時を超えて

 少年が15歳になったときに、村一番の剣豪と殺し合いをさせた。

 そうして生き残った少年を、大人たちは村の奥にある社に連れて行った。

 社の床の一部が持ち上がるようになっていて、大人たちと少年は先に進んでいく。寒々しい石壁の暗い道が続き、先頭を歩く村長の灯りだけが頼りだった。誰も一言も話さなかったから、少年が誰にともなく言った。


「何処まで行くんですか?」


 その言葉に、大人たちが一瞬意識を向けたが、誰も答えてはくれなかった。

 少しばかり歩いたところで青銅色の重厚な扉が現れた。付き添ってきた大人たちが二人掛かりで押し込むと、真ん中から左右に開いた。

 抜けた先は真四角にくり抜かれた石の部屋になっていた。

 光が届いているかのような明るさに、思わず少年の目がくらんだ。やっと慣れた時に部屋を見渡すと、しかし明かりになるようなものは何もなく、見上げた先は石の天井が広がっているだけだった。


 一面が石で出来ているこの部屋の先に、村長が歩いて行く。しかし壁が有るだけで、行き止まりのように見えた。村長が少年に向き直り、壁を指差した。


「この先には、守るべきモノがある、君にはこの場所でそれを守ってもらう任に就いてもらう」


「分かりました」


 少年の声はしっかりとしたものだった。壁の先に守るモノがあるなんて変だなどと、少年が思うことは無かった。村長の言うことを疑う余地は無い。大人の言うことは正も非も無く、子供はそれに従うのが当たり前だったからだ。


 一人で歩けるようになった頃から剣を持たされ、それを振るい続けてきた。そうして15才になった今日、今まで剣を教えてくれた大人を殺した。普段優しくも厳しい人だったが、今日は様子が違っていた。少年と対峙したときの表情は険しく、緊張しているようだった。相手もこちらを殺そうと睨んでいたが、目の奥には恐怖があった。少年はどうしてそんな顔をするのか不思議だった。剣を持った先には殺しの道があり、恐怖を感じてはいけないと教えてくれた張本人なのに。

 勝負はすぐに終わった。血まみれの男は村の男たちに片付けられ、その処理を眺めていた少年を、村長は家に連れて行った。

 少年の好物を与え、腹を満たさせ、十分満足させた所で社へと連れて行ったのである。


 村長が壁から離れ、少年の目の前まで歩いてくる。


「よいか、これから先、この部屋から出ることは許されん」


「はい。しかし、何から守れと仰るのでしょう」


「この部屋に入って来る何もかもからじゃ。例えそれが儂であったとしても、躊躇なく切り捨てよ。遠慮も理由も同情もいらぬ。話しかけることも必要とするな。全てはこの壁の奥のモノを我らが永遠に守る為じゃ」


 永遠という言葉に少年は引っかかったが、聞き返すことは悪い事に思えた。その言葉に、とてつもなく深い理由が隠されていると思ったからだった。


「分かりました」


 そう答えると、村長は満足そうに頷き、少年の肩に手を置いた。


「いつかここを出られる時が来る。そうすれば、お主も大人になることが出来る。父や母と会う為にも、辛抱するのじゃぞ」


 少年は頷くと、村長と男たちは元来た道へ歩いて行き、扉を閉めた。その間、誰とも目が合わなかったし、少年に声を掛けた者もいなかった。


 残された部屋の中で、心臓の鳴る音がやけに大きくなった。

 妙に不安になって辺りを見渡すが、石の壁と床、天井があるだけだった。触ってもザラザラとした感触だけで面白味が無く、すぐに飽きてしまう。


 今頃は村の仲間たちと魚を取ったりしてる頃だろうなと思いを馳せていると、壁の叩く音が聞こえた。それは村長がこの先に守るモノがあると言って示していた壁からのようだった。

