第5話 取引
「……むっ……」
不意に目が覚めた。
部屋は暗い。真夜中のようだった。
身体を起こしたところで、妙な視線を感じた。
険しい顔付きをした小娘が、扉の隙間から我をじっと覗き込んでいたのだ。
窓から差し込む月に照らされた瞳が、妖しく光っている。
「何を見ている」
「寝れないよ〜。魔族は夜行性なの知ってるでしょ〜?お話しようよ〜」
「知らん。人間の身は朝型だ。我は眠い。邪魔をするな」
我は即座に背を向けると、毛布を被り直した。
すると、背中越しに扉が開く音が聞こえてきた。
どうやら、小娘が部屋に入ってきてしまったらしい。
「……来るな。我に近づくでない」
「なんで〜?」
「逆に何故近付く」
「お話しようよ〜」
「断る」
「ねぇねぇ、ギルの中身ってさ、結局誰なの?」
即座に拒否したにも関わらず、小娘は無邪気な声で尋ねてきた。
一瞬無視しようかとも思ったが、変に目が覚めてしまった。少し話してやるとするか……。
「どうした急に」
「気になったから。具体的に教えて欲しいなって」
「先も言ったであろう。我は魔王だ。勇者ケライドと魔法使いラミウム、それと……名は忘れたが、僧侶と戦士の四人に葬られたな」
「ケライド?ラミウム?勇者様ってお父さん達と同じ名前なんだね」
「同一人物だが」
「え?」
「む?」
「………………」
暫しの沈黙が流れる。
「えっと、お父さんたちはただの農家だよ?」
「何?貴様はそう聞かされているのか?」
「聞かされているも何も、お父さん達は普段から畑仕事くらいしかしてないよ」
「それは現在の話だろう。奴らは勇者としての責務を終えたからな。今は自由の身というだけだ」
「そうなの?そんな話全然聞かないよ?お母さんはちょっとした魔法を使えるから分かるけど、お父さんはただのおじさんって感じだし……」
「まぁ、我も顔が似ているだけの別人なのではと思う時があるな」
我を葬った者が、かような気色の悪い姿を晒すような人間だとは思いたくは無い。
特にケライドは、見ていると形容に苦しむ悪寒が走る。
我と対峙した時は真っ直ぐで凛とした輝きを瞳に宿していたというのに、今やただの汚物だ。即刻殺してやりたい。
「そもそも君の言ってることが本当かも怪しいもんね。本当に魔王様なの?」
「信じぬなら良い。今は何の力も持たぬ赤子に過ぎんからな」
「うーん、まぁ、ひとまずは信じるけどさ。そんな冷たい目が出来る人間なんて見たことないもん」
判別の付け方が随分と粗末なものだ。小童の身なら無理もないだろうが。
「……我の身の上話などどうでもいいだろう。今は情報収集を行いたい。今の世界の情勢、我が生き返った理由、この身体の事、知りたいことは山ほどある」
「知ってどうするの?」
「……くくっ、言うまでもないだろう」
我はニタリと口角を吊り上げ、窓越しに浮かぶ月に背を向けて拳を握りしめた。
「人間共を駆逐し、再び魔王として返り咲く。そして魔族が頂点に君臨する世界を作り出すのだ。それが我が生涯の意義よ」
「ふーん……」
我の返答に小娘が返したのは、たった一言だった。
怪しむようなジト目を向けてくる。
「ねぇ、今のギルは、お父さんとお母さんのこと嫌いなの?殺す必要なんてないのに」
「好きも嫌いも無い。魔族が人間を殺すのに理由があるか。今も奴らを殺す隙を虎視耽々と狙っているからな」
「…………」
我の返事を聞いた小娘は、初めて笑顔以外の表情を見せた。
それは恐らく悲哀だ。
微々たるものだが、声色に冷たさが混じった。
「……人間ってだけで、お父さんとお母さんを殺すの?」
「あぁ、殺す。我は魔族で、奴らは人間だ。理由はそれだけでいい」
「魔族じゃないじゃん。今のギルは人間だよ」
「それは肉体の話だろう。姿形がどうであれ、我は我だ」
「…………」
我の言葉を聞くと、小娘は更に表情を曇らせた。魔族らしからぬ顔だ。
「……ねぇ、お父さんたちを殺さないで欲しいって言ったら、聞いてくれる?」
「何故だ?ケライド共々は貴様の敵だろう」
