第3話 魔族として
「……貴様、信じていないな?」
「うん、だって魔王様がこんな赤ちゃんなわけがないもん」
「……貴様、我がただの赤子に見えているようだな」
ならば見せてやるとしよう。真の王であるたる所以を。
我は邪悪な笑みを作り、小娘に向けて一歩を踏み出す。
静かな威圧感を込めた眼光を向けると、辺りの空気を重苦しくしていく。
呼吸をすることすら躊躇わせるような重圧を、四方八方全ての存在に与える。
完璧なる絶対王者の風格。強者であるが故の余裕。
どうだ?これは完全なる魔王──
「うん、確かに”ただの”じゃないね。”変な”赤ちゃんだ」
しかし、小娘は腑抜けた顔で笑っていた。
うむ、やはり赤子の身では凄味に欠けるらしいな。
ただ試して見ただけだ、別に恥ずかしくなどないが。
「……ま、まぁ良い、証明するのも面倒だ。次は貴様が答えよ。貴様は何者だ?何故魔族の身でありながらここにいる?」
「えっとね、私の名前はミア。もう分かってると思うけど、魔族だよ」
聞かぬ名だ。
元々魔族は数少ない希少な種族である上に、永遠にも等しい寿命を有している。
我の管轄下であれば大抵の魔族の顔は認知しているはずだが、この小娘は全く記憶にない。
「我が一番に聞きたいのは、何故人間の住処に貴様が居るのかということだ。我の見知った顔で無いのを見るに、貴様は魔王軍の管理下に置かれていないのであろう?そのような魔族は記憶にないからな」
「私がなんでここに居るか?うーん、よく分からないかな」
「分からない?」
「うん、そう。ここに来る前の記憶が全然ないんだよね。だから生まれも分かんない。気付いたらここに居たの」
「記憶が無いとは随分と都合が良いな。気付いたらとはなんだ?貴様はケライド達に易々と受け入れられたということか?」
「うん、目覚めたらこの家のベッドの上にいてね、二人が介抱してくれてたの。初めは怖かったけど、悪い人達じゃなさそうだから一緒にいることにして、今に至る感じかな?もう五年くらい前のことだよ」
「五年か」
少なくとも、我が死んでから数年の月日が流れているらしい。
だが、一番に気に掛けることはそのようなことでは無い。
この小娘は人間と魔族の禁忌を犯しているのだ。
「……人間と共存しているのか?」
我が呟くと、ミアと名乗った魔族は活き活きとした表情を浮かべた。
「うん、二人とも本当に優しいんだよ!毎日美味しいお肉をくれるし、お洋服だって買ってくれるの!私は他の人とは違うみたいだけど、二人は全然気にしないでいてくれるし!」
「……貴様、正気か?」
「正気って?」
「…………」
この腑抜けた表情を見るに、どうやら本当に記憶がないらしい。嘘をついている様子は無い。
演技だとしたら大したものだが、元より魔族が脆弱な人間に取り入る必要があるわけもないからな。その可能性はないだろう。
「……奴らに魔族を生かす道理はない。そもそも、何故ケライドをお父さんと呼んでいるのだ」
「え?お父さんはお父さんだよ?」
「……何?」
話が噛み合わぬ。この娘は相当頭が悪いようだ。
「奴は人間だぞ。我々魔族と敵対する存在だ。何を馴れ馴れしくしている。一刻も早く殺せ」
「んん?よく分かんないけど、魔族と人間ってそんなに違うの?」
「根本的に違う。人間など全てにおいて魔族に劣る下等生物だ。一緒にするな」
「うーん?難しいことはよく分かんないよ?」
「何も難しいことは言っておらん」
人間を肯定する言葉など、魔王軍に身を置いている連中が口にすることは有り得ない。
何とも気色の悪い小娘だ。記憶が無いというのは間違いないらしいな。
だが、どうも聞き覚えのある声だ。
まさか、死後に聞こえたあの声の主なのか。
「……貴様、我が寝ている間に妙なことを言わなかったか?」
「え?妙なことって?私ギルの部屋には全然入ってないよ?」
「我の新しい人生がなんたらとほざいていたであろう?」
「……変なの」
冷ややかな目を向けられた。
どうやら見当違いのようだ。
「ねぇねぇ、そんなことよりもさ!君はどこから来たの?なんで喋れるの?教えてよ!」
小娘は目を輝かせながら我に問いを投げかけてきた。
「はぁ……」
思わずため息が溢れる。
「えっ?どうしたの?怒ってるの?」
「憤ってなどおらん。心底呆れているだけだ」
「なんで?」
「事細かに説明させるな。理解に及ばぬならそれで良いが、我に馴れ馴れしくしてくるな。不快で仕方がない」
「そう言わずにさ!仲良くしようよ!私たち友達でしょ!」
「友達だと?笑わせるでない。貴様と我では生物としての格が──んぐっ!?」
小娘は我の威圧的な視線を躱すと、身体を密着させ、頬同士を擦り付けてくる。
「えへへ〜。生意気なギルにはこうだ〜!」
「くっ!何をする!やめろ!離せ!殺されたいのか!やっ……やめっ……やめろぉ……!」
何とか逃れようとするも、今の我は抵抗する術を持たない。
されるがままに揉みくちゃにされるのみだった。
次に我が解放された時には、完全に疲労困憊の状態になっていた。
「はぁ……はぁ……」
息が乱れる。
疲れるというのはこうも辛い感覚なのか。久しく忘れていた。
「あはは!ギルってばおもしろーい!」
「その名で我を呼ぶな小娘が!」
「えー?じゃあなんて呼べばいいの?」
「そんなもの……」
言い放とうとした言葉が、寸前で喉に引っ掛かる。
今は魔王と呼ばせる訳にもいくまいが、元より我に名前は無い。
生前はそれで困ることがなかったからな。部下にも魔王と呼ばせるだけで事足りた。
ケライド共に与えられた名など気色が悪くて仕方が無いが、今は甘んじて受け入れる他ないようだ。
「ギル?どうしたの?」
「……好きにしろ」
「え?なにー?」
「好きに呼べと言ったのだ。生憎我に名はないからな。貴様に名乗ることは出来ん」
そう言うと、小娘は目を輝かせる。
「うん!分かったよ!ギル!」
小娘はみっともなく飛び跳ね、全身で感情を表現する。
「何をそんなに嬉しそうにしている」
「えー?なんでだろー?わかんないや!」
「……気色の悪いやつめ」
この娘と話したとて、疑問は増えるばかりだ。何故奴らは魔族を生かすのか?そもそも魔族を拾ったとして育てるか?奴隷としてではなく、仲間のように接していると推察出来るが、何のために?実験でもしているのか?
