第9話 家具を買いに行こう
【障害者枠公務員採用試験】
障害者雇用促進法の改正で、一般企業の障害者の雇用割合が増えたのに伴い、国や地方自治体でも障害者枠公務員採用枠が拡大している。
新居生活となると買わなければならないものはとても多い。2人で一緒に買うのも楽しみだと思っていた継彦だが、収納くらい先に考えておけばよかったと後悔していた。広いからいいものの、段ボール棚で整理しきれない荷物は部屋の隅に高く積まれている。なお、ぬいぐるみたちにはとりあえず段ボール棚の上に鎮座していただいている。
ご飯と浅漬けと生卵で簡単に朝ご飯を済ませ、木乃花が洗い物をしていると早速組み立て家具が届いた。継彦が注文していたレンジ台である。レンジ台といっても普通の物よりも1段多く、炊飯器と電子レンジとトースターが置けて、更にその上にも物が置けるようになっている効率的な物だ。探すのになかなか苦労した。これで更に天井まであって、耐震機能があればさらによかったのだけど。
継彦は気分が上がって、梱包の段ボールから部材を取り出し、ラチェットドライバーを手に早速組み立てを始める。この家の広さがあれば作業スペースの確保は苦にならない。
「これがレンジ台?」
洗い物を終えた木乃花が作業をのぞき込む。
「そう。とってもこれで片付くと思う」
「1番上は何を置くの?」
「Bluetoothスピーカー。朝ご飯のときにニュースか音楽を聞きたい」
「いいね」
これまで継彦はテーブルの上にスマホを置いて聞き、それで十分だったのだが、木乃花がいてくれるのだから、いい音で一緒に聞きたいと思っている。
フレームを仮組みして棚板をはめようとすると、木乃花が後ろからぴたりと背中にくっついた。大きなおっぱいが当たり、また自分自身が大きくなる。何度となく触れて揉んでいるのに慣れないものだ。単に自分がおっぱいスキーなのか、それとも木乃花と子孫を残したいからなのか。その両方なのだろう。昨夜あんなにがんばったのに、まだ足りないらしい。
木乃花は何も言わず、肩越しに作業を見ているだけだ。
「あと何買おうか?」
「早急には洗濯機上を有効に使えるようなパイプ棚かなあ」
「それは思う」
広いからいいものの、洗面所も物がいっぱいだ。
「テレビ台」
「うん。それもそのうち」
「この家に合う古いのを探しに行くって言ってたじゃん?」
「ゆっくりね。まずは必要な物から……」
「いつまでもアウトドア用の折りたたみロールテーブルというのもね」
「これはまだいいかな。割と気に入ってる」
「子どもができたらこうはいかないんじゃない?」
「それは気が長い話だ」
「すぐ作っちゃうかもよ?」
生には興味がある。しかし生でやっても100年前と違って、受精卵が着床することはそうそうない。それでも当然、デキることはある。デキなければ人類絶滅だ。
「そうだねえ。でも生まれるまでは
「確かに……」
棚板を入れ終えて、2人でレンジ台を立てる。まだ仮組みなのでぐらぐらする。継彦は接地に気を付けながら増締めをして、かっちり組み立てる。一番下の棚板がスライド式で、そこには炊飯器を置く。その下はキャスター付きの箱を置くようになっていてそこも収納できる。炊飯器の上に電子レンジ、その上にコンベクションオーブンを置く。Bluetoothスピーカーはそのうち買う。
これだけでだいぶ台所の出窓が整理されてすっきりした。継彦は嬉しく思う。
そんなタイミングで呼び出しブザーが鳴った。もう通販で頼んだものはない。2人で玄関に行くと来訪者はつばめと分かった。
「どう、新婚さん?」
「今日も来るとは……つばめちゃん、暇?」
「向坂さん、今日は平日ですよ」
「まだ出勤時間前だよ。心配で様子を見に来た」
現在の時刻は10時過ぎだが、シフト制がある国防軍にはあることだ。
「つばめちゃんが心配することなんてそんなにないよ……」
木乃花はつばめを安心させるように言うが、昨日の区長さん宅の会話は引っかかっているはずで、大きな不安要素だ。
「ならいいんだけどね。何かあったら言ってね。この街が国防軍の基地があるから潤っているということを知らないわけじゃないでしょう?」
「はい……」
継彦と木乃花は揃って頷く。
継彦は何カ所か障害者枠で公務員試験を受けたが、受かったのは木更津市だけだった。障害者枠での公務員試験の倍率はそんなに高いものではない。木更津市は継彦の生まれた土地だったので試験を受けたのだが、人生全体での関わりは薄い。2つの相反する要素があり、それでもここだけ受かったのには理由がある、と継彦は考えていた。
うーん。しかし、もしそうだとすると、思慮遠大すぎる。
継彦はその疑念を心の奥に鎮める。
つばめは2人の安否を確認すると電動スクーターで出勤していった。
「……監視、だよね」
