第12話 手ごまゲットぉ!
アシュヴィンは、その後どういう行動をとったのか、覚えていない。
記憶がないのだ。
かすかな記憶の中では、マルセルを突き飛ばして逃げ出したような気がする。
実際、領主の屋敷から抜け出し、かつて過ごしていた路地裏に座り込んでいたことからも、それは事実なのだろう。
そして、彼女が心底大切そうに抱きしめている弟の生首があることからも、あの屋敷での悲劇は実際に起きたことだと冷徹に伝えてきていた。
その血が彼女の衣服を汚そうとも、決して弟の首を離そうとはしなかった。
もはや、飲食もしていない。
食料を盗んでいたのも、ひとえに弟のためだ。
その弟がいないのであれば、そんなことをする理由はどこにもない。
いずれ、このままだと衰弱死するだろう。
だが、それでいいのだ。
父と母……そして、弟の待つ場所に行けるのであれば、死ぬことに何らためらいはない。
だが、一つ……一つだけ、心残りがあるとすれば……。
「あの男に、報いを受けさせること……!」
自分をだまし、弟を弄び殺した男……マルセル。
あの男がのうのうと生きて、自分たちだけが死ぬというのが、一つの心残りだった。
だが、どうしようもない。
自分一人の力で、領主の息子を殺せるとは思えない。
護衛は必ずつけているだろう。
万全の状態で武器もあり、味方も複数いるのであれば話は別だが、どれもこれも今のアシュヴィンには欠けている。
だから、死ぬことにした。
死んで、早く家族たちに会いたい。
そう思っていたのに……。
「うん? 君は、マルセルに拾われた……」
出会ってしまったのは、領主の息子であるバロール。
マルセルの兄で、彼が化物と嘲笑していた男である。
「…………」
ギロリと睨み上げる。
ろくに食事もとっていないため、目はくぼんで今にも飛び出しそうだ。
その目で睨み上げられると、まるで幽鬼ににらまれたように感じてしまう。
バロールはショック死しそうになった。
「……随分と色々なことがあったようだね(ぎゃあああああああ! この人、生首持ってるううううう! 怖いよぉ! 話しかけなきゃよかったよぉ!)」
知った風な口を利くバロールに、アシュヴィンは怒りがわいてくる。
そうだ。
こいつも領主の息子。
マルセルの家族。
なら、こいつを利用してやろう。
骨の髄までしゃぶりつくし、すべてを利用し、そして……あの男を殺すのだ。
「お願いがあります、バロール様」
そのためなら、憎い領主の息子に頭を下げることすらいとわない。
大切に弟の首を抱えながら、深く頭を下げる。
「わたくしを、雇ってくださいまし」
「…………(絶対嫌だわ。なんで生首抱えているクレイジーウーマンを懐に入れないといけないの? 間違いなく暴発するよね、君)」
バロールは何も話さない。
自分を見定めているのだろう。
そもそも、人の首を持っている人間と出会って、叫ばないという時点でバロールが常人ではないことを示していた。
だからこそ、こうして取引をすることができる。
「何でもします。なんだってします。犬になれと言うのであれば、犬になります。道化になれと言うのであれば、どんなに笑われても構いません。この身体をご所望なら、何をしてもかまいません。だから……」
深く深く頭を下げる。
人間の尊厳だって、踏みにじってもらって構わない。
自分はどのように貶められても気にしない。
だが、弟をいたぶったあの男だけは、絶対に許さない。
「……そうまでして、君が求めるものは?」
「……マルセルを、殺させてくださいまし!」
「…………(監督責任で俺も罪が着せられるだろうが! ダメだわ! バレないようにやれ)」
バロールは見定めるようにアシュヴィンを見つめる。
一つため息をつき、口を開いた。
「俺は、復讐を否定しない。だが、復讐のためだけに生きるというのは賛成しない。なぜなら、その復讐を果たした後、生きる意味を失ってしまうからだ」
「……?」
何の話をしているのか。
眉を顰め、怪訝な表情を浮かべるアシュヴィン。
説教なんて、聞きたくもない。
そんな高尚なものは、自分には必要ないのだ。
「俺の元に来て、仕えてみるといい。復讐のために力をつけるのもいいが、仕事ももちろんしてもらう。その過程で、復讐以外にも生きる意味を見出すことができれば、俺にとってそれほどの幸せはないよ」
「……そんなの、必要ありませんわ」
生きる意味なんて、見出すつもりはなかった。
マルセルを殺す。
そうしたら、家族のもとに行けばいい。
そう思っていた。
だから、バロールが招き入れてくれることだけはありがたかったが、後は迷惑極まりなかった。
「今はそう思っていてもいいさ。だけど、いつか考えが変わってくれたらいい。そう思っているよ」
ふっと笑うバロール。
その何でも知っているようなそぶりは苛立たしいが、新たな主人となる男から嫌われるわけにはいかない。
グッと文句を飲み込む。
「俺はバロール。君は?」
「……アシュヴィンですわ」
差し出された手を握りしめる。
こうして、アシュヴィンはこの先何十年と仕えることになる、至上の主と出会ったのであった。
「(よっしゃぁ! こき使える手ごまゲットぉ!)」
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