 少年が音の発生源に近づくと、その音は、よりはっきりと聞こえるようになった。ドンドンという壁を叩く音が、静かな部屋に響いていく。


 壁の前に立つと、少年は壁の奥に向かって話し掛けた。


「誰かいるのですか?」


 その声掛けを境に、音は止んだ。しばらく待っていると、小さな声が聞こえてきた。それは幼い少女の声だった。


「はい。います。わたしはここにいます。貴方には、私の声が聞こえるのですか?」


「ええ、聞こえます。私はこの壁の向こうにあるモノを守れと命じられています。貴方がそうなのでしょうか」


 その問いかけに沈黙が下りた。少年はその場に座り、言葉を待った。


「それはきっとわたしのことでしょう。父上に、外は危ないからと、この場所から出られないようにしたのです」


「そうですか。外が危ないかは分かりませんが、私は貴方を守るために、ここにいます。どうか安心くださるよう」


 それから二人は話を始めた。

 少女の名前はホシマリと言った。少年には聞き馴染みのない名前だった。生まれた場所も知らない場所で、好きな食べ物の木の実の名前は発音が難しかった。

 お互いに姿が見えないから、背が高いとか低いとか、髪が長いとか短いとか、勝手に想像していた。想像しながら、まるで旧来の友人であるかのように会話が広がった。


「その魚は美味しいの?」

「とても。村に持って行けば料理をして皆で食べるんだ」

「私も食べたい」

「もちろん。だが私は魚取りは上手くない。魚を取るのは、ギリョウが一番だった」

「一匹も取れないの?」

「取れなくはないが、小さいのが数匹だ」

「私はそれを食べたいわ」

「そう言ってもらえると、今度は上手く取れそうだ」


「サンカン踊りというのを踊る祭があるんだ」

「楽しそう。わたしも踊れるかしら」

「踊りは好きなのかい?」

「好きよ。皆が褒めてくれるくらいに」

「君の踊りは何て言うんだい?」

「名前なんて無かったわ。名前を付けるとしたら、わたしの踊りかしら」

「それはいい。誰もが躍りたくなるに違いない」

「貴方もそう思うの?」

「ああ、もちろん」

「じゃあ、一緒に踊りましょう」

「そうすると、わたしの踊りという名前ではなくなってしまう。別々に踊ろう」

「名前なんて気にしないわ」

「そうか、ならそうしよう」


「わたしは星が好き」

「そうなのかい?」

「いつもキラキラしていて、誰の手にも触れられないから」

「触れたいとは思わないのか」

「思わないわ」

「どうして?」

「人が触ると、汚れてしまうもの」

「そういうものか」

「そういうものよ」

「なら、星を見に行こう」

「それは良いことだわ」

「君も一緒だ」

「行けないわ」

「いいや、行くのさ」

「どうやって?」

「目を瞑れば、見えるだろう」

「ええ、そうね。綺麗だわ」

「本当に」


 そうしてどの位の時間が経っただろうか。食事も寝る間もなく、二人は会話を楽しんだ。

 そんなとき、少年の耳に足音が届いた。

 側に置いてあった刀を手に取る。


「どうしたの?」

 少年の挙動に気付いたホシマリが心配そうな声を上げた。


「この部屋に誰かが来ている。私はその者を切らねばならない」


 立ち上がって、青銅色の扉を見つめる。音は確かに、その方向から聞こえてくる。


「危ないわ」

「大丈夫。安心して。君は声を出さず、そこにいてくれ。私が君を呼ぶまで、出てきてはいけないよ」

「……ええ、分かったわ。気を付けて」

 少年は刀を抜いた。そうしてゆっくりと扉へ歩いて行く。


 足音が近くなる。一人ではないようだ。複数人いる。足音に交じって声も聞こえる。聞いたことのない声だった。どうやら村の誰かということはないらしい。

 警戒しながら、村長から言われたことを思い出す。


 この部屋に入って来る何もかもを切り捨てよ。


 自らの使命を果たすべく、刀の柄を握り締める。


 そうして足音が止んだ。扉を叩く音が聞こえると、声がした。聞いたことのない言葉だった。少年は何から守るのか、瞬時に察した。この扉の先にいるモノを切らなければいけない。その使命感に強く駆られていた。

 扉が開く影に隠れるべく、少年は移動する。


 意味不明な掛け声が聞こえ、ついに扉が軋みを上げる。錆びついた甲高い音が鳴り、その中から人の姿が現れた。

 濃い青色の服装に、分厚いベストを羽織っている。胸には金色のエンブレムが輝いていて、入ってきた4人ともが同じ格好をしていた。

 石の部屋が珍しいというように、天井や壁を見渡している彼らに、少年は刀を振るった。

 近くにいた若い男性がこちらを向いた瞬間、肩から腹にかけて刃が通り、血飛沫が上がった。無言で崩れ落ちる体の先で、6つの目が恐怖に染まっていた。

 それを見て、今日対峙した剣の師を思い出した。彼もそんな目をしていた気がする。


 部屋中に甲高い悲鳴が上がる。少年はホシマリが怖がっていないか心配だった。何があっても彼らを近づけさせないと心に誓い、ホシマリを背に次の標的に切りかかった。縮こまる女性を狙った刃が、彼女の盾になるように立ち塞がった男性の首を飛ばした。

