第20話 ドタバタうっせえよ!

 


 時は少しさかのぼる。

 シジルク率いるシルケイアのメンバーは、少数精鋭で夜の闇に紛れながら移動していた。


 今ではそれなりの規模になっているシルケイア。

 だが、その中で暗殺に対応できるほどの能力を持っている者は限られる。


 さらに、少数精鋭でなければ、移動するだけで発見されるリスクが増えていく。

 そのため、シジルクが厳選したメンバー数人による、バロール暗殺計画が始動したのだ。


 本来なら、もう少し準備に時間をかける。

 道具、計画、標的のスケジュール。


 それらを万全のものにしてから実行に移すのが、暗殺だ。

 だが、今マルセルには時間がない。


 悠長に時間をかけていれば、押し負けてこの蜂起は抑え込まれてしまうだろう。

 だから、今日。この夜に。


 バロール・アポフィスを暗殺するのだ。


「作戦通りにいきますよぉ。幸い、屋敷を守る私兵はそう多くはありません。あとは、屋敷内に使用人が数人いるだけ。順当にいけば、簡単に殺すことができるでしょう」

「しかし、どうしてこんなに少ないんだ? 領主の屋敷。それも、有事が起こっているんだったら、もっと警備を手厚くするのが普通じゃねえか?」

「それは……」


 確かに、シジルクも疑問に思っていたことだ。

 屋敷を警備している私兵の姿は確認できるものの、それはごくわずか。


 領主の居場所を警護するには、平時でも少ないくらいだろう。

 どうしてこんなに少ないのか。


 思考の波に潜り込もうとして……。


「それはですね、わたくしたちがいれば、その護衛が必要ないからですの」


 穏やかな女の声が、耳に届いた。

 シジルクたちは、一斉に飛びずさって声の方角へと相対する。


 そこには、一人のメイドがニコニコと穏やかな笑みを浮かべて立っていた。

 月光に照らされる褐色の肌は、どこか怪しい色気がにじんでいた。


「どうも、シルケイアの皆様。お招きしていなのですけれど、ようこそお越しくださいましたわ」


 慇懃に頭を下げるメイド。

 言葉の節々には歓迎していないということがにじみ出ているのだが、その笑顔や所作からは一切見受けられないというギャップがあった。


 二重性があるのだろうと、シジルクは思う。

 いや、彼女の言動以上に意識を引き寄せられたのは……彼女の容姿。


 もっと言えば、彼女の肌だ。

 それは、王国民ではありえない、褐色の肌である。


「異民族の……メイド……」

「はい。バロール様にお仕えしております、アシュヴィンと申しますわ」


 異民族のメイド……アシュヴィンは、そう言って微笑んだ。

 バロール側の人間に、暗殺前に自分たちの存在が露見してしまう。


 そんな危機的状況において、シルケイアの面々は……安堵の笑みを浮かべていた。


「ああ、よかったぁ。私たちを見つけたのが、あなたで。余計な血を見る必要はなかった」

「はい?」


 シジルクの言葉に、不思議そうに首を傾げるアシュヴィン。

 彼女を殺す必要はない。


 なぜなら、ここにやってきたのは、バロールの暗殺と目的はもう一つ。


「私たちは、あなたを助けに来たのです、アシュヴィン」

「わたくしを、助けに……?」


 目を丸くするアシュヴィン。

 そんなことを言われるだなんて、微塵も考えていなかった様子。


 それもそうだろう。

 この王国で、異民族を助けようとする者がいるだろうか?


 シジルクは、その反応を当然のものだと受け入れた。


「ええ。異民族の使用人。大変な思いをされていることでしょう。あなたのような人を助けるべく、我々シルケイアは存在しているのですよぉ」


 シルケイアという組織があること自体知らない異民族も多い。

 アシュヴィンもその類なのだろうと判断する。


「ほかの使用人や私兵ならば、口封じをしなければいけないところでしたがぁ……いやはや、よかったよかった」

「まあ、しょせん王国の人間だから、殺すことなんて何とも思っていないけどな」


 それは、シルケイアに所属するすべての異民族の総意だろう。

 彼らは、王国と王国民を憎んでいる。


 それ相応のことをした報いだと認識しているシジルクでさえも、だ。

 理性で理解していても、感情が納得するわけではない。


 そんな地獄を味わったのだから。


「わたくしも、ですわ」

「はい?」


 だから、ポツリとアシュヴィンが呟けば、シルケイアの面々は顔を輝かせた。

 それは、すなわち自分たちと同じ思いだということ。


 彼女が、自分たちの仲間になってくれる。

 そういうことだからだ。


 しかし、シジルクだけは、その声音に違和感を抱いた。

 どういうことだ?


