第2話 魔族の少女

 それから幾日かの時が流れ、大体の情報の整理が付いた。

 予想通り、我は勇者ケライドと魔法使いラミウムとの間に生まれた赤子に憑依したらしい。名はギルと呼ばれている。

 形はどうあれ、一度失ったはずの命を取り戻したということだ。

  奴等に復讐を果たし、再び魔王として返り咲く好機を手にしたのだ。

 だが、存外やれることが少ない。

 魔族としての力はほとんど失われているのだ。色々と試してみたが、人間一人殺せるほどの力も残っていないらしい。

 出来ることと言えば、泣き喚いて食事を求めることくらいだ。

 まぁ、つまりは──元魔王は無力な幼児なのだ。


「……屈辱だ」


 天井に小さな手を伸ばして、一人呟く。

 この身体の舌の作りに慣れてきたのか、気付けば言葉を喋れるようになっていた。

 だが、いくら成長が早い人間とは言えど、この歳で喋れば怪しまれるのは明白だ。

 今のところは独り言くらいにしか使えない。


「おぎゃー……!おぎゃー……!」


 腹が減ってきたので、泣いて合図をする。


「はいはーい、ご飯の時間だよー」


 ベッドの上で一人騒いでいると、ラミウムが部屋に入ってくる。

 服をはだけさせ、乳房を取り出すと、先端部分を我の口に押し付けてきた。

 次第に甘ったるい液体が口内へと流れ込んできた。

 屈辱的である。確かにそうあることに変わりは無いのだが、ふと気を抜くと、意識の全てが奈落へと落ちていくような感覚に陥る。

 正確に言えば、魔王としての自意識が薄れ、ぬるま湯のような心地良さに頭を支配されてしまいそうになるのだ。赤子としての精神に引っ張られているのだろうか。


「おぉー、いい吸いっぷりだねー」


「んふふんふんふ……」


 ミルクとやらの味はなんとも言えぬ。最初こそは不味くて仕方がなかったが、慣れるとそうでも無い。

 良い気分でないことは分かるが、不思議なことに不快感もないのだ。

 よく分からぬ。魔族は生まれた瞬間から肉しか食することが出来ぬからな。

 それ以外のものを口に含むというのは新鮮な感覚だ。


「よしよーし、いい子だね」


 ラミウムに頭を撫でられるも、その手を振り払う気は起きん。何故か胸の辺りに妙な温かさを感じるのだ。

 ……いや、違う。また気を抜いてしまった。こやつは我を葬り去ったラミウムだぞ。何を見を委ねようとしているのだ。


「ん?そんなに険しい顔してどうしたの?まだお腹すいてる?」


「…………」


 馬鹿な解釈をするなという意を込めて睨み付けると、ラミウムは顔を綻ばせる。


「あぁ〜、そっか〜。遊んでほしいんだね〜。よしよ〜し、いっぱい遊ぼうね〜」


 見当違いなことをほざきながら抱き上げてくる。

 今すぐにでも暴れて抜け出してやりたいが、これ以上体力を使うのも億劫なので、大人しくされるがままにされよう。

 今はこの女に我が赤子であるという勘違いをさせておく他ないからな。

 しばらくすると満足したのか、ラミウムは我をベッドに寝かせて、そそくさと部屋を出ていった。


「……はぁ」


 ため息を一つ吐く。やることがないというのは退屈なものだ。

 神の悪戯か。まさか因縁の相手の赤子に憑依してしまうとは。

 そして、気色の悪い茶番に付き合わされ、食事や排便の世話までをされるとは思ってもみなかった。もはや生き地獄だ。

 奴等に敵対意思は無いとは言え、このままでは我の精神が持たぬ。

 まずは、何かしらの打開策を模索すべきだろう。現状の確認からせねばな。

 我はそっとベッドから飛び降りると、扉の方へと向かう。

 だが、抜かりなく閉じられているため、押してみても開くことは無い。

 仕方が無いので、そこらにあった小道具を階段上に積み上げて、ドアノブを捻った。

 ラミウムとケライドは外に出ているようで、リビングに人の気配は無い。


「くっくっく、愚かな奴らめ。こうも容易く我から目を離すとは」


 お陰で容易くこの場所を探索することが出来る。

 主な生活スペースになっているのであろうこの部屋は、粗末な作りの机や椅子だけが置かれている。

 随分と簡素な部屋だ。我を討ち取った勇者とは思えぬな。

 人間の世の規則やルールはよく分からぬが、武功を上げた存在はそれなりの待遇を用意されるものでは無いのか?

 少なくとも、魔王軍ではそうだったが。

 ……まぁ良い。ここに何も無いのは分かった。次はどこの部屋を──


「わっ、何してるの?」


「むっ?」


 突如、左手側から声をかけられる。

 見上げてみるとそこには、少女が立っていた。

 我よりも背丈が少し高い程度の小柄な体格で、髪型は色素が濃い赤毛の短髪。

 瞳には曇り一つない輝きが宿っており、天真爛漫な笑みを浮かべていた。

 そして一番の特徴は……頭部に生えている小さな角だ。これは魔族の身体形成上の特徴である。間違いなく魔族だった。


「もしかして、勝手に出たの?駄目だよ。お父さんとお母さんが危ないって言ってたから。早く部屋に戻ってよ」


 魔族の少女は呆れたような様子で我を見下ろしていた。


「もー、無視しないでよ」


 そう言われても、今の我は喋れぬのだが。

 それよりも、何故魔族がここに居るのだ。ここはケライド達の住処のはずでは?


「んー、あれ?なんかおかしいなぁ……」


 そんなことを考えていると、少女は我の脇の下に手を差し込んで、顔の前ほどの高さまで抱き上げてきた。

 そして、目を細めてじっと見つめてくる。


「うーん、えっと、君、ギルじゃないね。誰?」


 途端に、核心に迫る発言。

 思わず心臓が跳ねる。


「なっ!?」


「あっ、今明らかに反応した。やっぱりただの赤ちゃんじゃない」


「いや、これは……その…………ばぶー……」


「変なのが入ってるなぁ。しかも人間じゃなくって……これは魔物の類なのかな?」


 この一瞬で、こやつは只者ではないということが分かった。

 ケライドやラミウムほどの手練れでさえ見抜けなかった我の正体に勘づいている。

 ……いや、それは単に二人の頭が弱いだけなのかもしれぬが、どちらにせよ相手は魔族だ。対話を試みる価値はあろう。


「……貴様、何者だ?」


「わっ?喋った!?」


「良いから答えよ。貴様は何者だ?」


「それは私が聞きたいよ!何その喋り方!気持ち悪い!」


「くくっ、気持ち悪いか。良い度胸だ。魔族に無礼を働かれたのは久しいな」


「わ、笑った!気持ち悪い!」


 二度も言われると不愉快だな。

 まずは口の利き方のなっていないこやつに立場の違いを分からせておくとしよう。


「貴様、口の利き方には気を付けろ。我を誰だと心得ている」


「うん、だれ!?」


「……くくっ、聞いて驚くな。我は魔王だぞ」


「まおう……?」


 小娘は訝しむように首を傾げる。


「あぁ、そうだ。貴様ら魔族の頂点に君臨し、いずれ世界を統べる存在になる者だ。分かれば疾く控えよ」


「……ふーん?」


「…………」


 ……何故だ。何故驚かない。あの魔王だぞ。そこらの魔物など虫けらも同然に扱う暴君。邪智暴虐の権化だ。

 それを「ふーん」で済ませただと?ありえん。何だこの魔族は。もしや疑っているのか?

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