第3話 近くのスーパーに行くよ
【かき揚げ】
刻んだ魚介類や野菜などを小麦粉を溶いた衣でまとめた天ぷらの一種。おそばやうどんに載せて食べると美味しい。
2人は再び車上の人となった。御殿場からの長いドライブと比べ、駅前までの1.5キロはあっという間だ。巌根駅前にはスーパーが2軒ある。1軒は新しい大きなチェーン店のスーパーで、もう1軒は古い地元ローカルチェーンの中規模のスーパーだ。まずは駐車場に入れずに両方のスーパーの前を通り、継彦は木乃花に聞く。
「どっちに入る?」
「古い方かな」
「そうなんだ? 新しい方が広くてよさげだけどね」
「うーん。勘。お惣菜とか、なんか美味しそうな気がする」
「揚げ物とポテトサラダが美味しいといいね」
継彦は料理はするが、揚げ物はほぼ作ることがなくスーパーで買ってくるのが常だ。継彦はUターンして、地元ローカルチェーンのスーパーの駐車場に車を入れる。駐車場にはそこそこ車が入っている。
「お惣菜が美味しいと生活が豊かになるものね」
「施設ではどうだったの?」
「宿舎付きの食堂から送られてくることがほとんどだったから、温かいもの、というよりはなんとなく温かいものばっかり食べてた4年間でした」
「これからはそんなことはさせない」
「電子レンジがあるし」
「そういうことじゃない!」
継彦は苦笑しつつ木乃花より先に車を降り、リアハッチを開けてあげる。サイドのスライドドアから出られなくもないのだが、やはり木乃花には狭いため、リアハッチから出入りした方が楽だ。
「ありがとお」
木乃花は笑顔で車から降りて、継彦と手を繋ぐ。新婚さんの熱々さ故である。しかし普通の新婚さんとは違い、いつまでも手を繋いではいられない。アラクネの木乃花は横幅をとるため、手を繋いでいたら他の通行人の邪魔になってしまうからだ。駐車場の出入り口にいる誘導の警備員の邪魔にならないようすぐに手を離し、木乃花は継彦の後ろをついていく。
警備員の目が木乃花に向けられ、ぎょっとした表情になったのが、継彦の目に入ってしまう。見たくはないのだが、気になるのも事実だ。警備員はすぐに冷静さを取り戻して「いらっしゃいませ」と言った。
地方都市でもアラクネを見ることは希だ。まだいい反応の方だと継彦は思う。
駐車場はスーパーの入り口と反対側にあり、路側帯を歩いて入り口側に行く。入り口側にはワゴンや折りたたみコンテナの上に多くの商品が置かれ、お客さんが数人いた。継彦と木乃花がスーパーに入ろうとするとお客さんはやはり警備員と同じような反応をした後、数歩下がった。それは木乃花が通りやすいようにという配慮とはまた別のものだ。
継彦は木乃花を気にして振り返る。木乃花は周囲の反応を気に掛けず、ワゴンの上の特売品を見て、声を上げた。
「ティッシュボックスが安い。2000円以上お買い上げで198円だって」
「確かに安い」
継彦は買い物かごを手にして、早速、ティッシュボックスを入れた。これならカートがあったほうがいいかもしれないと思ったが、中の通路の広さが分からないので、様子見でやめておく。入り口からすぐに野菜売り場になり、木乃花が聞いてくる。
「何買う?」
「ニンジンとタマネギは確定。常温でもつし。あとキャベツと長ネギかな」
「十分」
メインの通路は木乃花が通る幅に余裕がある。木乃花が普通に歩こうとすると幅1.1メートルほど。脚の広がりを意識して狭くすれば90センチくらいのところまではなんとか通れる。陳列棚の前に出してあるワゴンに気を付ければ、さほど他のお客の邪魔にならずに済みそうだ。
通路の先に小さな子ども連れのお客さんがいた。その小さな子が木乃花の蜘蛛の下半身に気付き、半泣きになる。親がそれに気付き、立ち去ろうとしたが、木乃花は半泣きの子に笑顔で手を振り、そのあと、口に両手の人差し指を入れて、いーっと変顔を作る。すると怖さより面白さが勝ったのだろう。小さな子は半泣きで半笑いの状態になった。
「怖くないよー」
親は子どもの手を握ってその場を立ち去ろうとするが、その子自身は振り返って木乃花に手を振って返す。
