第16話 神社の清掃に参加する
【神社】
もとは玉垣という結界だけだったところに、中国から宮殿の様式が入ってきて建物が建てられるようになったという説と、籾を保管する倉庫から発達したという説がある。どちらもルーツになったとも考えられる。
月の初めの土曜日はこの集落にある水神社の清掃日だ。水神社は東京湾横断道路の側道のすぐ脇にあり、木乃花たちは回覧板でこの清掃を知り、新参者としてはご近所さんに顔を売る絶好の機会と参加を決めた。
水神社というからには水の神様なのだろう。東京湾横断道路ができるまで辺り一面田んぼだったはずだから、水を祀って豊作を祈る神社があるのは極当然のことと思う。小さな社に立派な石造りの壇があり、鳥居も立派なコンクリート製で真新しかったから、おそらくもともとは東京湾横断道路通っているところにあり、補償金で移転したのではないかと思われた。
水神社の清掃は任意でも、集落内から10人もの熟年の方々と、あの区長さんの家の奥さんと子ども2人が参加していた。子どものうち1人は木乃花に小石を投げた男の子で、もう1人の女の子は彼の後ろに隠れ、木乃花に背中を向けていた。奥さんは奥さんで忌々しげに木乃花を見ていた。想定内である。
しかし意外なことに熟年の方々――おじいちゃんおばあちゃんと言い直そう――は木乃花と継彦に好意的だった。
「わたしは区長をやらせて貰っている武内というものだがね、よくこんな不便なところに住む気になってくれたね。歓迎するよ」
継彦と木乃花に挨拶してくれた区長さんは痩せ気味で少し頭が禿げた、おそらく70歳くらいの男性だ。と、いうことはあの奥さんは娘か嫁かというところだろう。区長さんは木乃花を見ても、少し驚くような程度で、木乃花にもしっかり目を合わせてくれた。
「不知火です」
「妻の木乃花です。よろしくお願いいたします」
木乃花は脚をなるべく隠したのが良かったのだろうと思う。蜘蛛の下半身全体をスカートで覆ってブーツを履くと、後ろ方向には長いものの、見た目はかなりオブラートに包まれる。やはり外骨格の関節は一般の人の嫌悪対象になるのを意識したのだ。
「市役所務めなんだって? いろいろ頼むね」
そう言われて継彦は困ったような顔をしつつ、頷いた。
「奥さんは?」
「国防軍を除隊したばかりで……」
「まだ片足つっこんでますけど……」
「そうなんだー」
おじいちゃんおばあちゃんの反応はいい。もちろん木乃花に対して嫌悪感を隠さない人も中にはいるが、ここは基地の街だ。国防軍の恩恵を多大に受け、国防軍とともに発展してきた。国防軍にいたことが、今の木乃花にとってプラスに働いている。おじいちゃんおばあちゃんに囲まれ、まだまだ聞かれる。
「こんな美人さんなのに軍人さんだったなんてねえ~」
「結婚したから辞めたの?」
「引き留められたんですが……この人と一緒に住みたかったので」
そう素直に木乃花が答えると惚気られたと思ったのだろう、どっと湧いた。
木乃花は視界の端で子ども2人を捉える。彼らは変わらず警戒を解いていない。単純に嫌悪感を拭えないだけだと考えられた。子どもの方が本能的に異物を嫌う。だからこそ学校でイジメ行為が蔓延するのだ。その場には理性も理由もない。異質なもの全てを排除し、自分の世界を守ろうとする本能が支配する。しかしそこには人間としての広がりや成長はない。放置すれば己しか顧みない器の小さな人間ができあがる。他者の痛みを知らない人間になる。
そうなって欲しくはないが、彼は妹をかばっているようにも見える。それは救いだ。
区長さんの指示で水神社の清掃が始まる。
水神社には大きな桜の木があり、今はもう葉桜なのだが、散った花びらが境内中にまだ残っている。また、いい季節なので雑草が勢いよく生え始めている。
そこで社を掃除する人と草むしりをする人、そして境内を掃く人の3班に分かれる。全く何も分からない木乃花と継彦は草むしり班だ。2人は他の人たちとは距離を取って、社の裏の辺りの草むしりをする。継彦は木乃花に持ってきた鎌を持たせる。
「はい。木乃花ちゃんの方が扱い慣れてるんじゃないかな」
「いやいや。ファイティングナイフと鎌じゃ全然違うって!」
とはいえ、刃物という大きなくくりでは木乃花の方が継彦よりは慣れているだろう。丸め込まれた気はするが、鎌を使って草を根から切り、もらったビニール袋の中に入れる。ひたすらその繰り返しになる。地味だ。しかし地味な訓練は国防軍でも散々やった。1時間ほどで終わる草むしりなど、木乃花にとってはどうということはない。無だ。無で作業を続けるのだ。
