第28話 制圧
【後天性キメラ症候群】
生まれたときは一般的なホモ・サピエンスの形状であっても、成長とともにキメラ遺伝子が発現することがある。思春期に多く発症し、発症者は多くの問題を抱えることになる。
フォワードの桜木少尉と皆川曹長が順調にミッションをこなしているのかどうか、確認する余裕が木乃花と太田軍曹にはない。
テーブルエリアにいるベアータイプの大型キメラは
敵が弾倉交換しているチャンスを逃す特殊急襲部隊の隊員はいない。太田軍曹がまずテーブルエリアに突入し、続いて木乃花が壁を伝って突入する。太田軍曹は正確にベアータイプのテロリストの顔面にペッパー弾を命中させるが、怯んだ様子はない。太田軍曹はテーブルの下に隠れつつ移動する。
『薬物使用の可能性あり。実弾攻撃に変更して!』
向坂少尉が太田軍曹に指示を出す。木乃花は太田軍曹に続いて攻撃し、9㎜弾を命中させてベアータイプのキメラを怯ませるが、そのまま熊の特性を引き継いでいるのだとすると致命傷には遠い。壁を這い、天井を走って背後に回り込もうとする。
その途中、見えていないのをいいことに粘着糸を放出し、テロリストを一時的に行動不能に陥らせる。蜘蛛の糸が鉄に匹敵する強度を持つとはいえ相手は地上最強生物のグリズリーだ。あくまで一時的だろう。そう思ったその瞬間に糸は千切られた。悔しい。
しかしその間で木乃花は両前脚で9mm機関拳銃改を構えて3点バースト。2発が顔面に命中するが、厚い毛皮に遮られ、跳弾すらした。
マジか。
ベアータイプとは言ってもサイズはかろうじて人間大の範疇だ。グリズリーの地上最強生物の所以は250キロを超える体躯にあるのだとばかり思っていたが、グリズリーの遺伝子が発現したキメラでもすさまじく頑丈だ。
木乃花は態勢を整えるためにテーブルの下に逃れ、身を隠す。
「太田くん、無事?!」
『生きてます! 姉さんの3時方向にいます』
「フォワードは?」
『向こうで交戦中。1人残したみたいです』
裏口の通路にいたテロリストは無事排除できたらしい。残り1人は事務室で人質を確保していたテロリストと考えられる。
ベアータイプのキメラが視覚を取り戻したらしく、木乃花が隠れているテーブル席に向けて短機関銃を撃ってきた。こういうとき大きい身体は不便だ。見えていたらしい。3発、木乃花の胴体に命中する。遮蔽物にしていたテーブルのお陰で銃弾の勢いが削がれ、スーツの防弾装備のお陰で貫通しなかったが、剛速球の硬球がぶち当たったかのような衝撃が木乃花の身体を貫く。だが、動けなくなるほどではない。
木乃花は太田軍曹に合図した後、自分のスタングレネードをベアータイプのキメラに向けて放る。その1秒後、テーブルエリアは轟音と閃光に包まれる。スーツを着ていても、自分たちも範囲内だ。衝撃を受けるが、動く訓練をしている。目標が行動不能になった前提で木乃花は遮蔽物にしていたテーブルの席から飛び出す。
しかしそれは一般的なそれではなく、アラクネだから可能となる糸を使った機動だ。糸を天井に放出してそれをリードにして自らも天井に跳躍する。訓練している敵であればあるほど、この不規則な機動についていけない。
太田軍曹も遮蔽物から出て今度は実弾を放つ。単発でも3点バーストでもない。フルバーストだ。9㎜弾を25発受ければ、致命傷にならなくてもダメージは大きい。ほぼ全弾命中。ベアータイプの大型キメラの戦闘力を一時的に殺ぐ。まさに今、畳み掛ける必要があるが、木乃花が装備しているのは両手にペッパー弾が入った9mm機関拳銃改、前脚に実弾が入った9mm機関拳銃改だ。これで有効な打撃を与えられるか分からない。しかし反撃を許せば今度はこっちが畳み掛けられるかもしれない。
木乃花は2丁拳銃ならぬ2丁機関拳銃でペッパー弾と実弾をベアータイプのキメラに浴びせ、その動きを止める。あと残っている武器はファイティングナイフだけだが、ベアータイプの大型キメラ相手に近接戦闘が通じるとはとても思えない。木乃花は向坂少尉に指示を仰ぐ。
「向坂少尉! どうすればいい?!
