第23話 『スーツ』の着装
【9mm機関拳銃改】
国防軍が採用している国産のサブマシンガン。木乃花のメイン武器。両腕で構えるものと木乃花の前脚で射撃できるよう3本爪に対応するアダプターを取り付けてあるものの2種類を装備している。
継彦が仕事を終えて帰宅すると、木乃花は和室の居間で通称『スーツ』を磨いていた。しかも既に下に着用する戦闘服を着ている状態だ。この『スーツ』はアラクネ用に特別に縫製された
「木更津基地にも同型が置いてあるけど、やっぱりこっちの方が馴染みが深いからね」
木乃花は磨きながら縫製に不具合がないかどうか、しっかり点検もしている。準化学兵器対応機能もあるからだ。
「どうして今『スーツ』を磨いているの?」
拝み終えた継彦は不安を隠すことなく、木乃花に聞いた。
「つばめちゃんが悪い予感が的中しそうだって言いに来た」
木乃花はなんともいえない複雑な表情をした後、口を真一文字にした。
継彦個人としては、木乃花には本当に除隊して欲しかった。彼女と一緒に住めるようになったのは嬉しいが、単にそれだけのような気がしてならない。自分たち夫婦は国防軍の手のひらの上にいる。自分がここの市役所に就職が決まったのも、国防軍のどこかの部署が裏で手を回したに違いないと思っている。国防軍の中で露骨な差別がないといっても、それは木乃花の戦闘力あってのこと。利用価値がなくなれば国防軍は容赦なく木乃花を切り捨てることだろう。
今後いつそうなっても構わないよう、自分は民間人の立場で木乃花を守らなければならない。
継彦は瞼を閉じ、かつてそう決心したときのことを思い出す。激しい痛みと後悔の中、ただ木乃花の愛を信じようと強い意思で決心したときのことを。
「そーかあ。じゃあ、今晩は少しでも美味しいものを作ろうかな」
「継彦くんのご飯はいつだって美味しいよ」
木乃花はくすりと笑う。
「そう言ってくれるのは嬉しいけどね……」
大した材料を買ってきていないので、そんなたいそうなものを作れるわけではないのだが、継彦は買い置きの材料を頭に思い浮かべながら、台所に向かった。
結局、継彦が作ったのはチリコンカンと大根サラダだ。米を炊き忘れていたので、主食兼になる料理にした。幸い、ヒヨコ豆の水煮の缶詰とトマト缶があったので、挽肉とニンニクをオリーブオイルで炒め、ローリエを加えて煮詰め、塩とカレー粉と七味唐辛子でそれっぽくした。なので、チリコンカン風のヒヨコ豆煮というのが正しい。大根サラダは庭に生えている大葉を和えてオリーブオイルと混ぜ、塩こしょうしただけだが、十分に美味しい。
折りたたみテーブルの上に並べ、インスタントのスープも添えて、今夜の夕食だ。スーツの整備もそこそこに木乃花も台所に来る。
「わあ。チリコンカンだなんて初めてだね」
「美味しいものを作ると言っておいて申し訳ない」
「美味しくないなんて言ってないよー」
木乃花はスツールに腰掛け、継彦と一緒にいただきますをする。
ヒヨコ豆がふっくらほっこりしていて、意外に美味しい。良かったと継彦は安堵する。
「大根サラダも美味しい。ローカロリーでお腹が膨れて、消化にいいのもすばらしい」
木乃花は満足げに大根の千切りを頬張る。彼女が美味しそうに食べてくれるのが、継彦にとってはなにより嬉しい。
そんな穏やかな食卓の時間を、木乃花のスマホから鳴り響く着信音が邪魔をした。
「ありゃ。つばめちゃんからだわ」
木乃花は残念そうな顔をして、つばめからの電話に出る。会話の内容からして、出動案件らしい。木乃花の表情がみるみるうちに曇る。電話が終わると木乃花は継彦をまっすぐ見た。
「ごめん。やっぱり仕事だ……」
「そうか。気を付けてね。ご飯は帰ってきたらいつでも食べられるようにしておくから」
「うん……」
木乃花は急いで居間に戻り、まだ手入れをしていてケースから出してあった『スーツ』の着装を始める。継彦も木乃花を追って居間に行く。
