第3話 魔族として

「……貴様、信じていないな?」


「うん、だって魔王様がこんな赤ちゃんなわけがないもん」


「……我がただの赤子に見えるか?」


 邪悪な笑みを作り、小娘に向けて一歩を踏み出す。

 静かな威圧感を込めた眼光を向けると、辺りの空気を重苦しくしていく。

 呼吸をすることすら躊躇わせるような緊張を、四方八方全ての存在に与える重圧。

 完璧なる絶対王者の風格。強者であるが故の余裕。

 どうだ?これは完全なる魔王──


「うん、確かに”ただの”じゃないね。変な赤ちゃんだ」


 しかし、小娘は腑抜けた顔で笑っていた。

 ……うむ、やはり赤子の身では凄味に欠けるらしいな。

 ただ試して見ただけだ、別に恥ずかしくなどないが。


「……ま、まぁ良い、証明するのも面倒だ。次は貴様が答えよ。貴様は何者だ?何故魔族の身でありながらここにいる?」


「えっとね、私の名前はミア。もう分かってると思うけど、魔族だよ」


 聞かぬ名だ。

 元々魔族は数少ない希少な種族である上に、永遠にも等しい寿命を有している。

 我の管轄下であれば大抵の魔族の顔は認知しているはずだが、この小娘は全く記憶にない。


「我が一番に聞きたいのは、何故人間の住処に貴様が居るのかということだ。我の見知った顔で無いのを見るに、貴様は魔王軍の管理下に置かれていないのであろう?そのような魔族は記憶にないからな」


「私がなんでここに居るか?うーん、よく分からないかな」


「分からない?」


「うん、そう。ここに来る前の記憶が全然ないんだよね。だから生まれも分かんない。気付いたらここに居たの」


「記憶が無いとは随分と都合が良いな。気付いたらとはなんだ?貴様はケライド達に易々と受け入れられたということか?」


「うん、目覚めたらこの家のベッドの上にいてね、二人が介抱してくれてたの。初めは怖かったけど、悪い人達じゃなさそうだから一緒にいることにして、今に至る感じ?」


「……人間と共存だと?」


 我が呟くと、ミアと名乗った魔族は活き活きとした表情を浮かべた。


「うん、二人とも本当に優しいんだよ!毎日美味しいお肉をくれるし、お洋服だって買ってくれるの!私は他の人とは違うみたいだけど、二人は全然気にしないでいてくれるし!」


「……貴様、正気か?」


「正気って?」


「…………」


 この腑抜けた表情を見るに、どうやら本当に記憶がないらしい。嘘をついている様子は無い。演技だとしたら大したものだが、元より魔族が脆弱な人間に取り入る必要があるわけもないからな。その可能性はないだろう。


