国家機密券の使い道
2030年、春の陽気が漂う昼下がり、高橋瑠宇都(るうと)は歩いてきた道を振り返った。すでに刑務所の建物は見えず、見送る刑務官の姿も確認出来なかった。
刑務所を囲う鉄柵は所々さび付いていて足元に伸び放題の雑草を見ていると、こんな所で過ごした2年という歳月を恨めしく思った。
3年前、大学生だった高橋は宝石強盗をした。金に困り、当時一緒だった仲間と画策したものだった。その後仲間の一人が捕まり、警察の尋問に耐えられず高橋たちの名前を出してしまった。そうして全員が捕まり、裁判の末高橋たちは2年前、刑務所に入った。
そして今日釈放され、支給された衣服とわずかな金品を手に、駅へと向かって歩いている。
他の仲間は先に出た者もいればまだ服役している者もいる。
実家とは縁を切っていた。高橋が釈放されたことを知っているだろうが、誰一人として迎えに来た者はいなかった。
髙橋もそれは覚悟していた。服役中どころか裁判のときでさえ家族は誰も来なかったのだ。
何とも思わなかった。やっぱり自分には家族というものはいなかったのだと痛感させられ、この足のまま実家に行ってやろうかとも考えた。しかし歩いている内に、もはやどうでも良くなり、これからどのように生きればいいか、それだけを考えていた。
住む家も無い。働く職場も無い。スマホも無い。犯罪者には何一つ残されない。
このまま野垂れ死ぬか、また犯罪を犯して刑務所生活かの2択であった。
そんなことを考えていると、次第に人通りが増えてきた。賑やかな生活の音が聞こえてきて、どことなく不快に感じた。自分の生活とはかけ離れていて、自分が世界から切り離されているような気がした。
ここから離れよう、そう思った時、風が吹いて1枚の紙きれが足元に落ちてきた。
それは横長で、何かのチケットのようだった。
拾って見ると、『国家機密券』と印字されていた。その下に、『事故・事件など、全て解決致します』とある。
まるで子供が作った内容に、高橋は馬鹿にするような笑いを浮かべた。
「なんだこりゃ」
裏面を見ると、都心部最大の病院の名前と、院長の肩書、そして『大河内重信』という名前が書かれていた。
全く聞き覚えの無い名前の下に、大きく利用要綱が書かれていた。
『・ご利用の際は、御愛用の警察担当者へご連絡下さい。
・利用者様の許可が無い限り、メディア発表は一切致しません。
・弁護士・裁判官・検察官へのご報告・ご相談は各警察担当へ事前に共有させて頂きたく存じます。』
「……」
言葉の節々に、言い知れない気味悪さが浮かんでいた。
子供の遊び道具くらいにしか見ていなかった紙切れが、異様な存在感を放っている。
チケットを手にして立ち尽くしている高橋の脇を、何人もの人が通り過ぎていく。
そして背後から、高橋の肩が叩かれた。
振り返ると、黒いスーツを着た男が立っていた。高橋と同じくらいの身長だが、やや細身であり、高橋の方が体格は優れていた。サングラスを掛けていて、視線は高橋の手元を見ていた。
「それを返してもらおうか」
手を差し出してくる男が低いトーンで話すのを聞いて、高橋はこのチケットが何かヤバいことに使われるモノであると確信した。
今の所持品を考えると、この紙切れにも似たチケットは、幾らか価値があるように思えた。これをタダで返すのは惜しかった。
チケットを渡す気配の無い高橋を見てサングラス越しの男の視線は、高橋の顔に移った。
「返さないということでいいんだな?」
語気を強めた声は、周りを歩く人たちにも届いていて、遠巻きに面白がってスマホを向ける人たちも現れた。
騒ぎが大きくなる前に、高橋は質問をした。
「これって何なのさ。というか俺が拾ったんだから俺のじゃね?返して欲しいなら相当の物を持って来いよ」
それで金品を脅し取れると思った。しかし男は言葉を発さず、ただ溜息を吐くだけだった。
「面倒臭いな、全く」
そう呟くと、こちらに詰め寄ってきた。高橋は喧嘩をする気満々で、近づいて来た男へ拳を構える。手の中でチケットがクシャリと音を立てる。
しかし歩みを止めない男へ向けて、高橋の右フックが放たれた。男は顎に向かってくる拳を腕でガードすると、大げさに腕を振り回し、横倒しになった。
「あああ、いてぇよ。殴られた!」
そのまま歩道の端へ転がり、大きな声で喚く男を見下ろしながら、高橋は変だな、と思った。
お遊びにしては度が過ぎている。どこかで撮影でもしてるのかと辺りを見渡すが、そんな気配はない。
なら目の前で起きているこの状況は一体何なのだろう。
