第8話 継彦、深窓の美少女に恋をする
【私鉄沿線開発】
鉄道会社が沿線を開発することで得られる利益は鉄道事業のそれを超え、鉄道事業もまた、沿線開発で集まった住民が使うことで利益を得られると言われている。しかし人口の一極集中や高齢化でそのモデルは過去のものとなりつつある。
継彦と木乃花の出会いは小学5年生の初夏のことだ。
4年生まで継彦は放課後は学童で過ごしていたが、5年生になると学童はやめて、自由に家で過ごしていいことになった。学童に友達はいたけれど閉鎖的なのは否めず、また、その友達も徐々に学童をやめて塾などに行き始めていたから、ちょうどいい頃合いだった。
放課後にできた自由な時間を何に使おうかと継彦は考えた。そして学校や家の近辺を探索し、どこになにがあるか、そこに行くまでどのくらいかかり、交通量がどれくらいかを調べることにした。道に迷うことはない。スマホのMAPと学習用のタブレットがあるからだ。
スマホのMAPは便利だが、そればかり使っていては頭が悪くなると思い、タブレットの地図を読めるように自らを訓練し、どこに何があるか調べた結果をメモに落とし込んだ。あの角を曲がると猫が2匹いる。赤茶の猫は年寄りで、黒ブチは若い雄。あの家はいつもあんこの匂いがする。和菓子でも作っているに違いない。あそこの家は窓を開けっぱなしで、おじいちゃんがタバコを吸っている――そんな他愛もないメモだ。それでも今まで小学校と家の往復しかしていなかった継彦の世界は確実に広がり、いつの間にか地図のメモは半径2キロほどを網羅するまで広がっていた。
継彦が街の探索で歩き始めてから2ヶ月ほど経った6月上旬。この年はまだこの頃は初夏の日差しと言える穏やかな気候だった。あじさいの葉が広がり、無数の蕾を付ける季節、継彦は今まで曲がったことがない路地を曲がってみた。今にして思えば、継彦は出会いの予感がしたのかもしれない。
継彦が住む街は広い梨畑を潰して住宅地に転用した比較的新しい街だが、継彦の地図の北の周辺部はもう別の街で、明治時代に私鉄が線路を延ばすときに開発したかつての高級住宅街だ。大邸宅の多くは分割され、普通の住宅が何軒も建つ区画になっているが、今でもその頃の名残があり、細い道に古い立派な黒松が点々と植わり、根がアスファルトを持ち上げているし、大きな敷地に古い建物を残しているところもある。
その日、継彦が見つけた邸宅もそんな、明治時代から続く大邸宅の1軒だった。小学生の継彦の知識では「古い洋館だ」くらいにしか思わなかったが、リフォームされてきれいになっているとはいえ、築1世紀以上が経過している、ほとんど歴史的建造物といえるような館だ。継彦は興味を覚え、固く閉ざされた門の間から館の様子を窺った。
すると視線を感じ、視線の主と目が合った。
2階の窓のカーテンが開いており、窓ガラス越しに小さな女の子が継彦の方を見ていたのだ。歳は自分と同じくらいだろうかと継彦は見当をつけた。
栗色のふわふわの髪にブルーグレーの瞳、整いすぎた顔は人形かと錯覚してしまいそうになるほどだが、生身の人間であることは間違いない。何故なら、彼女は目を合わせると少しはにかみ、表情を緩めたからだ。
かわいいな、と思うと同時に、話したいな、と思った。
こんな感覚は生まれて初めての継彦だ。しかも戸惑うこともなく、自然にそう思っていた。
女の子はじっと継彦を見つめ、継彦も身動き取れずに見つめ続けていたが、新聞配達のバイクが彼の近くを通って我に返り、逃げ出すようにその屋敷の前から立ち去った。傍から見れば、自分は余所のお宅をのぞき込む怪しい子どもだと思ったからだ。
しかし家に帰って勉強してご飯を食べてお風呂に入って布団をかぶっても、継彦は窓際の女の子のことを考え続けていた。
どうして彼女は外を見ていたのか。何故、自分と目を合わせたままだったのか。見たところ同い年くらいだったから、本当なら学区内だから同じ学校に通っているはずだ。私立の学校に通っているのか、それとも学校に行っていないのか。
継彦は彼女のことを何も知らないのだから、考え続けても答えが出るはずがない。答えが出なくていいのなら、それでも考え続けるだけだが、そうではない。継彦は答えを知りたかったし、あの女の子と仲良くなりたかった。そう。僕は彼女と仲良くなりたいのだ――と気付き、継彦は自分のモヤモヤする気持ちに納得した。そしてすぐにその気持ちに素直になることに決めた。
