第30話 うん、全然恥ずかしくない



「お?」


 バロールの目には、大きく変化しているようには見えなかった。

 もともと、フロントは人がおらず、夜ということもあって、非常に薄暗かった。


 その中で影が広がったという表現をされても、うまく認識できないのは仕方ない。

 ブロスも、目の前に立っている。


 何も変化はない。


「ご主人様、後ろです」


 ナナシの言葉に、バロールは考える前に動いていた。

 その身体は、後方へ。


 地面を蹴って飛びずさる。

 そして、その直後、彼が立っていた場所に銀の剣閃が煌めくのであった。


「あっぶねえ!?」


 ギョッとするバロール。

 そこに、人はいない。


 広がっているのは、影だ。

 その影から剣を持つ腕が伸びていたかと思うと、スッと消えた。


「(お、お化け……!)」

『いや、違いますよご主人様。やっぱりビビりですね』


 戦慄するバロールに、ナナシは嘆息する。

 とはいえ、二人はお互いがお互いを利用していた。


 ナナシはその攻撃を察知することはできるものの、逃げられるほどの身体能力はない。

 一方で、バロールは身体能力こそ高いものの、攻撃を察知するのはナナシよりも一歩劣る。


 二人はそれぞれ補って、立っているのである。


「(……重い。やっぱり捨てていい? お前のこと)」

『いいわけないです。ぶっ飛ばしますよ』


 補い合っている割にかなりギスギスしているが、これが彼らの普通なので特に問題はない。


「よく初見でこの不意打ちから逃れられたものだ。初めてかもしれないな、この経験は」

「すべて、俺の力だ」

「は?」


 ふっと笑みを浮かべるバロール。

 他人からの称賛はすべて自分のものにしたいお年頃。


 もちろん、ナナシは無表情で露骨にイライラしていたが。


「凄イ。どういうからくりなノ?」

「私の魔法は、影を操る。私自身がまとうことはできないが、周りのものを影に沈ませ、潜ませることができる。こういった薄暗い場所では、最高の魔法だよ」


 イズンの問いかけに、ブロスが得意げに話す。

 こういった優位性を話すことは、人間なら誰しも自尊心を刺激されるものだ。


 裏の仕事をし、忠実な暗殺者として生きてきたブロスだからこそ、このように自慢できるのは確実に殺す相手の前だけなのだから、なおさらである。

 どれほど情報をばらまいても、どうせ殺すのだから問題ない。


 そう思っているのである。


「随分とあっさり種明かしをしてくれるんだな」

『ご主人様、こいつバカですね』


 なお、バロールとナナシは心の中でめちゃくちゃに嘲笑している模様。

 この二人、何があっても死ぬつもりはないし、何が何でも生き延びる覚悟をしていた。


「なに、冥途の土産だ」

「(さっきそれ言っても拒否していたじゃん)」


 ふっと決め顔を決めるブロスに、バロールが内心で毒づく。

 冥途の土産も渡さないとか言っていたくせに、この掌返しには苦笑いしかできない。


「さて、お話はもう終わりだ。迅速に終わらせる。それこそが、我々の任務であり、存在意義なのだから」


 自尊心を満たすこともできたし、もはやここに滞在する理由はない。

 明日には、地方貴族の死体が一つ出来上がり、王都をにぎわすことだろう。


「『暗影』」


 影がまた一層広がった。

 すでに、ブロスのほかにも大勢いた暗殺部隊の人間は、みなその影に身体を潜ませている。


 姿が見えない暗殺者の恐怖。

 いつ、どこから凶刃が迫るとも分からない。


 視覚から大多数の情報を仕入れる人間にとって、それが塞がれるというのは非常に大きな足かせとなる。


「(ひぇ……)」

『ひぇ……』


 その脅威は間違いなくバロールとナナシにも伝わっている。

 誰だって恐怖し、脅威に感じるだろう。


 ほへーっと感心しているイズンは除くが。

 この力で、ブロスは主に敵対するすべての敵を屠ってきた。


 バロールもまた、その中の一人になる。

 彼の影に紛れ、部下たちが凶刃を振るう。


「右です」

「ほっ」

「左です」

「ぬっ」

「前です」

「おほっ」

「バカです」

「おっ……今誰のことを言った?」


 だが、確実にバロールの身体に突き刺さり、切り裂き、バラバラにすると思われていた凶刃は、そのことごとくが避けられてしまう。

 ナナシの指示通りの方角に、身体を動かす。


 身体に触れるギリギリを、刃が通り抜けていく。

 しかし、まったくの無傷でバロールは立ち尽くすのであった。


 目を丸くするブロス。

 まさか、温室育ちの貴族が、ここまで逃れられるとは思っていなかった。


 だから、精神を多少揺さぶることにした。


「ふはっ。逃げるのは上手なようだ、バロール・アポフィス。しかし、メイドの力を借りなければならないとは、情けない」


 人間、バカにされたり格下に見られたりすることは、そう気持ちがいいことではない。

 特殊な性癖持ちならまだしも。


 自分よりこの世に価値があるものは存在しないと本気で思い込んでいるバロールならば、なおさらだ。

 だが、意外とバロールは冷静だった。


「(ほーん)」


 とりあえず、バカにされたことには内心ブチ切れているが、その言葉が刺さることはなかった。

 というのも、彼は他人に小さな王になることのできる権利である領主権を委譲し、養ってもらおうと考えている男である。


 誰かの力を借りることなんて、何とも思わない。

 むしろ、自分のために必死で力を出せと、不遜にも常時考えている男だ。


 まったくもって挑発にはなっていなかった。


「(考えられる限りの苦痛を与えてから殺してやる……!)」


 だが、プライドは宮廷貴族の何百倍もあるので、怒りだけは本気で抱いていた。

 ブロスたちの運命が決まった瞬間である。


「ダメ!」


 暗殺者たちの凶刃がバロールに近づく中、彼の前に立ちはだかったのはイズンだった。

 頬を膨らませ、両腕を目いっぱい広げて通せんぼ。


「バロール殿をいじめるのは、ダメ!」


 真っ赤な目がブロスを捉える。

 許さないと、幼い義憤で燃え上がっていた。


「ぷっ……」


 それを見て、ブロスは怒りやわずらわしさよりも、別の感情に支配された。

 すなわち、嘲りである。


「ははははははははっ! 本当にメイドに庇われているじゃないか。なんて情けないんだ、バロール・アポフィス! 女の……それも、忌み子の背中に隠れるなんて、恥ずかしくないのか!?」

「(うん、全然恥ずかしくない)」


 腹を抱えて笑うブロス。

 バロールは真顔だった。


 近くにいる人間は、いざというときの肉盾。

 そう思い込んでいるバロールに、老若男女は関係なかった。


「むー……バロール殿をいじめる奴らは、イズンが許さないヨ!」


 だが、ブロスも……そして、バロールでさえも誤算だったのは……。


「――――――みんな、死んじゃえ」


 イズンは、ただの肉盾ではなかったのである。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る