「手伝うよ」
「助かる。これから車で近くまで迎えに来てくれるみたいだから」
大型の6輪装甲車ではこの狭い集落の中にまでは入れない。おそらく東京湾横断道路の側道まで来るのだろう。
継彦は木乃花の後ろ脚からブーツをかぶせ、ファスナーとバックルで固定する。木乃花は前脚の方から装着している。脚の装着を終えて、蜘蛛の胴体部を覆う防弾ユニットをかぶせる。時間があれば木乃花は1人でも装着できると以前、言っていたが、どうやるんだろうと不思議に思う。その間に木乃花は上半身の防弾ユニットを羽織っていた。上半身の固定は車内でもできるからだろう。防弾ユニットの背部にはヘルメットを引っ掛けてある。
「気付かなかった。『スーツ』を着たら、玄関から出られないね」
スーツ着装後の木乃花は1回りほども大きくなるので、普通のお宅だったら詰んでいた。
「縁側から出ればいいさ」
こういうとき、古い日本家屋を買って正解だったと継彦は思う。継彦は雨戸を開けて、掃き出し窓も外して、ふすまも開けて、いつでもつばめの迎えがきても大丈夫なよう準備を整える。継彦が現場に行くわけでもないのに、緊張してしまう。
「木乃花ちゃんはいつもこんな気持ちでいたんだね」
畳の上で脚を広げてくつろいでいる木乃花を振り返ると木乃花はのんきに思い出したように言った。
「まだ時間がある! チリコンカン食べたい!」
「はは、そう来たか」
継彦は自分の緊張感が緩んだのがわかった。継彦はチリコンカンが入った皿を台所からとってくる。しかし木乃花が残りのチリコンカンを食べる時間はなかった。家の前の狭い道路が不意に明るくなり、庭に折りたたみ電動スクーターが入ってきて、フロントのLEDライトが居間の中まで照らした。
「ごめん! 木乃花、行くよ!」
スクーターに乗っていたのはつばめだ。今夜はもう戦闘服を着用している。
「わかったつばめちゃん! じゃなくて、了解です、向坂少尉!」
「側道まで
「了解。じゃあ、先行ってるね」
「ああ、私もすぐ追う!」
木乃花は縁側から庭に飛び降りて、東京湾横断道路の側道の方へ走っていく。
つばめは折りたたみ電動スクーターから降りると、継彦にタブレットを手渡した。
「これで私と連絡がとれる。必要なら木乃花の状況もモニターできる。見ていてくれるかな?」
耐ショック用のカバーがつけられたタブレットはおそらく国防軍独自のネットワークに繋がる専用端末だ。継彦もつばめが持っているのを何度か見たことがある。
「どうしてこんなものを僕に……?」
「君と木乃花の絆を軽んじていないから」
ヘルメットの下のつばめは真顔だった。
「そんな……あんなのまぐれ……偶然ですよ」
「それならそれでいい。それを証明するだけのことだ。だが、現時点では有用なものになりうると判断している。協力してくれるな?」
つばめの口調は継彦に有無を言わせないそれを漂わせていた。
「――彼女の助けになるなら」
「それでいい。じゃあ、行く。木乃花は無事に帰す。約束する」
そしてつばめは微笑みを作り、継彦の答えを聞く前に折りたたみ電動スクーターを転回させて木乃花の跡を追った。
残った継彦は居間の中を振り返り、空になった『スーツ』のケースを目の当たりにして、これが現実なのだと思い知らされた。分かっていたことだが、木乃花に平穏な生活が訪れたわけではない。
継彦は掃き出し窓をはめ直し、戸締まりをするが、いつ彼女が帰ってきてもいいように、雨戸は閉めない。つばめの約束など何の意味もない。しかし信じるしかない。彼女が帰ってきたら家の中にすぐに迎え入れたい。
居間の座卓にはチリコンカンの皿が置いたままだ。継彦はそれにラップを掛けて、冷蔵庫にしまう。彼女が無事戻ってきて、美味しく食べてくれればいいな、と継彦は思った。
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