第13話 そんなのいいから、さっさとマルセル殺せや!

 


 アシュヴィンは、バロールに心を許さない。

 当たり前だ。


 なにせ、彼はあのマルセルの兄。

 つまり、仇の兄なのだ。


 諸共殺してやる、というほどアシュヴィンは理不尽ではないが、決して仲良くすることはできないだろう。

 自分たちは、取引相手なのだ。


 お互いがお互いを利用しあう。

 そういうビジネスライクの関係。


 アシュヴィンは力をつけるための時間を手に入れるため。

 バロールは何かしらのことを彼女に任せるため。


 アシュヴィンは、恩も感じていなければ感謝もしていなかったが、その代わりにどのようなこともやるつもりだった。

 その言葉に偽りはない。


 犬になれと言われれば犬になるし、道化になれと言われれば道化になる。

 そんな悲痛な覚悟と共に、バロールの元に向かったアシュヴィンは……。


「アシュヴィン、洗濯物を取り込んでおいてください」

「はい」


 ナナシに言われる通り、干されている洗濯物を取り込んでいく。


「アシュヴィン、部屋の掃除をしておいてください」

「はい」


 ナナシに言われる通り、部屋を綺麗に掃除する。


「アシュヴィン、喉が渇いたのでご主人様が隠しているジュースを持って来てください」

「……怒られますよ?」


 ナナシに言われる通り……とは、さすがにいかなかった。

 自分の仕えている主を騙す行為である。


 平然と主の所有物に手を出そうとするナナシに戦慄する。

 というか、自分ばかりを働かせて、柔らかそうな椅子に深く座り込んでぐでーッとしている彼女に、先輩の威厳もくそもなかった。


「私がいいと言えばいいのです。いつかすべて私のものになるので」


 無表情のどや顔で何を言っているのだろうか。

 アシュヴィンは心の底から疑問に思った。


「ならねえよ」

「あいたたたたた」


 ヌッと背後から現れた手が、ナナシの頬を強く引っ張る。

 柔らかい餅のように伸びる頬。


 痛いと言いながらも、表情は大して変わっていない。

 現れたのは、バロールだった。


 なお、アシュヴィンの手前怒りをある程度抑えているが、腹の中ではブチ切れ状態である。

 そんな仕草を一切見せず、彼はニッコリと笑ってアシュヴィンを見た。


「慣れてきたか?」

「ええ、多少は。……ほとんどナナシにいいように扱われているだけのように思えますが」


 やっていることは、完全に使用人の仕事である。

 色々と覚悟をしていたから多少拍子抜けだし、ナナシにいいように扱われているようで、ちょっとむかつく。


「後輩は先輩に従うのは当然です」

「こいつの言うことは特に気にする必要はない。背後から刺しても構わない」

「えぇ……」


 バロールの言葉にドン引きする。

 この二人は、いったいどういう関係なのだろうか。


「少しはここでの生活に慣れたか?」

「……ええ。多少は」

「それはよかった。復讐の副業と思ってもらって構わないからね」


 ニコニコと笑うバロール。

 それに、疑問……いや、気味悪さを覚える。


「……本当にそれでいいのですか? わたくしは、あなたの弟を殺すと公言しているんですよ?」


 お前の弟を殺す力をつけるため、自分を雇ってくれ。

 そんなことをアシュヴィンが言われたら、即座に処刑するだろう。


 それほどのことを言っている者を、どうしてこんなにも普通に迎え入れているのか。

 さっぱり理解できなかった。


「積極的に背中を押すわけじゃないさ。ただ、マルセルもやりたいことをやった。なら、君がやりたいことをやっても、何ら悪いことではないさ(どう考えても殺人は悪いけどな。俺と敵対する領主候補とか邪魔でしかないから、さっさと殺せや)」


 バロールの内心はさておき、言っていることもなかなかに凄いことである。

 内心がひどすぎてあまり目立たないが。


「わたくしは、あなたに感謝しておりますわ。恩も……。だから、それを返すまでは……軽率な行動はとりませんわ」


 内心を悟ることのできないアシュヴィンは、あろうことか感謝すらしてしまう。

 最悪である。


 もう二度としないと決めていた感謝と恩。

 それをしてしまうほど、バロールは優しかった。


 もちろん、アシュヴィンが心の底から悪に徹しきれない優しい性格だということも十分にあるのだが。


「ああ、それなら嬉しいよ(そんなのいいから、さっさとマルセル殺せや! 何のためにお前を雇ったと思ってんだ!)」


 最低である。









 ◆



 それから、さらに年月が過ぎた。

 アシュヴィンは相も変わらずバロールに仕え、ナナシにこき使われていた。


 その結果……。


「バロール様、起きてくださいまし。ふふっ、寝癖ができておりますわよ。治しますから、こちらに寄り掛かってくださいまし」


 めちゃくちゃバロールに気を許していた。

 アシュヴィンを責める者はいないだろうが、誤解はしないでもらいたい。


 彼女は、もちろん復讐のことは忘れていないし、力をつけるための研鑽は続けている。

 ただ、バロールに気を少し許しているだけだ。


 ……そう、【少し】だ。

 未成年飲酒をこっそりとしていたせいでまだ寝ぼけているバロールを、自身の成長著しい胸に寄り掛からせ、お湯で湿らせた手で優しく髪の毛を撫で、慈愛のこもった瞳で見下ろしていても、それは【少し】なのだ。


「……楽でいいですねぇ」


 ナナシもご満悦である。

 仕事がほとんどアシュヴィンにこなされるようになったからだ。


「あ、お前もうほとんど用済みだから、解雇一歩手前だからな」

「!?」


 愕然としているナナシ。

 この時から、彼女は捨てられないために家事能力を卓越したものに進化させ、バロールに捨てられなくさせるのであった。


「ああ、散歩にでも行くかな(ここにいたら、クソ親父から仕事押し付けられそうだし。ガキに働かせようとしてんじゃねえよ、老害が)」


 父親に対するとんでもない罵倒である。

 仕事から逃げるために散歩するのは、バロールの常套手段である。


「では、お供いたしますわ」

「ああ、お願いするよ(なんで気を張った状態で散歩しないといけないんですかねぇ。他人が近くにいると、気を緩められないのだが?)」


 アシュヴィンの提案も、内心かなり嫌がるが、断ればせっかく最近親しみを感じられるようになった彼女が、また面倒くさくなると受け入れるバロール。

 しかし、本性を出すことはできないとはいえ、そもそも街に出て本性なんて出せるはずもないので、アシュヴィンがついていてもそれほど問題はない。


 小さな独り言で毒づくことができなくなるくらいの弊害である。

 むしろ、アポフィス家の財産をすべて奪いつくすと公言しているナナシより、一緒にいるのはマシである。


 そんなこんなで、領内をのんびりと現実逃避しながら散歩している。

 バロールは、次期領主となるために領民たちへの媚び売りを欠かさない。


 そのため、領民たちから親しみやすさもあって慕われており、行く先々で声をかけられる。

 ちょろいもんである。


 そんな主を見て、アシュヴィンは本当にいい主と出会えたと。

 あの男とは比べものにならない、素晴らしい人もいるのだと。


 そう思って微笑み……。


「おや? おやおやおや!? まさか、アシュヴィンかい!?」

「――――――っ!!」


 彼女の笑顔が凍り付くのであった。

 満面の笑みを浮かべて近づいてくるのは、マルセル。


 彼女の復讐の対象であり、弟の仇であった。


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