第11話

  ◇


 「あっ!アンリ君だ!」

 「よっ!雛実!今日は店番か。」

 「そうそう。アンリ君は?ひょっとして、私と遊びたくて来ちゃったのかな・・・?」

 「はは、暇なのか?」

 「ほうほう!君にはこの格好が目に入らぬと申すか!」

 「雛実様、本日もお勤め、お疲れ様です。」

 「ふふん!よろしいよろしい!で、今日は何を?」

 「そうだなぁ、連理の家に行くんだ。また黒糖饅頭かな。」

 「ふふ、アンリ君好きだね。何個にします?」

 「6個入りを。」

 「かしこまりました。でもアンリ君、最近よく買いに来るね。お金は、・・・大丈夫なの?」

 「あぁ、午前に港で荷下ろしの手伝いしてんだよ。船長が小さい頃からの仲で。」

 「なるほどねぇ。連理君ともすっかり仲良しね。」

 「あぁ、あいつと宿題してるとよく進むんだよ。1人じゃ手も着けないからな。」

 「あはは!わかるかも~。」

 「なんだと?そういう雛実はもう終わらせたんだろ?連理も驚いてたぞ。」

 「私こういうの集中してガッと終わらせられちゃうの。」

 「凄いな・・・。」

 「えへへ。」

 「・・・雛実、結構日焼けした?」

 「あっ、気付いちゃった~?最近お外に出る事が多くて。」

 「へ~。」

 「どう?似合ってる?でも、最近ちょっと無頓着だったかなって反省してて・・・。」

 「いいや、雛実は小麦肌も似合うよ。」

 「・・・えへへ、ありがと。・・・はい!お饅頭!」

 「ありがとう。」

 「連理君にもよろしくね。」

 「あぁ、雛実も店番頑張ってな。」

 「うん!またのご来店をお待ちしておりま~す!」




  ◇


 「なぁに?昨日の事悪いと思ってたの?」

 「いやぁ、ちょっとやりすぎちゃったかなって思いまして。」

 「・・・アンリ君ちょっとこっち。」

 「はい・・・。」

 「このお馬鹿さん!」

 「アイタッ!」

 「このデコピンは昨日の分じゃなくって、そんな後ろめたい気分で昨日の体験を塗り潰さないでほしいって思ったことの分。」

 「・・・すいません。」

 「もう、おいで。」

 「はい・・・。」

 「私、好きな人としかこんな事しないし、嫌な事はさせないわ。」

 「存じております・・・。」

 「だから、あなたにそんな思いさせちゃったら、私だって悲しいもの。」

 「はい・・・。」

 「・・・アンリ君ちょっとこっち。」

 「またデコピンですか・・・?」

 「ふふ、違うわよ。ほら、おいで。」

 「恥ずかしい。」

 「来なさい。」

 「はい・・・。」

 「おりゃっ!」

 「うっ!蘭さん苦しい!力強い!」

 「ぎゅーっ!」

 「どこにこんな力が・・・。」

 「あはは、またナヨナヨしてたらもっときつく絞めてやるんだから。・・・ねぇアンリ君、お願いがあるんだけど、聞いてくれる?」

 「なんですか?」

 「お饅頭ありがとね。私は1つ頂くから、残りは上に持って行ってくれないかしら。」

 「上って、連理の部屋ですか?」

 「・・・連理の部屋の奥、お父様の書斎の間に、もう1つ飾り襖があるでしょう。」

 「・・・えぇ、たしかに。」

 「あそこ、今お客様がいるのだけれど、その子に。」

 「・・・いいんですか?僕で。」

 「・・・いいのよ。お願い。」




  ◇


 記憶に朧げだった例の襖は、確かに連理の部屋の隣にあった。この家の上等な設えはよく生活に行き届いていて、襖と障子の並ぶ廊下の中でも実際に出入口として使われるものにだけ飾りや襖絵が描かれている。これだけ大きなお屋敷ながら、ただの見せかけではなく、長い間人が自分たちの生活の為に整え続けてきた本当の実用性が、この廊下には見て取れた。

 「・・・ここか。」

 茜色に靡く小麦の稲穂の絵が描かれた1枚の襖を前に、取り敢えずは居室の確認の為にも、脇にある柱を軽く拳のコブで3回ノックした。

 「あの~どなたかいらっしゃいますでしょうか。」

 そういえば、こんな声を出せば隣の部屋の連理だって気付きそうなものだが、返事も気配も無い。不在か。

 「えぇと、家主の遠藤蘭様の使いでお菓子の差し入れをお持ち致しました。現在ご在室でしょうか?」

 客人とはどんな人なのだろう。思えばいきなりの訪問という事でもないだろうし・・・。ひょっとしたら、連理と部屋で過ごしていた声が聞こえてしまっていたかもしれない。連理も教えてくれればいいのに。

 「・・・ご不在でしたら・・・ご不在でしたら?えぇと、なんて言えばいいんだ・・・。」

 やはり不在に居合わせたのだろう。仕方ない戻って蘭さんにもそう伝えよう。


 「・・・あの、います・・・。」

 声が返って来た。それも、恐らく女の子だ。

 「あ、お菓子・・・お饅頭があるんです。もし良ければ・・・」

 襖が開いた。そして、姿を現した。


 先日駅前で会った女の子だった。




  ◇


 「わ!」

 「・・・。」

 「・・・えぇと、お饅頭です・・・。」

 「・・・ありがとう。」

 「・・・えっと、あなたって、先日どこかで、お会いした事って、」

 「人違いです。」

 人違いらしい。

 「あ、なんだかすいません・・・。それじゃあ僕はこれにて・・・」

 この空気、絶えられない!