「それは当然のことかな。どっちの監視かは分からないけど」
木乃花は諦めたように肩をすくめた。ご近所か木乃花と自分か。その両方か。
「念のため、糸を張っておくか」
「そんな……ここで襲われることなんてないよ」
「家にイタズラされるかもしれないから。風向き見てできるところはやっておこう」
木乃花が身構えるのは理解できる。そもそも一般人の継彦と元軍人の木乃花は心構えからして違うだろう。
戸締まりをして庭に出ると、木乃花は大きく深呼吸して体内に酸素を蓄える。その後、跳躍して軽々と屋根の上に乗り、一般人には見えない極細の糸をお尻の糸つぼから出す。糸は風に乗せて集落全体に流す。アラクネの固有能力『結界』である。これはさすがに木乃花自身にしか分からない作業で、継彦はぼーっとして眺めるより仕方がない。最後に糸の先端をテレビアンテナに巻いておく。家に戻ってきたら、巻いた糸と新たに自分が出した糸を繋げば、糸の異変を感知できる。
作業が終わり、木乃花は継彦のもとに戻ってきた。
「終わった。さあ行こう」
こういうところを見ると離ればなれになっていた4年間、木乃花がどんな訓練を受けてきたのか、継彦は垣間見える気がした。
軽ワゴンに乗り込み、最寄りのホームセンターに向かう。距離は1.5キロほどだ。しかも隣は大型の家具店という今の継彦たちにはありがたい立地だ。
平日のお昼前なので混雑することなく駐車場に停められ、2人は車を降りて、店舗に歩いて行く。交通誘導員やお客さんが木乃花を見ると1度は見て、すぐに目をそらす。今度は親子連れが1組、前から歩いてきて、小さな子どもが急に泣き出してしまう。木乃花は笑顔で手を振るが、子どもは泣いたまま、親にあやされながら、継彦たちとすれ違った。
いつものことだが、こういうのは辛い。継彦が辛いのだから、本人はもっと辛いだろう。
次は愛玩犬を連れた客が前の方からやってきて、木乃花を激しく吠え立てた。飼い主は抱っこして、足早に立ち去る。アラクネはどうやら一般的に犬に嫌われる傾向にあるようだ。出す糸の匂いがダメなのかもしれない。
店内に入り、目的のものを探す。大型のホームセンターは通路が広く、木乃花でも余裕で通れるので助かった。
「今日の目的は?」
「押し入れ収納と洗濯機上収納」
「あると便利だよね」
「帰りはこのはちゃん、買った荷物できゅうきゅうよ?」
「それは覚悟の上」
やはりハイエースを買った方がいいかもしれない。
洗濯機上収納をまず手にし、その後、押し入れ収納用のケースと突っ張り棒式のハンガーラックを買う。押し入れはいっぱいあるので、突っ張り棒式のハンガーラックがあればクローゼットの代わりに十分なる。継彦はこの商品の存在をしらなかったから、やはりホームセンターに来て良かったと思う。ネット通販だけではサイトがオススメするものばかりを見て、もっと便利なものがあっても気付かないことが多い。そしてこうして2人で買い物に来ること自体が継彦は楽しい。
買ったものを車に納めた後は、家具屋さんにも足を伸ばす。高級家具からアウトレットまで幅広く揃っていて、とても面白かった。継彦は写真を撮り、メジャーで寸法を測り、家具の配置計画を練ることにした。
家具屋さんをあとにし、後部の木乃花は押し入れ収納を抱きかかえながら車は帰路につく。
「欲しいものがいっぱいあったね」
収納家具を優しく抱きしめながら、木乃花は運転する継彦に言った。
「でも欲しくなるのはやっぱり高価なものばかりだった」
「お金はあるんだよ」
「でも稼いだのはこのはちゃんだから……このはちゃんはこのはちゃんで、きちんと自分のために使う分もとっておかないとね。2人で使うものは2人で買おうよ」
木乃花が頷いたのが、継彦はバックミラー越しに分かった。
家具屋さんはすぐ近くなので軽ワゴンは5分ほどで家に戻ってくる。
リアハッチを開けて木乃花が庭に降り立つと、少し怪訝そうな顔をして言った。
「誰か来てた」
「誰か……?」
あまりいいことではない。木乃花が感知するということは、結界の糸が切れていたことを意味する。2人の不在を狙ってこの家に来る何者かがいたということだ。
「プロじゃないね。真っ向から入ってきてると思う。近所の人だね」
「……そうか」
「つばめちゃんには余計な心配を掛けたくないな」
木乃花は少し寂しそうな顔をする。彼女にとってつばめは上司であり、年上の友達であり、姉のような存在だ。除隊は自分の選択なだけに、つばめに心配をさせたくないという木乃花の気持ちは継彦にも分かる。
しかし引っ越し2日目からご近所さんに用心する必要があるとは、先が思いやられる継彦だった。
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