「敵じゃないよ。お父さんもお母さんも優しいんだよ?例え中身が魔族だとしても、ギルを傷付けることはないよ。だから、殺さないで欲しいな」
「何を根拠に言っている?」
小娘の思考は、全くもって理解不能だった。何故人間のために我が身を犠牲にする必要があるのだ。
「根拠って言われても分かんないよ。でも……」
小娘は静かに俯いた。
「貴様が心配せずとも、ケライド共々は簡単には殺せん。時間をかけて計画を練るつもりだ。暫しの平穏は約束しよう。だから何も口を出すな」
「嫌だよ。いつかは殺すつもりなんでしょ」
「人間など容易く死ぬだろう。我が殺そうが老衰で死のうが変わらん」
「変わるよ。お父さん達には幸せに死んで欲しいもん」
「何を言っている。自身を上回る存在に殺されるのだ。奴らにとっても最大の幸福だろう」
「……もういいや」
小娘は目を瞑って首を横に振ると、こちらへと歩み寄ってきた。
「何をするつもりだ。我を殺すつもりか?」
「違うよ」
そのままベッドに入り込むと、我を背後から抱きしめるようにしてきた。
小娘は頭に顎を乗せたまま、何も言わない。
「……何をする」
「ギルが何かしないように監視するの。こうしていれば動けないでしょ?」
「何もせん。離れろ。鬱陶しい」
「嫌だ」
「何故だ」
「嫌だから」
「…………」
あまりの話の通じなさに絶句していると、小娘の唇が耳元へと迫ってきた。
「……私はギルに協力するよ。だから、いつかはここから出ていって欲しいな」
「どういうことだ?」
「情報を知りたいって言ったでしょ?ギルの知りたいことは何でも調べてきてあげる。歴史でも魔法でも何でも」
「具体的に話せ」
「何でもだよ。ギルが言う世界征服のために、全面的に協力してあげるって言ってるの。だからある程度大きくなって、知りたいこと全部知ったら、私達のことは放って出ていって欲しいな。その後は殺戮でも国家転覆でも好きにしたらいいからさ。悪くない話だよね?ね?」
「……貴様、ケライド達に随分と感化されているようだが、人類の存続に興味は無いようだな」
「ん?だってどうでもいいじゃん。私は大好きな二人と平和に暮らしたいだけだよ?他の人間の事なんて気にする必要無いでしょ?」
小娘は一つの曇りもない笑顔で首を傾げた。
「ふん、腑抜けた魔族だな。人間を利用して安全に生活する気か」
「利用なんて言わないでよ。私は本気で二人のことが好きなんだよ」
「戯言を吐くな。魔族が人間風情に好意を抱くなど──」
「もう、そんなことどうでもいいでしょ?早く返事を聞かせてよ。悪くない提案だと思うよ?」
「我の話を遮るでない」
「だってつまんないんだもん」
「……無礼者めが……」
態度こそは最悪だが、小娘の提案は悪くないものだった。
口約束だけでほとんど一方的な協力を受けられるのであれば、利用しない手は無い。
それに、約束を守る必要性は皆無だ。用が済んだらこの娘も殺せば良い。
ケライドもラミウムも、この娘の目の前で惨たらしく殺してやる。
その後に、同じ場所へ送ってやるとしよう。
「……分かった。ひとまずはその条件を飲もう」
我が重く返事をすると、小娘は嬉しそうに抱きついてきた。
「えへへ、ありがと。分かったら寝ていいよ。無理に起こしてごめんね?」
「全くだ。睡眠不足は赤子の身に障るぞ」
「あはは、ごめんね。おやすみ」
小娘は我の耳元で囁くように言うと、ぎゅっと強く抱き寄せてきた。
「離せ」
「やーだ。ギルあったかいもん」
「……今日だけだぞ」
渋々諦めたところで、意識が段々と薄れていくような感覚に襲われた。瞼を擦ると眠気に逆らえず、自然と目蓋が下りていく。
すると、小娘は一層強く抱きしめてきた。どうやら本当に一晩中離さない気のようだ。
考えてみると、ここまで物事を語ったのは久々かもしれぬな。
魔王城に身を置いていた頃は、誰かと会話をすることも滅多に無かったものだ。
……会話など、無意味なものだったからな。
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