第11話 若奥様、だんな様のために手料理にチャレンジする

【自炊】

 内閣府調査では全体の約6割が「週の半分以上は自炊」をしている――そうです。




 木乃花は、整理しても整理しても、引っ越しの荷物が減らないような気がしてきた。


 3時のお茶をして、継彦と他愛ない会話をしながら5時までは荷物の整理を続けたが、もう今日はやめようという話になった。


 そういえば洗濯をしていなかったことに気付き、洗濯機を回そうと思って洗濯槽を見たが、まだ洗濯物はそこまでたまっていない。明日の朝でもよさそうだ。


「一通りやってみないと何が足りてないか分からないよね」


 継彦が木乃花の背後から洗濯槽をのぞき込んで言った。


「継彦くんが家にいるうちにできることはやっておかないとなあ」


 継彦が新社会人になるまであと5日ある。それまでには片付けの目処を付けなければならない。1人で片付けるには経験が足りない木乃花だ。慣れない仕事で疲れているのに、帰ってきて自分が片付けたところにまた手を入れて貰うのは申し訳ない。


 それはそれとして、今日の買い物で考えていた料理を作ろうと、木乃花は気合いを入れて台所に向かった。


「今日の夕ご飯は私が作るから!」


 そう強い語気で冷蔵庫の中から具材を出して作業台の上に載せる木乃花だが、その様子を継彦は不安げな顔で見ていた。


「……このはちゃん、料理したことあるの?」


「カップ麺にお湯を注いだこととレーションの缶を開けたことならある」


「それは料理とはいわない」


「訓練でレトルトのレーションを飯ごうで温めたこともある」


「お、少しマシになった」


「サバイバル訓練でヘビを捌いて焼いて食べたことがある!」


「いきなり間がすっ飛ばされて話がヘビーになった! 洒落じゃないよ!」


「ヘビは小骨が多くて食べにくかったです」


「だろうなあ。想像するに」


「ヘビを捌いたことを思えば、肉野菜炒めなど楽勝のはず!」


「次元が違いすぎて参考にならないよ」


 などという会話をしつつ、必要な具材は作業台の上に揃う。


「というわけで今日は肉野菜炒めを作ってみます」


「肉野菜炒め、難しいよ」


「え、そうなの?」


「とはいえ基本なので、作ってみると分かることが多いと思うよ。レッツチャレンジ!」


「傍観する気まんまんだな……」


「教えられて身につくものと、自分で気がついて覚えるものは別です」


「わかるー」


 基本の料理なだけに、まずはやってみろということらしい。


「肉野菜炒めの他には何を作るの?」


「……」


 木乃花は何も考えていなかった。


「しかたない。汁物は一緒に作ろう」


「そうこなくっちゃ。初心者には優しくして貰わないとね」


 嬉しくて木乃花は笑う。


「じゃ、手を動かそうか」


 木乃花はまず具材を確認する。ニンジン、もやし、ニラ、そして豚こま。ありきたりな材料だ。失敗しようがないと思われる。ニンジンを洗ってまな板の上に載せ、輪切りにしようと包丁を手にすると、木乃花はまずはじっと刃を見つめた。


「――研がれてない」


「あー シャープナーどこやったかな」


「探さなくていいよ。応急処置をするから」 


 木乃花は段ボール棚から湯飲み茶碗を取り出し、濡らしてひっくり返して置く。そして底の縁の部分で刃をこする。


「こんなんよく知ってるなあ」


「ナイフを研ぐ裏技」


「納得」


 そして輪切りにするが、簡易とはいえ研いだばかりなのでニンジンはよく切れる。薄く切って千切りにする。2人分なら1本で十分だ。つぎにニラを切る。洗って同じ長さに切る。ニンジンとニラはそれぞれ別のお皿に盛って、いつでもフライパンに投入できるようにしておく。豚こまをさらに細かく刻み、具材の準備は完了する。


 いよいよフライパンに油を入れて火を点ける。最初は肉だ。豚肉が生焼けだとお腹を壊すかもしれない。半分くらい肉に火が通ったところで刻んだ野菜ともやしを投入し、シリコンターナーでかき混ぜ続ける。豚肉に完全に火が通るまで炒めるともやしがもうしおしおになってしまった。味付けは砂糖ちょっととしょう油にこしょう。