「……奴らに魔族を生かす道理はない。そもそも、何故ケライドをお父さんと呼んでいるのだ」


「え?お父さんはお父さんだよ?」


「……なに?」


 話が噛み合わぬ。この娘は相当頭が悪いようだ。


「奴は人間だぞ。我々魔族と敵対する存在だ。何を馴れ馴れしくしている。一刻も早く殺せ」


「んん?よく分かんないけど、魔族と人間ってそんなに違うの?」


「根本的に違う。人間など全てにおいて魔族に劣る下等生物だ。一緒にするな」


「うーん?難しいことはよく分かんないよ?」


「何も難しいことは言っておらん」


 人間を肯定する言葉など、魔王軍に身を置いている連中が口にすることは有り得ない。

 何とも気色の悪い小娘だ。記憶が無いというのは間違いないらしいな。


「ねぇねぇ、そんなことよりもさ!君の名前は?どこから来たの?なんで喋れるの?教えてよ!」


 小娘は目を輝かせながら我に問いを投げかけてきた。


「はぁ……」


 思わずため息が溢れる。


「えっ?どうしたの?怒ってるの?」


「憤ってなどおらん。心底呆れているだけだ」


「なんで?」


「事細かに説明させるな。理解に及ばぬならそれで良いが、我に馴れ馴れしくしてくるな。不快で仕方がない」


「そう言わずにさ!仲良くしようよ!私たち友達でしょ!」


「友達だと?笑わせるでない。貴様と我では生物としての格が──んぐっ!?」


 小娘は我の威圧的な視線を躱すと、身体を密着させ、頬同士を擦り付けてくる。


「えへへ〜。生意気なギルにはこうだ〜!」


「くっ!何をする!やめろ!離せ!殺されたいのか!やっ……やめっ……やめろぉ……!」


 何とか逃れようとするも、今の我は抵抗する術を持たない。

 されるがままに揉みくちゃにされるのみだった。

 次に我が解放された時には、完全に疲労困憊の状態になっていた。


「はぁ……はぁ……」


 息が乱れる。

 疲れるというのはこうも辛い感覚なのか。久しく忘れていた。


「あはは!ギルってばおもしろーい!」


「その名で我を呼ぶな小娘が!」


「えー?じゃあなんて呼べばいいの?」


「そんなもの……」


 言い放とうとした言葉が、寸前で喉に引っ掛かる。

 今は魔王と呼ばせる訳にもいくまいが、元より我に名前は無い。

 生前はそれで困ることがなかったからな。部下にも魔王と呼ばせるだけで事足りた。

 ケライド共に与えられた名など気色が悪くて仕方が無いが、今は甘んじて受け入れる他ないようだ。


「ギル?どうしたの?」


「……好きにしろ」


「え?なにー?」


「好きに呼べと言ったのだ。生憎我に名はないからな。貴様に名乗ることは出来ん」


 そう言うと、小娘は目を輝かせる。


「うん!分かったよ!ギル!」


 小娘はみっともなく飛び跳ね、全身で感情を表現する。


「何をそんなに嬉しそうにしている」


「えー?なんでだろー?わかんないや!」


「……気色の悪いやつめ」


 この娘と話したとて、疑問は増えるばかりだ。何故奴らは魔族を生かすのか?そもそも魔族を拾ったとして育てるか?奴隷としてではなく、仲間のように接していると推察出来るが、何のために?実験でもしているのか?

 思案を巡らせていると、小娘が両手を広げ、我に向き直ってくるのが見えた。

 今にも飛びかかってきそうな体勢だ。

 その瞬間、我の本能が告げる。

 この場から一刻も早く去る必要があると。


「……おい、やめろ。それ以上近付くな」


「嫌だっ!」


「むぐっ!」


 逃げようとするも時は既に遅く、いとも簡単に捕まえられてしまう。


「えへへ〜!」


 再び頬を擦り付けられ、顔面を押し潰される。偶に角が頭に当たるのが癪だが、もはや抵抗する気も起きない。


「…………」


 無心でされるがままにされていると、家のドアが開く音が聞こえてきた。

 ラミウムが帰って来たのだ。


「ただいま〜」


「あっ、お母さんおかえり!」


「んぐぐぐぐっ!!」


 咄嗟にもがいて助けを求める。

 だが、ラミウムは助ける素振りを微塵もみせず、不思議そうに首を傾げていた。


「あれ?なんでギル部屋出てるの?ミアが遊んであげてるの?」


「うん!」


「そっか。でもあんまり引っ付かないようにね。ギル潰れちゃってるから」


「大丈夫だよ!私たち仲良しだから!」


「ふふっ、じゃあいいんじゃないの」


 小娘の言う通り、両者共に何事も無く言葉を交わしている。

 どうやら、ケライド達は本当に魔族と共に暮らしているようだ。この娘の狂った妄言では無いらしい。

 だからこそ、気色が悪くて仕方がない。

 幻術でも見せられているのではないかと疑ってしまう。

 人間と魔族が生を共にするなど、考えもしなかったことだ。


「それにしても、ギルは偉いね。全然泣かないし、何しても大人しいし。私に似たのかな?」


「あっ、お母さん違うよ!ギルの中身はまぞくだ──むぐむぐ」


 とんでもないことを口走ろうとするミアの口を両手で押さえ付け、声が漏れぬように耳元に顔を寄せる。


「──貴様は何をやっている!?」


「え?大切なことは教えないと。隠し事はだめでしょ?」


「我が殺されても良いのか!」


「殺されないよ?」


「何故そう言い切れる!?」


「お母さんは優しいもん」


 駄目だ、この魔族は。まともに会話が出来ん。

 言っていることが滅茶苦茶だ。何を根拠に言い切れるというのだ……。


「……ふん」


「あっ」


 力が緩んだところで抜け出すと、小娘は物欲しげな顔でこちらを見つめていた。


「あはは、仲良しだね」


 ラミウムは我達の元へと寄ると、両手でミアと我の頭を撫でてきた。


「うん、二人とも本当に可愛いね。流石私の子」


 それは、以前の我に向けていた殺意と憎悪に塗れた冷たい目ではなかった。

 柔和な笑みに、慈愛の籠もった瞳。その奥には温かな光が差し込んでいる。


「何も特別じゃなくてもいいから、二人とも優しい子に育ってね。もし悪いことした時は……」


 ラミウムは我達を抱きしめると、頭を撫でながら続けた。


「お母さんすっごい怒るからね」


「……?」


 ラミウムの体温と手のひらの柔らかさを感じた瞬間、不意に胸が締め付けられるような感覚に襲われる。これはなんだ。病にでも侵されたか?


「……よく分からんな」


「え?今なにか喋った?」


「うん!だってギルの正体は魔族──」


「あうあう!?」


「……ギルはまぞ──」


「あうあうあうー!!」


「あはは、元気いいね〜」


 ラミウムが表情を綻ばせる。

 すると、小娘がいたずらな笑みを浮かべているのが見えた。

 我が必死に誤魔化している姿を見て、嘲笑っているのだ。

 まるで、我の生殺与奪の権を握っているということを主張するように。


「…………」


 この娘は必ず殺す。

 そう決意した瞬間であった。


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