 「・・・ねぇ。」

 「はいっ!?」

 呼び止められた。

 「・・・この間は、転んだの・・・ありがとう。助けてくれて。」

 「・・・お構いなく。」

 「・・・それだけです。」

 「わかりました。・・・それじゃあ私は。」

 「はい・・・。」

 「・・・あっ!そうだ!」

 「はい!?」

 「いつからこの屋敷にいらっしゃるか分からないんですけど、その、俺と連理の話し声、邪魔になったりしていませんか!?」

 「え!?あ、別に、聞こえた事、ないです!」

 「そ、そうですか!わざわざすいません!それじゃあ自分はこれにて・・・。」

 「はい。・・・ありがとうございました。」

 振り向き様にした挨拶もそこそこに逃げ帰るように階段を降りる。




  ◇


 「あら、おか~えり。早かったわね。」

 「これ以上何があると思っていたんですか。団子届けて、挨拶して、それで終わりですよ。」

 「え~ん?そうだったの~?」

 「いくらなんでも!俺は!初対面の女の子にまで、そ、そんな事しませんっ!」

 「・・・女の子だったか・・・。」

 「・・・?どういうことです?」

 「うん?ううん、なんでも。お饅頭のお遣いありがとうね。アンリ君。ご褒美、あげようか?」

 「ご褒美って、何のこと言ってるんです・・・?」

 「そうねぇ、赤~い”あめ玉”を2粒か、甘~い”お豆”を1つだけ・・・それか熱くてネ~ットリした・・・何よ~その顔。」

 「・・・なんか今日はそういう気になれませんで、すいません。」

 「ふふ、可愛いアンリ君。いいよ。会いに来てくれただけでも嬉しい。ほんとよ?」

 「・・・また来ます。でも次は連理と宿題を片付けに来ます。そろそろ終わらせて気楽になりたいんです。」

 「いいわね~。じゃあ、”あの子”にも、よろしくね。」

 「・・・?・・・わかりました。それじゃあ失礼します。」

 「は~い。」

 彼女の部屋を出てトコトコと玄関へ向かう。もうこの家の間取りもそこそこ覚えてしまった。この先右手に階段があって、そこを通り過ぎて左曲がりの角を抜けると玄関広間に出る・・・んだが。

 ちょうど階段から少女が降りて来た。

 「あっ、どうも・・・。」

 「・・・。」

 「お邪魔しました。自分はもう帰りますんで。」

 「・・・。」

 不機嫌そうな俯き気味の黒髪少女。大変不気味だ。

 「・・・あはははは。」

 自分は帰るんだ。このまま真っ直ぐ玄関まで・・・。

 少女も着いて来た。


 「・・・。」

 なんで着いてくるんだ。お互い居心地悪いだろうに。

 自分のすぐ斜め後ろを歩いている少女は、自分の記憶が確かなら昨日と同じようなワンピースを着ている。見かけは美人だけど、こう行動が予測できないと気味が悪い。

 しかし、彼女が住んでいたのが遠藤邸だったのは驚きだ。驚く、けれど、何と言うか、それ以上に出てくる感想もない。

 連理の親戚だろうか。それか蘭さんの知り合い?

 少し聞いてみるくらい、別にいいじゃないか。

 「ねぇ、ひょっとして、君は連理の親戚?」

 「・・・そう、です。」

 「・・・そっか。」

 親戚か。

 「そうか、親戚の方だったか!」

 道理で、

 「道理で連理にも何となく面影が似ている訳だ。」


 この静かな廊下で、背後の床板がピシリと軋む音を聞き逃す筈も無かった。

 「え・・・?」

 振り向かなければ良かった。連理の親戚だというその少女は、恐ろしくて堪らないというような、いや、焦りの頂点にでも達したかのような緊張の顔を磔てその場に立ち竦んでいたのだから。

 「・・・なぁ、君、さっきから大丈夫・・・いや・・・すまん、自分が良くなかった。無頓着な自分を許して・・・く・・・れ・・・」


 振り向かなければ良かった。


 見なければ良かった。


 いや、今日、来なければ良かった。


 それか、ちゃんと伝えるべきだった。


 いや、もっと、言うなら・・・、


 もっと、最初から・・・




 気付くべきだった。




 「・・・なんだか、すいません。俺もう帰りますから。お邪魔しました。」

 「・・・。」




  ◇


 玄関を出るまで、もう振り向く事は無かった。振り向く事なんてできなかった。今の俺に、彼女の顔をこれいじょう見て出てくる言葉の1つにも、正しい事も、はたまた、正しくなかったとしても、状況をよくできるような言葉なんか、1つも無いなんて事は、あまりにも、その空間において強く確証めいていたからだった。

 彼女、いや、最早今の自分の中で、そういう言葉を使う事が正しいのかも、そんなことすら分からないのだから。


 彼女は、連理だった。


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