第1話 災厄が生まれた日
『──これは、私の自分勝手なわがままなのだけれどね。貴方には最後まで付き合って欲しいの』
幼い少女のような、透き通った声が聞こえてくる。
目の前は真っ暗で、己を知覚できない奇妙な感覚に支配されていた。
『これからの人生は貴方にとってきっと刺激的なものだわ。嬉しいことも、悲しいことも、楽しいことも、切ないことも。彼等と過ごすうちに、貴方は人間らしい感情を知っていくと思う。その過程で、自分を見失うこともあると思うけれど、様々な試練を乗り越えた時、貴方は真の意味での”王”になれる』
言葉の意味が分からなかった。
これからの人生とはなんだ。我はたった今殺されたはずだ。
『だから、どうか私からのプレゼントを受け取って欲しいの。きっと気に入ってくれるはずだわ』
「───ッ……」
視界が暗闇に支配されていた中、突如として光が差し込む。
無へと還っていた感覚は徐々に覚醒し始めていた。
極度の疲労状態にあるためか、全身を巡る痛みと耳鳴りが襲ってくる。
「うっ……」
我は確かに勇者によって殺されたはずだが、こうして意識を取り戻していることを鑑みると、どうやら命拾いをしたらしい。
自身の体に意識を向けると、痛みはあるものの、致命傷に至るような傷は一つも無いように感じた。
しかし、我は確かに首を跳ねられた。いくら自然治癒力に長ける魔族とは言えど、あの大怪我を治癒することは出来ないはずだ。一体どうなっている。
指や腕は全く動かせない。辺りが何やら騒がしい。
「──あっ、起きた!起きたぞ母さん!」
何者かに上から覗き込まれるのを感じた。
徐々に五感が明瞭なものになって行くにつれて、その人物の正体に気が付いた。
「いやぁ……!無事で良かった……!急に泣き止んだ時はどうなるかと……!」
「はいはい、分かったから静かにしなよ。あんたは熱血すぎるんだから」
「産まれて間も無い我が子を想うのは当然のことだろ!お前はこの子が可愛くないのか!?」
「そりゃあ当然、可愛いに決まってるでしょ」
視界に映り込んだのは、泣きじゃくっている人間の男と、呆れたような目をしている女。
魔王である我を打倒したはずの勇者一行の二人であった。
何だ、我はまだ殺されていないのか。拷問でもするつもりなのか?
だが、それにしては随分と敵意の感じられない眼差しだ。
状況が掴めん。ここは何処だ?見たところ木造の部屋のようだが……。
「うー、あうー……」
我の口からふとこぼれたのは、呻き声のようなものだった。
瞬間、我の全身に電流が走る。
喋れん。言葉が喋れんのだ。
「うっ……あぅ……?」
何とか喋ろうとするも、やはり掠れたような声しか出てこない。
何だこれは。身体が麻痺しているのか?二人の姿も随分と大きく見える。これは、我の身体が縮んでいるのか?
「あっ、なんか喋ってる」
「きっとパパとママ大好きって言ってるんだろうな」
「随分と都合の良い解釈だね」
よく聞いてみると、二人の会話の内容も理解に苦しむものだった。
パパとママとはなんだ。我の頭が混乱しているのか?
「くっ、うぁぅ……!」
二人に向かって必死に手を伸ばすも、それが届くことは無い。何故だかとてつもなく遠く感じるのだ。
「あはは、可愛いね。あんたもそう思うでしょ?」
「あぁ、これなら元気に育ってくれそうだな」
勇者達が会話をしているのを他所に、辺りを見渡していると、自然に自身の身体へと目が向く。
その瞬間、我は更なる混乱に襲われた。
何故か手足は小さく、胴回りには柔らかな肉が付いており、おまけに生殖器も微小なものなっている。
これは、やはり我が縮んだということか?一体どういう原理だ?
勇者も敵対的な態度をとっていないのを見るに、まさかとは思うが、我は別の存在に憑依したということか?
「名前は決めてるんだろ?」
「うん、最後まで迷ったけどね」
「そうか。じゃあ早く呼んであげないとな。俺達からこの子への最初の贈り物になるんだから」
「そうだね。この子の名前は……」
会話の内容を聞いていると、ある一つの可能性が頭を過ぎる。
それは、即座に否定したくなるような愚考だったが、そう考えればこの状況の辻褄が合ってしまう。
まさか、まさかだが……。
「──ギル。それがこの子の名前」
我は、勇者の子になっている……!?
「ギル……ギルか……。あぁ、いい名前だなぁ……」
「当然でしょ。この日まで悩みに悩んで、あんたとあの娘と一緒に決めたものなんだから」
「あぅあ……!」
状況が飲み込めず、必死に手足をばたつかせる。
すると、部屋に置かれていた鏡が目に入る。
「なっ……!?」
そこに映っていたのは、我の知る我では無かった。
見たところ歳は一桁。色素の薄い銀色の髪に、紅の瞳。顔立ちは見るからに貧弱そうな赤子で、とても最凶最悪の魔王とは思えない外見だ。
魔族と人間の外見的特徴はほぼ合致していると言われているが。鏡に映る存在は明らかに魔族ではない。魔族特有の頭部の角が生えていないからだ。
「ん?ギルどうしたの。ほら、お母さんだよ〜?」
そう言って、魔法使いは我の顔を覗き込む。
「きっ……!」
「あっ、笑った!可愛い〜!」
渾身の殺意を込めて睨み付けてやったはずだが、何とも都合良く解釈されていた。
こやつらは目が腐っているのか。
だが、そんな反論も虚しく、勇者達は二人で勝手に盛り上がっている。
本当に、何がどうなっているのだ……。
「…………」
いや、よく考えてみろ。
これは絶好のチャンスではないのか?
我を葬った勇者共に復讐を遂げ、再び魔王として君臨することが出来る好機ではないのか?
「…………」
まともに思考が回ると、途端に気持ちが落ち着く。
あれほど乱れていた心が沈静化し、代わりに底無しの高揚感が湧き出てくる。
この幸せに満ちた顔をした人間共を殺せると考えただけで、全身を打ち付けるような心臓の高鳴りが響く。
鏡に映った我が浮かべている表情は、穢れを知らぬ赤子のものとは思えぬものだった。
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