 完全に使い物にならなくなっている女性の横で、懐に手を伸ばす男性がいた。その手に握られた黒い塊に、少年は嫌悪感を示した。

 両手で持ったそれを少年に向けながら、何かを口走っていた。しかし少年には何を言っているのか分からなかった。

 一歩近づくと男性の体が震え、距離を取るように遠ざかる。近づく度にガタガタと震え出したのを見て、少年は狩りをしている時のことを思い出した。

 追い詰めすぎた獣は獰猛になり、最後の力を振り絞って襲い掛かってくることがある。目の前の男性は、その際の獣によく似ていた。


 その為少年は相手を落ちかせようと声を出してしまった。


「貴方は異国の方ですか?」


 少年の言葉に、男性は一瞬ハッとした様子だったが、姿勢を崩さなかった。しかし震えは止まらず、奇声を上げ始めたかと思うと、思い切り手に力を込めた。

 少年の耳に轟音が響いた。背後で爆発する音が聞こえて振り向くと、壁には握り拳ほどの穴が開いていた。穴の奥から、ホシマリの悲鳴が聞こえた。


「ホシマリ!大丈夫か⁉」


 すぐに返事は無かった。やがて「大丈夫よ」と弱弱しい声が聞こえると、少年は胸を撫で下ろした。


 向き直ると、男性は再び少年に狙いを定めていた。呼吸が乱れていて、足元が覚束ない。少年は一気に距離を詰め、その手を切り捨てた。両手ごと宙に飛び、血飛沫と男性の悲鳴が上がる。床に倒れ、瀕死の虫のような男の首を突き刺した。


 あと一人。そう思い部屋を見渡したが、女性が消えていた。

 扉の奥から叫ぶ声が聞こえ、それが遠くなっていく。


 逃げられた、と思った。少年はすぐに追いかけた。扉の前で転がっている死体を乗り越え、暗闇の道を掛けていく。

 光の無い道がどこまでも続く中、突然少年に変化が訪れた。

 足が重く、息が上がる。こんな短時間の動きで体力が無くなるなんて初めてのことだった。今だ相手の姿は見えないのに、まさか自分の方が音を上げることになるとは思わなかった。


「仕方ない、戻ろう」


 そう呟いた自分の声を疑った。自分の声だと思っていたが、それは老人の声に聞こえた。


「どうして……」


 声が一段としわがれていく。このままここにいては危険な気がした。すぐに元来た道を戻るが、足が上手く動かない。刀が重く、その辺りに落としてしまう。しかし拾う余裕は無かった。壁に手を付きながら歩くが、次第に足にも力が入らず這うように進んでいく。腕や胸に傷が出来て痛んだが、一刻も早く戻らなければという気持ちが痛みを忘れさせた。

 何とか扉を潜ると、少年はその場で一休みした。到底立ち上がることは出来ず、寝転んだまま自分の手を見た。


 皺の刻まれた頼りない掌がこちらを覗いていた。握力も弱くなっていて、目の焦点が合わない。

 自分はどうしてしまったのだろう。何故急にこんなことになったのか。そう考えた時、この部屋に何か秘密があるのだと思った。もしかしたらホシマリが何か知っているかもしれないと思い、ホシマリの元に向かう。力の入らない体に鞭を打って、壁の前までたどり着く。


 ホシマリ、と声を出そうとしたが、掠れた声が出るだけで、言葉にならなかった。


 壁を叩こうとしても、撫でるだけになってしまう。

 少年は何度も壁を叩いた。何度も名前を呼んだ。しかし返事は無く、体はそれ以上動いてはくれなかった。


 何とか壁を背に休んでいると、声が聞こえてきた。少年にはホシマリの声に聞こえたが、確信は持てなかった。


 壁を叩く振動が背中に伝わり、ホシマリが無事であることが分かって安堵した。取りあえず、自分は守ることが出来たのだ。


 何度も壁が叩かれる。すると、穴の開いた所から壁が崩れてきた。瓦礫となって少年の側を転がっていく。


 少年が見上げると、壁にはいくつもの亀裂が出来ていた。そこも崩れていき、壁の真ん中あたりに大きな空洞が出来た。そこから一人の女性が這い出てくると、辺りを見渡していた。そうしてホシマリは部屋中に届けようと声を出していたが、少年は返事を出来ず、ヒューヒューと息を吐くだけとなった。


 少年はその姿をぼんやりとした視界の中で捕えていた。しかしどのような顔をしているのか、少年にはもう分からなかった。


 やがてホシマリは少年を見つけた。しかし彼が今まで会話をしていた少年と同一人物だとは思えなかった。老齢の男性がわずかに呼吸を繰り返し、いまや命の危機に瀕しているとさえ感じていた。


 ホシマリは少年の元にやってきて、声を掛けた。何か心配しているように少年には聞こえた。しかし返事をすることは難しかった。代わりに伸ばした手を、ホシマリは握り返してくれた。暖かい手をしていた。思わず涙が溢れだした。

 やがてホシマリは意を決したように立ち上がり、開いた青銅色の扉を見やった。


 少年は止めようとした。ここから出てはいけないと教えたかった。けれどそれは叶わないことだった。ホシマリはとうとうこの部屋を出て、走り去ってしまった。

 その後ろ姿はすぐに見えなくなった。


 この世ではもう会えないだろうと思った。それゆえ、少年は扉の方へと這って移動した。ホシマリを守ることが使命だったのだ。ならば彼女を追わなければならない。けれどそれは叶わないことを知ったから、せめて少しでも彼女の側で死にたいと思った。

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