規則は守るもの

三鹿ショート

規則は守るもの

 麻酔の影響で動くことがなくなった老人を乱暴に扱っている同僚の姿を、私は何度も目にしていた。

 だが、同僚に注意することもなく、私もまた、他の老人を貨物自動車の中へと運んでいく。

 我々に命令されていることは、其処彼処に隠れている老人を捕らえ、施設に連行することであり、その手段などについては、特段の指定は無い。

 どれほど貧富に差異が存在していたとしても、一定の年齢に達した場合には施設に入らなければならないと決まっており、それを破ったのならば、どのような扱いをされようとも自業自得なのである。

 ゆえに、目覚めたときに骨が折れていることが原因で激痛を覚えたとしても、同情の余地は無いのだ。

 同僚は周囲に目を向けた後、無言で運転席へと乗り込んだ。

 私が助手席に座ったことを確認すると、同僚は貨物自動車の運転を開始した。


***


 老人たちが施設の内部でどのような扱いを受けているのか、私は知らない。

 噂では、最低限の食事は与えられるが、少しでも多くの食事を口にしたいがためにそれらをめぐって老人同士の喧嘩が絶えることはなく、室内には常に血液や歯が散乱し、また、病気で苦しんでいたとしても手を差し伸べられることもなく、至るところに糞尿が撒き散らされているが掃除されることはないというような、劣悪な環境であるということだった。

 これまで社会を支えてきた人間たちをそのような場所に閉じ込め、徒にその生命を奪っていることについて、人道的な問題は存在しているだろう。

 しかし、人口の半分以上もの老人たちを支える余裕が無い現在の状態を考えれば、そうしなければならないことも理解することができる。

 このような規則が生まれていなければ、今頃私の給料の大半は、見ず知らずの年寄りのために使われていたことだろう。

 これからの世界を作る人間たちを支えるべきか、これまでの世界を作ってきた人間たちを支えるべきか。

 できることならば、双方が生きている世界を作るべきなのだろう。

 では、どうするべきなのかと問われたとしても、私に答えることはできない。

 このような問題は、我々のような平民が議論することではないからだ。

 結局のところ、人間というものは、自分たちが関知していない場所で作られた規則に従わなければならないのである。

 だが、それで良いではないか。

 決められた規則に黙って従っていれば、それら以外の余計なことを考える必要なく日々を生きることができるのだ。

 阿呆な私にとって、これほど楽な生き方は無かったのである。


***


 施設に入らなければならないほどの年齢である老人を匿っているという通報を受けたため、私と同僚は現場である集合住宅へと向かった。

 昼間であるにも関わらず静寂に包まれた集合住宅を見上げる私を余所に、同僚が歩を進めていく。

 鼻息が荒い理由は、抵抗する力も無い老人たちに暴力を振るうことで、昨夜の賭博で敗北したことに対する憂さ晴らしを、一秒でも早く実行したいためだろう。

 私は小走りで、同僚を追った。

 呼び鈴を鳴らすこともなく、管理人から受け取っていた鍵で室内に入っていく。

 当然ながら、住人は驚きを隠すことができなかった。

 同僚は家具を蹴飛ばし、住人を壁に押しつけながら、老人の有無を問うていく。

 無駄足ということもあったが、中には通報通りに老人を匿っている住人も存在していた。

 老人が眠っていれば、同僚は相手が目覚めるまで何度も顔面を殴り、足首を掴んだ状態で貨物自動車へと向かっていく。

 相手が抵抗すれば、同僚は躊躇することなく枯れ枝のような腕をへし折り、激痛による叫び声を聞きながら、恍惚とした表情を浮かべていた。

 想像していた以上に老人が多かったために、やがて私と同僚は、二手に分かれて作業することになった。

 私は同僚ほど手荒な行為に及ぶことはないものの、確実に老人たちを貨物自動車へと運んでいく。

 やがて、最後の部屋に到着する。

 他の部屋での騒ぎを耳にしていたのだろう、私が部屋に入ろうとすると同時に、扉が開かれ、住人が顔を出した。

 住人であるその女性は、涙を流しながら、私に懇願してきた。

 いわく、匿っている年老いた母親は、病気によって共に過ごすことが出来る時間が残り二週間ほどであるために、見逃してほしいということだった。

 私が黙っていると、彼女は用意していたと思しき金銭を差し出してきた。

 しかし、私がそれを受け取ることはない。

 同僚のようにこの仕事を憂さ晴らしとして利用する人間は多いが、見逃すという行為に及んだ人間は、存在していない。

 何故なら、そのような行為に及んだことが発覚すれば、連行した老人たちと同じ施設に収容されてしまうことになるからだ。

 私に賄賂が通用しないと理解したのか、彼女は大きく息を吐くと、着用していた衣服に手をかけ始めた。

 その行為が意図するところを察したために、私は彼女を受け入れることにした。

 だが、見逃すわけではない。

 実際、私は行為の見返りの話などしていないのだ。

 理由は不明だが、彼女が自身の身体を差し出してきただけである。

 ゆえに、行為の後、老人を連行する私に対して、話が違うと彼女が叫んだが、私が取り合うことはなかった。


***


 施設へと連行すると告げられたとき、私が抵抗することはなかった。

 どれだけ騒いだとしても無意味な行為であると理解していたこともあるが、何よりも、現在の年齢に達したことで、施設に入ることは決められていたからだ。

 施設の内部は、噂に違わぬ場所だった。

 自身が生命活動を終了させるまでこの場所で過ごさなければならないということに対しては気が滅入るが、仕方の無いことである。

 不意に、大きく息を吐く私の肩を、背後から何者かが叩いた。

 振り返った私が目にしたのは、涙を流しながら笑みを浮かべている女性だった。

「このときを、待っていたのです」

 その言葉と同時に、彼女は手にしていた刃物を私の腹部に突き刺した。

 倒れる私の耳に届いてくるものは、彼女の哄笑である。

 どうやら、私が想像していたよりも早く、私の人生は終焉を迎えるらしい。

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