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◆
田舎の夏が都会と違う点は色々ある。例えば・・・
「暑くて全然頭が回らん。」
大して変わらないかもしれない。
暑い!暑い!それ以上の事なんて無い!
「ひぇ~。予想外に日陰が無いぞ。」
ビルの間を抜けるような生活では、どれだけ蒸し暑くても日陰そのものはあるのだという事が分かったのは学びだった。なんとなく地元の風景を思い出したいからという理由で始めた散策は、そもそも最初に木の立ち並ぶ山沿いを歩くか田んぼ道を突っ切るかという選択肢でその快適度を大きく左右していたのだ。
「こんなに麦わら帽子に感謝する日が来るなんて・・・。」
ツバ広な麦わら帽子は玄関にいくつか掛けてあった奴を適当に拝借してきたのだが、これが正解だった。粗い網目は通気性も程よく、持って来たキャップよりもよっぽど快適だっただろう。
最早、今この目に映るものの何に頼ればいいのかもわからなくなってしまう。寒い時のように体を擦った所で身体から熱が逃げる訳でもなく、今跨っている自転車も身体に触れるサドルやハンドルが辛うじて触れる程度で、それ以外の場所に素肌が触れようものならほんの数秒でヤケドしてしまいそうな熱を持っていた。昨日から思っていたけれど、チェーンも熱で伸びて少し緩くなっているんじゃないだろうか。
「あと10分くらいの辛抱だ。そうすれば日陰に行けるぞ・・・。」
今日の散策の目的地は、昔からよく遊んだ小山の山頂に決めていた。家の縁側から庭を見渡した時に、丁度正面奥にそびえている200mほどの山。登山道の入口まで自転車で行って、適当な所に止めてから山頂のデッキに登ろうと思っている。
自分の記憶が確かなら、登山道はそこそこ自然豊かな雑木林の中を細くうねりながら、一応は舗装されたり丸太の階段に整えられたりで、少なくとも中学生くらいの自分ならデッキまで半日で往復するくらいはできる道だった筈だ。最も、この数年のうちに雨風の浸食を受けて倒木や土砂崩れが起きていなければの話だが。
「ま、そういうのも含めての散歩だ。」
暑さに滅入らず程々に楽しもう。意気込みの意味も兼ねて、腰に下げた水筒のお茶を一口喉に流し込んだ。
◆
「・・・ん?」
目の前に人影を見た。山に向かう途中にいくつからある田んぼの十字路の1つ、自分から見て右の道から丁度自分と同じくらいのタイミングで差し掛かって来た人物は、なんだか物凄く見覚えのある顔をしていた。
「あれ、お巡りさん?」
「ん・・・?あ、青木さんじゃないですか。どうもこんにちは。」
「えぇと、佐藤さんでしたっけ。こんにちは。今日は非番ですか。」
「そうなんです。なので少しばかりジョギングを。」
「はぁ、なるほど。それにしても今日は暑いですね。」
「えぇ、ほんとに。わざわざ日の当たる道に入ってしまったもんで。この田んぼ道じゃ日を遮ってくれるものも全然ないもんですから。」
「はは。実は自分も同じ事を思ってたんです・・・。本当にこの麦わら帽子に助けられてます。」
「あはは。たしかに、麦わら帽子は快適そうだ。」
自転車のスピードを緩めていたが、佐藤巡査との話に花が咲いたから降りて並んで歩く事にした。
「今日はこの後どちらまで?」
「今日は山に登ってみようとおもいまして。」
「あぁ。・・・あの山ですか?」
「はい。小さい頃からよく登ってたので。今日は山頂の展望デッキ辺りまで行こうと思います。」
「いいですね!よければ自分もご一緒しても?」
「はい!大丈夫ですよ。」
「自転車は?」
「あぁ、登山道の入口辺りで適当に止めます。」
◆
やはり山の力は凄い。あの忌々しいまでの暑さと日射しは、すっかり密集する緑の陰に吸収され木漏れ日となり、偶に見上げた目を刺してくる以外はほぼ無力化されていた。
「やっぱりここはいいな。最初から山沿いを歩いて来れば良かった・・・。」
隣でうな垂れている佐藤さんは膝上くらいの短パンに速乾素材のTシャツという、如何にもランニングをする用の服装をしている。きっと森に入った事で変化した気温もよく素肌に感じる事ができているのだろう。
「本当に涼しい。」
「いい登山道だ。」
「祖母が若い頃に整備されたらしいんですけど、僕がいた頃の記憶が確かなら半年に1回くらいはこの辺の住民でゴミ拾いだとか落ち葉拾いをしていた筈ですね。」
「えぇ、実は自分も勤務してから2回参加させて貰いました。この辺の方々は本当に元気でビックリします。」
「はは。まぁ皆土地勘もありますから。それに観光客もいないからゴミもそんなに苦にならない。」
「そう、ゴミが少ない。実は私登山が好きで、社会人になってからも山のゴミ拾いボランティアなんかに参加した事があるんですが、それと比べてもこの山は綺麗に使われている。」
「へぇ!そうなんですか。じゃあ今までもかなり山に近い所に?」
「いや、それがここの前まではずっと都会の方の勤務で。出身も都会の方なんです。」
「おぉ。自分も今はこことは全然違う都会の方にに住んでいて――。」
木漏れ日に守られた分の体力は、結局お喋りな口に回されたのだろう。そこからはしばらく時間も忘れて都会の事やらこの田舎の話やら、話せる範囲の佐藤さんの警察官としてのエピソードやら、とにかく花が咲いたと言わんばかりに止めどない会話が続いた。多分、この佐藤さんという存在に比較的年齢も近い同性としての親近感を湧かせたからに違い無かった。なにより、恐らく、自分と佐藤さんは中々気の合う人だった。
