第4話 蒸気機関車でニセコまでスキーに行くんだ ~比羅夫駅までスキーでGO!~
祖父は泳ぐのが上手で、川の激流をなんでもないかのように泳ぎ渡ってしまう。海では潜ってツブ貝やらアワビやらヒル貝、カニそしてタコまで採ってくる人だった。冬になるとカンジキを履いて野山に入った。時にはスキーで山道を降りってくることもあったようだ。
私が小学生だった頃、岩内町にはまだ列車が走っていた。祖父と離れて暮らすようになって少しした頃、多分小学校の4年生の時のことだろう。正月を一緒に過ごすため、冬休み中にやって来ていた祖父と二人でニセコまでスキーに行くことになった。蒸気機関車がニセコまで走っていてそこからバスで比羅夫スキー場まで行った。祖父はもう七十に近い年齢だったはずだ。
積丹にいるころにはスキー場がないので、家の前にある山の斜面で形ばかりのスキーに興じるだけだった。岩内町に来てからは「観音山」と呼ばれていたスキー場があり、学校のスキー遠足でも長くて重いスキーを担いでそこまで歩いて行った。そして初めてのスキー授業を受けた。そこで少しながらスキーの操作を覚えた頃、祖父が「ニセコに行くぞ」と二人だけで列車に乗ったのだ。
廃止になる寸前の蒸気機関車に乗り、ニセコ駅で降りてからは比羅夫スキー場までバスに乗り換えた。このスキー場で初めてリフトに乗り、当時の比羅夫スキー場名物の「最後の壁」に慄いて斜滑降の連続をZ型に繰り返して何とか出発点まで戻って来た。そんな初めてのニセコデビューだった。友達に聞いたことのある「最後の壁」は1m以上もあるコブが連続する急斜面で、スキー授業で習った程度では太刀打ちできない場所だった。
そんな恐怖に満ちた場所を三回ほど降りてきたころにはもう午後の時間になり、祖父も結構な重労働だったようで、遅めの昼食をとった後で「ちょっと早いけど帰るべ」ということになった。が、バスがなかったのだ。ニセコ駅へも比羅夫駅へもあと二時間ほど待たなければバスは来ない時間だったのだ。
「しゃあねえな、じゃあ滑ってくぞ!」
そういう力強い声で祖父は比羅夫駅までスキーで降りると言い出したのだ。
なぜ祖父が比羅夫駅までの道を知っているのか。あの「最後の壁」もなんでも無いように越えられた祖父はどこでスキーをしていたのか。そんなことを聞くことはできないまま今日になってしまったが、七十歳に近い祖父は何でもないことのように、僕をリードして比羅夫駅までスキーで降りて来たのだ。
「あらー、スキーで降りて来たのかい。この時間バスないものな」
「道路の上だら、2mも雪積もってたべさ」
「やーや、今だったら、滅多にそんな人いないで!」
駅に着く手前で町の人達に驚かれたほどだったのだ。
噂の「最後の壁」を乗り越えたことより、比羅夫駅までスキーで降りてきたことの方が何倍も何十倍も思い出深いことだった。
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