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◆
『: ツギハ、子込町。子込町。オ出口ハ左側デス。 :』
「・・・あっ、着いた。」
降り立った駅は、相変わらずの雰囲気だった。
もう滅多に人が来ない無人駅。高度経済成長期の頃は若い働き手も多く、賑わっていたようで、その当時に羽振りよく建てられた立派な作りの純木造建築の駅舎なのだそうだ。今となっては埃をそこら中にかぶり、蜘蛛の巣を張らせ、まるで小さい頃にテレビで見たアニメ映画に登場する美しい廃墟のようだ。
電車を降りて、リュックをホームにボトンと落とす。目を閉じてから一度空気を肺いっぱいに吸い込んでみた。木の甘い香りと久し振りに登った屋根裏部屋のような独特の香りが鼻腔に充満して、降り立ってまだ数秒の自分をもううんざりさせてくれる。数年ぶりに平穏を得たような、そんな心持ち。
「それにしても立派な駅舎だよなぁ。」
どこかで、この駅舎の梁は元々取り壊す事になった古い集会所の部材を再利用したなんて話を聞いたけれど、それも納得するくらいゴツゴツとした無骨な面持ちの太い梁が、2両編成の電車とほぼ同じだけの長さに渡って駅舎の構造を支え続けている。
「もうちょっと都会寄りにあれば、それなりの観光名所にでもなってたんだろうに。」
この自虐は、自分が上京する前にボヤいていたそれと比べて、遥かに実感の色を帯びただろう。
そう、自分が生まれ育ち、今こうして、数年ぶりの帰省を遂げた場所である、見渡す限りの田園風景。子込町は、比較的人の多い近隣のどの地方都市へ行くにも、車でも電車でも1時間はかかる陸の孤島。町の脇にそこそこの高さの山があるおかげで、物は無くても川の水源には恵まれたのだという。だから、自分の実家含め、この町の人々は昔からこの場所で農業に務めて、いまだに半分自給自足のような生活を営んでいる。
全く惚れ惚れするような田舎だろう。
「ハァ・・・。溜息が出ちゃうね。帰って来たって感じ!」
都会じゃ異常者扱いされて人の輪ができるような音量の独り言も、ここでは好きなだけ言ったって誰も聞いてなんかいやしない。
「ほんとに人っ子一人いやしねぇ。・・・そうと決まれば!」
すぅーー。
「帰って来たぞおおおおおおおお!」
チリン。
流石に駅前には人がいたか!
まずい。流石に怖がられる音量で叫んでいた。それにこんな田舎、恐らく知り合いとしか遭遇しないに決まってるのだ。
誰だ。流石に殆ど話した事の無いおばちゃんとかだと悪い噂が流れちまって、うかうかのんびり帰省を楽しむ事もできない。
チリンチリン。
鈴の音の正体は、どうやら自転車のベルの音のようだった。
「・・・えぇと、そこにいるのはどこのどなたかなぁ~っと。」
・・・あ。
なんだか見覚えのある銀色の自転車を脇に押して真っ直ぐ立っている、長い黒髪をツインテールにまとめた女の子がいた。
すらっとした長身でメリハリのある体型が、ストンと肩紐から下げたワンピースに美しい凹凸のカーブを作っている。その頂上で向日葵のように咲いたツバ広の麦わら帽子を手前に傾けて。
そんな風に顔を隠したところで、この場所に彼女くらいの若い女性は数えるほどもいないというのに。
「鈴ねぇ!迎えに来てくれたの?」
一瞬麦わら帽子の奥でクスクスと楽しそうに笑う声が聞こえた気がした。まるでタネを知っている手品の種明かしをされたみたいに、麦わら帽子のツバを摘まんで軽く持ち上げて見せた彼女の笑顔に、やっとこの田舎に帰って来たという実感を得たのだった。
「ただいま。鈴ねぇ。」
「ふふ、おかえり、翔ちゃん。」
◆
「鈴ねぇが乗ってきたの?」
「ううん。乗るかなって。」
「ありがとう。鈴ねぇ、後ろ乗る?」
「わぁ!うん!」
この自転車は中学に上がる時に父親がプレゼントしてくれたもので、学校に行く為の唯一の電車を逃した時は、よくこれで線路沿いを爆走して遅刻していたものだけれど、自分が上京してからも家族が使い続けているようだ。鈴ねぇからハンドルを貰ってペダルを回してみると、予想以上に気味の良いギアの音が耳をくすぐった。
リュックを籠に放り込んで自転車のサドルに跨ると、待っていましたとばかりに鈴ねえが後ろの荷台にお尻を落っことしてきた。やたらと剛性の高いママチャリのフレームが一瞬タイヤの圧縮によってガクンと震えて、少し手首が痺れる。
「はは、相変わらずだなぁ。」
「ふふ。」
「じゃ、行くよ。掴まっててね。」
「ん!」
力いっぱいにペダルを踏みこむと、最初は2人分の体重にギリギリと張りつめたチェーンが少しずつタイヤを回し始め、ほんの10mやそこらで自転車は加速から安定した曳航モードへと緊張を緩めた。
あとは風。風と草。伸び放しの畑の脇の雑草が、この田舎道に似合わない突然の質量の通過によって生み出される風に靡いて、驚いたようにその身体の反りを揺らして行く。
「暑いね。」
「うん。でも風が気持ちいい・・・。」
鈴ねぇが腰に回した腕を狭めて頬を軽く背中に付けて来た。被りっぱなしの麦わら帽のツバが首の後ろの方にチクチク刺さってくすぐったい。
「やっぱり暑いよ!」
