第32話 うんうん



「許せねえ……。絶対に地獄を見せてやる……!」


 自然と口から呪詛が漏れる。

 こう言おうとせずに口から出てしまうというのは、本当に心の底から思っているということだ。


 呪詛の先は、もちろんケルファインである。

 この俺に暗殺者を向けやがって……。


 ちょっと言われただけですぐに命を奪いに来るとか、頭おかしいんじゃねえの?

 小者が……。


「四大貴族相手にそこまで憎悪を持つことができるご主人様、さすがです」

「ふっ、そうほめるな……」


 ナナシのよいしょに、思わずにんまり笑顔になる。

 よしよし、そうして普段から俺のことを機嫌よくさせていれば、それでいいのだ。


 ……あれ?

 よく考えたら、これ褒められていない感じ……?


「実行に移す前に、ご署名いただいてよろしいですか?」


 そう言って、ナナシは俺にスッと書類を差し出してくる。

 お前……ここ湯気で湿気るのに……。


 とはいえ、機嫌のいい俺はナナシが差し出したものに目を通してやる。

 なになに?


 アポフィス家の持つすべての権利と財産をナナシに無償譲渡する、と。


「はっはっはっ」


 ニッコリ笑って書類を破り捨てる。


「あぁっ!? 私の丹精込めて作った遺書が……」

「主に遺書を書かせるメイドっておかしくない?」


 題名に大きく遺言って書いてあったぞ。

 ふざけるなよ。


 お前に財産贈与をするような遺言は残さないし、残したとしてもそれは俺を殺したこの世界を呪う罵詈雑言である。

 ふーっと一息。


 天井を見上げて、疑問に思っていたことをぶちまける。


「というか、当たり前のようにここにいるけど、それもおかしくない?」


 そう。

 俺がいるのは、宿の大浴場である。


 本来ならほかの客でいっぱいになっているのだろうが、今は俺を殺すために人払いがされていたため、貸し切りである。

 ……俺を殺すためって自分で言うのも嫌なんだけど。


 もちろん、大浴場にいる理由というのは、入浴である。

 高級宿のため、かなり広く立派な造りだ。


 そこを貸し切りにできているのだから、入らない理由はない。

 ……のだが。


 どうしてナナシも一緒にお風呂に浸かっているんですかねぇ……。

 当たり前のように、澄ました顔で入っている。


 熱いお湯に浸かっているためか、鉄仮面も少し赤らんでいる。


「おかしくないですよ」

「え、そう?」


 平然と言ってのけるので、思わずうなずきそうになってしまう。

 いや、別に構わないと言えば構わないのだが。


 今更裸を見てお互いキャーキャー言うような付き合いでもないし。

 というか、ナナシの内面を知っていれば、どう頑張っても反応しない。


 自分の財産狙いを公言する女である。

 しなしなですよ……。


 あと、貧乳だし。


「彼らだけだと思いますが、万が一増援や違う暗殺者が来たら大変じゃないですか」

「俺の盾になりに来てくれるとは……」


 自覚が芽生えたようだな。

 終身名誉肉盾という称号を与えよう。


 これからも励むように。


「その時、ご主人様を囮にして逃げないといけないので」

「何があってもお前だけは離さない」


 何が何でもナナシは逃がさん。

 俺がどうしても……どうしても死ななければならない時が来れば、必ず道連れにしてくれる。


 そう決意を固めていると……。


「愛の告白? バロール殿」

「イズン……」


 また女の声である。

 げんなりしながら振り返れば、イズンの姿があった。


 当然のように、身体にまとうエプロンドレスはなく、タオルで前面を隠している。

 が、その凹凸のはっきりとした身体の線は隠しきれていない。


 ナナシさんを刺激するのは止めろ。

 ほら、凝視しているぞ、お前の身体。


「動くたびに揺れる……?」


 あっ、もらい泣きしそう……。

 そんなナナシの様子を顧みず、イズンは鼻歌を歌いながらお湯に入ってきた。


 え、入ってくるの?

 やけに身体が近く、ピトリと肩同士が触れ合っているのも嫌なんだけど。


 俺、人肌NGって言ったよね?

 それもあるが、あのえぐい訳の分からない力が、お湯に浸透して俺に効果を及ぼすとかないよね?


 俺もミイラみたいになったりしないよね?