思案を巡らせていると、小娘が両手を広げ、我に向き直ってくるのが見えた。
今にも飛びかかってきそうな体勢だ。
その瞬間、我の本能が告げる。
この場から一刻も早く去る必要があると。
「……おい、やめろ。それ以上近付くな」
「嫌だっ!」
「むぐっ!」
逃げようとするも時は既に遅く、いとも簡単に捕まえられてしまう。
「えへへ〜!これからよろしくねギル!」
再び頬を擦り付けられ、顔面を押し潰される。偶に角が頭に当たるのが癪だが、もはや抵抗する気も起きない。
「…………」
無心でされるがままにされていると、家のドアが開く音が聞こえてきた。
ラミウムが帰って来たのだ。
「ただいま〜」
「あっ、お母さんおかえり!」
「んぐぐぐぐっ!!」
咄嗟にもがいて助けを求める。
だが、ラミウムは助ける素振りを微塵もみせず、不思議そうに首を傾げていた。
「あれ?なんでギル部屋出てるの?ミアが遊んであげてるの?」
「うん!」
「そっか。でもあんまり引っ付かないようにね。ギル潰れちゃってるから」
「大丈夫だよ!私たち仲良しだから!」
「ふふっ、じゃあいいんじゃないの」
小娘の言う通り、両者共に何事も無く言葉を交わしている。
どうやら、ケライド達は本当に魔族と共に暮らしているようだ。この娘の狂った妄言では無いらしい。
だからこそ、気色が悪くて仕方がない。
幻術でも見せられているのではないかと疑ってしまう。
人間と魔族が生を共にするなど、考えもしなかったことだ。
「それにしても、ギルは偉いね。全然泣かないし、何しても大人しいし。私に似たのかな?」
「あっ、お母さん違うよ!ギルの中身はまぞくだ──むぐむぐ」
とんでもないことを口走ろうとするミアの口を両手で押さえ付け、声が漏れぬように耳元に顔を寄せる。
「──貴様は何をやっている!?」
「え?大切なことは教えないと。隠し事はだめでしょ?」
「我が殺されても良いのか!」
「殺されないよ?」
「何故そう言い切れる!?」
「お母さんは優しいもん」
駄目だ、この魔族は。まともに会話が出来ん。
言っていることが滅茶苦茶だ。何を根拠に言い切れるというのだ……。
「……ふん」
「あっ」
力が緩んだところで抜け出すと、小娘は物欲しげな顔でこちらを見つめていた。
「あはは、仲良しだね」
ラミウムは我達の元へと寄ると、両手でミアと我の頭を撫でてきた。
「うん、二人とも本当に可愛いね。流石私の子」
それは、以前の我に向けていた殺意と憎悪に塗れた冷たい目ではなかった。
柔和な笑みに、慈愛の籠もった瞳。その奥には温かな光が差し込んでいる。
「何も特別じゃなくてもいいから、二人とも優しい子に育ってね。もし悪いことした時は……」
ラミウムは我達を抱きしめると、頭を撫でながら続けた。
「お母さんすっごい怒るからね」
「……?」
ラミウムの体温と柔らかさを感じた瞬間、不意に胸が締め付けられるような感覚に襲われる。
これはなんだ。病にでも侵されたか?
「……よく分からんな」
「え?今なにか喋った?」
「うん!だってギルの正体は魔族──」
「あうあう!?」
「……ギルはまぞ──」
「あうあうあうー!!」
「あはは、元気いいね〜」
ラミウムが表情を綻ばせる。
すると、小娘がいたずらな笑みを浮かべているのが見えた。
我が必死に誤魔化している姿を見て、嘲笑っているのだ。
まるで、我の生殺与奪の権を握っているということを主張するように。
「…………」
この娘は必ず殺す。
そう決意した瞬間であった。
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