仮にこのチケットを本当に取り返したいとして、そんな重要なモノなら、どうしてもっと焦って探したり、無理やり奪い取るなどの強硬手段に出ないのだろう。
それともやっぱり、コイツがふざけているんじゃないだろうか。もう一度体に聞いてみるのが良いのかと思った時、後ろで車の走る音が聞こえた。続く悲鳴に振り返ると、目の前に黒いベンツが現れた。一直線に高橋へ向かい、逃げる間もなくその体が宙に飛んだ。
やがてアスファルトに叩き付けられた体に激痛が走り、数秒後には腕や足にも熱を持った痛みがやってきた。
声にならない叫びが、高橋の体を支配する。何をしても痛む体は呼吸するのがやっとだ。
薄く開けた視界に飛び込んできたのは、車から降りて来る黒スーツの男たち。その中から一人、背の低い太った老人が歩み出た。高橋の頭側に立つと、その顔面を蹴り上げた。
「があっ…」
うめき声が漏れ、それを聞いた老人が下卑た笑いを見せる。そして黒服の一人に視線を移した。
「おい」
その声と視線を向けられたスーツの男がやってくると、老人が何か受け取る仕草をした。
「鉄砲出せ」
その言葉で、黒スーツの男たちに緊張が走った。
「や、やるんですか?」
スーツの男の声は、震えていた。
「こんなガキ、一人くらい死んだって構いやしねぇよ。むしろ死なせてやるのも俺達の仕事だろうが」
死という単語に、高橋は一瞬だけ痛みを忘れた。手放しかけた意識をようやく手繰り寄せ、頭上の老人を見た。
その手に黒い物が乗せられるのを見て、全身が泡立った。汗だくで痛む体を何とか動かそうとするが、上手く行かず、地面を這いずり回る虫のようになった。
その時、パトカーのサイレンが聞こえた。その音が、高橋には救いの音に聞こえた。この騒ぎを聞きつけて、誰かが通報してくれたに違いなかった。もう一度刑務所に入れられるかもしれないが、この絶体絶命の状況から抜け出せるなら、何でも良かった。
パトカーが止まり、見物人を押しのけて警察官が駆け付けた。
その数は数十人にも及び、ほとんどが高橋たちと周りを遮る壁となった。そして残った数人が、高橋と老人の元にやって来る。
先頭を走る壮年の警察官に向けて、高橋は視線を送った。
助けて、と高橋は口を動かしたが、警察官の誰も反応を示さなかった。
そして老人の前に並び、揃って頭を下げた。
「大河内様、お待たせして大変申し訳ありません!」
「構わんよ。君には色々借りがあるから。ねぇ、古木君」
古木と呼ばれた一人だけが、顔を上げた。
「はっ。……それで、このガキですか?」
「あぁ、そうだ。窃盗、暴行の容疑で死刑。それで良いね?」
大河内の手には高橋が持っていたチケットが握られていた。それを受け取った古木は、うやうやしく受け取ると、くしゃくしゃの皺を伸ばし、名前を確認してポケットに閉まった。
「大河内様の仰せの通りに」
その光景に、高橋は絶望した。
病院の院長というあらゆる力を持つ人物に、警察も抱き込まれているのだ。
権力者は人を殺しても無罪。底辺のクズは被害者でも死刑。
こんな世の中になっているのなら、一生刑務所で生活していた方がマシだった。
自分の立場を呪っていると、開いていた口に銃口をつっこまれた。
苦しくて唸っていると、大河内の顔が近づいてくる。分厚い唇から漏れる生暖かい息が顔に当たる。
「俺さぁ、銃で人殺すの初めてなんだよ。やべぇ、楽しみすぎて興奮してきたな」
撃鉄を引く音が鳴る。あとは引き金を引くだけで、銃弾が放たれる。
苦しさと恐怖で涙が止まらなかった。体は硬直して、首を横に振るのがやっとだ。
しかし無情のときはすぐにやって来た。
引き金が引かれ、高橋は血飛沫を撒き散らせながら息絶えた。
飛び跳ねた血がスーツに付き、大河内は悪態を付いた。
拳銃を放り投げ、その怒りを高橋の腹部を踏みつけることで晴らすと、拳銃を拾い上げる古木を呼びつけた。
「実験に使うから、俺の病院に運んでおけ」
「かしこまりました」
血の付いたスーツを投げ捨て、代わりのスーツに着替えると、大河内は車に乗って立ち去った。
それを見送った古木は、はぁっと溜息を吐いた。
「面倒くせぇ」
チっと舌打ちをして、転がった死体を見下ろす。
「てめぇも噛みついてんじゃねぇよ、馬鹿が」
やって来た救急車に死体を乗せ、大河内の病院へ運ぶように伝えると、後処理を部下に任せた古木は、警察署へと帰っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます