第2話 新居の中を確認するよ

【遺伝子の水平伝播】

 異なる生物の遺伝子が同種の異なる個体や他生物の間でも取り込まれ、その遺伝子がその個体のゲノムに付加または一部置き換えられる現象をいう。




 荷物を家の中に運び終え、引っ越し屋さんの軽パネルトラックは去って行く。残ったのは木乃花と継彦、そしてつばめの3人だ。


「さて。今更だけど間取りの確認をしようか」


「うんうん」


 継彦はいったん玄関の上がり口に座って、右の靴と、左の電子義足に履かせた靴を脱ぐ。靴を履くときと脱ぐときは意外と複雑な荷重がかかるため、電子義足のAIには荷が重い。そのため、立ったまま靴を脱ぐのは要注意だ。


 アラクネの木乃花は脚が8本あり、靴もそれぞれに履いているのだが、器用にぽいぽいと脱いでいくので、継彦より上がるのが早い。2人に続いてつばめが靴を脱ぐ。


 築70年以上にもなる古い日本家屋は平屋の5Kで、普通なら2人で住むには相当広く、アラクネタイプの木乃花が住んでも十分な広さがある。南には広い庭があり、小さな納戸が角にある。南には庭に面した縁側と掃き出し窓。東側の南向きの部屋は6畳間で、中央も6畳間。西側の南向きの部屋は8畳間。北西の角にある6畳間はふすまを外せば14畳もの広い部屋になる。東西の和室の間に玄関があり、玄関から上がると廊下が延びていて、正面が洗面所と風呂。その隣は4畳半。北東の角の部屋が6畳間の台所になっている。


 荷物は先に運び込んだ継彦の分と一緒に1番広い場所にまとめて置かれている。開梱作業はしばらく自由の身の木乃花に大部分をお願いしないとならないかもしれない。


「築70年で800万円ねえ……高いのか安いのか……」


 つばめは一通り新居の中を見た後、首を傾げる。


「トイレの手直しだけで結構かかったからね……市の補助金が使えたからいいんだけど、家の方はこれからほうぼう直さないとならないだろうな」


 継彦はつばめにあきらめ顔を見せる。木乃花の貯金があるとはいえ、新社会人1年生の継彦がこんな物件を購入するのはかなりの冒険だった。だが、大型キメラであるアラクネの木乃花と一緒に住むためには、これくらいの広さが必要になる。


「大丈夫、大丈夫! 2人で直していけばいいんだよ。家を直すのだって2人でやればきっと楽しいよ」


 木乃花は楽観的だ。その楽観的な明るさが、継彦の救いと勇気になっている。


「うちの宿舎も似たような古さだからな。自分の不動産を直すんだと思えば、やる気も出るだろ」


 つばめはふっと笑う。今度の宿舎もあまりきれいなところではないらしい。国防軍は装備予算すら不足しているので、隊員向けに予算を掛けられないのだろう。


「ところでさ……なんか頼んだ記憶がないのに、見覚えのある箱が鎮座されているんですが……」


 8畳間のど真ん中に立派なFRP製の1人暮らし用冷蔵庫ほどの大きさのケースが置かれている。国防軍のマークがしっかり入っているその箱には継彦にも馴染みがあり、木乃花は苦笑した。つばめはうんうんと頷いた。


「ああ。申請したら通った。これは木乃花専用だから、置きっぱなしにしているよりはここに置いておいた方が便利だと思ったんだ」


「つばめちゃんの意向か……」


 木乃花は不満げだが、つばめは心配そうな顔で木乃花を見返す。


「これから大変だぞ」


「でも、継彦くんが一緒だから」


「お前はバカだ。ウチにいれば困ることなんかなかったんだから」


 木乃花はつばめの言葉に真顔で答える。


「だけど、何も知らないまま、生きていたくない。みんなと同じように、私も広い世界で、いろんなことを知りたいんだ」


 木乃花の言うことは継彦にもよく分かる。大型キメラが一般社会で生きていくのはとても大変だ。木乃花はこれからはその困難に立ち向かっていかなければならない。片足の自分ですら生きていくのが大変なのが今の日本だ。アラクネやラミアのような大型キメラ、毛むくじゃらの獣人タイプが露骨に差別される中では、国に保護されて生きていくのも1つの選択肢になる。しかし継彦は木乃花の伴侶として言わなければならなかった。


「絶対に大丈夫。僕がいるし、向坂さんだっていてくれるんだから、いっしょにいろんなことをしていこうよ」


 つばめは頷き、木乃花も大きく頷く。


「継彦くんがそう言ってくれるから大丈夫!」


「新婚さん、妬けるねぇ――それにしてもこいつの出番になるような緊急事態がないことを祈るばかりだよ」


 つばめは国防軍印がついた大きな箱をポンポンと叩く。


「出番くる?」


 木乃花は不思議そうにつばめの顔を見る。


「私の予感はよく当たるんだよ。お守りに置いておくんだな。もう一着は基地に置いておくから訓練や遠征の時はそっちを使えばいい」


「イヤなこと言うなあ。つばめちゃんのそれ、当たるから」


 木乃花は露骨に本当にイヤそうな顔をした。長い付き合いの木乃花が言うのだから、そうなんだろうなと継彦は思うだけだ。


「そうだ。つばめちゃん、お昼ご飯食べてく? きっと継彦くんがご飯作ってくれるよ」


「残念。当たり前だけど冷蔵庫の中は空だよ。まだコンセントも挿してない」


 今、台所に置いてあるのは継彦が大学の下宿先から持ってきた1人用の冷蔵庫だ。そのうち買い換えることになるだろう。なお、この家にある家電製品の大半が、継彦の下宿先から持ってきたものだ。


「そっか、ごめん……つばめちゃん、お昼ごはん一緒はまた今度ね」


「じゃあ、私はそろそろお暇するよ。確かにお腹が減ってきたしね」


 継彦と木乃花の2人は、つばめを外まで見送る。来たときには継彦は気が付かなかったが、庭先に折りたたみの電動スクーターが置いてあった。ナンバープレートを見ると国防軍のものだと分かる。私用で使えるものではない。御殿場勤務だったつばめは有休を取って、こちらの引き継ぎも兼ねて異動に先行して転居して来たと聞いていた。今日は時間に余裕があって様子を見に来るというので、あらかじめつばめには家の鍵開けをお願いしていたわけだが、実は勤務時間中ということになる。ヘルメットを被って電動スクーターに乗り、つばめは言った。


「じゃあ、困ったことがあったらなんでも言うんだよ」


「はい」


「もちろ~ん」


 そしてつばめの乗った電動スクーターは去って行き、継彦が口を開いた。


「向坂さんがいてくれてよかったね」


「いろいろ複雑だけど、嬉しいのも事実……」


「お腹減った?」


「もちろん!」


 木乃花は笑顔で継彦に応える。


「じゃあ、買い出しに行こうか。これからいろいろ買わなくっちゃならないものはあるけど、まずはなにをさておき食料だ」


「何作ってくれるの?」


「段ボールの中から料理道具を探すことを考えたら、まずはカップ麺かな」


「えーっ!?」


 そう言いつつも、木乃花は嬉しそうだ。


「その代わり、夕ご飯は期待して」


「うん!」


 そして2人は家の戸締まりをして、再び軽ワゴンに乗り込んだのだった。

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