第5話 大鵬の地方巡業 ~最初で最後の岩内場所~
小学校5年生の時、岩内町に大相撲の横綱大鵬が所属する部屋が地方巡業にやって来た。
祖父は大鵬の大ファンだった。大鵬だけでなく相撲自体のファンで相撲中継が始まる時間になると、新聞の取り組み表を手に14インチ白黒テレビの前に正座してすべての対戦を見るのを大きな楽しみにしていた。
祖父から聞いた話では、戦後すぐに樺太から引き揚げてくるときに大鵬と船で一緒だったのだと言う。もちろんその時はまだ少年だった大鵬のことなど知ることもなく、ずっと後になってからわかったことに違いないのだけれども、稚内で下船し列車に乗って小樽までやって来たのも一緒だったらしいのだ。しかも、稚内で下船したその船は小樽まで行く途中の留萌沖で潜水艦に撃沈されてしまう。もしそのまま小樽まで乗船を続けていたら、祖父も大鵬一家も留萌沖の海の底だったかもしれないのだ。
しかも、祖父の家族も大鵬親子も、予定では小樽まで乗船するはずだったのだという。ところが船底に近い客室の揺れや環境の悪さから子供たちが体調を崩してしまったため、仕方なく稚内で下船しなければならなくなったのだという。同じようにして大鵬親子も同じ事情から稚内で下船し、そこから列車に変えて小樽を目指したのだ。そのことを知って以来、祖父の大鵬への思い入れは更に深まったと言う。
相撲中継では大鵬の出身地を弟子屈とアナウンスされている。だが、実は樺太から引き揚げて来た納谷幸喜少年が最初にやって来たのは岩内町に住む母親の兄妹の家だったことから彼は岩内の西小学校に転入したのだ。その縁から大鵬が所属する部屋が岩内町巡業にやって来たのだ。
この時、珍しいことに父が素早く動いて祖父の為にチケットを用意してあげたのだ。
岩内町の町営グラウンドでおこなわれた地方巡業の「岩内場所」は岩内町周辺の相撲ファンが大勢詰めかけて大盛況だった。間接的に小学校の後輩になったらしい僕らも、広いグラウンドのずっと後方から大騒ぎしながら「しょっきり」に登場した仲間たちを見て羨ましがっていた。
きれいに設置された土俵を目の前にした最前列に座り、初めて実物の大鵬を見ることになった祖父は、珍しく大きな声を上げて見ず知らずの隣の客と一緒にはしゃいでいた。
その後大鵬は二度目の地方巡業「岩内場所」を行うことなく引退し、祖父はこの町の病院に入院することになった。この時が最初で最後になってしまった本物の大鵬の姿は、祖父の目には他の観客たちとは違った意味で強く焼き付いていたはずだった。そして僕も、その時以来あんなに活動的だった祖父の姿を見ることはなくなってしまったのだ。
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