第13話 継彦の新社会人生活と木乃花の久しぶりの訓練

【新年度】

 日本の年度は4月に始まるが、ヨーロッパや中国、韓国は1月開始、アメリカは10月である。




 4月がやってきて、新年度が始まった。


 新居の中は意外と片付き、あとはゆっくりやっていこうということになった。


 継彦は市役所に初出勤し、環境部署に配属された。市の環境部署は環境と名の付くことのほとんど全てをやっているような雑多な部署だった。年2回の市を挙げての町内清掃から、公害対策や航空機騒音の対策、また、小櫃川下流の干潟などの自然環境の保護、環境学習など、幅広い仕事があった。継彦は国立の海洋大学を卒業し、自然環境や自然保護について勉強していたので、それを考慮しての配属だと思われた。干潟の保護などは、大学で勉強していたことそのものだった。ただし大学で勉強していたからといってそれがそのまま仕事に生きることは希だ。しかしいつかは大学で学んだ知識を成果にできる気がしていた。


 現場に配属され、職場の先輩たちに驚かれたことは、継彦が左脚を膝上切断しているのにもかかわらず、義足の動きに不自然さがないことだった。ごく自然に歩いているため、電子義足を見せるまで、納得して貰えなかった。


「すごいな。サイボーグってやつだ」


 教育係として継彦の指導にあたる4歳年上の先輩職員、大沢主任が電子義足を見て目を丸くした。確かに普通の電子義足より優れているところはあるが、サイボーグといえるほどではない。生体に接続していないし。


「サイボーグみたいに神経接続はしていないんです。AIが僕の動きを学習して、より負担がないように歩けるよう動いてくれるので」


「動力は?」


 環境研究職の真下係長が首を捻る。さすが理系だ。目の付け所が違う。


「普通にリチウム電池ですよ」


「もしかしてタイプC充電?」


 1つ上の女性の先輩職員、竹下さんが笑いながら聞く。


「そうです。便利ですよね?」


 新人職員はあれこれ聞かれる立場にある。しかしこんなにも抵抗なく受け入れて貰えているのは電子義足のお陰だと思う。松葉杖をついていたり、普通の義足ではこうは違和感なく受け入れて貰えない。人は自分と違う存在を無意識のうちに排除する。苦労して継彦のために軍用のそれを手配してくれた向坂さんに感謝だ。


 竹下さんが左手の薬指に輝くプラチナリングを見て言った。


「本当にその歳でもう結婚しているんだね」


「はい。先月、入籍しました」


「奥さんは大学で一緒だったとか? でも理系は女の子少ないよね」


 真下係長が不思議そうに聞く。


「いえ。幼なじみなんです」


 おお、とそれを聞き、課内が湧いた。


「今どきアプリが職場恋愛や学校でのつながりでの結婚数を上回るというのに、幼なじみと結婚とはいったい前世でどんな徳を積んだらそんなことになるんだ!」


 大沢主任が嘆き、竹下さんも嘆く。2人とも独身らしい。


「写真見せて、写真!」


 普通だったらためらうかもしれないが、継彦はリクエストに応じてスマホの待ち受けを見せる。上半身しか写っていないこの自撮り写真ならアラクネとわからない。


「うわ、美人!」


「奥さん、かわいい……おっぱい大きい……」


「勝ち組確定だな」


 真下係長たちは今はこう言ってくれるが、木乃花がアラクネだとわかったらどう反応するかわからない。もちろん表面上は普通に接するだろうが、憐憫の感情を覚えずにはいられないだろう。一般的には大型キメラと一緒に暮らすというのは苦労を背負うのと同義語だ。もちろんそれを分かった上で、継彦は木乃花と一緒に暮らす道を選んだ。木乃花も市井で暮らすことを選んだ。苦労は2人で分かち合えばいい。そう考えている。


「不知火くんは車の運転できる?」


 大沢主任は話題を変えた。


「はい。軽自動車なら。大きいのはまだちょっと……」


「助かるよ。市内を一緒にいろいろ回るから。道を覚えるのも仕事のうちだ。運転は頼むよ」


「はい」


 継彦は笑顔で答える。職場の人はみんないい人のようで一安心だ。


 そういえば、と継彦は思い出す。今日、木乃花はつばめのところに行く予定だ。新年度、正規軍人でなくなってから初めての出勤になる。向坂に、この半月あまりの身体の鈍りを指摘されて、木乃花は凹んで帰ってくるような気がしてならない。美味しいものでも作って慰めるつもりの継彦だった。




