第3話 よし、やっぱり今すぐ帰ろう

 


 銀色の長い髪を、ナナシと違ってまとめることなく伸ばしている。

 青い目は透き通る空のようだ。


 穏やかな物腰と話し方は、相手の警戒心を容易く解いてしまう。

 長いロングスカートのエプロンドレスはナナシと同じだが、大きく違うのはその胸部だろう。


 ぺったんこというか地平線というか水平線というか……そういった評価が正しいナナシに対して、まさしくアシュヴィンのそれは山。

 男なら、誰しもが上りたいと思うほどの立派なものだ。


「(まあ、俺を養ってくれなかったらゴミ同然なんだけどな)」


 俺は性欲を完璧に支配下に置いているので、それを見ても興奮はしない。

 まあ? 俺のことを甘やかして養って領地経営を完璧にこなしてくれるのであれば?


 もうめちゃくちゃに興奮した演技くらいならしてあげるけど?

 アシュヴィンも、ナナシと同様特徴的な外見がある。


 それは、肌の色だ。

 彼女は褐色。


 つまり、異民族だ。

 日焼けをして肌が黒くなるというのはあるが、生まれながらにして褐色というのは、この国では生まれない。


 異民族と呼ばれる、この国とはまた違う人種がそれである。

 国の人間からは、なかなかに嫌われている存在だ。


 というのも、異民族は定住して国を設けないものだから、基本的に遊牧して略奪を繰り返す。

 嫌われるのも当然である。


 俺だって、俺の懐に入るべき財産があいつらに持っていかれたら、ブチ切れである。

 だから、このアシュヴィンも正直まったく信用していないのだが……。


「こちらは2度目の嘆願になりますね。バロール様、いかがいたしますか?」


 アシュヴィンが優しく微笑みながら、問いかけてくる。

 なになに?


 出店が遠いから自分の家の近くに作ってほしい?

 ……知るか!!


 そんなもん、俺に言ってどうなるんだよバーカ!

 税金で出店なんてやってるわけねえだろうが!


 やっていたとしても、俺のところではやらないわ!

 なんで俺の金をテメエのわがままのために使ってやらなきゃならんのだ!


 しかも、二回目って図々しすぎるわ。

 無視したに決まっているだろ、ボケ。


 察しろ、ボケ。


「ああ、分かっているさ。以前も、無視したわけじゃない。優先順位があってな……」


 しかし、表面上はこの対応である。

 アシュヴィン、割と誰にでも優しいタイプだからなあ……。


 本性を少しでも出したら、あっさりと敵意を向けてきそう。

 異民族だし。信用できねえ。


 ……いや、まあ異民族関係なく、俺は誰のことも信用しないんだけどさ。


「ええ、もちろん分かっておりますわ。バロール様は、お優しいですもの」

「……何も分かってないですね」


 黙ってろ、ナナシ。

 俺の完璧な演技に騙されてくれているのだから、余計なことはしないでほしい。


 だいたい、俺ほど慈愛の精神に満ち満ちている者はいない。

 俺がこの世界で最も慈悲深い存在だと言っても、過言ではないのだ。


「過言ですが」


 ナチュラルに人の心を読むのは止めてくれませんかね?


「さてと、じゃあ少し散歩にでも行こうかな」


 俺はふと立ち上がる。

 ゴキゴキと背骨が鳴る。


 ちっ。身体に負担がかかるレベルの仕事とか、マジで早く辞めたい。

 誰か俺を養って。


「あら、いいのですか?」

「ずっとこもっていても肩が凝るしな。それに、直接会って話をした方が、領民たちの気持ちも分かる」


 詭弁である。

 領民たちの気持ちなんて、微塵も知りたくない。


 税が安くてちょくちょく自分たちの意見を聞いてもらえれば、満足だろ?


