槍の雨

 カンという音が何重にも折り重なって、アパートの屋根伝いに響いてくる。

 無数の槍が、鋼で作られた屋根に直撃している音だ。

 初めは恐ろしかったこの音も、今となっては雨粒の音と大差ない。

 むしろその音を聞いて、今日は仕事に行かなくてもいいのだと心が躍るくらいだ。


 袖を通したワイシャツを脱ぎ、クローゼットに戻す。いつもの部屋着に着替えると、俺は窓の外を見た。

 雲一つない快晴と言える天気の中で、無骨な槍が降り注いでいる。

 空から降っている槍はどれも同じ形をしていて、長さが約1mほどある。刃渡りが20cmほどで、太陽の光に乱反射を起こしている。規則正しく真っすぐ降っており、そこかしこに当たった槍はどこへやら消えて無くなっている。


 窓から移動して、テレビの電源を付けた。

 どこのチャンネルでも、緊急速報として槍の雨を取り上げている。

 緊急とは言っても、これも見慣れた光景だ。今日槍の雨が降ることは事前に予想されていた。大抵の人は仕事や学校を休むか、外に出なくて済むよう昨日までに移動している必要がある。もしくは槍が当たるのを防げるよう鋼鉄の傘を用意することである。しかし傘は重く、それを使った動画配信者が槍を防ぎきることが出来ず、配信中に死亡したというケースもあった。


 女性アナウンサーが外出は控え、建物内に避難するように呼び掛けている所で、上空映像に切り変わる。ヘリコプターから撮っていると思われる中、地面に横たわる人々が現れた。その体からは大量の血が流れていて、なおも無数の槍は、無慈悲にその体を貫き続けた。

 遠目ではその位しか分からず、すぐに映像が切り替わった。

 アナウンサーが再三の注意を促す声を聴きながら、俺はパソコンの置いてある机に向かった。


 電源が付くと、すぐにメール受信のポップアップが表示された。上司からだった。槍の雨により、今日はテレワークで仕事をするようにとの連絡であり、俺は思わず拳を握った。

 昨日の予報を聞いた時からそんな気はしていた。

 元々出社に厳しい会社であり、槍の雨が降っても出社を強要していたのだが、遂に死者が出た。そいつは仕事の忙しさに槍の雨が降ることを知らず、取引先に向かう途中で脳天を突き破られたのだ。

 そのことが知れ渡ることになり、体裁を保つために上層部は形だけの謝罪をしたのだが、槍の雨が降ろうとも出社を強制した。しかしその後も槍の雨に体を貫かれて死んだ同僚が現れ、遺族の訴えにより会社は多くの非難を浴びた。

 そうして多くの犠牲もあり、槍の雨が降る日の出社は見送られることになったのだ。


 俺は椅子から立ち上がり、コーヒーを入れる。今だに聞こえる槍の音が少し大きくなってきた。

 カップを手に再び窓の前に立つ。外の景色が見えないほどに降り注ぐ槍。この光景を見ながら飲むコーヒーの美味いこと。しかも会社はテレワークであり、上司たちは未だにその使い方を分かっていないから、余裕でサボることが出来ている。この槍の雨には感謝しても、し足りないくらいだ。


 その景色を眺めていると、視界の端に動く姿があった。アパートの前を、スーツ姿の男が歩いている。カバンの持ち手に腕を通して、両手で傘の柄を握り締めている。


 この状態で出勤かよ、と俺は同情した。まだこの人の会社では死者が出ていないのか。それとも絶対に槍に当たるなよと命令されながら出社しているのか。

 どんな理由かは分からないが、どうせ大したことではないだろうし、興味も無い。


 むしろ死者が増えれば増えるほど良い。


 そうすれば、俺の会社のテレワーク化が進み、ますます出社する必要が無くなる。そうすれば家に居ながら遊びも仕事も思いのままだ。


 男の後姿を眺めながらコーヒーを啜っていると、スマホに通知が来た。見ると、会社の後輩からだった。


『安達部長と飯田課長が今朝、槍に刺さって死んだらしいっす。キャバクラの通りで全裸だったらしいですよw』


 俺は今日、二度目のガッツポーズをした。

 セクハラパワハラ恫喝暴力何でもありのクズが二人死んでくれた。これはますますコーヒーが美味い。

 後輩には情報通の彼女がいて、色んなことを教えてもらっていた。それを俺にも伝えてくれるのだ。


 俺は『美味い話の礼に、今度美味い飯を奢ってやるよw』と返信をして、もう一度外を見た。もう男の姿は見えなくなっていた。


 すると一層大きく、槍の音が聞こえてきた。いつもより激しく、まるで外にいる様な臨場感のある音質に、カップを持つ手が震えた。


「大丈夫だよな……」


 そのとき、天井でバキっと音が鳴った。

 思わず見上げる。天井が押しつぶされているのを見て、俺は動くことが出来なかった。

 カップが手から滑り落ち、床に落ちた衝撃で割れ、破片が飛び散った。

 しかしそんなことは気にしていられなかった。


 逃げないと。


 そう思った一瞬の内、天井が裂けた。


 太陽に照らされた刃が、部屋に降りてきた。

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