第25話 現着
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巌根の家に残された継彦はつばめから手渡されたタブレットを傍らに置きながら、居間の液晶TVを見ていた。地上波ではどこのチャンネルでも池袋のミニ中華街で発生したテロのニュースを流していた。
形では予備役になっている木乃花が駆り出される事態だ。大きな事件だろうと思って継彦がTVを点けてみたら案の定だった。死者は多く出ており、爆発もあったようだ。騒然としている池袋の夜の街が映っている。犯人たちは車で逃走しているというが、主要道路に監視カメラが完備されている今、足取りは追えているはずだ。
実際、埼玉方面に逃走というテロップが流れ、すぐに緊急速報が出て、商業施設に立てこもっているというそれに変わった。商業施設の周辺住民には避難命令が出ているということだった。木乃花の所属する特殊急襲部隊分遣隊はこの商業施設に向かっているに違いない。つばめから預かってからこっち、タブレットはずっとスリープ状態だが、到着すればポップアップが上がるに違いなかった。
木乃花の話では、現場に急行する際は想定ルート内の高速道路の入り口を全て閉鎖し、交通量を減らすので、スムーズに現着できるということだった。時計を見ると木乃花が出て行ってから40分ほど過ぎている。そろそろ到着しても不思議がない時間帯だ。
液晶TVを見ながら、タブレットにもたびたび視線を向ける。すると数分後、タブレットにポップアップがあがり、通信アプリが起動した。画面の中にはヘッドセットを付けた向坂少尉の真剣な顔が見えた。家で継彦が作ったつまみで飲んでいるときのつばめとは別人のような真剣な表情だ。
『不知火くん、待機してくれててありがとう』
向坂少尉の背後はモザイク加工がされている。
「いえ。これで木乃花の生存率が少しでも上がるなら……」
つばめが継彦に何を期待しているのかは分かっている。以前、ある事件のときに木乃花の危機を継彦が感知した『アレ』を期待しているのだ。継彦からそのときの様子を聞き取った国防軍の技官は仮にそれを『超感覚』だと言っていた。あれが『超感覚』なのかは継彦にはわからない。継彦自身は『アレ』は極度の緊張が生んだ幻覚で、たまたま偶然、木乃花が作戦中に対峙した脅威と一致しただけではないかと思っている。
『何か感じたら、すぐに教えて。そのタブレットの通信はずっとオープンにしておくから』
そして継彦側への音声は切られ、その代わりに外部映像が割り込んできた。2階建てファミレスの遠景映像だ。1階の駐車場は暗く、2階の店内は明るい。ガラス越しに中は見えるが、客の姿は見えない。見えるようなところに人質を置くのは非効率だからだろう。不用意に窓際に行けば狙撃手の餌食になる。それくらいは素人の継彦にも想像ができる。ちなみに埼玉県警が撮影している動画データらしく、画面の隅に埼玉県警とテロップが入っている。
表側を埼玉県警が対テロ部隊の隊員を配置して押さえているのなら、突入する特殊急襲部隊は裏側にいるはずだが、そこまでは映っていない。
無事、制圧できればいいのだけれど。
そう願いながら継彦は液晶TVとタブレットを交互に見続けた。
立てこもっているファミレスの図面は都内に入ったあたりで入手でき、すぐに
ファミレスは首都高下の道路に面して西向きに建てられており、西と南側に大きくガラス窓が設置されている。現在映像によると窓から人影は見えない。立てこもっているのだとすれば奥の厨房と事務スペースだと考えられた。テロリストが侵入し、発砲後に逃げ出した被害者の話によれば、人質はスタッフと客で10人前後と考えられていることも伝えられた。
「多いな。騒ぎ立てられないよう手段を講じる必要がある」
如月中尉はタブレットにタッチペンで丸を描いた。その丸は
「その上で、同時に突入する」