 戦闘防護服コンバットボディアーマーを身にまとうと木乃花の気が自然に引き締まる。


 今日の訓練は3階建ての建物に人質をとって立てこもったテロリストを排除するというシナリオだ。この手の訓練は御殿場にいた頃、腐るほどやった。今、木乃花は目標建物から陰になる場所に待機させた装甲兵員輸送車A C Pの中にいる。


 つい先日までいた御殿場演習場の中には、建物を模した突入訓練専用のプレハブ群が用意されていたが、小規模とはいえ、木更津基地にも同様のものが用意されているとは木乃花は知らなかった。消防訓練に使う建物が各自治体の消防学校にあるように、特殊急襲部隊が置かれている基地には存在するのだろう。


『西宮、いえ、訂正します。不知火曹長。準備はいい?』


 ヘルメット内のスピーカーからつばめ、いや、向坂少尉の声が聞こえた。向坂少尉はこの春から特殊急襲部隊分遣隊でも副指揮官の任を仰せつかっていた。おそらく貴重な戦力である大型キメラの扱いに長けているという理由からだろう。ヘッドアップディスプレイ《H U D》に向坂少尉の顔の画像がカットインする。


 木乃花は小さく「はい」と答える。ブリーフィング中に演習プレハブ群の構成を頭に叩き入れてある。テロリストが立てこもっているという設定の建物内の構成も当然、頭に入っている。手順もブリーフィングが済んでいるが、いつもの手順なので間違いようがない。もし確認したければHUDに表示することも可能だ。


 向坂少尉が無線で注意を促してきたのだから、シナリオ上の突入時間が迫っているのだろう。木乃花は戦闘防護服のチェックをする。新居に置いてあるものと同タイプの木乃花専用の戦闘防護服コンバットボディーアーマーで、ヒューマノイドタイプのそれとは大きな違いがある。それは大型キメラ特有の酸素摂取能力不足を補うために高濃度酸素供給用の補機が備え付けられていることである。これによりアラクネ本来の運動能力を長時間引き出すことに成功していた。


「不知火曹長。今回はこの編成での初めての訓練だ。皆、君の能力について理解し切れていないし、君も我々の能力を把握できていないことだろう。今日はそれを把握するための訓練でもある。いつも通りの実力を発揮すればいいだけだ。期待しているぞ」


 関東分遣隊隊長の如月きさらぎ中尉が木乃花に気を遣う。


「ありがとうございます」


 木乃花は最低限の返答で済ませる。特殊急襲部隊は国防軍の中でも精鋭中の精鋭部隊である。若い女の大型キメラである木乃花がパート編入されたとしても、動じたり拒否したりすることはもちろん、訓練中に茶化したり無駄口をきいたりすることはない。この辺りが大型キメラが国防軍を居心地良く感じる具体的な理由だ。ドライに、任務に忠実であることで、差別や偏見を排除するのだ。 


 最初に切り込むフォワードの桜木少尉と皆川曹長も気にしてか木乃花の方を見ている。


 木乃花は3・4番手のミッドフィルダーで、もう1人のミッドフィルダーは太田軍曹。木乃花よりも若い、まだ少年といった感じの子だ。きっと優秀なのだろうなと木乃花は思う。彼と対照的に5番手のバックス、榊原曹長はベテランの風貌だ。6番手バックスは指揮官の如月中尉になる。また、木乃花はミッドフィルダーだが、蜘蛛の糸を使って、3階までの突入ルートを作る役割もある。


 この6人が木乃花の新しいチームメイトだ。週2回、木乃花は戦闘能力維持の訓練を受け続けることを条件に除隊し、形の上では予備役となった。訓練手当は毎月支給されるので非常勤のようでもあるが、有事の際には動員されることにもなる。現代の日本は、世界情勢が不安定な煽りを受けて、特に東アジアでは米軍の撤退を受けてか、年に数回のテロが発生している状況にある。そのため国は、各道府県警および警視庁の特殊部隊では対応できないような、高難易度事件に投入する特殊急襲部隊を国防軍内に創設した。木乃花が以前所属していたのはその本部部隊だ。アラクネの特殊能力は対テロ作戦の成功率を大幅に向上させることができる。国防軍は貴重な戦力を手放すことを躊躇い、そのため、木乃花はすんなりと除隊できなかったのである。

 向坂つばめ少尉から状況開始の指令が無線で伝えられた。


 皆川曹長が装甲兵員輸送車A C Pのリアハッチを内側から開けると春の日差しが車内に射し込む。


 今まで2週間も訓練の間隔が開くなんてことはこの4年間、1度もなかったことだ。木乃花は勘の衰えを心配する。しかしこれは訓練だ。本番では――戦場ではない。


 リラックスしていこう。


 そう木乃花は自分に言い聞かせた。

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