「なるほど。さすがバロール様です。差し出がましいことを……」


 アシュヴィンが深く頭を下げる。

 本当だよ。


 黙ってサボらせろ。


「いいんだ。アシュヴィンには、こうして俺のことを見て、注意してくれることを望んでいる。戒めになるからな。だから、これからもよろしく頼む」

「はい」


 まったくそんなことは思っていない。

 俺に戒めなど不要である。


 俺のやることなすこと正しいからな。


「かー……ぺっ!」


 ナナシが唾を吐く。

 ……唾を吐く!?


 室内だぞ、ここ!

 室内じゃなくてもダメだけど!


「では、私は残りま……」

「ナナシ、君にもついてきてほしい。視野が広いからね」

「…………」


 うっすら空虚な笑みを浮かべるナナシ。

 その言葉を遮ってやれば、死んだ顔になる。


 目はもっと死んでる。魚かな?

 だいたい、アポフィス家の財産を根こそぎ自分のものにしようとしている奴だぞ?


 そんなの、俺の目の届かないところで屋敷に一人でいさせるわけないだろ。

 絶対に横領するだろ、お前。


 無言の抗議を強く受けながらも、俺はナナシを無理やり外に連れ出すのであった。










 ◆



「あ、バロール様だ!」


 俺が街を出歩けば、すぐに領民から声をかけられる。

 ほっとけよ。


「寄って行ってくださいよ! 美味しいですよ」


 飲食店の出店を出している親父が言う。

 あれは……串焼きか?


 何かの肉が焼かれ、たれをつけられ……いい匂いがしている。

 ごくり。


「ああ、また寄らせてもらうよ。今は視察途中だからね」


 ニッコリと笑う。

 寄るわけねえだろ。


 俺は他人が作った飯ってプロ以外は身体が受け付けない。

 戻しそうになる。


 この親父、別にどこかで修業したとかそういうことはないだろうし、たぶん俺の身体は受け付けない。

 ご遠慮申し上げる。


「ねぇ、バロール様。新しいメイドの募集とかしていないの? 私、興味あるんだけどなあ」


 いつの間にかすり寄っていた女が、腕を抱きしめてくる。

 胸の谷間に挟み込むように。


「ははっ。君みたいな可愛らしい子なら、もっと他にいい場所があるさ」


 俺は無感動にその腕を引き抜き、適当に笑う。

 バカかこいつ。


 明らかに財産狙いのアバズレを招き入れるわけねえだろうが。

 もうナナシでいっぱいいっぱいなんだよ。


 だが、俺のナイスな言葉選びによって、女は不快そうにすることもなく、むしろ少し嬉し気にしながら引き下がる。

 恨まれることが一番怖いからね。


「バロール様! 遊んで遊んで!」


 ゴキッ。

 腰元にドン! と衝撃が走り、腰から鳴ってはいけない音が鳴った。


 あいええええええ!? 俺の腰がああああああ!!

 下手人を見れば、鼻水を垂らしたクソガキが。


 野郎……ぶっ殺してやる!


「ごめんね。また今度な」


 クソガキをそっと引きはがす。

 なんでガキと同じ立場で遊んでやらなきゃならんのだ。


 だいたい、お前ら無駄に体力あるし俺を引きずり回すしで最悪なんだよ。

 次の日、筋肉痛でろくに動けなかったわ。


 処刑するぞ。

 ……というか、腰がマジでやばい。


 ろくに運動しないものだから、かなりやばい。

 助けて……。


「バロール様は、領民から慕われておりますわ。これほど民から好かれる領主は、存在しないでしょう」


 アシュヴィンは、どこか誇らしげに胸を張る。

 どうしてお前が俺の功績を横取りしているのか気になるが……。


 別に有象無象に好かれても……。

 早く俺の寄生先がやってこなければ、このいい領主ムーブも意味をなさないのである。


 疲れるだけだ。

 はぁ……。


 領民とのふれあいとか、鳥肌が立ちそうになるからさっさと辞めたいのだが、今屋敷に戻ってもあのクソ書類仕事しかないしなあ。

 しばらく散歩を続けるか……。


 そう思っていた時だった。


「きゃあああああああ!!」


 鋭く上がる女の悲鳴。

 俺は即決即断した。


 よし、やっぱり今すぐ帰ろう。



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