図面上では事務室は裏口の扉から数メートルの廊下を経て突き当たりにある。訓練でよくやる突入シチュエーションなので不安はない。問題は厨房の方だ。厨房は事務室よりさらに奥にあり、アクセスが悪い。しかし図面上は厨房機器が置かれていないヤードがあり、そこは外壁部に接している。木乃花の出番だ。
一通り向坂少尉が無線越しに図面を説明した後、如月中尉が作戦の説明を行う。
「フォワードは裏口から、ミッドフィルダーは厨房ヤードに接する外壁を爆破して、無効化の後、突入。私と榊原曹長は裏口からフォワードのバックアップに当たる。突入前に埼玉県警から投降を促すアナウンスを正面から大音量で流して貰ってそっちに注意を引きつけると同時に、爆破作業の音をかき消して貰う。こんなところだな。細かいところは訓練通りだ。何か質問はあるか?」
フォワードの皆川曹長が手を挙げた。
「使用弾薬は?」
「人質が多い。基本的にはペッパー弾を使用する」
ペッパー弾は極めて強力な非致死性の弾薬で、ペイント弾の弾の中身は唐辛子から抽出した特殊エキスだ。すさまじい辛み成分で、ゴム弾よりも安全だとされているし、相手が防弾装備でも、近くで炸裂すれば、化学兵器防御マスクなしでは立っていられない。苦し紛れにテロリストに銃火器を乱射される可能性があるが、少なくとも人質がペッパー弾の流れ弾で死ぬことはない。
「無論、実弾の装備も忘れるな。何があるかわからない。距離によってはファイティングナイフだ。臨機応変にベストの武器選択を心がけろ」
「安心しました」
皆川曹長は頷いた。非致死性の弾薬だけではどうしても不安が残るからだろう。
現場に到着するまでに皆で細かいところを詰めていく。特に初めてバディとなる太田軍曹とは念入りに打ち合わせをする。訓練で一通りアラクネの特殊能力については理解して貰っているが、いきなり壁面での爆破作業だ。太田軍曹としては緊張するだろうと木乃花は思ったが、想像と違って彼はけろっとしていた。
「不知火姉さんの糸の強度は理解しているつもりですし、汎用性の高さも同様です。大船に乗ったつもりで突入させていただきますよ」
身体のサイズ的に、爆破後の突入口から最初に侵入するのは太田軍曹の方になる。木乃花は2番目に突入し、彼のバックアップをするのが役目になる。
「不知火姉さんかあ。初めてそんな言われ方されたなあ」
「お気に召しませんか?」
太田軍曹は木乃花の顔色を窺った。
「ううん。今までは私が1番年下だったし、それに名前が不知火じゃなかったから……」
「ああ、新婚さんですものね」
太田軍曹は分かったと言わんばかりに破顔した。
「まだ不知火って言われ慣れてなくて……」
木乃花が苦笑すると、車内に笑い声がこだました。
「いい意味で緊張が解けたな。割とハードル高めの任務だが、訓練通りにやれば問題ない。初めてこのメンバーで臨む実戦だ。気合いを入れていこう」
如月中尉は笑顔で言い、最後に表情を引き締めた。
そうは言ってもテロリストの方もそれなりに武装しているわけで、人質のみならず、こちらに死傷者が出る可能性もある。しかしそんなことばかり気にしていては平和は守れない。アラクネとして生まれた以上、そしてその能力を活かせる場所を作って貰えた以上、木乃花は精いっぱい能力を発揮して平和を守る強い覚悟がある。
ACPの速度が落ちたのが車内でも分かった。大型ディスプレイがカーナビのそれとミラーリンクされ、ACPの現在位置が示される。現場まで残り数百メートルまできた。埼玉県警が誘導する旨の無線が入った。目立つACPをテロリストたちに察知され、身構えられても困る。ここから先は徒歩での移動になる。
ACPが停まり、リアハッチが電動でゆっくりオープンすると、まだ冷たい夜の外気が入ってきた。
継彦くん、早く帰るからね。
そう思いつつ、木乃花は薄暗い車外の光景に目を向けた。
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