第1話 災厄が生まれた日

「───ッ……」


 視界が暗闇に支配されていた中、突如として光が差し込む。

 無へと還っていた感覚は徐々に覚醒し始めていた。

 極度の疲労状態にあるためか、全身を巡る痛みと耳鳴りが襲ってくる。


「うっ……」


 我は確かに勇者によって殺されたはずだが、こうして意識を取り戻していることを鑑みると、どうやら命拾いをしたらしい。

 自身の体に意識を向けると、痛みはあるものの致命傷に至るような傷は一つも無いように感じた。

 しかし、我は確かに首を跳ねられた。いくら自然治癒力に長ける魔族とは言えど、あの大怪我を治癒することは出来ないはずだ。一体どうなっている。

 指や腕は全く動かせない。辺りが何やら騒がしい。


「──あっ、起きた!起きたぞ母さん!」


 何者かに上から覗き込まれるのを感じた。

 徐々に五感が明瞭なものになって行くにつれて、その人物の正体に気が付いた。


「いやぁ……!無事で良かった……!急に泣き止んだ時はどうなるかと……!」


「はいはい、分かったから静かにしなよ。あんたは熱血すぎるんだから」


「産まれて間も無い我が子を想うのは当然のことだろ!お前はこの子が可愛くないのか!?」


「そりゃあ当然、可愛いに決まってるでしょ」


 視界に映り込んだのは、泣きじゃくっている人間の男と、呆れたような目をしている女。

 魔王である我を打倒したはずの勇者一行の二人であった。

 何だ、我はまだ殺されていないのか。拷問でもするつもりなのか?

 だが、それにしては随分と敵意の感じられない眼差しだ。状況が掴めん。ここは何処だ?見たところ木造の部屋のようだが……。


「うー、あうー……」


 我の口からふとこぼれたのは、呻き声のようなものだった。

 瞬間、我の全身に電流が走る。

 喋れん。言葉が喋れんのだ。


「うっ……あぅ……?」


 何とか喋ろうとするも、やはり掠れたような声しか出てこない。

 何だこれは。身体が麻痺しているのか?二人の姿も随分と大きく見える。これは、我の身体が縮んでいるのか?


「あっ、なんか喋ってる」


「きっとパパとママ大好きって言ってるんだろうな」


「随分と都合の良い解釈だね」


 よく聞いてみると、二人の会話の内容も理解に苦しむものだった。

 パパとママとはなんだ。我の頭が混乱しているのか?


「くっ、うぁぅ……!」


 二人に向かって必死に手を伸ばすも、それが届くことは無い。何故だかとてつもなく遠く感じるのだ。


「あはは、可愛いね。あんたもそう思うでしょ?」


「あぁ、これなら元気に育ってくれそうだな」


 勇者達が会話をしているのを他所に、辺りを見渡していると、自然に自身の身体へと目が向く。

 その瞬間、我は更なる混乱に襲われた。

 何故か手足は小さく、胴回りには柔らかな肉が付いており、おまけに生殖器も微小なものなっている。

 これは、やはり我が縮んだということか?一体どういう原理だ?

 勇者も敵対的な態度をとっていないのを見るに、まさかとは思うが、我は別の存在に憑依したということか?


「名前は決めてるんだろ?」


「うん、最後まで迷ったけどね」


「そうか。じゃあ早く呼んであげないとな。これが俺達からこの子への最初の贈り物になるんだから」


「そうだね。この子の名前は……」


 会話の内容を聞いていると、ある一つの可能性が頭を過ぎる。

 それは、即座に否定したくなるような愚考だったが、そう考えればこの状況の辻褄が合ってしまう。

 まさか、まさかだが……。


「──ギル。それがこの子の名前」


 我は、勇者の子になっている……!?


「ギル……ギルか……。あぁ、いい名前だなぁ……」


「当然でしょ。この日まで悩みに悩んで、あんたとあの娘と一緒に決めたものなんだから」


「あぅあ……!」


 状況が飲み込めず、必死に手足をばたつかせる。

 すると、部屋に置かれていた鏡が目に入る。


「なっ……!?」


 そこに映っていたのは、我の知る我では無かった。

 見たところ歳は一桁。色素の薄い銀色の髪に、紅の瞳。顔立ちは見るからに貧弱そうな赤子で、とても最凶最悪の魔王とは思えない外見だ。

 魔族と人間の外見的特徴はほぼ合致していると言われているが。鏡に映る存在は明らかに魔族ではない。魔族特有の頭部の角が生えていないからだ。


「ん?ギルどうしたの。ほら、お母さんだよ〜?」


 そう言って、魔法使いは我の顔を覗き込む。


「きっ……!」


「あっ、笑った!可愛い〜!」


 渾身の殺意を込めて睨み付けてやったはずだが、何とも都合良く解釈されていた。

 こやつらは目が腐っているのか。

 だが、そんな反論も虚しく、勇者達は二人で勝手に盛り上がっている。

 本当に、何がどうなっているのだ……。


「…………」


 いや、よく考えてみろ。

 これは絶好のチャンスではないのか?

 我を葬った勇者共に復讐を遂げ、再び魔王として君臨することが出来る好機ではないのか?


「…………」


 まともに思考が回ると、途端に気持ちが落ち着く。

 あれほど乱れていた心が沈静化し、代わりに底無しの高揚感が湧き出てくる。

この幸せに満ちた顔をした人間共を殺せると考えただけで、全身を打ち付けるような心臓の高鳴りが響く。

 鏡に映った我が浮かべている表情は、穢れを知らぬ赤子のものとは思えぬものだった。



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