第2話  第二部   東京オリンピック




真っ赤なブレザーを着た日本選手団が入場してきた。縦長の列を保ったまま整然と入場行進をしている。真っ白なランニングシャツと短パン姿の聖火ランナーが、長い長い階段をかけ上がって行く。登りきったところで正面を向いたこの聖火リレーの最終走者は、右手にトーチを高々と掲げている。梵鐘を逆さにしたような国立競技場の聖火台に火がともった。鳩が舞った。航空自衛隊のブルーインパルスが五輪の輪を上空に描き出した。1964年10月10日、日本国民念願の東京オリンピックが開催された。

腕と肩の筋肉が驚くほどに盛り上がったボブ・ヘイズが、手動計時では100mで10秒の壁を破ってレンガ色のトラックを駆け抜けた。シューズを履いた「裸足のランナー」アベベ・ビキラがマラソンのゴール後も余裕で柔軟体操をしていたそのすぐ横で、疲れ果てた円谷幸吉がイギリスのヒートリーに抜かれて顔をゆがめていた。小さな体の三宅義信が重量挙げで金メダルを取り、ジャボチンスキーは相撲取りを思わせる巨体を揺すって200㎏以上ものバーベルを差し上げて笑っていた。このオリンピックから正式種目となった柔道では、無差別級で神永昭夫がオランダのアントン・ヘーシンクの下で動けなくなった。バレーボールの「東洋の魔女」達は金メダルを獲得した瞬間に何度も飛び跳ねて喜びを表し、カメラの前で涙を流した。

世界と日本とがより身近になったと感じた。そして同時に、日本と世界との力の差も強く感じることになった。その東京オリンピックの翌年、僕の一家は岩内町に引っ越すことになった。小学校三年生になる春のことだった。



 転校生


岩内町は、北海道西部に位置する積丹半島の付け根に位置している。札幌から小樽、余市というルートで南下した時、半島の付け根をぬける稲穂峠を越え、再び日本海と出会う位置にある。そこから更に、雷電、寿都、島牧、大成と続き、松前、江差、函館へとつながる国道229号線沿いにあり、当時はこの地域の中心となる大きな町で、2万8千人もの人口を有していたので市に格上げになる日も近いと言われていた。

小学校二年生までを過ごした学校は海を見下ろす丘の上にあった。そこは小中併校の複式学級で、みんなが顔見知りの中で2年間を過ごした。それに比べ、転入することになった岩内西小学校は、当時すでに開校90年を迎える大きな大きな学校だった。1学級に50人もの生徒たちがいた。1学年は5学級あるので、同学年だけで200人以上もの生徒がいるのだ。ついこのあいだまでは、1年生と2年生が同じ教室で勉強し、それぞれ10人ほどの同級生しかいない世界で暮らして来た。それなのにここでは、全校で1000人を超える小学生がいるのだ。

 転入の手続きをしに母とやって来たのが金曜日で、月曜日から登校することになった。

「月曜も職員室に来るように。……一人で大丈夫かな?」

「大丈夫です」

年配の女性の先生の言葉に、僕は反射的に答えた。

子ども扱いされたくなくて少しムキになっていたかもしれない。その答え方があまりにも早すぎて、相手が嫌な思いをしたのではないかと心配になってしまった。でも、その女性の先生は笑顔のまま頷いていた。

「そう、きみの気持ちはよくわかるよ。でもね、あんまり無理しないことも大事だよ」

そんなふうに言われた気がした。

「そう。それからね、3年生は校庭側の玄関から入るようになってるから。間違わないようにね。」

住むことになったアパートから学校までは5分で来られる距離だ。今までは、学校まで30分くらいの道のりを歩いて通っていた。


月曜日、アパートの裏側を通り抜け、初めて経験する信号機つきの横断歩道を渡る。渡り切ると、そこはもう三カ所ある校庭への入り口の一つだ。言われた通りに三年生用玄関へと向かう。欄間の左右に磨りガラスの入った三角屋根の玄関をくぐった。と、そのとたんに、そこは迷路の入り口になってしまった。

靴袋に外靴を入れたまでは良かった。その靴袋を手に提げたまま左右を見回す。職員室は二階にあったはずだが、あっちにもこっちにも階段があり、二階に上がってからもまだ階段がある。一度一階まで戻って元の場所に……来たはずなのに、さっきとは違う場所になっている。もう一度二階まで上がり、再度一階に戻って、やっと振り出しの玄関になった。さっきとは違う階段から上がってみることにして、左に進んでいくと、大きな引き戸が前に立ちはだかってしまった。引き戸の上には「体育館」という大きな木製の表示板がかかっている。また、……戻ってやり直し。そんなことを二度三度繰り返すうちに登校する生徒が多くなってきた。珍しいものを見るような何人もの生徒の視線をくぐり抜け、それでもどうにもならなくなって、思い切って声をかけた。

「あの、職員室……」

精一杯に度胸を振り絞ったはずの声を途中で遮って、三人の女の子が笑いはじめた。

「あーっ、転校生?」

まだ笑っている。

「うん……」

何を笑われているのかわからない。中の一人が僕の袖を引っ張り、あとの二人に後ろから押され、僕は職員室までの長い迷路を歩いて行った。いや、押されていった。

下半分に木の板が貼られた白壁の長い廊下が取り囲んでいた。階段の手すりは黒ずんだ木でできていて、所々に大きな丸い節のようなものがある。踊り場と呼ばれる二階への中間部分で方向が九〇度変わり、上がりきってしまうとますますどっちを向いているのかわからなくなる。いくつ角を曲がり、どの階段を上ったのか。右に曲がったのだろうか、それとも左だったか。明日から自分一人で来られるのだろうか。女の子たちは力いっぱい僕を引っ張り、相変わらず笑いながら後ろから押してくれている。

