貧困家庭であり、学校でも虐められている少年が、将来有望なお嬢様と脳移植で入れ替わるお話

@yukinokoori

Prologue

「なぁ、お前。あの回答用紙なんて書いた?」


 クラスメイトの1人がそう隣席の奴に声を掛けた。


「あぁ、あれね。あんなの適当でしょ?馬鹿みたいだし、真剣にやってる人なんていないでしょ」


 これに受け答えた1人の少女は軽い調子に今し方終えられたアンケートに対する感想を述べた。


 其処で僕は意識を教室の喧騒から逸らして手元の文庫本へと視線を落とす。


 ─彼等の言う通りだ


 そう脳裏へと浮かぶ言葉に心中で頷いた。


 と、気持ち悪い自問自答する僕へと唐突に与えられる声がある。


「おい真咲くぅーん。またエロ本読んでんのー?ちょっと俺にも見せてくれないかなぁ?」


 その声色は関心こそ示しているものの、凡そ其処には友好的な気配が無く、如何にも相手を貶める様な意図が透けて見えた。


 無論事実無根であり、今手元にあるのはその様な類の代物ではない。


 だが声の出所は十中八九後ろの席に座る男だろう。


 これを理解して僕は、抵抗を諦める他になかった。


 何故ならば過剰な反応をすれば相手を楽しませてしまうだけであり、それで幾度も痛い目を見た経験がある為だ。


 出来るだけ同じ轍は踏みたくない。


 こういうのは嵐が過ぎ去るのを頭を低くして待つのが最善の選択だろう。


 反論などしてもそれがこの場に適した振る舞いとは到底過去を振り返れば思えない。


 そして悪意の入り混じる響きの一声に対して、便乗する者もまた存在した。


「おっ、いいねぇ、何読んでんの?見せろよ、おい」


 更に彼は、声と同時に席から立ち上がると、僕の持つ文庫本を断りもなく取り上げた。


「うっわー、これって他人と入れ替わるってやつ?キッモいの読んでんなぁ」


 そう、彼等は僕へと執拗に絡んでくる輩であり、どうやら暇を持て余している様だった。


 この様に僕を一方的に笑い物にして、話の肴としている。


 揶揄われるのも不快で一応付けていたカバーも、その抵抗も虚しく剥がされてしまったらしい。


 一時的に聞こえる周囲が嘲笑する声。


 彼等はこうしてクラスカーストでの地位を得ている。


 所謂何処にでもいるお調子者というやつだ。


 そんな者達の話題を提供している僕もまた、この小さな社会の歯車として貢献出来ているのだろうか。


 そうであれば何よりだ。


 これが妥当な落とし所というやつだろう。


 ただそれも長くは続かない。


 何故ならば風紀を取り締まる役目を負った者も、行き過ぎ無いよう注意する為に集団には必要だから。


「ちょっと其処の男子っ。今はホームルーム中だから静かにして」


 透き通った印象を受ける少女の声が、教室へと凛と響く。


 これには僕を揶揄う彼等も耳に痛い様で、相変わらず軽い調子で受け答えた。


「へいへい。俺たちは退屈なこの場を盛り上げただけだぜ。な?」


「そーだ。そーだ」


 と、言いながらも席に着いたお調子者達は、渋々といった感じで委員長の言葉には従った。


 そんな塩梅に、相変わらず変わらぬ僕の日常は過ぎてゆくと思われた。


 けれどそうではなかった。


「はいはい、一時限目はこのまま体育館に移動だから予めトイレは行っておいてねー」


 担当教師がそう教卓の前に立ち、生徒達へと促したのである。


 急遽授業内容が変わるとは今日は厄日だと思った。


 時間割通りであれば、次は僕の大好きな道徳の授業である筈だった。


 だが、一時限目は教師の言葉により無情にも露と消えた。


 この日は何故か平素とは異なり、ホームルームでの内容が一時間目にも及ぶ様なのだ。


 そうして廊下へと出た生徒達に混じり僕は、体育館へと赴いた。


 移動中に視界の端へと捉えた見慣れない制服を着た人達に内心で首を傾げながらも、特別不思議ではないと思い直した。


 昨今では国の政策が学校へと導入されることは珍しくない。


 それなら今日は公演でもしてくれるのだろう。


 これから講釈を垂れられる退屈な時間を億劫に思いながら、体育館へと足を踏み入れて整列する。


 そして同時に少なくない驚きを覚えた。


 何故なら同所へと集う生徒がそれ程に多かったからだ。


 どうやら到着は、屋内の空きを見るに僕等のクラスが最後の様だ。


 まさか全校生徒に向けての公演とは思わなかった。


 窮屈に並び、腰を落ち着けると、後は黙って始まりを待つ。


 そしてちょうど、一時限目開始の鐘が鳴る頃合いに差し掛かると、複数の足音を立てて、先程目にした制服を身に纏う者達が壇上へと現れる。


 次いでマイクを持った1人のパリッとした雰囲気の、何処か理知的な印象を受ける白衣を着た女性が切り出した。


 黒髪を腰元まで伸ばした長髪の彼女は、自分達一団を国の政策に携わる者だと名乗った。



「ねぇ、これって」


「うん、あれだよね」