『今、如月中尉と榊原曹長が向かっています。持ちこたえて!』
木乃花はそれを聞いて、再びテーブル席に隠れる。木乃花がテーブルとベンチ椅子の隙間に入れるはずもないので、テーブルを横倒しにする。
「太田くん! がんばろう!」
『燃えてきました!』
余裕だな、太田軍曹。
大型キメラ故のタフさの上に、薬物で痛みを麻痺させていたとしても、スタングレネードを喰らった上に、9㎜弾とペッパー弾を集中的に受けて無事で済むはずがない。まだ目が見えていないことを祈りつつ、木乃花はテーブルの角からベアータイプのキメラの様子を窺うと、苦しんでいるかのように藻掻きつつ、うずくまっていた。
無事に無効化できた、と思いたい。
しかしここで近づいて思わぬ反撃を受けないとも限らない。あくまでも如月中尉たちの到着を待つ。ペッパー弾の方の弾倉を交換し、両方実弾にして、復活に備える。
『不知火曹長、太田軍曹。よくがんばったな』
如月中尉の声が無線から聞こえてきた。ヘッドアップディスプレイ《H U D》のカットインを見ると厨房の入り口から見ている画角のテーブルスペースが映っていた。
バックスの2人のスーツに装備されたカメラの映像だ。到着するや否や如月中尉と榊原曹長の2人は20式小銃に装備したグレネードランチャーを目標に向けて発射した。実弾ではなく、戦力を無効化するための強力粘着弾だ。2種混合式のエポキシ系の弾頭で、数十秒で完全に硬化する。単発式のグレネードランチャーだが、熟練すると5秒に1発発射できる。特殊急襲部隊の隊員ならそのレベルまで熟練を求められる。
強力粘着弾は獣人タイプのキメラの体毛にはくっつきやすく、効果てきめんである。ベアータイプのキメラは十発以上の強力粘着弾で床にくっつき、動こうともがいていたが、最後はあきらめた。
「助かりました」
木乃花は起き上がり、如月中尉と榊原曹長に礼を述べるが、如月中尉は緊張を解かない。
「まだフォワードから連絡が無い」
『無事排除しました。2名確保。1名は射殺』
桜木少尉から無線が入り、皆川曹長が続けた。
『人質は9名が無事で……1名は手遅れでした』
「そうか。人質はペッパー弾とスタングレネードでダメージを受けているはずだ。早く洗浄の用意をしてもらわんとな」
如月中尉は無線で向坂少尉に伝えた。
『了解しました。埼玉県警の医療班に伝達します』
安全が確保されたことを確認後、埼玉県警の化学兵器防御を装備した部隊が現場に入ってきて、苦しんでいる人質を担架に乗せて搬出していく。大変な目に合って、これからも後遺症が出ないとは限らないが、命は助かった。それでよしとして貰わなければならない。
それにしても、と木乃花は無残な有様になったファミレスの店内を一望する。ペッパー弾もエアーライフルのそれと同等以上の威力があり、実弾も多く使ったこともあって、営業再開は相当先になりそうな感じだった。
『不知火曹長、無事ですか?』
向坂少尉から無線が入った。
「はい。短機関銃弾の直撃を受けたので、あざができたくらいです」
『その程度で済んでよかった。これで不知火くんに顔を向けられるよ』
そう言う向坂少尉の声は本当に安堵しているようだった。
「――あの、クマだという情報、助かりました」
木乃花は冷静に今回の任務の一部始終を思い返す。あの一言がなかったら実弾を使うことはなかった。それがなかったら、もしかしたらもっと手痛い反撃を喰らっていたかもしれない。
『それは不知火くんにお礼をいうんだね。愛する妻のために力を発揮したんだから……』
「……また?」
向坂少尉がHUDに映像をカットインさせてきて、頷いて見せた。
「そうかー。私、やっぱり愛されてるなー」
以前は不思議なことが起きたと思っただけだったが、こんなに続くのであればこれは偶然ではない。なんらかの未知の力が働いていると考えるのが自然だろう。
木乃花はクスリと笑う。きっとまだ自分を心配しながら液晶TVの前で固唾を呑んでいるに違いない。木乃花はつばめに言った。
「つばめちゃん、お願いがあるんだけど」
『なんだい?』
「継彦くんにもうすぐ帰るよって伝えてくれる?」
『まだ当分帰れそうにないけど?』
当たり前だが、これから現場検証が待っている。それはとても時間がかかるものなのだ。
「それでも!」
つばめは苦笑しながら頷いたのだった。
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