 自分も、仲間たちと共に喜べばいいはずなのに……。

 その嫌な予感は、すぐに的中することになる。


 アシュヴィンはニッコリと笑って、言った。


「わたくしも、異民族を殺すことなんて、何とも思わないんですの」

「がっ!?」


 バッと暗い夜の闇に鮮血が舞う。

 その血を噴き出したのは、シルケイアのメンバー。


 いつの間にか、アシュヴィンは抱くように槍を持っていた。

 その穂先には、べっとりと赤いものが付着している。


 誰がメンバーを攻撃したのか、明白だった。


「な、なぜ!? 我々は同胞! 助けに来たというのに……!」

「なぜ?」


 シジルクたちからすれば、まったく理解できなかった。

 助けに来た相手に攻撃されるなんて、誰が予想できるだろうか?


 しかし、まったく理解できないのは、アシュヴィンも同様だった。


「バロール様に剣を向けたのであれば、同胞でも何でも関係ないですわ。マルセル側についている時点で、あなたたちは皆殺しですの」


 クスクスと楽しそうに笑いながら、アシュヴィンはシジルクたちに襲い掛かる。

 ロングのエプロンドレスという、激しい運動をするに適していない衣装を身にまとっているというのに、槍を持って突貫してくるその速度は、荒事に慣れているシルケイアの面々を圧倒する。


「ぐっ……!? まさか、洗脳を受けて……!」

「失礼ですわね。まあ、バロール様に酔っているというのは、事実かもしれませんが」


 眉を顰めるアシュヴィン。

 否定しているが、シジルクにはそうとしか思えなかった。


 同胞を躊躇なく殺そうとするのは、洗脳以外に何が考えられるだろうか?


「虐待をしてくる相手に依存するというのは、意外とあるものです。アシュヴィンも、おそらくそうなのでしょう。私たちで、彼女を助けなければ……」

「まだそんなことを言うんですのね」


 呆れたようにため息をつき……アシュヴィンは姿を消した。


「ぐっ!?」


 次の瞬間、現れたのはシジルクたちの眼前。

 槍が薙ぎ払われると、シルケイアの面々は一気に吹き飛ばされた。


 宙を舞い、甚大なダメージを受ける。

 人を複数、一気に吹き飛ばすことなんて、どれほどの力があれば可能となるのだろうか。


 身体能力に特化した異民族の集団であるシルケイアでも、そのようなことができる者は、存在しない。

 そして、それだけではなかった。


「槍って、投擲できるのがいいと思いますの」


 アシュヴィンの持つ槍が輝く。

 その光は、闇を照らす月光よりも明るい。


 まるで、小さな太陽だ。

 そして、その光を纏わせた槍を、アシュヴィンは宙を舞うシジルクたちに向かって、投擲した。


 轟音。

 耳が破裂するのかと思うほどの炸裂音が、辺りに響き渡る。


 もし、ここが領主の屋敷という街から離れた場所でなければ、多くの領民たちが慌てて飛び出してきていただろう。


「わたくしは助けなんて一切求めていませんわ。むしろ、バロール様の下にいることで、救われますの。邪魔しないでいただけますか?」

「こ、んな……私たちが、一方的に……!?」


 もはや、シルケイアの面々の中で立っている者は誰一人としていない。

 アシュヴィンのこの強さはなんだ?


 あの光り輝く槍はなんだ?

 疑問が次から次にわいてきて、消えることはない。


「さて、あなた方を処分すれば、もはやマルセル陣営にまともな戦力はなくなります。簡単に押しつぶすことができますわ。だから……」


 もちろん、アシュヴィンがそれに応えてやるつもりも毛頭ない。

 光を失った槍を掲げ、シジルクの前に立ち……。


「さっさと死んでくださいまし」


 無慈悲に、命を奪う槍が振り下ろされた。


「アシュヴィン、騒がしいけど、大丈夫か?(ドタバタうっせえよ! こっちはこれから寝るところなんだぞ!? 処刑だ、処刑!)」


 その槍がシジルクの心臓を貫く寸前だった。

 実際に、薄皮は裂け、血がにじみ出ている。


 それでも、アシュヴィンがぎりぎりになって槍を止めたのは、声をかけてきた人物がいたからだ。

 バロール・アポフィス。


 アポフィス領の支配者である。

 さすがに、静かな夜にこれほど激しい戦闘音を鳴り響かせていれば、バロールでも起きてくる。


 優しい彼が、メイドであるアシュヴィンを心配して顔を出すのは、当然と言えた。

 そして、それはシジルクにとって、最初で最後の絶好の機会。


「バロール様!」

「こ、この男だけはあああああ!!」


 満身創痍のシジルクが、バロールに襲いかかる。

 それは、死力を尽くした決死の突撃。


 本来の彼の能力では出しえないほどの速度を実現していた。

 アシュヴィンも声を張り上げることしかできない。


「は?」


 バロールは唖然として、血だらけのシジルクが迫りくるのを見て……。

 目が、輝いた。



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