私がドールを捨てようと決意したのは、ドールが意思を得てから半月ほどが経ったときだった。もはやドールに魅力を感じなかった。抱きたいとも触りたいとも感じない。ただ邪魔なだけだ。


 しかしドールをどこにどうやって捨てればいいのかまるで分からなかった。セオリー通りにいくなら粗大ごみとして出すべきなのだが、当然ながら私のドールが粗大ごみのシールを体に貼り付けて収集作業員をじっと待っていられるはずはない。なんてったって、忌々しいことに今のあいつには意思がある。


 私はパソコンでググりまくる。指が痛い。爪がささくれて、その見た目の地味さからは考えられないコスパの痛みを与えてくる。痛い。イラつく。


 意思のあるラブドールの捨て方をレクチャーするサイトやブログは一向に見つからない。でも、見つけるのが不可能ということはないはずだ。事実、私のラブドールは動いて喋っている。一度あることは二度ある、二度あることは三度ある。私と同じ体験を、他の誰かもきっとしているはずだ。そのうちの少なくない男たちが、邪魔くさい肉の塊を(たぶん肉でできている)捨てたいと願っているはずで、ということは必ずどこかに情報は転がっているはずなのだ。需要があれば必ず供給は生まれる、それは世界の真実だ。そのはずだ。


 が、見つからない。ぜんっぜん見つからない。辛うじて、バラバラにすれば不燃ごみで出せると説くブログを見つけたが、やはりそれは意思を持たない普通のラブドールの処分方法に過ぎない。私のドールは切れば血を流すだろうし悲鳴もあげるだろう。却下。


 ふと、私は気が付いた。もしかして、私のドールは、モノではなく人間なのでは? 生き物として扱うべきなのでは? 青天の霹靂で目からうろこが落ちた。


 そこからは早かった。動くラブドールの処分方法ではなく、人間の死体を遺棄するのに適した場所を探せばよかった。そうなるとググるまでもなかった。おあつらえ向きの山がパッと思い浮かんだので、もうそこでいいやと計画を固めた。


 しかしここからが少々面倒だった。私はドールを旅行に誘って山に連れていき、そこで頭をぶん殴ってスクラップにして遺棄しようと考えていたのだが、いざ誘ってみるとドールは怪訝な顔で「しばらく旅行はいいや」なんて言うのだった。


 なぜだ? わざわざ自費で旅行に連れていってやると言っているのに、渋る理由がまるで分からない。怒りと困惑がコーヒーとミルクみたいに混ざり合い、その色が私の顔の表面に広がっていくのが分かる。分かるからこそカバーできる。私は平静をこしらえた。


「しょうじき、ちょっとつらくあたり過ぎたって反省してるんだよ」と私は心にもないことを言った。


 ドールは口をすぼめ、眉間に皺を寄せた。その幼い仕草が私をイラつかせる。でも我慢だ。怒鳴りつけてやりたいのをぐっとこらえる。


 そんな攻防が一週間続いた。そしてようやくドールは折れ、旅行に同意してくれた。その時の私の喜びは、自分でも不思議なくらい大きく熱かった。思わずドールを抱きしめてしまったくらいだ。


 さらに一週間後、私とドールは翌日の「旅行」の準備を始めた。二泊と言ってあるので二泊っぽい量の服を私はボストンバッグに詰める。ただのカムフラージュなので服を選別する必要はないし、そもそも持っている服は両手で数えられる程度なので準備は早く終わった。


 ドールも準備を終えて、歯を磨き、「おやすみ」と言って居間に向かった。居間のソファがドールの寝床だ。


「ベッドで寝る?」と、私はドールの背中に尋ねた。


「え?」ドールは振り返り、丸く見開かれた目で私を見た。


「いいよベッドで寝て」


「いいの?」


「うん。寝づらいでしょソファ」


 不審がられるかと若干の不安が脳裏をよぎったが、杞憂だった。ドールは口元を緩めて小さく頷くと、毛布と掛け布団をたたんでから私の後ろについて寝室へ来た。


 セミダブルの窮屈なベッドに二人並んで寝転がった。ドールと別々に寝るようになってからまだひと月も経過していないのに、懐かしさを感じた。あるいは、さようならに先立って、未来の哀愁を前借りしているのかもしれない。ドールを捨てた後しばらくしたら、私はきっと寂しさを覚えるだろう。もしかしたら捨てたことを後悔するかもしれない。でも捨てないという選択肢はないから、せめて今夜だけは優しくしてやろうと思った。