 フライパンの底には野菜から出た水分がたまっていた。それを継彦はニヤニヤしながら見ており、たまった水分を見て頷いた。


「まあ、こんなものでしょう」


「失敗?」


「普通に失敗。もちろん、食べられるけどね」


「わかってて何も言わないなんて意地悪だー! 本当に傍観するなんて……」


「一緒に食べるんだからいいじゃない。じゃあ、スープを作ろうか」


「何作るの?」


「春タマネギが美味しいから、油揚げと一緒にして塩スープにしよう」


 そして継彦に言われるままに小鍋に水を入れ、火に掛ける。その間に継彦は木乃花にタマネギを半分切らせる。縦に輪切りにして、頭と根を切り落とし、さくさくと縦に切る。研いだばかりの包丁だと涙も出にくい。


 不揃いに切っただけのタマネギを沸騰直前の小鍋に投入。煮立つ前に刻んだ油揚げを投入。煮立ったところで火を止める。


「こんなんでいいの?」


 木乃花は後ろで見守っていた継彦を振り返る。


「余熱で十分火が通るよ。もともと春タマネギなんて生でも食べるんだから」


「そうかー」


 そして味見をしながら塩を投入していく。入れすぎないよう、油揚げと春タマネギの風味を損なわないよう、注意しながらだ。そしてこれくらいでいいかというところでやめて、粗挽き胡椒を投入して完成だ。


「これで終わり?」


「塩はそれだけで十分、美味しいんだよ」


「確かに塩ポテチは美味い」


「素材がよければ小細工はいらないんだ。さて、あとは肉野菜炒めをどうにかするか」


 継彦は野菜炒めを片方に寄せて、フライパンを傾けて出てきた水分を集め、お椀に入れて、片栗粉を溶く。そしてフライパンを加熱し、お椀の中身をあける。しょう油も入っているので、黒い液体はすぐに餡に変わる。餡を肉野菜炒め全体に絡めて補正完了だ。


「片栗粉で餡にしたから、全体に味が馴染むよ。出た水には野菜のうま味が詰まっているから捨てるなんてもったいない」


「だねえ」


 継彦の手際良さに木乃花は感心するばかりだ。


 肉野菜炒めを中華皿に盛り、取り皿ととりわけ用の大きなスプーンも折りたたみテーブルの上に。スープはお椀に盛る。ご飯はちょうど炊けたところだ。


「よしよし。まだ浅漬けが残ってるぞ」


 継彦が冷蔵庫から朝に作った浅漬けが入ったタッパーを出す。


 これで立派な夕食になった。


 早速、木乃花は肉野菜炒めを食べてみる。まだニンジンが固く、また、歯触りが悪い。もやしは火が通り過ぎのしおしおで、ニラと肉はまあ、火が通り過ぎず。餡がからまっているので味そのものは美味しくいただける。


 塩スープの方はといえば、これは美味しい。塩だけでこんなに美味しくなるものかと思うが、春タマネギの風味と油揚げの植物性タンパクの食感が生きているのだと思う。


「味噌汁と違って温め直しても美味しいのが塩スープのいいところです」


「なるほどー。継彦くん、肉野菜炒めのご講評をお願いします」


 テストが返される時間がきた。


「ニンジンは皮に栄養があるけど、半分くらいはピーラーで剥いた方が口当たりがいいかな。千切り器を使ったら気にならないけど、包丁の千切りだと気になるよね。あと、フライパンに入れるのは肉の直後でもいいかな。あ、そもそも火は強火で、フライパンが温まってからがいい。短時間で加熱するのが野菜炒めの基本。中火で火を通そうとするから水がでちゃう。その後、ニラを入れて、味付けして、火を落とすほとんど直前にもやしを入れていい」


「直前で?」


「もやしなんて余熱で十分、火が通るよ。シャキッとした方が好きな人はオススメ」


「うーん。肉野菜炒め、段取りが大変。あと、なんかひと味足りない」


「やっぱり味覇ウェイパーなあ」


「何それ」


「鉄板の中華だし調味料」


「そんなのあるんだ」


味覇ウェイパーの味に慣れ親しんでるからだと思うよ。なくたって美味しいけど、慣れたモノが無いとひと味足りなく思って当たり前かな」


「なるほどー ごめんね。美味しい料理を作ってあげられなくて……」


 木乃花は小石を投げつけられたときよりも悲しくなる。


「何言ってるの。自分で考えて作ったんだから、それだけで成功だよ。自己啓発本を読む人はもうその前から自己を啓発してるっていうあれと一緒で、料理を作ろうとする人間はそれだけで上達が始まっている」


「前置きは変だけど、後半はいい言葉だ」


「料理は継続なり」


「筋トレもね」


「そうだ。今日の分の筋トレをしないと……」


「今はもうやめてね。夜に体力とっておいて!」


「それとこれは別でしょう!」


 木乃花と継彦は笑う。


 気になることはあったし、小石を投げつけられもしたが、全体的にはいい日だったと思う。


 明日も家の中の整理を頑張れそうな気がしてきた木乃花だった。

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