階段を上りきったところにはたくさんの絵が掛けてあった。船の絵、船の絵、そしてまた船の絵……。船の絵ばかりが並んで掛けてある。灰色の港の建物や青色に白を乱暴に塗りたくったような波だつ海と、何艘もの大型漁船が力強く描かれた絵が多い。岩内港の様子なのだろう。

岩内港にはその後、釣竿を担いで何度も通うことになった。舳先から船尾へと二列に並んだ大きな電球はイカ釣り船だ。それ以外にも外洋まで出て行きそうな大型の船が何艘もあった。スケトウダラ漁が盛んで、タラコやミリン干しなどの加工業も盛んな岩内町では、確かにたくさんの漁船が港に停泊している。

小学校の頃、毎年行われた写生会では、首からべニア板の画板をぶら下げてみんなで港に出かけた。そして船の絵を描いた。有島武郎の「生まれ出づる悩み」の主人公である木田金次郎は岩内町で漁師をしながら絵を描く生活をしていたという話を後から聞いた。


「ここ!……んで、何年生?」

袖を引っ張っていた女の子が笑顔で言った。

「三年……」

「えー、二っつも違ーう!」

僕の声の小ささと、彼女たちの反応の早さに、語尾はどこかに消されてしまう。

「せー、高ーい!」

縦長のビニールケースに収まった胸の名札から、彼女たちは五年生であることがわかった。

「大森先生!」

後ろから押してきたうちの一人が、勢いよくドアを開けて叫んだ。

唇に人差し指を当てながらやって来たのは、眼鏡をかけたやせ気味の男の先生だ。下を向くと前髪が太い黒縁の眼鏡にかぶさった。三十代だろうか。

「てんこーせー、でーす!」

三人そろって高校野球の選手宣誓を思わせる言い方をした。

それから朝学活まで、職員室でいろいろな説明を受けた。でも、その内容が多すぎてよくわからなかった。それよりも職員室にはたくさんの先生たちがいて驚くばかりだ。男の先生も女の先生も、若い先生も年配の先生も、通るたびにみんな僕をちらちらと見ていく。

「どんな田舎から来たんだい?」

「なんか情けない顔してるね、おまえ」

「弱そうなやつだなあ」

「問題起こさなきゃいいけどな」

どの先生も、きっとそう思いながら通り過ぎて行ったに違いない。そのたびに僕は小さく頭を下げた。

朝学活には担任の吉野先生の後ろから教室に入り、ずっと教室後ろの掲示板を見ていた。新学年が始まったばかりで、まだそこには何も張られていない。鮮やかな緑色が大きく広がっていた。吉野先生の短い紹介のあと、昨夜長い時間をかけて考えてきた自己紹介をした。僕としては精一杯の大きな声だった。話し終わってやっと重荷を下ろした思いで深々と頭を上げると、予想外に大きな拍手とともに「よろしくおねがいしまーす」という練習した合唱のような声が返ってきた。学期や学年の変わり目ごとに転校生がやって来るので、こういうことには慣れているのだという。確かに、その後自分が迎える側となってからも、毎学期何人もの転入があり、転出する生徒も多くいた。岩内という町には、様々な職業の人々が暮らしていることがよく分かった。いわゆる転勤族と呼ばれる役所に勤める人や会社員も多くいた。水産業や近隣の野菜を集積し加工する会社もいくつもあるので、他の市町村から季節ごとや年度の変わり目ごとに移動してくる人が多くいたのだ。

その後、月曜日に必ず行われる全校朝会のために校庭へと向かった。よく晴れていても、4月の朝はまだ寒さがたっぷりと残っている。

一年生から六年生まで全員集合した生徒達が、広い校庭を埋め尽くしている。驚くほど多い。前に並んでいる先生達の数だけで50人は超えるだろう。これだけの人数が集まることが前に住んでいた町ではあっただろうか。いや地域に住む全員が集まる運動会でさえ、この数分の一しかいなかっただろう。そのうえ、当時岩内町には西小学校の他に東小、高台小、島野小と全部で4つの小学校があったのだ。

まだ暖まりきらない春の陽を浴びて学級の列の一番後ろに並ぶと、先生たちが小さく見えた。さっき職員室で見かけた先生達の顔も見えていたが、小柄な担任の吉野先生は誰かの頭の陰になり見つけることができなかった。

ラジオ体操の模範演技にも使っていた中央の演台に上った先生は、自分のことを「掃除校長」と呼んだ。薄くなった白髪頭をきっちりと七三に分けたやせた校長先生が繰り返しそう言ってにこやかに話しだした。マイクを通して予想外に若々しくエネルギッシュな声が聞こえてきた。笑顔をふりまきながらゆっくりゆっくりと話をする姿が印象的だった。だが、何よりも転校初日の僕の心に強く残ったのは、千人もの生徒たちが一斉に声をそろえた「おはようございまーす」という挨拶の轟きだった。その声は木霊のように一日中頭の中で繰り返されていた。

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2024年9月21日 17:00
2024年9月24日 17:00
2024年9月27日 17:00

『僕らの巨人大鵬卵焼き』 @kitamitio

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