翌日、継彦は学校に行っても授業は頭にまるで入らなかった。やっと訪れた放課後、継彦は一目散に昨日行った洋館まで小走りで向かった。もちろん走る必要などどこにもないのだが、気が急いて仕方がなかった。
今日はなんとかして彼女と話をするところまでこぎ着けるつもりだ。小学生は小学生なりに悩み、考え、継彦はサッカーボールを手に古い洋館に向かう。1度、大きな門の前を通り、ちらりと洋館の様子を窺ったが、窓辺に彼女の姿は見えなかった。いつも外を見ているはずもないだろうから、いなくてもガッカリすることはない。しかしいないことで、もしかしたら自分は幽霊でも見ていたのではないか、などと弱気になる。弱気になるが、自分が考えて考え抜いた作戦を実行に移し、継彦はサッカーボールを塀越しに敷地の中に投げ入れる。そして門に戻り、小さく声を出す。
「すみませーん。ボールが中に入ったので取らせてください~」
ベタすぎる言い訳を言って、門を押してみる。すると普通に門は動き、中に入ることができた。鍵がかかっていたら乗り越えるつもりだったから継彦はあっけなさに拍子抜けしてしまった。古い洋館なので、戸締まりは厳重に違いないというイメージがあったからだろう。
中は芝生メインの庭で、ところどころに木が植わり、よく手入れがされている様子だった。投げ込んだサッカーボールは上手いこと、洋館の前まで転がっていた。
「すみませーん。ボール取ります~~」
今度は聞こえるように言い、洋館の方の気配を窺う。昨日見た2階の窓の方を見てもカーテンは閉まったままで、彼女が顔を見せる気配はなかった。
まあ、こんなもんだよな、と思いつつ、ボールの前にたどり着き、それを拾い上げたそのとき、きしんだヒンジの音がした。
継彦がそちらに目を向けると、すぐ近くの両開き窓が開いており、そこからちょこんとあの女の子の顔が覗いていた。
「どうぞ。これからは気を付けてね」
考えていたとおりのかわいらしい声だったし、近くで見てもやはりかわいかった。ちょっと垂れ目気味だが、またそれがふわふわの髪のイメージに合って愛らしい。しかし気になるのは、額に2対の不思議な輝きを湛えた立体シールみたいなものを貼っていることだ。なんだろう、これはと思いつつも、継彦は不思議とその輝きに見とれてしまった。
「あ、は、はい。すみません」
継彦は拾ったサッカーボールを胸に抱え、大きく女の子におじぎをしてから、その場を立ち去った。ちょっとだけ女の子と話はできたが、それ以上の進展はない。自分は何を考えていたんだろうと継彦は落ち込み、その日は帰宅した。しかし女の子の愛らしさは確認できたし、何より幽霊ではないことが分かったことは大きい成果だ。継彦は自分でも不自然だと思うくらいに前向きになれた。また彼女に会いに行く気がどこかから湧いてきていた。
これが恋なのだと気付くまでにはもう少し時間がかかるのだが、恋のエネルギーはちょっとやそっとのことではめげない力を与えてくれた。
継彦は翌日も彼女に会いに行くことを心に決め、今度は小細工抜きだ、と放課後また古い洋館に向かう。すると今日は門が半開きになっていた。
ちょっと不用心だなと思ったが継彦は洋館の方に目を向ける。すると1階のあの両開き窓が開け放たれ、白いレースのカーテンが風に揺れているのが見えた。もしかしたら――と期待しながらしばらくその窓を見ていると、あの女の子が顔を出し、小さく手を振ってくれた。もちろん継彦も手を振って応え、大きな声で言った。
「中に入ってもいい?!」
「待ってたの! お話、したかったの!」
女の子は真っ赤になりながらも、継彦に大きな声で応えた。
継彦は門の押戸を押して、敷地の中に再び足を踏み入れる。彼女と何を話そうかなんてことを継彦はシミュレーションしていない。しかしなるようになれ、だ。ノープランでもここは行くしかない。
継彦が敷地に入ってくるのを見て、女の子は頬を真っ赤に染めたまま、笑顔の花を咲かせた。
これは継彦と木乃花の出会い。
彼らの人生を貫き通す初恋の物語。
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