園と一緒に自分達を迎えてくれたのは、1台の軽トラのライトだった。登山道の入口を煌々と照らす、土汚れを被って円形の輪郭を乱した光と一緒にガヤガヤとしたエンジン音が耳に届いて、それだけでその軽トラの持ち主は簡単に理解することができた。
「あっ!おーい!父さーん。」
呼びかけを待たずに両サイドの扉が開いて、運転席から父親が、そして助手席からは、鈴ねぇが降りて来た。駆け寄ってくる父さんに事情を話さなければ。
「おーい!翔太~!翔太~!」
「父さん、何でここまで?」
「あぁ!?なんでってお前、そりゃ・・・。・・・ありゃ!この人駐在所の新人巡査さんじゃねぇか!?」
「うん、そうなんだよ。今日山に登りに行く途中で会って一緒に登って行こうって事になって。」
「それで!?どっかで転んだんか!?」
「いいや、山頂の祠まで2人で行ったらそこで体調を崩しちゃって。なんとか2人で降りて来た。」
「どういうこっちゃ。それよりも翔太・・・」
「うん。丁度良かった、そうしたら父さんには・・・」
「心配したんだぞ!!」
「・・・え?俺?な、なんで?普通に散歩行っただけなんだけど。」
なんで目の前でぐったりしてる佐藤巡査よりも俺の心配をするんだ。
「あ!?あ、あぁ・・・。まぁそう、だな・・・。今は、佐藤さんの方か・・・。はぁ・・・。・・・取り敢えずお前に怪我が無くて良かった。よっしゃ!俺が佐藤さん家に送っから、お前は・・・」
父親の背後からサンダルで地面を擦るような音が響いた。
軽トラの脇、ライトの光の陰にぼんやりと浮かんでいるワンピースの影が、なんだかモジモジと背後に腕を回してこちらに視線を注いでいた。
「お前は鈴ちゃんと日の沈まねぇうちに帰ってな。多分真っ暗になる前には着くだろ。」
「・・・あっ、自転車。」
「あぁ、自転車ここにあったか。」
「うん、勝手に持ち出してた。」
「一緒に押してけ。」
「わかった。じゃあ佐藤さんをよろしく。」
「わかった。お前も気を付けて帰れよ。」
「うん、わかった。」
「・・・本当にな。」
「ん?・・・うん。」
◆
佐藤さんを助手席に投げ入れた父さんはノシノシと運転席に乗り込んでさっさと田んぼの向こうに飛ばしていってしまった。残る自分と鈴ねぇと、この銀色の自転車は徒歩で帰らなければいけない。
「鈴ねぇ、帰ろ。」
鈴ねぇは待ってましたと言わんばかりに駆け寄ってきて、わざわざ自転車を押している自分の腕に身体を絡めて来た。腕に伝わった感触、薄手のレース生地ごしに押し付けられた柔らかい胸の感触は、さっきまで肩に乗っかっていた佐藤さんの筋肉質な身体の硬さとはあまりに対照的で、思わず飲み込んでしまった唾の音が聞こえていないか心配になった。
「鈴ねぇ暑いよ。」
「ふふ。」
腕に絡む力が更に少し強くなった。
「・・・もう。まぁいいよ。」
帰省してから今まで相変わらずな調子だ。風呂に乱入されそうになった今となっては、もうどうでもいいかもしれないとも思える。
「鈴ねぇはなんで父さんと軽トラ乗って来たの?」
「・・・翔ちゃんがいるような気がして。」
「・・・そっか。」
それ以上の答えは帰って来ないような気がした。
「ねぇ翔ちゃん。」
「なに?」
「今日、山でなにしてたの?」
凄く楽しそうな、しかしやはり静かな笑顔を伴って覗き込むように問いかけが来た。
「なに、って言われても、ただ散歩に行って、そうしたら途中で佐藤さんと会って。」
「会って?」
「それでまぁ、一緒に山頂デッキに行って、」
「行って?」
「それで祠行ったんだよ。」
「祠行ったんだ!」
「・・・で、そしたらまぁ、佐藤さんが体調崩したから、急いで戻って来た。そしたら鈴ねぇと父さんが迎えに来てくれた。」
