第27話 未来透視

【未来透視】

 古代においては預言と呼ばれ、19世紀の心霊主義スピリチュアリズム以降、20世紀に入ってからは未来透視クレアボヤンスと呼ばれるようになる、不確定な未来を知る感覚のこと。軍事利用できないかと各国で研究されていた時代もあった。




 継彦は居間で液晶TVで池袋のテロ現場の中継を見ながら、つばめから預かったタブレットから連絡が来ないか待っていた。もちろん何もないのがいい。無事任務が終わったという連絡ならなおいい。木乃花の無事を祈るしかない。


 スマホで情報検索すると、現在、テロリストが籠城していると思われるファミレスを映した動画があがっていた。マンションの上の方の階層から撮ったらしく、ロングショットだが、非常線が敷かれて、封鎖されているのが分かった。また、その区画の住民は避難を促されているらしく、そのことについても情報が上がっていた。皆、一様に不安を抱えている投稿だ。中には非常線の前まで行って動画を撮影しようとして警察に追い返され、それでも諦めず、ついには公務執行妨害で連れて行かれるような動画も上がっていた。愚かな一般人は一定数いる。自分たちが置かれている状況を理解しないのだ。非常線の中に入って、テロリストたちが強行突破する場面に出くわして、自分たちが銃撃される可能性だってゼロではない。


 テレビの中継画面が池袋のテロ現場から変わり、ヘリコプターから撮影しているファミレスの映像に切り替わった。上空飛行は禁止されているのか、これもかなり遠い。しかしこれらの映像をテロリストたちも見ている可能性がある。与えずに済む情報を与えてしまう罪は重いと思う。テロリストに外の状況を与えればそれだけ木乃花たち特殊急襲部隊の成功率が下がる。当然、継彦は怒りを覚えた。


 それでも継彦は液晶TV画面を食い入るように見ざるを得ない。幸い、木乃花たちの姿が確認できるほど映像は近くないが、まだ突入前であることくらいは分かる。ファミレスの屋根の上に影が見えたが、それが木乃花たちであることが分かるほどに解像度も高くない。


 しかし、チラとファミレスの周りで光が生じたことはそんな映像でも分かった。


 突入の爆破だ――そう継彦が認識したとき、彼の視界がぐにゃりと曲がった。


 その歪んだ視界の中、液晶TVの画面の中に見覚えのあるクマのぬいぐるみが現れた。音は無くなった。液晶TVからは中継の音声があるはずだが、無音だ。


 クマのぬいぐるみはオモチャの機関銃を持って、液晶画面をまたいで継彦の方に歩いてきた。


 これが幻覚だと、継彦は認識している。


 クマのぬいぐるみは木乃花のコレクションの1体だ。世界的にとても有名なかわいらしいそれが、大きく口を開け、継彦に牙を剥き、その場で機関銃を乱射し始める。


 無数の機関銃の弾に貫かれ、少し後ろに吹き飛び、継彦は力なく畳の上に仰向けになった。


 血が口からあふれ出し、腹が焼けるように熱くなった。痛みはない。もう痛みを超えて脳がパニックを起こしているのがわかる。


 クマのぬいぐるみが笑った。


 死ぬ。


 そう脳内で言葉にしたとき、継彦は現実に帰ってきた。


 液晶画面の中はまだ上空からのファミレスの映像だ。大きな変化は見られない。おそらく一瞬の出来事だったのだろう。突入したか、していないのか。間に合うのか間に合わないのか。分からない。しかし継彦はタブレットを手に叫ぶ。


「向坂さん! クマです! クマが機関銃を持って乱射しました!」


 タブレットの画面に表示されていた通信アプリが反応し、つばめの顔が映し出された。


『よくやった、不知火くん!』


 つばめは継彦が幻覚を見ることを確信していたようだった。


 通信アプリは停止した。つばめの顔が消える。この先、つばめは各種情報を統合し、特殊急襲部隊のバックアップをしなければならない。数秒でオペレーションが変わる難易度の高い任務だが、適切な情報を隊員に伝えることで突入作戦の成功率は飛躍的に向上するのだ。


 がんばってください、向坂さん。


 継彦はそう脳内で言葉にしたが、もう限界だった。脳に血が集まり、全身が倦怠感に包まれ、嗚咽しつつ、震え、継彦はその場に横たわる。気が遠くなっていく。まただ。


 木乃花が危機に陥るとき、継彦はこの幻覚を幾度となく見ていた。


 いつか死ぬかもしれないと思うほどの苦痛が継彦を襲う。しかし実際の銃弾にさらされている木乃花と比べれば、この程度はどうということはない。


 継彦の脳は意識をシャットダウンして苦痛から逃れることを選択し、継彦はその選択を救いと思いつつ、視界がホワイトアウトしたのだった。



 