継彦は安堵した。大型キメラに馴染みのない一般人が、恐怖感を抱くのは無理もないことだ。歩み寄らなければならないのが常に大型キメラの側というわけではないが、小さな子に対しては木乃花の対応が正しい。そしてそれを続けられる木乃花が偉いと思う。なかなかこういう対応には心のエネルギーが必要なものだ。
継彦は必要な野菜を買い物かごに入れる。木乃花が聞く。
「調味料は?」
「鍋とかと一緒に持ってきた。まだそこそこ大丈夫」
「それはよかった。けど、近々、業務用のスーパーに行きたいね」
「うんうん。いろいろ買い込みたいね」
精肉も買う。冷蔵庫は冷却剤の関係で運んでから1晩くらい置いておいた方がいいデリケートな家電だ。まだそんなに暑くない季節なので常温で大丈夫そうだ。卵も買う。牛乳も買う。いい感じに揃ってきた。継彦は木乃花を振り返る。
「あとなんか欲しいのある?」
「お昼用のカップ麺だよ~」
「そうだった。じゃあ、お惣菜コーナーを先に見ようか」
「なんで?」
「揚げ物が食べたくなった」
「揚げ物とカップ麺――おそばかうどんだね」
「そうなる」
お惣菜コーナーはメインの通路の最後の方にあった。お惣菜コーナーはなかなか充実した品揃えで、買おうと思っていたかき揚げが2個セットで特売だった。迷わず継彦は買い物かごに入れてカップ麺コーナーに戻る。
メインの通路に面したカップ麺コーナーには残念なことにそばとうどんの類いがなかった。メイン通路と平行してある通路にはあるのだが、木乃花には狭い。入れるが、入れば他のお客とすれ違えない。だから木乃花は遠慮するような顔をして入ろうとしない。
継彦はカップ麺コーナーでおそばとうどんを調達することを諦め、考え直す。
「考えてみれば、かき揚げがあるなら生麺の方がいいよね」
「そっか。そうだね!」
木乃花は笑顔になり、継彦と一緒にチルドの麺類のコーナーに行く。
「おそばとうどん、どっちがいい?」
「うーん。今日はおそばの気分」
「じゃあ、おそばにしよう」
生のそばの袋を買い物かごに入れる。3玉入っているが、継彦は全部食べてしまうつもりだ。少し食べ過ぎになるが、余らせるよりいい。木乃花が聞く。
「2000円いったかな」
「たぶん。途中までは計算していたんだけど」
「足りなかったら困るから、何か買おうよ」
「じゃあ甘いものを買おう」
そして甘味コーナーを見て、大福2個セットを買い物かごに入れる。
「お店側の思惑に乗ってる」
「いいじゃない、損するわけじゃないんだから」
継彦と木乃花はお互いの顔を見て笑い合う。
レジの間は狭いが、すれ違う必要がないので2人で列に並ぶ。レジ前に分別用の市のゴミ袋があったからそれも買う。すぐにレジの順番が来て、2000円を大幅に超えたことがわかった。やはり大福は余計だった。2人は顔を見合わせて笑った。
レジ打ちのオバさんは木乃花を見てまたまたぎょっとした様子だったが、レジでクレジットカードの承認待ちの時間にこう聞いてきた。
「新婚さん?」
「はい、分かります?」
木乃花はそう言われて嬉しそうだ。
「結婚指輪がやけに新しそうに見えたから」
そしてオバさんは笑ってレシートを渡してくれた。
継彦と木乃花は笑顔を浮かべて駐車場に向かう。
「このはちゃんの予想が当たった」
「え、なんかあった?」
「いいスーパーだ。これでかき揚げが美味しかったら言うことがない」
「そうだね。美味しいに決まっていると思うけど」
駐車場に戻っても今度は警備員も驚いた様子はない。ありがとうございました、と言うだけだ。木乃花が軽ワゴンのハッチバックを開けて車内に入り、継彦が閉める。木乃花がシートベルトを着用しながら言った。
「お腹減った~~ 早く食べたい~~」
「うん。戻ったらすぐに作るよ」
軽ワゴンは駐車場を出て、新居に戻る。
またこのスーパーを利用しよう、と継彦は思ったのだった。
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