 これには周囲のクラスメイトも朝のホームルームにしたアンケートが関わっているにだと気付いた様で、小声で言葉を交わしあっている。


 ヒソヒソと囁き声で普段は関心さえ見せない彼等がスマホを傍に置き、公演に好奇心を示していた。


 珍しいと思う。


 まさか平素であれば皆スマホに夢中で講演者の言葉になど耳を貸さない。


 にも関わらず今回は例外で、政策委員の方々の話に聞き入っている様子が傍目にも見て取れた。


 そしてかくいう僕もどれほどのものなのかと少なからず興味をそそられたため、手元の文庫本から顔を上げた。


 すると、壇上の女性は相変わらず淡々とした口調で言う。


 曰く、ここに集う特定の生徒達に対してはこの世に生を受けてからこれまでの人生において、無論両親の同意を得て、幾度となく検査を実施してきたとの事。


 これは政策の為の前段階であり、同時により良い社会実現に向けての一歩でもあるそうなのだ。


 政策に対しての適性を長年に渡り計測し、その中での選別を行うのだと女性は語る。


 少し荒唐無稽に過ぎるのではないかと僕は思う。


 けれど説明されている内に司会者の真剣な口調に影響されてか、段々と真実味がある話に思えてくるのだから不思議だった。


「え〜、なんかすごいね」


「うん、マジでヤバくね」


 当然周囲の生徒も興奮した様に、文字通り瞳を丸くして各々会話を繰り広げていた。


 そんな最中呆然としている僕達に司会者の女性は宣言した。


「しかしその試みも漸く本日を持って身を結び、今回はその旨を伝え、これまでの感謝をこの場を借りて皆様に捧げます」


 独特な言い回しだったが、そのまま彼女は深々と頭を下げた。


「以上です」


 次いでくるりと踵を返した女性は、どうぞ帰ってください用済みです、とでも言わんばりの態度で壇上から降りていった。


 突然生徒の興味を唆る話をしたかと思えば、一時間と関わらず終えられたその話に、場は熱を持て余した。


 一体何だったのか。


 まるで嵐の様に来て去っていく女性の後ろ姿を見て、この場に居合わせている人々はやはり上手く言い表せない消化不良を感じているみたいだ。


 その証左として少なくない不満の声が挙がっている。


「は?マジで意味わかんねー。結局何だった訳?」


「どうせあれだろ?企業秘密です。みたいな?」


 そんな大勢の声も聞こえている筈だが司会の女性は歯牙にも掛けずに何処吹く風といった塩梅だ。


 だが、不平を漏らす彼等も内心では、その政策とやらも皆自分には関係の無い事だと疑わない。


 所詮国の方針など、一介の学生が考えた所で何が変わる訳でもないのだから当たり前だ。


 意識を高く持ったとて、栓なき事に相違ないのだから。


 故に司会の女性の姿が完全に見えなくなり、校長先生が礼の言葉を述べた所で、僕の日常は再び動き出した。


 解散の言葉と同時、周囲の人々の口からは今し方に行われた公演の内容が語られた。


 聞いていると、考察する者や嘲笑する者、或いはこれに対して意義を抱く者など様々だった。


 もしくはこれとは全く無関係の話をする者も中には居た。


 とはいえ今日はこの話題が生徒達の間で肴とされるに違いない。


 そう思って僕は同体育館に備え付けられているトイレに向かった。


 ここで皆と同じ様に外に出れば人混みに押されてしまう。


 それは避けたかった。


 だから特に尿意も無いのに個室へと入り、鍵を掛けた。


 中で制服の裏に隠している文庫本を広げると暫くの間待つ。


 外からの喧騒が次第に収まっていくのを感じ取り、完全に音が消えるのを確認して外に出た。


 そうしたら誰かが扉の前に居るのに気付いた。


 不意に頭に過ぎるのは、人と対面するの事への不快感と、単純に嫌だな、という感情である。


 けれど今更戻るのは流石に不審すぎる。


 意を決してここはそのまま正々堂々と戸を押し開いた。


 そして一枚の扉の隔てた向こう側、その廊下に出た瞬間─



「真咲 聖様ですね。貴方は政策の被験者に選ばれました。おめでとう御座います」


 見覚えのある、先程に壇上で司会をしていた黒髪長髪の女性が、怜悧な無表情で僕にそう言った。


 しかし思考があまりに唐突であったせいか、与えられた言葉に対しての理解に及ばずに纏まらなかった。


 突然の予期しない対応からか、普段から読書をしている癖に肝心な所で言葉は何も浮かんでこない。


 そんな下らない考えが脳裏を一瞬だけ過ったが、それも次の瞬間には露と消えた。


 驚愕の為思考が滞り、何事かを返すべく意識的に努力した。


 そう思いながら受け答えようにも、言葉は喉に詰まり、口には出来なかった。


 だがすぐさま返答を出来ない僕に対して、女性は怜悧な、そして至極理知的な瞳で、依然として此方を真正面から見据えていたのであった。

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