木乃花は目の前の長く伸びた草を視界に入れては鎌の先端を突き刺し、根を切り、抜く作業を繰り返す。
ふと無の心の中から継彦の顔が浮かんで、木乃花は継彦の方に目を向ける。継彦の左脚は電子義足だ。こういうしゃがみ込んでする作業は、接合部の一部に体重がかかってしまうので痛みが出るのが普通だ。心配になって隣の継彦を見ると、彼は地面に座り、左脚を投げ出して草を抜いていた。誰が見ても左脚が不自然なことは分かる。彼もまた、義足だということを隠そうとしていない。自らの自然体でいることを優先している。
自分の1本脚のダンナ様はこんなにも素敵だ。
木乃花はそう思うと、へなへな~っと変顔をしてしまう。
そんな気の緩みを察知されたのか、木乃花は男の子の接近を許し、スカートで覆われた蜘蛛の背中の上に何かが載せられたかと思うと、走って逃げ去られた。
スカートの上には枯れ葉や小枝、そして小石や苔が載っていた。
「あ~あ」
継彦は仕方ないなあという顔をして、軍手をとると素手で木乃花のスカートの上のゴミをとってくれた。
木乃花が目で男の子の行方を追うと、遠く鳥居の辺りで草むしりをしている奥さんと妹のところに駆け戻ったところだった。
「こういうこともあるよね」
木乃花はあきらめ顔を継彦に見せる。こんなことで怒っていたら何もできないことくらい分かっていると彼に示したかった。しかし国防軍の中で差別なく――いや、正確に言えば女性差別はあったのだが――過ごしてきた4年間があったので、やはりヘコむ。
こんなことは区長さんに言っても何にもならない。彼と自分の問題だと木乃花は思っている。だから、継彦がスカートをきれいにしてくれた今、特に何も思わない。
「ありがと」
「ううん。きれいになってよかったね」
木乃花は頷き、また草むしりに戻る。こうやって無心に草むしりするのも継彦と一緒なら悪くない。ひそひそと遠くで自分たちを見ながら何か話をしているのは分かる。しかし木乃花はそれを自分たちは似合いの夫婦なのだと噂しているのだと思うことにする。ううん、きっとそうだ。そう思って継彦を見ると難しそうな顔をしていた。
「どうかしたの、継彦くん?」
「来月までに楽に草むしりをするアイテムを手に入れなければ!」
「ああ、そういうこと……さすが継彦くん!」
継彦はやはり前向きだ。前向きでなければ自分と一緒にいられないのだからそれはそうなのだが、草むしりにも前向きだ。
「それは、これのことかね!?」
そう言って武内区長がゴロゴロとタイヤの音をさせながら、タイヤ付きのボードに座って木乃花たちのところまでやってきた。
「ああ! これです! 見たことあったんですけど、やっぱり売ってるんですね!」
継彦は大喜びだ。
「いろいろ種類があるからホームセンターで見てきてごらん。今、試してみるかい?」
「是非!!」
「お借りします」
ぺこ、と一礼して木乃花が移動作業ボードを受け取ると継彦がお尻を浮かせ、木乃花がその間に移動作業ボードを差し込む。
「いいよー」
木乃花の合図の言葉で継彦がお尻を下ろし、継彦はちょっと動いてみる。
「これは楽そう!」
「良かったね、継彦くん。区長さん、ありがとうございます」
「いえいえ。どういたしまして。今日は使っていてくれていいよ。でも義足だったんだね。気が付かなかったよ。それなら掃き掃除をお願いすれば良かった」
「それはこの電子義足への褒め言葉です」
継彦も笑顔で答える。
「そう言ってくれると気が楽になる」
「私たちは『8本脚と1本脚の夫婦』なんですよ」
「僕とこのはちゃんの脚を足すと9本なので『2人8脚の夫婦』なんです」
「はは。自分たちのことを面白く言うものだね」
武内区長は苦笑した。自分たちはこの自称に前向きさを込めているのだが、ある程度は分かって貰えたらしい。
だいたい草むしりが終わると清掃の時間が終わる。
あの奥さんが参加者に桜餅とお茶のペットボトルを配っていた。継彦がそれを受け取りに行く。はたして、桜餅2個とペットボトル2本を無事に貰えた。
葉桜だが、桜は桜だ。
きちんと咲いている。
今年は花見をしていなかった木乃花と継彦は新居の近くのこんな素敵な場所で花見ができて、清掃に参加してよかったと思う。
桜餅が美味しい。
「あ、継彦くんは葉っぱごと食べる主義なんだ」
「このはちゃんは剥くんだね」
夫婦でもこんなところはもちろん違う。
ふふふ、とお互いの顔を見て笑う。
いい土曜日の朝になった、と木乃花は心から思ったのだった。
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