 私は、外側を向いて横になっているドールの体に腕を回した。ふくよかな胸に触れ、躊躇いがちに次のステップに向かって手を動かした。


「ねえ」とドールは言った。


「うん?」


「話しておきたいことがあって」


「なに?」

 私は手を止めずに尋ねた。


 ドールは淡々とした声の調子を変えず、語りへと入っていく。ドールはとある苗字を口にし、「その人がね、私と暮らしたいって言ってるんだ」と言った。


 私は手を止めた。


「暮らしたいって、どういうこと?」


「そのままの意味。その人のお家で、私と二人で暮らしたいって」


「そいつとはどうやって知り合ったの? もしかしてナンパとか?」


「そうじゃない。ナンパなんて迷惑行為にほいほい引っかかるほど私は馬鹿じゃないよ」


 聞くと、以前夜中に家を出ていったとき、夜道でその女に拾われ、家で温かい食事をふるまわれたのだという。


 女……? 


 以来、その女の家にドールは頻繁に足を運んでいるそうだ。私が仕事をしているときに、二人はこっそり会っていたわけだ。


 私が一向に言葉を発しないものだから、ドールは背中越しに「聞いてる?」と尋ねてきた。やはり私は何も答えなかった。私の脳内は、いにしえのむかし流行った「脳内メーカー」みたいに「女」という文字で埋め尽くされていた。女。女。女……。


 よりによって、このドールは、女と戯れていたというわけか。会っていた相手が男なら、私はここまで心を揺り動かされることはなかっただろう。ドールが何人の男と寝ようと、私はそれを笑って許しただろう。むしろ誇らしくすら思ったかもしれない。私のドールがそれだけ多くの男に求められたという事実に、私はきっと満足した。でも現実はそうでなく、ドールはどこの馬の骨とも分からない女と関係を持っている。それがどんな関係なのかはどうでもいい。女であるという事実が問題なのだ。


 右手の親指の付け根に付着した粘性のある液体がドールの唾液だと気づいたとき、ドールは既に動かなくなっていた。私とドールはベッドの上でなく、冬の冷気で温もりの欠片まで奪い取られたフローリングの上にいた。喉が痛かった。息切れしていた。


 私は床に仰向けで倒れているドールの首から両手を外し、腰を上げ、ふらつく足取りで洗面所に行って手を洗った。寝室に戻ると、口を開き唾液を滴らせたドールが、目を剥いて虚に濁った視線を天井に向けていた。首には赤紫の痣がくっきり浮かび上がっている。私の両手には、ドールの首が押し返す温かい弾力の感覚が残っている。


 最初からこうすればよかった。


 私は居間のソファから毛布を持ってきて、床に敷くと、動かなくなったドールの体をその上まで引きずった。そしてクリスマスツリーでも梱包するように丁寧に包んで、その出来栄えに満足感を覚えた。何か忘れてると頭に引っかかり、ああと手を打つ。中身スカスカのクローゼットをあけて、側面に立てかけてあるシャベルを手に取って、意味もなく明かりにかざしてみたりする。数日前にホームセンターで買った新品だ。それをドールに抱きかかえさせるように固定し、改めて毛布で丁寧に包んだ。さっきのように綺麗には包めなかった。


 ガムテープはあっただろうかと考え、あったとしても探すのに手間取ると結論づけて捜索はしないことにした。ホームセンターで買っておかなかったのは悪手だ。寝間着の上にダウンコートを着て、財布をポケットに突っ込んで、裸足でスニーカーを履いてコンビニへ行ってガムテを買って戻ってきた。十分も出ていなかったけど体が芯から冷えていた。寝室のエアコンの暖房を30度まで上げる。暑いとドールはより早く腐敗してしまうだろうかと考え、今夜中に片をつけようと決めた。


 寝間着から外着に着替えた。それからドールがくるまった毛布をガムテでぐるぐる巻きにした。念入りに隙間をガムテで塞ぐ。巨大なさなぎが出来上がった。私はそれを苦労して持ち上げて肩に担ぐと部屋を出た。

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