『木乃花! クマだ! クマがいる!』


 木乃花は突入直後の向坂少尉からの無線に、一瞬だけ耳を疑った。しかしそれがすぐにクマタイプの大型キメラがテロリストの中にいるという意味だと理解した。キメラがいるかもという情報を事前に聞いていなかったら危なかった。


 爆破して作った突入口からは太田軍曹が先に突入している。木乃花の感知情報を優先し、閃光発音筒スタングレネードはまだ使っていない。


 太田軍曹は突入口をくぐり抜けるとすぐに右に移動し、木乃花は糸を使って太田軍曹の頭上方向から突入。天井に位置し、厨房の出口に銃口を向ける。通常、左右に分かれて射線を交差するように制圧するものだが、これはアラクネの木乃花ならではの突入方法だ。


 厨房内は無人。木乃花の感知通りだ。厨房の出口にもテロリストはいない。厨房前にいたテロリストが、正面に姿を見せたのだろうか。


 側面、事務室スペースの方からすさまじい轟音が響き渡ってきた。壁1枚隔てただけでは何の意味も無いほどすさまじい轟音は閃光発音筒スタングレネードが発生させたそれで、カタログスペックでは180dbもある。大型ジェットエンジンの至近ですら140db。その轟音は人間の肉体の限界を超えており、通常はパニックになる。木乃花たちは突入時にスーツのヘルメットの防音機能で外部音のかなりの部分をシャットダウンしているが、それでもすさまじい爆音が聞こえてくる。


 続けて太田軍曹が厨房の出入り口からテーブルエリアに向けて閃光発音筒スタングレネードを投げ、1秒後、轟音と閃光が発生する。閃光に対してはフェイスガードが自動的に変色してカットしてくれるので、木乃花たちは動ける。が、目標の方はサングラスをしていたとしてもその程度では何の意味も持たないほどの光量だ。テロリストが無力化できていることを祈りつつ、太田軍曹はテーブルエリアに向けて突入。木乃花も天井に糸を放ち、それをルートにして天井から続いて突入。


『2時方向、完全には無力化できてない!』


 向坂少尉から木乃花と太田軍曹にアラートが発せられた。


 スーツに搭載されている外部カメラの映像は指揮通信車CCVにリアルタイムで送られ、解析される。HUD《ヘッドアップディスプレイ》に攻撃目標を示す2重の円が浮かび上がる。


 テーブルとテーブルの間の通路にテロリストが1名いる。テロリストだと向坂少尉が確定させたのは手に短機関銃を持っているからだ。かなり体格がいい。外国のヘビー級プロレスラー並みだ。防弾ジャケットなどの軍用装備もしっかりしている。スタングレネードが使用されることに備えていたのだろう、防音イヤーマフをしている。完全な遮断は不可能だが、これでショックを幾分かは和らげられただろう。


 2重円がHUDに浮かび上がった直後、太田軍曹は主装備の9mm機関拳銃改のトリガーを引き続く。3点バーストに設定されたそれからペッパー弾が放たれ、テロリストの防弾ジャケットに3発とも命中。唐辛子エキスが四散する。太田軍曹はさすがの射撃の腕だ。その直後、彼は前転で移動してテロリストの射界から逃れる。


 天井に張り付いている木乃花はまだテロリストが動いていることに気付き、手ではなく、前脚で保持している9mm機関拳銃改のトリガーを引く。こちらは実弾だ。人質がいないことを確認できているからこそ使える実弾だが、向坂少尉の「クマ」というアラートが頭に残っていたからでもある。


 木乃花が放った実弾は防弾ジャケットに大半が遮られたが、数発命中し、防音イヤーマフが吹き飛び、腕にも命中するが、テロリストは短機関銃で反撃してきた。スタングレネードとペッパー弾でまだ見えていないだろうし、衝撃もかなり受けたはずだし、更に実弾が命中している。それでもまだ短機関銃を乱射する力を残している。それでも自分もペッパー弾を放っていたら、もしかしたら余裕で反撃してきたかもしれない。


 木乃花はHUDに浮かび上がった文字を読み、息をのんだ。


「ベアータイプ、か」


 テロリストは木乃花と同じ大型キメラだ。

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