背後で鈴ねぇがまたクスクスと肩を震わせているのが伝わってきた。この人のいたずら好きな性格を今更思い出す。
「なーんにも変わってないね!」
「うん、なーんにも変わってない!」
「飛ばすよ!」
ペダルをグッと蹴込む。チェーンが再びギュンと引っ張られる感触があって、その後すぐに押されるように自転車が加速する。懐かしい感覚が向かい風となって顔面にぶつかるから、すっかり額の汗も冷えてしまっている。
「確かに風、気持ちいかも!」
「うん!」
まだまだサンサンに照る日射しの下、水田のおかげか思いの外地面の熱の照り返しも少ない田んぼ道を自転車で駆け抜ける喜びに、早速都会から引きづって来た諸々のモノを放り捨ててしまった。
束の間のサイクリングは、残るは帰るべき場所へと車輪を転がして行くだけになった。
◆
偶にペダルを漕ぎながら、足が痛くなればペダルを離して、車輪の転がりに任せて、人も車も通らないアスファルト敷きの道路をゆったりと蛇行する。ゆるりと風の流れを受けて、背後に座る白いワンピースのスカートがヒラヒラと舞うのがわかる。音でも無く、ただそうある一塊の景色の枠組に嵌め込まれたように、今この自転車が2人を運んでいる事の必然性に溶け込んだ平穏さが、酷く自分を心地よくさせた。
目の前に見えて来た白い箱のような建物にはよく見覚えがあった。この、田んぼ以外は殆ど何もない筈の風景の中に出現する箱。自分が物心ついた頃から変わらずある、駐在所だ。
自分の記憶が確かなら、この駐在所には田中さんという中年の男性巡査が勤務していた筈だけれど。何となく思い出と照らし合わせながら建物に差し掛かろうとした時、中から1人の警察官がトボトボと伸びをして出て来た。自分が知るよりよっぽど若く、背が高い男性警官だった。
自転車のチェーンの音に気付いたらしい警官がこちらに振り向いてきて、目が合ってしまった。ここが普段生活している都会なら、別にわざわざ気にせずフラフラと通り過ぎてしまったって特に問題も無いのだろうけど、如何せんこの田舎にはそういう事をしても良いというルールがない。道すがら、折角出会った人とは軽く挨拶をして小話をするくらいの事を半ばしなければいけないような雰囲気がある。ただ、自分はこれが嫌という訳でもない。後席にも気を遣って優しくブレーキをかけ、駐在所の前に足を付いた。
「こんにちは。」
「こんにちは!・・・失礼ですが、この辺の方ですか?」
「はい。えっと、青木翔太って言います。あっちにある青木家の息子です。」
「ほぉ!青木さんのお宅の方でしたか!失礼しました。存じ上げませんで。」
「いえいえ、私も今日、数年ぶりにここに帰って来たんです。」
「そうでしたかそうでしたか。佐藤健成といいます。去年からこの駐在所に配属されました。」
「佐藤さん。初めまして、よろしくお願いします。」
「と、いう事は、自転車の後ろの方に乗っている方は、」
「こんにちは。」
「あぁ、やっぱり鈴さんでしたか。こんにちは。」
「鈴ねぇの事はもう知ってたんですね。」
「えぇ、ここら辺じゃ知らない人はいませんよ。」
「はは、確かに。」
駐在所の奥の扉がガラガラと開く音が外まで響いて、ペチペチと床のタイルを叩くスリッパの音が近づいて来た。これは自分のよく知る足音じゃないか。
「おぉ!誰か声がすると思って出てきたら!青木さんちの翔太君じゃないか!」
「田中巡査!お久しぶりです!」
「お!巡査かぁ・・・。どうもどうも久し振り!」
「あっ。青木さん、実は田中さんは」
「結構結構!こほん、長旅ご苦労様です。しかしながら、わたくし田中信二、この子込駐在所勤続20余年にして、とうとう後輩の配属を受けまして、役職を巡査部長に改めた次第で御座います。」
「え、田中のおっちゃんが、昇進!?」
「はははは!そうともそうとも!どうせこの田舎は昔から何も変わってないと思ってただろう!数年も都会にいれば、1つや2つ変わる事もあるさ。」
「本当に、おめでとうございます。」
「うん。今は、これから実家に帰るんだろう?」
「はい。」
「そうかそうか。青木さん達もきっと君の帰りを待ちわびているよ。そこにいる鈴さんもね。」
ずっと自分の腰と胸の間辺りに細い腕を回している鈴ねぇがまたクスクスと楽しそうに身体を震わせているのが伝わる。
「みんな、翔ちゃんを待ってるよ。」
「だそうだ。」
「うん。分かった。じゃあ、僕達はこれで失礼します。」
「うむ!青木さん達にもよろしく。」
「はい。それじゃ。」
再び足をかけていたペダルに力を入れる。ゆっくりと回り始めた自転車の車輪がチラチラと日の光を反射して目に刺さる。
「田中さんが巡査部長か~。」
「ふふ。」
鈴ねぇが笑う。
「よーし!このまま突っ走るぞ!」
「わー!」
サドルから少し腰が浮くくらいグッと踏み込んでスピードを上げた。
気付いたら、鈴ねぇが鼻歌を歌っていた。昔からふと気付くと歌っている。なんの曲かは分からないけれど、やっぱり懐かしい曲だ。
見慣れた田んぼの間を抜けていく。
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