佐藤さん曰く、いや、よく思い出せば自分もよく祖父母たちから聞かされていたような気もするけれど、この山の麓の子込町が畑作をできているのは、この山が水源となる川の水分を豊富にもたらしてくれているおかげだという話をした。それは登山道の脇からよくせせらぎの音を伴って姿を現す小川に目が行ったからだ。豊かな水が周辺の青々とした草木を育み、それが同時に小動物や鳥の生活基盤となって自然の空気を一度に吸い込む事ができる。
「翔太くんだから言っちゃうけど、実はこの勤務地に最初に配属された時は少しビックリしたんだ。」
「あぁ、まぁ、そうですよね。はは。」
「ごめんって!でも、俺は元々、人がごった返すような地区で毎日毎日酔っ払いサラリーマンの介抱だとか、しょうもない近隣トラブルとか軽犯罪とか、そんな事でパンクしそうになりながら頑張ってたから、『山の近い所がいい!』なんて思ってはいたけど、実際に来てみるとたじろいじゃったんだよ。」
「分からなくはないですよ。」
「ただ、田中巡査部長にこの登山道を案内されたら考えが変わったね。」
佐藤さんの木々を見上げた目が一瞬キラリと輝いたのを見た。
「普通、人の手が山頂まで入って道も舗装されて、それで日常的に人が通る道っていうのは、もう少し自然が弱まるというか、歩いていてもまぁ、そういう散歩コースかな、って思っちゃうんですよ。でも、この山は今まで訪れた色んな山とは一味違うというか、なんていうか、自然が優しく人を受け入れてくれている。そんな感じがするっていうか。」
「・・・な、なるほど・・・。」
「・・・あぁ!すいません!なんだか勝手に熱が入ってしまって!」
「そうか、なるほど・・・。自分は小さい頃から当たり前のようにこの道を歩いたり遊んでいたから、あんまりそう言う事には気付かなかったなァって思いました。それに、この山の事をここ以外から来た人の口から聞くなんて、考えてみたら生まれて初めてかもしれないです。」
「あぁ、そうだったんですか。・・・ぼくは好きです。この山。」
「ありがとうございます。」
◆
「・・・小さい頃からこの山で遊んでいた、っていうのは、それはご家族とですか?」
「あぁ、はい。祖父や父なんかと川釣りする事もありましたけど、一番多いのはやっぱり鈴ねぇと一緒に来ることだったんじゃないかなぁ・・・。」
「・・・少し気になっていたんですが、鈴さんとはご姉弟ですか?」
「あっ、それが実の姉弟ではないんです。僕が小さい頃からずっと一緒に住んでいる親戚のお姉さんで。もうなんだか今は本物の姉のように思ってますけど。」
「そうだったんですね・・・。なんだかすいません。」
「あぁ大丈夫ですよ。別に気にしてませんし。」
「・・・それじゃあ、鈴さんっておいくつくらいなんですかね?」
「えぇ?そういえば鈴ねぇっていくつなんだろう。俺より3、4くらいは、上なのかなぁ・・・。」
「・・・そう、ですか。・・・そうですよね。やっぱり。」
「・・・あ!ひょっとして佐藤さん!鈴ねぇの事気になってるんですか!?」
「え!?いや別にそんな事は!」
「も~!」
「違いますって!」
自分で話してて少し気恥ずかしいけれど、目の前の佐藤さんという人がぐっと近しく感じることができて良かった。ひょっとしたら、自分は、数年ぶりにこの田舎に帰ってくる事がどこか寂しかったのかもしれない。なぜだかわからないけど、この町に帰る為の電車に乗っている時、ふと何か独りになってしまったような寂しさを感じていたのだ。その仄かな孤独感が、佐藤さんと他愛もない話をしているうちに少しずつ解けていくような気がする。一緒に散歩をしてくれて良かった。
やっぱり、佐藤さんは鈴ねぇの事が気になっているのだろうか。佐藤さんも自分と大して年齢も変わらないし、恐らく独身のようだから、少し気持ちはわからなくもない。鈴ねぇはこの町に残っているほぼ唯一の若い女性だし、何より恐ろしいくらいの美人だと思う。自分にとっても、自慢の姉だし、賑やかだし、優しいし、小さい頃からいつも一緒に遊んでくれていた。
実際この山は鈴ねぇとの格好の遊び場だった。自分が一番好きだった遊びはかくれんぼだった気がする。といっても、隠れるのはいつも自分の方で、鈴ねぇに見つからないように一生懸命色んな物陰を探して身を潜めたものだ。
それでも不思議な事に、鈴ねぇが自分を見つけられなかった事は一度も無かった。毎日毎日、「今日こそは隠れ通せるだろう」と思いながらジッと息を殺すのに、日が暮れる直前で必ず見つかってしまっていた。時には流石に日が暗くなってきて、怖くなって顔をひょっこり覗かせた瞬間、逆に物陰から飛び出して来て驚かされたりもした。小さい頃の自分はそれが余りにもビックリして泣き出したりして、そんな時は、鈴ねぇが負ぶって帰ってくれたりもした。
鈴ねぇは昔からずっと変わらず自分の大好きな、綺麗で優しくて凄い自慢の姉だ。自慢の姉・・・。自慢の・・・、変わらない・・・。
「・・・あっ、あそこって小さい頃よく隠れてた所だ・・・。」
「・・・え?・・・は!?ちょっと!青木さん!」
「え・・・?」
「危ない!!」
いきなり背後から思い切り肩を引っ張られて身体が背後に倒れ込んだ。
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