「そうだったんだ。」
「ひょっとして、鈴ねぇが父さんに言ってくれたの?」
「うん!な~んか、そんな気がして。」
「やっぱりそうだったんだ。・・・なんか、こうやって言葉に出してみると案外大した事した気がしないなぁ。でも結構疲れた。」
「お疲れ様。」
「うん。鈴ねぇも迎えに来てくれてありがとう。」
「ふふ。」
ひとしきり聞きたい事を聞いたのか、腕に絡みついていた力がふと抜けて、押している自転車の前に弾むように駆け出した。細身のワンピースのシルエットを眺める。まるで幻のように虚ろで、空に散る花みたいに儚げに見える。
「・・・ねぇ、鈴ねぇ。」
「なぁに?」
「俺、鈴ねぇに聞きたい事、あるかもしれないんだよね。」
「なぁに?」
「この質問をして、鈴ねぇの事どう思うとか、扱い方が変わるとか、そういう事も無いんだ。本当に。そこだけは安心して、質問を聞いてほしい、かな・・・。」
「ふふ。わかった。」
「・・・鈴ねぇって、本当は、人じゃなかったり、する?」
「・・・。えぇ~?」
「あ!今のはその!俺おかしかったよね!別に気にしないでいいから!冗談!そんな事ないもんね。あはは。俺何言ってんだろ!あはは!」
「修ちゃん。」
「何!鈴ねぇ・・・わっ。」
眼前に迫った彼女に両手で触れられた頬全体からは、少しひんやりとした彼女の掌が感じられる。しかし、それは自分の紅潮する自分の頬が感じさせてるだけかもしれない。
「私の事嫌い?」
「まさか。」
「じゃあ、好き?」
「・・・うん。まぁ、結構好き、かも・・・。」
「じゃあ、この場所は?」
「・・・え?」
「この場所で私と翔ちゃんがいっぱい遊んだりした思い出は?」
「そりゃ、いい思い出だよ。今日だって、そういうのが懐かしくって山に行ったんだから。」
「・・・そっか。」
少し冷静さを取り戻し、熱くなった頬の熱を自分で理解できるくらいにはなると、今度は、夕暮れの田んぼ道で男女が2人立ち止まってこんな状況になって、もし誰かが見かけたらとんでもない惚気と勘違いされてしまうかもしれない、という事への不安が来た。まぁ、この辺をこの時間に人が通る事も稀だけど・・・。
「俺も変な事聞いたけど、鈴ねぇもなんか、俺が帰って来てから、その、距離感とか、ちょっとおかしくない?」
「・・・おかしいの?」
「えぇ・・・!?いや、鈴ねぇが良いなら、別に俺はいいんだけど。」
「私はいいよ。翔ちゃんと、ずっと一緒でも。」
「えぇ!?何言ってるの鈴ねぇ!?」
「ほいっ!」
「あっ!帽子・・・。」
眼前まで迫っていた彼女は、知らぬ間に肩から背中に回していた手指を引っかけて首に提げていた緩い顎紐の麦わら帽子を取って行ってしまった。
「ひょっとしてその麦わら帽子って鈴ねぇのだった?ゴメン勝手に持って行って。」
「ふふ・・・。翔ちゃんの匂いがする。」
「それ、なんだか複雑な気分・・・。」
「あはは!」
再び自転車の前で舞い始めた白いワンピース姿が、膝下ほどの丈のスカートを回転の遠心力で広げて見せる。自分の拙い語彙では最早綺麗としか表現できないし、こんな、暴力的なまでに綺麗なものを、他の誰もない自分だけが独占しているという状況の慣れなさに、ただ身体を固めるしかなかった。そうするしかないじゃないか。
「はは。幽霊でも見てる気分だ。」
この世の物じゃないみたい。
「ふふ。一緒に飛んで行っちゃう?」
「・・・そういうのも、気分がいいかもね。」
「ふふふ。」
笑う口元を丁度隠した麦わら帽子のツバは、まるで劇で見る貴族の扇子に早変わりしてしまった。
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