第3話  石を拾いに行く~積丹ブルーの島武意海岸~ 


 祖父は本当に何でもできる人で、何から何まで自分でやってしまう。釣り竿やら凧やら私の遊び道具に始まって、畑での仕事のために寝泊まりする小屋まで建ててしまった。そして何をやってもうまかった。


そんな祖父の趣味の一つが石拾い。きれいになりそうな石や形の面白い石を拾ってきては加工したり磨いたりと手を尽くす。木で台座をこしらえ置物として飾るのである。小石ではない。大人の頭ほどの大きさがほとんどで、中には直径40㎝を越えるものもあった。


家の裏はすぐに海であるが、河口に近く砂浜が広がっている。河口と反対側に少し歩くと磯となるが、目的とする石はこのあたりでは見つからない。そこで石拾いはまず歩くことから始まる。


五歳になった頃から私は祖父に釣りや畑や山や、いろんなところに連れて行ってもらった。石拾いにも二度ほど連れて行ってもらったことがある。六十歳をとうに越えたであろう爺さんと孫の私がそれぞれリュックを背負って自宅を出発する。トンネルを五つ越え、海岸沿いの道を歩いていくと入舸に着く。積丹半島の左右に突き出た二つの岬。左側の方は神威岬と呼ばれ現在では遊歩道で先端まで行くことができる有名な観光地だ。そして今向かっているのは、その右側の方。積丹岬のある町だ。


入舸の町を通り過ぎ、山側へ少し入ったところから左に行くと積丹岬へと向かう登りになる。山頂の少し手前に広場があり左手には灯台と無線中継所がある。その広場から少し先に素堀のトンネルがあった。背の高かった祖父が少し頭を下げて通るほどの高さだった。電灯もなく水の滴るトンネルを抜けると切り立った崖である。


そこから見下ろすと見事な積丹ブルーが広がっている。そこは島武意海岸と呼ばれていた。現在の島武意海岸は観光名所となり、駐車場も広くトンネルも広くて明るい立派なものとなっている。積丹町を象徴する名所としてポスターでも人気の場所だ。


トンネル出口から海岸までの高さは50mもあるだろうか。そこに九十九折れの歩いて下りられそうな踏み跡があった。現在は遊歩道のような手すりのついたしっかりとした道がついている。祖父と五歳の私はリュックを背に踏み跡をたどった。雨で濡れていたりしたらとても危険で諦めなければならない場所だった。スキーで急斜面を斜滑降で左右に下りて行くように、ゆっくりゆっくりZ型をつなげて行くと小さな小屋が建っていた。


石垣に囲まれたニシン番屋のような建物で玉石原の海岸によくマッチしていた。その建物のあたりから波打ち際まで見事に丸い形をした石が重なり合って広がっていた。登り口に近い方には岩と呼んでいい大きさのもの、金魚鉢に入れていいほどのものは水ぎわに敷き詰められるようになって海中へと続いていた。


透き通った水は形容のしようもなく、海中の玉石は赤くそして緑色にきらめいていた。不思議なことに水から出されたカラフルな石たちは乾くに従って全くその色を失った。五歳の私が小さくてきれいな色をした金魚鉢用の石に夢中になっている内に、祖父は形の変わった石や所々に色のはいった石を拾い集めていた。背負ってきたリュックが大きくふくらんだ頃には昼食のおにぎりもなくなり、帰りの時間となる。


私の背中にはビー玉のような金魚鉢用のカラフルな石がたくさん入った。野球ボール大のものも何個かあり結構な重さとなった。祖父のリュックには大きな石が四つも五つも入っている。そのリュックを背負って、九十九折れの踏み跡をたどって50mの絶壁を上った。下りるときに感じた高さに対する恐怖はないものの、背中の重さは尋常ではなかった。


六十歳を越えた祖父のリュックはどれくらいの重さになっているのか。子ども一人を背負っているのと変わらないほどはありそうだ。休み休み長い時間をかけて頂上のトンネルまでたどり着く。振り返るとやはりそこには積丹ブルーの風景があった。私の積丹ブルーの原点はこの場所にあった。


家までの道のりは長かった。来た時と同じ海岸線を二人で黙々と歩いた。五つのトンネルを越え、堤防の上に腰を下ろしては水筒の水で渇きをいやした。遠くに自宅が見えてきた頃には限界に思えた体力も再び回復したかのように急ぎ足になっていた。


自宅の土間でリュックを開けてみると、金魚鉢用のビー玉達はすっかり色あせてしまっていた。真水で洗って金魚鉢に入れると再び積丹ブルーに浸っていたときの色を取り戻した。祖父は大きな石を部屋に持ち込みどこをどんなふうに細工するかの長考に入った。私の体力は限界となり夕食中に箸を落とし、眠気のためみそ汁に鼻をつっこんでしまうありさまだった。


次の日から、祖父は石を加工し下に流木から作った台座を敷き、床の間に飾るための作業を始めた。祖父にとってはそのことがひと月もふた月もの楽しみとなる。私は金魚鉢の中に入ってしまった石に興味はなくなり、次の日からは仲間との遊びに全力を尽くすことになるのだった。


島武意という地名はアイヌ語がもとになっているらしく、シュマ・ムイは箕の形をした石・石の入り江・石湾という意味であるという。シマモイとも言うらしく、私の故郷の人々も「シマモイ」に近い発音をしていたようだ。いずれにしても、石の湾には素敵な石が存在し、それを人々はちゃんと知っていたのだった。


その後も島武意海岸に行くことは多かった。そこは行くたびに姿を変え、歩きやすい歩道ができ、快適で明るいトンネルとなり、駐車スペースも徐々に広がっていった。今では、積丹という名前の次にはなくてはならない観光名所となってしまった。私たちだけで独占できないのは分かっていても、この場所は私の大切な場所として存在している。私の積丹ブルーは祖父との思い出とともにこの場所にある。

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