『助けてもらった力を過剰なまでに警戒するご主人様、さすがです』


 ふっ、まあな。

 俺を見習え。


『死んでもごめんです』


 …………。


「ずるい、バロール殿! イズンにも愛の告白しテ!」


 何やらとんでもない勘違いをしている様子のイズンは、頬を膨らませながら突っかかってくる。

 真っ赤な目をキラキラと輝かせる。


 立ち上がるものだから、幻想的なまでに白い肌が露わになる。

 本当、めっちゃ白いな。


「今のはそういう意味のものじゃないから、安心してくれ」

「そうですよ、イズン。私に嘔吐させるつもりですか?」


 俺とナナシは非常に珍しく意見が一致したので、団結してイズンの説得にかかる。

 お互い、そういった関係だと思われるのが嫌で仕方がない。


 とはいえ、嘔吐というみっともない姿にまでなるんだったら、愛をささやいてやろうか?

 ……あ、ダメだ。ここ浴場だし。


 地獄絵図になる。

 俺も被害をもらってしまう。


「バロール殿! 頭洗っテ!」


 考えていれば、イズンがぐいぐいと俺の腕を引っ張って立たせる。

 君、メイドとしての自覚ある?


「はっはっはっ。いろいろ見えていてマズイぞ、イズン」


 前面を隠していたタオルも放り投げているため、もはやイズンの身体を遮るものは何もない。

 18禁だ。


 真っ白な肌は、まるで妖精のようだ。

 妖精見たことないから知らんけど。


 しかし、身じろぎするたびにタプタプと震える胸部は……。

 ナナシでは、とてもじゃないが抗えない……!


 意外と着やせするタイプなんだな。

 忌み子とはいえ容姿も整っているし、いざというときは、好色そうな敵に取り入らせてみよう。


『でも、全然反応していないですよ、ご主人様』


 俺の前面に回り込んで、下腹部の辺りを凝視するナナシ。

 どこ見てんの、お前?


 ド変態メイドの称号を与えよう。


「んふー! 気持ちいイ!」


 ワシワシと石鹸で髪の毛を泡立ててやると、目を細めて猫のように伸びをするイズン。

 少しの身じろぎだけでも揺れる。


 どことは言わないが。

 しかし、ご主人様に洗わせるってどうなの?


 普通、逆だよね?


「イズンも自分で頭を洗えるようになれよー」

「バロール殿がしてくれるから、平気!」


 ニッコリと笑うイズン。

 いつまで俺のことをこき使おうとしているの?


 信じられねえわ。


「ご主人様。これからどうしますか?」

「ああ……。あの男、最期はケルファインと言っていたな」


 ナナシが近づいてきて、問いかけてくる。

 イズンとは比べものにならない凹凸のなさに、思わず涙がこぼれる。


 あの暗殺者が最期に言っていた名前……ケルファイン。

 誰もがご存じの、四大貴族の一人である。


 しかし、四大貴族から命狙われるとか……。

 俺がいったい何をしたって言うんだ……。


 逆恨みにもほどがある。

 人間性に問題があるんじゃないか、ケルファイン。


「何とかしないとな……」


 顎に手を当てながら、悩む。

 普通の宮廷貴族が相手ならば、最悪領地に逃げかえればいい。


 もちろん、俺を狙った復讐はするから逃げかえるだけではない。

 とはいえ、この王都で何の準備もなしに宮廷貴族とやり合うのは、明らかに下策である。


 ひとまず領地に戻って準備をするのは悪くない。

 そして、少なくとも一介の宮廷貴族は領地に帰った俺をどうにかできるような力はない。


 だが、四大貴族となれば話は別だ。

 あれに敵視されていれば、状況も改善せずに逃げかえると、本当に領地取り潰しとかになる可能性がある。


 それだけの力を持っている無能共なのだ。

 だから、逃げるだけではだめだ。


 反撃。

 カウンターを仕掛け、二度と俺に歯向かうことができないようにしなければならない。


「うん、イズンも頑張ル!」

「おお、頼もしいな」


 イズンが元気に手を上げる。

 うんうん。


 身を粉にして、俺のために馬車馬のごとく働き続けるんだよ。

 それが、イズンだけでなく、この世に生まれたすべての生命の義務だからね。


「父親、倒ス!」

「うんうん」


 …………は?



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